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1章

第6話

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《FRside》

 王城近くの湖で倒れていた人を救ったらまさかの世界最強の暗殺者の《終焉》だったなんて話、一体誰が信じてくれるのだろうか。だって、彼はアルフェンロード大帝国の世界最強の軍人と唯一殺り合える人間とまで言われている暗殺者だ。暗殺者ってだけでも十分怖いし、姿を知られたからと言って殺されてしまうかもしれないのに、何で俺助けちゃったんだろ…。でも、あのまま見殺しになんてできなかった。父様も言っていただろう。優しい心を忘れるな、と。だからこれでよかった。よかったんだよね…?

「仕事でしくじって怪我をしただけだ」
《終焉》が?」
「…俺を神か何かと勘違いしてねえか?そんな異名で呼ばれてはいるが普通の人間と何も変わらねえ。怪我すれば痛むし死ぬときは死ぬ」

 前髪を掻き上げながら頭をガシガシと掻き毟る。とある話が盛り上がって噂となり世界中を旅すると、挙句物凄い神格化されているなんてことはよくある話だ。世界最強の軍人も、この暗殺者も。そして、俺も。この癒しの力に上限はないため、いつでもどんなときでも外傷ならすぐに治せるけれど、疲労感もある。一気に力を使うとどのくらいで限度を迎えるのかなんてことは調べたことがない。だが、恐らくこの身が死するまでならいくらでも力を使えるだろう。癒しの力に男性妊娠。それに加え母親に似た容姿。神格化されない理由がない。

「《終焉》も、ちゃんと人間なんだね」
「それを言ったらおまえもだろ。あとその名で呼ぶな」
「え?じゃあ何て呼べば?」
「………普通に、アルでいい」

 驚いた顔を見せた後、すぐに顔を逸らしたかと思ったらか細い声でそう言った。黒髪の合間から見える耳が少し赤いのを見て、そういう人間らしいところもあるんだと何だか嬉しくなる。

「うん、アル。俺のことも好きなように呼んで」

 さっき名前は名乗ったし、大丈夫だろう。フィリアラールでもフィリでもフィリアでも、何でもいい。よく分からないけどこの人になら何とでも呼んでいいと、思える。あぁ、でも男の人にフィリって呼ばれると元婚約者のライド様を思い出してしまうな。やっぱりフィリアあたりをそっと希望しておこう。

「で、仕事でしくじったって何をしくじったわけ?」
「…その話は終わっただろ」
「まっさか。まだ終わってない」
「依頼主と暗殺対象にハメられたんだよ。完全に油断していた…。向こうも暗殺者を雇ってたせいで逃げるのに戸惑って怪我をした」

 スっと細められた青紫の双眸。何かを思うように遠い湖面を見つめていた。死ぬときは死ぬという普通の人間と変わらないアルとは言え、世界最強の暗殺者を殺しにかかるなんて命知らずにも程があるんじゃないの?それを助けた俺も命知らずかもしれないけど…。
 暗殺一族はエウデラード家だけではない。他にも名だたる数々の暗殺一族がある。エウデラード家は存在そのものが伝説となっているため、他の暗殺一族とは少し違う。世の秩序を保つために存在していると言っても過言ではないのだ。そんなエウデラード家は、憎まれる存在と言うよりも敬われる存在に近い。グラディドール大帝国が他国よりも治安が良いのは彼らがいるからだろう。暗殺者を雇っており返り討ちにされそうになったということは、相手の暗殺者もかなりの強者なんだろうな。

「報復とか、するの?」
「さぁな。それは当主が決めることだ。来たるときまでは恐らく何もしないが」
「そう、なんだ…」
「はぁ…。何でこんな話まで…」

 アルは、頭を抱えて大きく息を吐いた。アルの中では、裏切られることも暗殺者に殺されそうになったことも、ここで俺に助けられたことも、その話を俺にしてしまったことも全て当初にはない予定だろう。だけどそれは俺も同じ。婚約破棄をしたから俺の未来がガラリと変わった。まさかこんなところでアルと出会うなんてこと想像もしていなかったよ。言うなれば、ライド様と婚約を破棄したからアルに出会えたんだろうね。暗殺者として自身のことを曝け出せないっていうのは分かるけど、俺はアルの命の恩人だよ?………それとも。

「………なに?俺を殺す予定でもあるの?」
「エウデラードは恩義を忘れない一族だ。命の恩人であるおまえの暗殺依頼をされたとしても受けねえよ」

 フッと口端を上げて僅かな笑みを溢すアル。その顔に胸が高鳴る。不覚だ。まさかそんな顔もできるなんて聞いていない。こんなに胸が高鳴る理由も知らない。前回の人生以来だ、こんな気持ちは。哀れな想いは抱きたくない。相手はあの《終焉》なんだよ?心では分かっているのに、何故こんな愚かなことを口にしたのか分からなかった。

「また、会える?」
「恩義は忘れないとは言ったが、おまえとはもう二度と会わねえ。礼が欲しいなら後から、」

 二度と会わないと言うアルを、咄嗟に引き止めなければと思った。膝に置かれていたアルの手を握りグッと引き寄せる。


「今欲しい。アルとまた会える権利を、俺にちょうだい」





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