慟哭 ~あの時の気持ちは本気の気持ち、今でもそれは変わらない~

杉 孝子

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10_里美からの頼み

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 私の心が震えだすのが、彼女にまで伝わってしまうのではないかとさえ思える程に、鼓動が高鳴りだした。それと共に、愛おしい気持ちが湧き上がってきた。決して忘れられないあの思いが、出会った頃から変わらない気持ちが、四か月前に終わったと一度は考えていたが、諦めることができずにいた気持ちが、噴き出そうとしていた。それでも私は、冷静になろうとしていた。

「たとえ生田さんに彼氏がいても、俺が好きな気持ちに変わりはない。ただ、生田さんが想っている人と一緒になる。それが一番幸せになることだと思う。俺が我慢さえすれば、幸せになるなら、これ以上生田さんにつきまとうのは悪いと思っている。俺の気持ちを知ってもらわない方が、もしかしたら良かったのかもしれない。そんなふうにも考えていた。だからあの時も言うか言わないかで迷ってたんだ。でもたとえ吹っ切れなくても、俺の気持ちを伝えたかった。生田さんの気持ちを知っていたかった」

 私は、しゃべりすぎていると思った。車は湖岸の道を制限速度で走っていた。

 彼女は、告白した時と同じように、私が話すのを聞いていた。私の視線を逸らすことなく、黙って聞いてくれた。私が一息ついたところで、里美はぽつりと呟くように言う。

「私、別れたの。知ってるでしょ。付き合ってた人と」

 俺の横顔を見ながら、彼女が静かに話しだした。

「田村さんのことは、会社に入った時から気になっていたのよ。でも、田村さんからは、誘っても来なかったし、私も、彼と付き合い始めて一年ぐらいで、喧嘩とかもしてたけど、彼のことが好きだったし。そのまま今まで来たけれど」

 里美は一旦話を切ったが、思い切ったふうに続けた。

「彼が他に彼女を作ってしまって、浮気を問い詰めたら別れてくれなんて・・・。もちろん、わかってる。別れたから、田村さんと付き合えるなんて思ってもいない。けれど、これだけは言いたいの。田村さんのこと、私も好き。もしも、今でも田村さんの気が変わっていないなら、お付き合いしてくれる」

 私は、車を車道から外れ、湖岸の空き地に車を止めた。サイドブレーキを引き、彼女の方を見る。

「気持ちなんて、変わったりするもんだよ。でも、生田さんを好きな気持ちは変わってはいない。今でも好きだ」

 私は、彼女に笑みで答えた。夕焼けの空が茜色に色づいていた。少し赤みを帯びた光が彼女を包み込んでいるようで、何処か現実ではないような、触れば消えていきそうなそんな危うい幻想のようだった。彼女も笑ってくれた。今までで最高の瞬間だった。忘れえぬ想い出となるのだろう。私はそんなことを思っていた。

 止めた車内から夕焼けを見つめながら、死んでいくまでにこんなに奇麗な夕焼けを愛する人と何度見ることが出来るのだろうと思った。多分数十回くらいではないだろうか。もしかするともっと少ないかもしれない。

 夕日が沈んでから、近くのレストランで食事をした。彼女の様子もさっき迄とは違い、吹っ切れたような表情になっていた。やはり彼女には、笑顔がよく似合う。

 私は、彼女を送るつもりでレストランから出たが、もう少し遊んで行こうという事で、どちらからともなく言い出してゲームセンターに行くことになった。

 夜の湖岸を制限速度を無視して飛ばしてはいたが、時間が早いせいでまだ車が多かった。

「俺あんまりゲームしないから、上手いこと無いよ」ゲームセンターの駐車場に車を止めて、助手席から降りた彼女の後姿に言った。

「私もへたくそよ」

 里美はくるりと振り返り、俺に向けて右手を差し出した。

 会社では、今までと同じように挨拶を交わすだけだった。休みの日には、土日のどちらかは少しの時間でも会うようにしていた。お互いの時間が合えば遠出のデートにも行った。季節は春が過ぎ去ろうとしていた。

