天使は甘いキスが好き

吉良龍美

文字の大きさ
上 下
11 / 98

天使は甘いキスが好き

しおりを挟む
 一方その頃太一はふと昔の思い出に捕らわれていた。あれはまだ恵が小学生の頃だ。
 太一はふと微笑んでいた。確か友人の平方という少年と喧嘩をして帰ってきた時だ。
 ーーーどうしてその会話になったのかは朧気だな。
 太一は断片的に思い出していた。

『解る。この間、平片と喧嘩して先生に怒られた』
『そうか。嫌な思いしたか?』
 恵は頷いた。
『胸が苦しかった。云わなくても良い事だったって、後で気付いて謝った』
『その子もきっと嫌な思いしただろうね。そうしてひとつひとつ学ぶんだ。焦らなくて良いから。時間はいっぱいあるんだから』
 太一は肩車から恵を地面に降ろした。恵はこくりとまた頷く。素直に良い子に育ってくれと願いながら、太一もよくかおるのお腹を撫でたものだ。親子は似るものなのか。それとも他の家庭でも同じなのか。
『クリスマスは何が欲しいんだ?』
『ん? お母さんに赤ちゃん出来たし、もういらない』
 他はいらないと、恵は頬を染める。吐く息は白い。太一は前から欲しがっていた、ヒーロー物のプラモデルを、こっそり買って置いてやろうと思った。太一は恵の柔らかな髪を撫でた。恵はキョトンとした眼で太一を見上げる。
『お母さんのお腹の赤ちゃんに、もう名前は決めたのか?』
 恵との約束で、来年の誕生日プレゼントはいらないから、名前を考えさせてと強請られた。
『うん』 
 恵は嬉しそうに微笑んだ。
『なんて名前にしたんだ?』
 家までの残りの距離を、手を繋いで歩く。
『伊吹』
 太一は脚を止めた。
『…伊吹?』
 その名は、昔太一が二歳の時に事故死した、双子の妹の名前だった。仏間に置かれた小さな女の子の写真でしか、太一は知らない。
 十和子が懐かしそうによく太一に話していたのだ。家族で海に出掛けて、眼を離した隙の出来事。よく笑う人懐こい女の子。今は太一の兄弟は兄の勝のみだ。
『お爺ちゃんがね、叔母ちゃんのお話しをしてくれたの』
『え?』 
 あまり仲の良い親子ではなかった。喧嘩をした記憶しかない。厳し過ぎる父親に、いつの頃からか反発して来た。その父親は、恵が小学校に上がる前、癌で他界している。
『お爺ちゃん、太一には寂しい思いばかりさせて来たから、恵には沢山兄弟が出来ると良いなって、云ってたよ?』
 太一は眼を見開いて、恵を見詰める。そんな言葉が聴けるとは思わなかった。子供に愛情が無い男なのだと、思っていたがどうやら、思い違いだったらしい。後で仏壇に手を合わせようかと、太一は思った。十二月の冬は日が暮れるのが早い。
『あ、お母さんだ!』
 かおるが喫茶店経営を兼ねた自宅の前で手を振っている。恵は太一の大きな掌から抜け出して、かおるへと駆け出して行った。その小さな温もりが消えた事に、少々の寂しさを感じながら、太一も歩き出した。
「部長?」
 ふと太一は我に返って秘書課の倉木を振り返る。エレベーター内は二人きりだ。夜の帳にガラスに映る二人の姿を、太一はぼんやりと眺めた。
「どうかなさいましたか?」
「いや…少し疲れただけだ」
 この倉木と不倫関係になって半年。何度肌を重ねたのかもう、覚えてはいない。
「何でもない」
 眼を逸らして太一は腕時計を見る。
 ーーーなんだ、もうこんな時間か。
「でしたら、この後マンションに…」
 倉木の手が太一の手を握り締める。太一は苦笑してさりげなくその手を離した。
「すまない。仕事が残っているんだ。それに…息子に知られてしまって」  
 驚くだろうか、と太一は倉木を一瞥する。倉木は驚いた様子も無く、肩に掛かった髪を払った。
「奥様には?」
「妻にはまだ。妊娠中だ。君も知っているだろう?」
 倉木はガラスに映る二人分の姿を眺めた。二人を鏡の様に移すエレベーターのガラス。
 倉木はどこかかおるに似た面差しをしているが、性格は反対だ。印象もかおるが『静』なら倉木は『動』と云える位に。ふとまた太一は昨夜の恵の顔を思い出した。かおるに良く似た顔。ズキリと胸に穴が開いた感じだ。驚愕に泣き出しそうな表情に、あぁ、自分は罪深い事をしたのだと、今更ながらに気付かされた。あんなにも自分に懐いていた、優しい瞳が、愚かな男を映した。麻痺していたのだ。
 自分は完璧だと、妻を愛していると思いその反面、逃げていた。現実から。社会からのストレスから。
 空はどんよりとした雨雲が良し寄せていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

処理中です...