SOLNEFIA(ソルネフィア)

森永らもね

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第一部 四章 ミシェルの追憶編

47 混沌を望む鳥(挿絵あり)

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「ねえ。あの女ってお前が前に言っていた忘れられない人?」
 再会した兄弟と別れ、ドクターの住処を出て街を歩いていた時のこと。隣にいたメルーラが突然思い出したかのように口を開く。口からただ垂れ流したような彼女の問いに珍しいと思いつつ、ラニウスは「妬いた?」と笑みを浮かべて嬉しそうに聞き返した。んなわけないと、向けた顔をメルーラが押し返す。
「もう、素直じゃないなあ。昔、ミシェルとそういう約束したってだけだから。安心して? 俺はメルーラちゃん一筋―――」
 前を向くラニウスに「あっそ」と特に関心のない様子でメルーラは言った。寝た女も殺した人間の数も覚えていない彼が唯一忘れられない存在。基本的にラニウスの話に興味がないので聞き流しているが、それだけは何故か覚えていた。
「お前って変に律儀」
「全く同じことミシェルにも言われたなあ……別に約束守るのは人として当然じゃない?」
「人でなしのお前がそれを言うのか」
「酷い言われよう~」
 ケタケタと笑うラニウスの横顔に、先程ミシェルと二人でなにやら話していた時の事を思い出してみる。会話こそ聞こえなかったが、目をつぶったミシェルに対するラニウスのあの行動と表情。今でも思い出せる。それは、彼と出会ってから初めて見たもので少しだけ動揺した。その後のふざけた感じとはまた違い、憂いに目を細め、切なげにも見えた。
「それは、?」
 ふと放たれたその言葉に、ラニウスは驚いたようだった。少し考えるように間を開けてから「まさか~」と前を向いたまま返す。
「……そう。私はてっきりあの女のこと……」
「ないない。そもそも俺のタイプじゃないもん。俺はクラリスちゃんみたいな美人で愛嬌があっておっぱい大きい、えっちでかわいい子が好きなの~」
 その答えに思わず乾いた笑いが出る。なるほど。確かに、あの女とは分かりやすいぐらいに正反対だ。無自覚か、認めたくないだけかは分からない。
「お前って不器用なのな」
「えー、そんなことないよ? 細かい作業とか得意だし。途中で飽きるけど」
「そういうんじゃない」
 気を引くために傷つけることしか出来ない。詳しいことは聞いていないが多分こいつはそういうやつだ。本当にガキみたいなやつ。
「……お前って変だ。よく懐く犬みたいな性格してるのに、心の底から人に興味を持っていない。そんなお前があんな顔するから、あの女は特別な何かだと思ったんだよ」
 本心を聞きたくてそんなことを呟いた。隣にいたラニウスは、変わらず前を向き続けながら「……まあね。少し、寂しいかも」と返した。
 路地を抜ける風がすぐそばを通り抜けていく。一瞬、赤髪を揺らす彼の横顔は曇っているように思えた。こいつにも人間らしい感情が残っているんだなとメルーラが感心するもつかの間。
「でも人に興味ないとかはないから! あー! 本気のツグナと戦いたかったのに……また会えないかなあ。凄くない? 俺の腕を折ったんだよ? 一撃で!」
 しおらしい空気から、ラニウスが急激に興奮の抑えきれない早口に切り替える。痛むはずの骨折した腕を上下に動かし、意気揚々と語り出すその姿はまるで自我が芽生えてなんでも話したがる幼子のよう。キラキラと目が輝き出す幻覚まで見え始めた。
