慟哭 ~あの時の気持ちは本気の気持ち、今でもそれは変わらない~

杉 孝子

文字の大きさ
10 / 17

10_里美からの頼み

しおりを挟む
 私の心が震えだすのが、彼女にまで伝わってしまうのではないかと思える程に、鼓動が高鳴っていた。それと同時に、愛おしさが込み上げてくる。決して忘れられない思いが、出会った頃から変わらない気持ちが、四か月前に終わったはずの想いが、諦めきれずにいた感情が、溢れそうになっていた。それでも私は、必死に冷静でいようとした。 

「たとえ生田さんに彼氏がいても、俺が好きな気持ちは変わりらない。ただ、生田さんが本当に好きな人と一緒になることが、一番の幸せだと思う。俺が我慢すれば、それで生田さんが幸せになるなら、もうこれ以上つきまとうべきじゃないと思ってた。俺の気持ちなんて、知らない方が良かったのかもしれない。そんなことも考えていた。だからあの時も迷ってたんだ。でもたとえ吹っ切れなくても、俺の気持ちを伝えたかったし、生田さんの気持ちを知りたかった」

 私は、話しすぎていると自覚しながらも、言葉は止まらなかった。車は湖岸の道を制限速度で走っていた。

 彼女は、告白した時と同じように、私の言葉を静かに聞いていた。私への視線を逸らすことなく、黙って受け止めてくれた。そして、一息ついたところで、里美はぽつりと呟いた。

「私、別れたの。知ってるでしょ?付き合ってた人と」
 彼女は俺の横顔を見ながら、静かに話し始めた。
「田村さんのことは、会社に入った時から気になっていたの。でも、田村さんからは誘っても来なかったし、私も彼と付き合い始めて一年ぐらいで、喧嘩もしてたけど、それでも彼のことが好きだったから、そのまま付き合っていたの。でも・・・」
 里美は一度言葉を切ったが、意を決したように続けた。

「彼が浮気をしていたの。それを問い詰めたら『別れてくれ』なんて・・・。もちろん、わかってる。別れたからって、田村さんと付き合えるなんて思ってもいない。けれど、これだけは伝えたかったの。田村さんのこと、私も好きだった。もし、今でも田村さんの気が変わっていないなら・・・付き合ってくれる?」
 私は、車道から外れ、湖岸の空き地に車を止めた。サイドブレーキを引き、彼女の方を見つめる。

「人の気持ちなんて、変わったりするもんだよ。でも、俺の生田さんを好きな気持ちは変わってはいない。今でも好きだ」
 ずっと諦めきれなかった思いが、報われた瞬間だった。私は、彼女に笑みで答えた。
 夕焼けの空が茜色に染まり、赤みを帯びた光が彼女を柔らかく包み込んでいるようだった。彼女が微笑むこの瞬間が、まるで夢の中の幻想のように、触れたら消えてしまいそうな光景だった。最高の瞬間だった。きっと、一生忘れられない思い出となるのだろう。

 車内から夕焼けを眺めながら、ふと思った。人生であと何回こんな奇麗な夕焼けを愛する人と見ることが出来るのだろう。多分、数十回。もしかするともっと少ないかもしれない。
 夕日が沈んで、辺りが暗くなったころ、近くのレストランで食事をした。彼女の表情も先ほどまでとは違い、どこか吹っ切れたようだった。やはり彼女には、笑顔がよく似合う。
 レストランを出ると、どちらからともなく『もう少し遊んでいこう』と言い出し、ゲームセンターへ向かうことになった。  

 夜の湖岸を制限速度を無視して飛ばしてはいたが、時間が早いせいで、まだ車が多かった。  
「俺あんまりゲームしないから、上手くないよ」
 ゲームセンターの駐車場に車を止め、助手席から降りた彼女の後姿に声をかける。
「私もへたくそよ」
 里美は入り口でくるりと振り返り、俺に向けて右手を差し出した。