 里美は付き合っていく中で、元カレの話をしてくることもあった。自分が嫌だと思ったことを話す中で、彼女なりの清算をしているのかもしれないと俺は思った。正直少し嫉妬する自分がいたが、逆に自分へ打ち明けて来る里美の事をもっと知りたいと思ってもいた。

 以前に飲み会の席で出ていた里美の退職についても彼女から理由を聞いていた。元カレと別れて、俺の告白も断ったことで、少し会社に出社することに鬱の状態になった時期があり、退職して違う環境でやり直そうと誰かに話したことが広まったのだと彼女は話してくれた。

 昼間は暖かい日が続いていたが、夜になるとまだ少し肌寒い季節。里美とはお互いに都合がつかずに一人での休日も終わろうとしていた。

 里美と二人で買った携帯電話に呼び出し音が流れる。俺は里美かなと思いながら、いつものように画面を確認するとやはり彼女だった。

 携帯のボタンを押して電話に出る。

「もしもし。田村です。里美、どうした。今日は会えなかったよな」

 俺が話し出すと同時に里美は焦っている様子で

「雄一、ごめん。今から迎えに来れる」

 時間を確認すると終電が無い時間だった。

「構わないけど、少し時間かかるよ。どこかで待っていられる」

「うん。待ってる。少し会って話もしておきたいこともあるから」

「わかった。近くまで行ったらまた電話する」

 俺は携帯を切ると、車のキーと財布だけを持って家を飛び出した。

 里美のいる場所の近くに来た俺は、電話をかけると、近くのファミレスにいると言って来た。俺は車をファミレスの駐車場に止めて中に入っていく。深夜でも若いカップルやグループが席を埋めている。

 里美の姿を探すと窓際のテーブルに一人座っている。俺が入って来たのに気付き手を胸の前で振ってここよとアピールしている。

 彼女の向かいに座る。オーダーを取りに来たウェイトレスにアイスコーヒを頼む、里美にも追加を聞いたが首を横に振る。ウェイトレスがテーブルを離れると俺は里美に聞いた。

「何か困ったことあった。今日は用事があるって言ってたから」

「うん。少し用事があったの」言うべきかどうか迷っている様子で、里美は考えているようだったが、

「やっぱり話しとくね。今日元カレと逢ったんだ」

 俺は、動揺を隠して、

「まだ、気持ちがあるのか。元カレに」

「そんなんじゃないの。彼に脅されているの」

 里美はそう言って自分のハンドバックから封筒を取り出すとテーブルの上に置く。俺は彼女を見ながら、中身はと問いただす。

「ここで見ないでね。中身は私の写真。写真をばら撒かれたくなかったら、金を用意しろって」

「これが初めてじゃないんだろ。何回も金をせびられてるんだな」

 里美は、ゆっくりと頷いた。

「雄一に心配させたくなかったの。お金を渡せばそれで終わると思ってた」

「脅迫してくるような奴は、味をしめたら何回でもしてくるよ。で、どれくらい渡したの」

「今までで三十万以上になるかな」

 里美と一緒にファミレスを出ると、駐車場へ向かわずに湖岸に向かった。深夜の湖岸にはさすがに人の気配は無かった。俺は砂地になっている場所にしゃがみ込み、湖岸の砂を手で少し掘り起こす。里美から預かった封筒を取り出すと、ジーンズのポケットからライターを取り出して封筒にライターの炎を近づける。

 俺は写真を見ていない。里美自身が確認したのを信じているだけ。元カレとの情事の写真らしい。封筒と写真がすべてが灰になっていくのをしゃがみ込んで二人で見ていた。

 炎の揺らめきが、二人の顔を照らしだして揺らめいていた。

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