「そのまま全身の骨、折られれば良かったのに」
「あっは、本当に一度でもいいからそれぐらいズタボロにされてみたいなあ」
 俺強いからさと、誇るでもなく付け足すラニウスの顔をメルーラは無言で押さえつけた。本当にどこまでも腹立たしい男である。いたいなあ、と平坦な声で抵抗せずにラニウスが笑ってみせた。
「第一、人に興味ないのはメルーラちゃんの方だろ?」
 笑いながら放たれた言葉にメルーラは思わず手を離す。その腕をラニウスが掴み「ダメだなあ」と細目た青の双眸で見つめた。
「自分のことを人の事のように当てつけるなんて。自分を肯定するために人を使うのは良くない。ね?」
 振り払うように離れたメルーラの手に「そんなに怖い顔しないでよ」とラニウスはおちょくるように首を傾げる。
「……お前のそういうとこ、嫌い」
「そうか! 俺は君を愛してるよ」
 顔を突き出し、自分よりも遥かに背の低いメルーラに目線を合わせる。
「ねえ、メルーラちゃん。俺はさ、人に興味がないわけじゃない。唯一無二が好きなんだ」
「……はあ?」
「考えてもみてよ。誰かの記憶に取り憑くって面白いことじゃない? 恐怖でも痛みでも、相手の中の一番って心地よくて好き。欲しいもののために傷つけても、自分に向いている感情があれば、瞳があれば、とても気持ちよくていいだろ? 俺は孤独な人間が好きなんだ。そいつの一番にならないなら、興味を持つだけ時間の無駄だと、そう思わない?」
 細めた瞳の表情はまるで仮面のように作り物のような不気味さがあった。心まで取り憑かれて、完全に一体化となっているそれ。息を飲み込み、そして改めてメルーラは理解した。
「……ははっ。お前ってやっぱ、どうしよもなくイカれてるわ」
 引きつった笑みで呟く言葉にラニウスが「そりゃあ、どうも」と後ろ向きで数歩ほど前進してから前を向いた。やはり、こいつはただの狂人だ。あの表情は、私の気の所為だったのかもしれないとメルーラが呆れたように嘆息する。
「……そういえば、そいつの事でさっき思い出したことあってさ」
「そいつって?」
「ツグナって赤目のやつ。私、多分あいつのこと知ってる。施設を出る前に、隣にいた」
 とある光景が思い浮かぶ。解剖台に拘束され、耐久テストのために手足を切断された時のこと。激しい痛みによって尿を垂れ流し、ガクガクと痙攣するその体は自分と隔離されてしまったかのように客観的に見えてしまった。ぼやけた意識だけが繋ぎ止められ、自分が自分でないような、そんな感覚に陥る。
『あー、だめだな。なあ、こいつどうする?』
『殺しておけ。その方が手っ取り早いだろ』
 水中にいるかのように響いて、遠く聞こえる。その言葉にどれだけ安堵しただろう。もう、奴らに体を好き勝手されない。やっと解放される。もう苦しまなくて済む。それだけで体が、心が、軽くなった気がした。ふと目にするのは、隣の解剖台で足を切断され、運悪く牢獄に連れてかれる少年の姿。虚ろな赤目がじっとこちらを見つめていた。ああ、死ねずにまだ地獄が続くなんて可哀想に。そう哀れんだのを今もよく覚えていた。
「へえ。やっぱり。そうじゃないかなあって思ってたよ。生体兵器……軍の戦争賛成側が秘密裏に支援するリチャード・ブレインの研究。今日は本当に最高の日だ。彼の存在がいずれ戦争の引き金となる。ひと目でそんな確信があったよ。この大陸が戦火に包まれる日が近いってことだ!」
