慟哭 ~あの時の気持ちは本気の気持ち、今でもそれは変わらない~

杉 孝子

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11_傷跡

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 里見から元カレの辻井雅也の住所を聞き出した俺は、次の日には大阪のアパートの前に立っていた。辻井の携帯番号を押していく、少しの間があり呼び出し音が鳴る。数回の呼び出し音の後に男の声が聞こえた。

「もしもし」警戒している声に向かって俺が答える。

「辻井さんでしょうか。初めまして、田村と言います。少し会って話がしたいのですが、今日のお時間いかがでしょうか」

「あんた誰、勧誘。突然電話してきて、会えないかなんて。要件は何。電話だけで済ませられないの。切るよ」

「生田さんの件で少しお話がありまして」

「生田って、何処の誰?」

「生田里美さんの件なのですが」

「あぁ、里美。そういえば生田って名字だったな」一人で納得する雅也は続ける。

「里美の何なの。あんた。彼女とはもう別れているんだけど」

「別れているのは承知してまして、里美さんにも伺っています」

「だから要件って何だよ。あんた警察かなんかか」

 雅也が段々とヒートアップしてくるのが伝わってくる。このままでは電話が切られる。

「警察じゃありません。里美さんとお付き合いさせている者です。少しお時間を頂きたいのです」

「はぁ、里美と付き合っている?彼しか?何の用じゃ。話することなんて無いからな」

「あなたがやっていることは紛れもない恐喝ですよ。このまま警察に行ってもいい。でも、これ以上彼女に付き纏わないと約束してくれるのなら、なかったことにしましょう。ただし、彼女の写真もすべて返してくれるなら」

「なに寝言ってんじゃー。写真?そんなもんあるか」

 俺は、一時間後に彼のアパート近くのマンションの屋上で待っていることを伝えて電話を切った。辻井雅也が写真を全て手放して、里美との連絡をこれで終わりにするとも思えない。後は、彼の出方次第かもしれない。覚悟を決めて俺は近くのマンションの屋上に向かって歩き始めた。

 そのマンション屋上からは雅也のアパートが確認できた。休日の夕方近くは人の目が多い。マンションの屋上なら人が上がってくるリスクは低いはずだった。空調設備や給水タンクの太い配管が屋上の床を這っている。屋上を囲んでいる安全策は少し低めの鉄製だった。何本目かの煙草を吸いながら、雅也のアパートの扉が開くのを見ていた。女と二人で出て来た彼はアパートで別れた後、一人俺の待つマンションに向かって歩いてきた。

 屋上の扉が開いて、辻井雅也が屋上に入って来た。里美が彼氏にするだけあって端正な顔をしていて、アイドルでも通用しそうなルックスだった。首から下げたネックレス、腕に着けたブレスレット、最近の若者らしく流行を身に付けたファションを見ると、全て俺には無いものを彼は持っているようだった。俺の見た目にも外見は良く見えるが、内面はどうなのだろう。里美がいたにも関わらず、二股、三股をして遊んでいるのだから。籍を入れる、結婚している以前に、一人の女性を愛しきれない男なのだろう。

「お前か、電話してきたのは。里美がそう言ったのか。俺に恐喝されているって」
 
 雅也は、嘲笑しながら、俺を見て言った。

「あぁ。そうだ。脅されて金を巻き上げられたってな。それも一回じゃないそうだ。身に覚えがあるだろ」

「少し金を貸してくれって言ったことはあったかもな。でも、恐喝はしてないな。喜んで金持ってきてたしな。俺に会えるのが嬉しいらしい」

 俺は彼の挑発を無視して言った。

「写真も返して欲しい。ネガもあるんだったら、それも含めて。それで終わりにしよう。」

「お前が勝手に決めるな。これは、取り引きだろ。写真は渡してやろう。但し金と引き換えだ」

「幾らが望みなんだ」俺の言葉に雅也はニヤリとして、

「そうだな。三十、いやぁ、五十、百。百万で渡してやる」

「わかった。じゃあ、百万で取り引きだ。これから、俺の車にまで写真を持ってきてもらう。そこで金は渡す。これ以上、里美には近づくな」

「話が分かる彼氏か。里美もいい金づる見つけたな」

 雅也は先にマンションの扉を開けて階下へ続く階段を先に降りて行った。

 雅也は一旦アパートの自室に入っていった。俺は、アパート前のスペースで彼が戻ってくるのを待っていた。しばらく待っていたが雅也が降りてくる気配がない。俺は、階段を上がり里美に教えてもらった部屋の前までくる。辺りは黄色く染まって、逢魔が時が近づいていた。

 俺は数回ノックすると、玄関のドアノブを捻った。思っていた通り鍵はかかっていなかった。玄関を上がると細い通路の先に電気が灯る部屋が見える。雅也がこちらに背を向けて膝をついた姿勢のまま前のめりに突っ伏していた。

 部屋に入ると、隅に尻もちを突き、両手を紅に染めた里美がいた。放心した彼女はただ雅也の方を見詰めているばかりだったが、俺が近づくとようやく我に返ったかのように、自分の両手を顔の前にかざすかのようにして手のひらをひらひらさせると俺を見た。

「雄一、雄一、私が、やったの。これで終わり。雅也とは終わりよ」

 俺は彼女のそばにしゃがみ込むと、里美の顔にかかる黒髪を掻き上げながらそっと抱き締める。里美の足元には引き抜いた厚手の包丁が落ちていた。雅也は動くことも無く徐々に広がっていく血だまりの中で、その身を沈めていた。

 取り敢えず雅也の体を浴室に運び、床の血をありったけのタオル類で拭きとると、夜になるのを待って、雅也の部屋に鍵をかけて里美を連れて車に向かう。近場のリサイクルショップを巡って、精神状態が安定していない里美を車に残して、俺は大きめのスーツケースを一つずつ2つ購入した。ホームセンターでスコップと大きめのポリ袋、手袋、漂白剤、思いつくものを買っていく。

 雅也の部屋に戻ると、里美に手袋を着けさせて、写真とネガを探させた。俺は漂白剤で血を再度拭き取ると、浴室に籠って作業を始めた。

 深夜にスーツケース二つとごみの入ったポリ袋を車のトランクに積み込む。写真とネガは里美が見つけていた。俺は、里美を助手席に座らせて、なるべく人の寄り付かなそうな場所を求めて車を走らせた。

 俺は、後戻りのできないけもの道に踏み込んでしまった。あの時すぐに手当てしていれば雅也は死ななかったかもしれないが、俺の選択肢には無かった。里美を守る為にも、無かったことにしなくてはならなかった。雅也の遺体が発見されるのは避けなければならなかった。

 警察が雅也の行方不明に関して、里美を見つけるのはたやすい。二人が付き合っていたのを知る友人も多くいる。俺と逢っていたことにして里美のアリバイを作るしかなかった。死体が出てこない以上、警察は行方不明として処理するしかないのだから。

 2か月後、里美は会社を退職した。一人で人生をやり直すために。俺の前から去って行った。
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