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兄編

箱庭

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ジュタドールはニタリと笑ったQを見て狼狽えた。
Qはニタリと笑わない。
あの子はそんな笑い方をしない、と思った時にはもう遅い。

「ーーっ!」
カチリと長針と短針が重なり合う。
音のならないハズの時計がゴーンゴーンと鳴っている。

往々にして12時は魔法が溶ける時間。
黒から白へ。白からピンクへ。
頭のてっぺんからピンクが白を侵食する。じわりじわりと絵の具を垂らされた様に白が色を変えていく。
否、白が剥がれただけだ。
元の色に戻るだけ。タイムオーバーを告げる色に。

「ホントに頭の色から戻っちゃうのか」
知らなかったな。
なんて。目にかかった前髪の色を眺めながらフリィシュ・スタージェは呟く。
そして、ニカッと快活に微笑んで場の雰囲気を吹き飛ばしかねないほど元気よく挨拶した。
「よっ! 壁ドガンぶりだな、お嬢の兄! オレはフリィシュ・スタージェだよろしくな」

あまりの空気の読めなさに、ジュタドールは目の前が真っ暗になった。

最悪だ。
こんな真面目でどうしようもなく暗いシリアスを一体どんな神経を持ち合わせていればぶち壊せるのだろうか。
そんなジュタドールの頭の冷静な部分の嘆きは当然フリィシュという人間に伝わる訳もなく。
もっと言えば、オーデルハインではない彼に拘束具など意味をなさず。軽く外してしまって凝り固まった体を解さんとばかりに伸びをしている。
シリアスも緊張感も吹き飛ばされてしまった。

しかし、ジュタドールの病みは何も変わらない。それどころか悪化した。
ギリ、と奥歯を鳴らす。

変身術なんて反則技、絶対に見破れるわけが無い。だから平民だろうと貴族の学校に迎え入れられる。謀反を企てないように教育するためだ。
だから、本物と偽物の区別がつかないのは仕方がない。
なのでジュタドールにとって問題はそこでは無い。
問題は、偽物がQにプレゼントしたチョーカーをつけているということ。
これはどうしようもなくQによる裏切りでしかなかった。

「あいつ、あいつあいつあいつ!! 僕が育てた! 誰もいらないから僕が貰ってやったのに! 何も無かったから線を引いてやったのに! あぁぁあああ! どうしてだ、どうして兄の、親の言うことが聞けないんだ!
外に出したのがダメだった。やっぱり出すんじゃなかった。外にトラウマを与えるより、僕が適度に壊せば良かったんだ!」

ガンッと衝動のままにジュタドールがテーブルを殴ると、穴があいた。
それでも気持ちは晴れない。
怒りと憎しみと、哀しみは力へと変わるのに消えていってはくれない。

「ルエリアにさえ会わなければ、キーンさえここに来なければ、あぁぁどうして。なんで僕だけこんな目に合わないといけない。ずっと2人でここで不幸せに生きていけば、そうすればいいんだって。Qだって、受け入れてくれてたろ? 街に行きたいなんて悪いこと言ったのはあの時だけだった! 一回だけなら許したさ、傷ついて帰ってくるのを待ってあげただろ。その傷を癒したのは誰だと思ってる!
どうして今になって、なんで、なんで僕の方が捨てられなくちゃならないんだよ!」

床を掻きむしりながら咆哮するジュタドールを、フリィシュは先程までの笑顔を消して眺めていた。

そしてやっぱり思うのだ。
ああ、オレの前世の母親にそっくりだな。と。
けれど、だ。
いくらジュタドールの中で毒親精神が肥えていようが、彼は16歳なのである。
兄は親ではないのだ。
それが、狂ってしまったのは間違いなく親と、あるがままを受け入れてしまったQのせいと言える。

(うん。やっぱり、オレが来て正解だったな)
兄弟なんてデリケートな問題。それも兄が親代わりとも来れば一筋縄ではいかないし、当人たちの問題。
生半可にシリアスクラッシャーが踏み込んでいい話ではないということは作戦立案者がよく分かっているが、それはQが普通の精神をもちあわせていたらの問題である。

「お前だけが不幸せでも良かったんだ。でも僕がわざわざ不幸せなお前に付き合ってやっていたのに! どうして僕だけを置いていく!」
「あのさぁ」
喉から血を吐き出しそうな叫びをするジュタドールに反して、フリィシュは弾むような声をだす。

そして、全ての確信を突くのだ。
なんたって主人公なのだから。
この物語の主人公はQ・セルーネ・オーデルハインだが、この舞台の主人公はフリィシュ・スタージェなのだから。