 隣でケラケラ笑うラニウスの言うように、抜け出した後も開発が続いていたことを考えると、自分が思っているより研究が完成しつつあるのかもしれない。あの研究が完成したら、国は本格的に生体兵器を生成し、軍に導入していくことになるだろう。不快だなと、メルーラは奥歯を噛み締める。
「……そんなに戦争がしたいなら、軍に戻れクズ。そして死ね」
「分かってないなあ。俺は別にこの国の人間として戦争に参加したいわけじゃない。俺が欲しいのは強者だけが生き残る世界さ。まさに渾沌! 殺した数だけ俺は長く生きることが出来る! そのためにはこの国がめちゃくちゃになろうが消滅しようがどうだっていい」
 楽しそうにラニウスは手を広げながら「こんな話は知っているかい?」とメルーラの方を見つめる。
「数百年前に、この大陸に復讐に取り憑かれた一人の女がいた。ヴァルテナ教によって全土が支配され、過剰過ぎる規則によって何万人者の人間が殺されたという。その宗教をこの世からなくすために剣を取った女は、次々と出会った人間を味方につけていき、ヴァルテナ教を追い詰めた―――やがて女は都合よく書き換えられ、この国を守る神となった。けど、俺たちローゼ族は未だに彼女をこう呼ぶ」
 戦乙女ヴァルキリールミネア、と。その名前に反応し「そいつって」とメルーラが眉を顰めた。この国の人間なら誰でも一度は耳にするだろう。清廉で誰でも分け隔てなく慈悲深い、白髪青目の女神。確かルミネアは、ノルワーナから亡命した後にアルマテア内で、困っている人間に不思議な力で祝福を齎してくださったというが、戦場に立っていた人間とは初めて聞いた。
「そう、あのルミネアだよ。彼女が歴史上初めて、この大陸に渾沌を齎したんだ。それまで世界を支配する神に歯向かうものはいなかったのに。味方には誰一人欠けないことを掲げ、だけども敵に対しては容赦がなく、残虐的だった。彼女は言った【その体に殺した者たちの魂を宿し、私の体は呪いによって永遠に朽ちることはないだろう】ルミネアの言葉が、ローゼ族の古くから伝わる宗教なんだよ」
「……お前がそういう話するの珍しいな。宗教勧誘ならよそでやれ。興味ない」
「俺も宗教には興味ないよ。でも、殺しただけ長く生きるって面白くない? 現に彼女は火炙りにされている途中で落雷にあい、遺体の一部も残らず、死に顔を見せることはなかった。今もどこかで生きているとまで言われている。面白いだろ? あの歴史的な女神様が、血にまみれた復讐者だったなんてさ」
 復讐者なら、メルーラちゃんと一緒だねと、ラニウスは一人ベラベラと話しながらクスクスと笑った。
「……彼女の人生はまさに混沌そのもの。故に、混沌の中でしか生きることが出来ない。彼女の運命がそうさせるのさ。だから、君が復讐を望むならついて行ってあげる。俺を彼女のような混沌に導いてよ」
 メルーラの後頭部に手を回し、正面から肩にもたれ掛かる。近くなったその顔を睨みつけてから、メルーラはラニウスに頭突きし、腕から抜け歩き出した。
「勝手にしろ。私は私の目的を達成するだけだ。生体兵器実験の根本をぶっ潰す。それ以外にはない」
 そのために今を生きている。それしか自分にはないのだ。同士や、死んでいった子供の為にも、必ず。例えその先の未来に自分がいなかったとしても。
「あははっ、よろしくね。俺の可愛い、女神ちゃん」
 その背中に一度投げかけ目を細めてから、ラニウスは頭の後ろに腕を組んでまた歩き出した。
「気色悪い呼び名で呼ぶな、クズ野郎!」
 その後、メルーラの怒号が飛んだのは言うまでもない。