 会社では、今までと同じように挨拶を交わすだけだった。しかし、休みの日には、土日のどちらかは少しの時間でも会うようになった。お互いの時間が合えば遠出のデートもするようになり、季節は夏を迎えようとしていた。
 里美と付き合う中で、元カレの話をしてくることもあった。彼女なりに過去を整理しているのだろうと私は思った。正直、話を聞く中で嫉妬することもあったが、それ以上に、彼女が自分に心を開いてくれていることが嬉しかった。

 以前に飲み会の席で噂になった里美の退職についても彼女自身から理由を聞くことができた。元カレと別れたこと、私の告白を断ったこと。それらが重なって、会社に出社することが辛くなった時期があったと言う。退職を考え、誰かに相談したことが噂として広まったのだと話してくれた。

 昼間は暖かい日が続いていたが、夜になるとまだ少し肌寒い季節。里美とはお互い都合がつかずにその日、一人の休日を過ごしていた。
 夜になり、二人で買った携帯電話に呼び出し音が流れる。画面を見ると、里美からだった。
「もしもし。田村です。里美、どうした?今日は会えなかったよな」
 私が話し出すと、電話越しの彼女はどこか焦っていた。
「雄一、ごめん。今から迎えに来れる?」
 時計を見るもう終電がない時間だった。

「構わないけど、少し時間かかるよ。どこで待ってる?」
「うん。近くのファミレスで待ってる。少し会って話もしたいことがあるから」
「わかった。近くまで行ったらまた電話する」
 私は携帯を切ると、車のキーと財布を持って家を飛び出した。

 待ち合わせ場所のファミレスの駐車場に車を止めて中に入っていく。深夜でも若いカップルやグループが席を埋めている。
 窓際のテーブルに里美が座っていた。私が入って来たのに気付き、胸の前で彼女は手を振った。  

 向かいに座り、オーダーを取りに来たウェイトレスにアイスコーヒを注文する。里美にも追加を聞いたが首を横に振る。ウェイトレスがテーブルを離れると私は里美に尋ねた。

「何か困ったことあった。今日は用事があるって言ってたから」
「うん。少し用事があったの・・・」
 彼女は、少し迷ったあと、小さな声で言った。 
「やっぱり話しておくね・・・。今日元カレと逢ったんだ」
「まだ、気持ちがあるのか。元カレに」
 私は、動揺を隠して、里美に聞く。
「違うの。彼に脅されてるの」

 里美はそう言って、自分のハンドバックから封筒を取り出すとテーブルの上に置く。
「ここで見ないでね。中身は私の写真・・・。写真をばら撒かれたくなかったら、金を用意しろって」
 私は封筒を手に取る。  
「これが初めてじゃないんだろ。何回も金をせびられてるんだな」
 里美は、ゆっくりと頷いた。
「雄一に心配させたくなかったの。お金を渡せばそれで終わると思ってた」
「脅迫してくるような奴は、味をしめたら何回でもしてくるよ。で、いくら渡したの」
「・・・今までで、三十万以上になるかな」

 里美と一緒にファミレスを出ると、駐車場へ向かわずに湖岸に向かった。深夜の湖岸にはさすがに人の気配は無かった。私は、湖岸の砂地にしゃがみ込み、手で少し掘り起こした。里美から預かった封筒を取り出すと、ジーンズのポケットからライターを取り出して封筒にライターの炎を近づける。
 火が封筒の端からじわじわと広がっていく。写真が焼ける匂いが鼻を突いた。里美は何も言わず、ただ燃え上がるそれを見つめていた。
 
 私は写真を見ていない。里美自身が確認したのを信じているだけ。元カレとの情事の写真らしい。封筒の中の写真すべてが灰になっていくのをしゃがみ込んで二人で見ていた。
 炎の揺らめきが、二人の顔を照らして揺らめいていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...