「オレ、一度もQのこと不幸だとか可哀想だとか思ったことないんだけど?」
「……は、あ?」

ジュタドールが頭を上げて翡翠の瞳を睨みつける。
何も知らないのか。知らない上で、土足で僕達を踏みにじるのか。と睨みつける。
「Qなんて変な名前だろう、僕がつけてやらなかったら0だ! 0! 何も無い、要らない、どうでもいい子だ、あの子は! そんな可哀想な子をだから僕はっ」
「知ってるけど」
あっけらかんとされた返答にジュタドールは狼狽する。
知ってる?知っているのに、どうして同情しない?どうして欠片も同情しないんだこいつは。
「分かっていないのか、それほど馬鹿なのか? お前がどれ程Qのことを知っているのかは知らないが、あの子は誕生日すらなくて。14年間可哀想で不幸な子で」
「全部知ってるけど」
「……まさか、ルエリアなんかとハッピーエンドで終わろうとしているからか? 終わりよければ全てよしってことか? ああくそ、そんなの許されてたまるか。何もかもなし崩しのハッピーエンド? 笑わせるなよ」
ギリっとまた奥歯を鳴らすジュタドールの歯を頬越しに触ってフリィシュは言った。

「それがなくても、オレはQを可哀想な子だと思ったことも無ければ不幸な奴だと思ったことないんだよな。
むしろ、そんなに歯軋りされる兄……ジュタの歯の方が可哀想だと思う」
は?
と、ジュタドールの喉から声が出なかった。

「アイツの精神って悲劇のヒロインタイプじゃないからさ。確かに辛いことがあって凹んだり、自分のせいだと傷ついててもさ。
楽しいことをみつけたり、なんでもない日常で笑ってたり。4年前にあったことでずっと思い悩んでいたみたいだけど、オレらの前ではずっと明るくて元気だった。容赦なくツッコミするし、スルーもする。
知ってたか? Qって、かなり前向きな言葉が好きなんだよ。
そんなやつのどこが可哀想で不幸だって?」

ジュタドールは、声が出なかった。

思い当たる節があるから、何も言えなかった。

この屋敷に戒めのように置かれた、本来女児であったはずの子が着るためのドレスに負い目を感じるどころか袖を通してしまうような子。
愛しい人を傷付けて哀しんでも、この4年間愛しい人から与えられたもの一つ一つを愛おしんで痛みながらも花を咲かせた子。

この物語全てが、Qが可哀想でも不幸でもないことを物語っているのだから。

ジュタドールの目からぼたり、と零れた。ぼたりぼたりと零れるそれが何なのか、ジュタドールには分からない。
最初から、違っていた。
それくらい分かっていたから、適度に傷付けて首輪で繋げていたのに。
分からない振りをしていた。
悪役令嬢とその兄だとわかった時、不幸が兄弟の中で反転したのだと悟った。
どちらかが不幸にならなければならない兄弟。
妹なら、兄が不幸に。
弟なら、弟が不幸に。
この世界がゲームならきっとそういうシナリオになるんだろうと、ジュタドールは信じていたのに。

Qが不幸でないなら、可哀想でいてくれないなら、ジュタドールがその役目を追うのか。シナリオ通りに。

憤りすら湧かない。ただただ、濃い紫の目からぼたぼた水を流すだけ。そして、水分を上に取られてしまったらしく動かしにくい唇から言葉を出す。

「いや、だ、僕はキャラじゃない、不幸にはならない、可哀想なんかじゃっ」
「うん」
「ゲームの、世界だって、ここ。でも、僕は、俺は」
「知ってたのか。でも、そんなの気にしなくていいじゃん」
「……いいの?」

恐る恐る出された声にフリィシュは少し笑いかける。
「良いに決まってんじゃん! オレとレンアイするゲームだし」
「……なんて?」
「好きにしたらいいってキーンも言ってたし、みんな好きにしてる。だから、ジュタだけ好きにしちゃダメなんて誰も言わない。もし言われても無視すればいい」
やっていい事と悪いことはあるし、今回悪いことを好きにされたけれど一先ず棚においてフリィシュは自分より年上の、精神的には自分よりはるかに幼い頭をガシガシと撫でる。
白と黒が混ざる。
このまま灰色になってしまえば、きっとジュタもここまで追い詰められなかったんじゃないかな、なんて。

「もう、親じゃなくていい。兄らしくなくてもいいんじゃない? 弟が好きでも嫌いでもいいし、生意気だと思っててもいいと思うけどねオレは」
「っなんだ、それ」
「不幸だの幸福だの考えると気持ちが滅入るから、考えなくてもいいだろうし。一先ず楽しいことから始めようぜ」
「……」
ジュタドールの趣味はテラリウム。自分だけの小さな小さな世界を作ること。それがピンク色に塗りつぶされてしまった今、何が楽しいことなのか分からない。
黙り込むジュタドールに痺れを切らしたフリィシュが「よし!」と立ち上がってジュタドールも立ち上がらせた。

「じゃあ試しに広い世界でも、見てこようぜ!」

主人公は、何も解決しなかった。
ジュタドールの環境は変わらない。
けれど、確かにジュタドールはこの小さな箱庭から連れ出された。

言葉の通り、寄せ集めのような2人でゲームの中では出てこなかったところを見て回った。



1ヶ月後、ジュタドールは「良かった、帰ってきた……まさか在学中に1ヶ月も旅に出るとは思わないじゃないですか」と半泣きな弟にデコピンをして「生意気」と一言、言ったとか言わなかったとか。

世界は広い。当たり前のことを前世でわかることが出来たらどれほど良かっただろうか少し感情的になったフリィシュがアルルからお叱り手刀を受けたのは確かだった。
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