 カチカチと秒針の音が聞こえる。ブラッディ家の書斎のソファに座りながら、ツグナは「なあ」と注射器を持った金髪の青年に問いかけた。
「なんで血をとるんだ?」
「……ドクターが君の体に興味を持って以来、薬代はそれで払われることになっているんだ。黙ってろ」
 注射針に赤々とした液体が吸い上げられていき、容器を満たす。満足そうにそれを眺めてからシアンが針を抜くと、刺されたとこからじわじわと血が染み出てきた。けれどもそれはツグナがひと舐めしただけですぐに収まってしまう。
「……でもお前。前から僕の血、採っていたよな?」
 その言葉にシアンの手が止まる。ブラッディ家に来たばかりの時から、シアンが寝ている間を見計らってよく血を採りにきていたのをツグナは知っていたのだ。それが最近になって堂々と意識がある時に採りにくるものだから少し気になったのである。
「……言ってなかったか? 君がここに来た当初に使っていた薬もドクターから買っていたものだ。体に適した薬選びをするために血中濃度を測定する必要があったんだよ」
 まあ、最近は君の血液目当てらしいけどと、シアンは付け足すように呟く。血中濃度? 少し小難しいように思える言葉に首を傾げて「ふうん」とツグナが返した。
「第一、あの時の君は注射器見たら取り乱すから、目の前で堂々とできなかったんだ。今は手間がかからなくていい……まあ、面倒な事に変わりはないけど」
 なんだと! 猫目を更に吊り上げるツグナを見て「はいはい。元気だな」と呆れたように鼻で笑った。いつになく穏やかなような、力のない笑みだ。
「……で? 話があるみたいだったが」
 切り替えるように話し出すシアンにツグナは首を傾げる。そういえばシアンに先手を取られていたが、元は用事があってここに来たんだった。自分がシアンに会いに来た理由を思い出し「ああ、そうだ」と口に出す。
「お前に頼みがあって」
「ここ最近の君は頼み事ばかりだな」
「こうでも言わないとお前は僕の話を聞かないだろ?」
「場合によっては頼まれても聞く気はないがな」
 その返しにこのままでは永遠に流されてしまうと察したツグナは、間を開けずにまっすぐとシアンを見つめて言い放った。
「僕に戦い方を教えて欲しい」と。
 思いもしないその言葉にシアンは目を丸くした。真剣に見つめる赤目には困惑した表情を浮かべる自分が映し出されている。
「……急にどうした?」
 次に言葉が出るまでに数秒要した。ツグナは「そのままの意味だ」と話を続ける。
「グレーテの時も、今回も。僕はこの力に頼りすぎていたのかもしれない。僕はすぐ治るけど、周囲が傷つくのは嫌だから……」
 ちゃんと守れるように強くなりたい、切実な願いを噛み締める。そう決意するツグナにシアンは目に分かる驚きを見せた。ラヴァル卿の時は戦いに対して非協力的というか怯えていたはずなのに。まあ、その後事件に巻き込まれる度に戦うことにはなっていたけど。こうして自分から意志を告げるのは初めてだった。自分自身にとっては好都合だと気分が高揚するが、なんとか抑え、平然と見下ろす。
「……そうか。だが、君には十分その力があると思うがな。足りないのは覚悟だ。何の犠牲もなく誰かを守る事はできない。たとえ誰かの命を奪っても。君にその覚悟はあるか?」
 シアンの言葉がツグナには不快だったらしい。少しムッとしたように顔を顰めて「誰かを殺すのは嫌だ」とハッキリ返した。
「君な……だから甘いと……」
「殺して何になる? 他にも方法はあるはずだろ? お前が見ようとしないだけだ……それに、お前は言った。僕の力は人を守るために使えばいいって……人を守る限り、僕は人でいられるって」
 そういえばこの屋敷に来たばかりの時にそんなことを言ったような気がする。あの時は確か精神的に落ち着かせるために言いくるめるようなことを言っただけだったのだが、まさかずっと覚えていたなんて。普段は物覚えが悪い癖に、面倒な事ばかりは覚えている。こうなったらブレないのがツグナだ。始めは自分の言いなりにするために優しくしていたのに、思い通りにいかない。
「……全てを救う事なんてできやしない」
「そんなのやってみないと分からないだろ?」
「はっ……君と話していると本当に頭が痛くなるな」
 何かを手放して、そうやっていつも守ってきた。自分にはその方法しかない。劣悪な環境で生きていたくせに、ツグナは机上の空論のような綺麗事ばかりを口にする。現実的じゃない。だから苦手なんだ。こいつと話すのは。
 だがしかし、自分で力をつけようとするその傾向はいいことかもしれない。じっとこちらを見つめてくるツグナに、シアンは大袈裟にため息をついてから切り替えて「……いいだろう」とその赤目の少年を見下ろした。
「その代わり、泣くほど厳しいから覚悟しておけよ」
 ツグナと話していると自分が惨めに思えて不快だ。顔を逸らし放たれたシアンの心境も知らず、ツグナは「うん」と嬉しそうに目を細めた。

「へえ、まだ生きてたんだ」
 冷たい呟きが木の葉の揺らぎと混ざる。屋敷沿いに植えられていた木の枝に立って二人の様子を見ていた人物は、影に溶け込むようにして消えていった。



 この暖かな春の日差しを受けると、決まって貴方のことを思い出す。人が嫌がろうが構わず明るく、笑顔で見つめてくる貴方は本当に太陽のような人で、私はずっと苦手だった。家族とか愛とか、暑苦しくてよく分からない。でも今ならやっと、分かる気がするんだ。
「ミシェル」
 背後から聞こえてきたクソガキの声にミシェルは笑顔で振り返った。
「……なんか用、ツグナ?」

 私に大切なことを教えてくれて、ありがとう。
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