【R18】黒曜帝の甘い檻

古森きり

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第23話

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 少し、古い夢を見た。


「ヒオリ」

 草原を駆けて、転んだ。
 辺境伯の父は柵の上に腰掛け、前帝と酒を飲み交わしている。
 ヒオリに手を差し伸ばしてきたのはスェラド様だ。
 黒曜帝となられる前の、幼いスェラド様。
 柔らかな表情。
 前帝もまた、父に対して穏やかに話しかけている。

「……ここはよい場所だ」

 前帝が呟く。
 スェラド様が、仕方なさそうにヒオリの手を掴んで無理やり立たせてくれた。

「戦の火で燃やすのは惜しい」

 父は笑っている。
 あの烈火の暴君とまで呼ばれた前帝がなんとも穏やかに風を感じていた。
 ゆっくりと、とてもゆるやかに。
 時間の流れが穏やかだと口にもしていた。
 自分の人生において、これほど温かい時間はなかったと。

「ユイエン、俺と共に皇都へ来るつもりはないか」
「それは提案かい? 面白そうだが僕はこの地の領主だからなぁ。……ここでワインを作って君に毎年贈るよ。それじゃダメ?」
「ぐっ……、……よ、よかろう。この地のワインは余も好む」

 別れ際にこうも簡単に『皇帝』の提案を断る者など、大陸のどこを探してもユイエン伯爵くらいなものだろう。
 父に手を引かれて、ヒオリは前帝の前まで連れてこられた。
 前帝の隣にはヒオリより歳上の少年がいる。
 次期皇帝、スェラド様だ。

「その代わり、うちの子を預けてもいい。スェラド様はとてもヒオリと仲良くしてくれたから……酷い目には遭わせないだろう?」
「酷い目ってなに?」
「うんうん、そういうところかな」
「?」

 父が話しかけたのはスェラド様だった。
 スェラド様は父にそう聞き返して、不思議そうに首を傾げる。
 今ならその言葉の意味が分かる気がした。

「お前の息子だ。余もそのような扱いは許さない」
「頼もしいな」
「だがよいのか? 外には出られなくなるぞ」
「そこはほら、皇帝のなんとかでなんとかして」
「…………」

 父の雑な頼みに前帝が長い顔をする。
 だが、そのあとクックッ……と笑い始めた。
 ついには頭を抱えて大声で笑う。
 家臣たちの戸惑った、恐ろしいものを見るような表情は今でもなんとなく面白いものとして思い出される。

「大丈夫だよ、ヒオリ。ヒオリの事は一生スェラド様が守ってくれる」
「当たり前だ!」

 父の投げかけた言葉へ即座に反応したスェラド様。
 守ってくれる、という言葉だけで喜びが広がる単純な子ども。
 それは今も同じだが、スェラド様もまだこの頃子どもだった。

「ヒオリは俺が守ってやる」


 ああ、なんと幼い。
 そして幸せな夢なのだろう。
 そんな事を思いながら目を覚ます。
 陽が白いカーテンの合間から入り込み、天蓋わ風が揺らす。
 起き上がると涙が出ていた。
 懐かしい。
 むくり、と上半身を起こす。
 今日、外へ出る。
 東へ向かう。
 ヒオリの故郷は西。
 真逆の方だ。
 それを悲しいとは思わない。
 元々、この宮の外へ出る事は叶わないと思っていた。
 それなのにそんな人質を外へと連れ出そうという黒曜帝。
 なにを考えておられるのか。

「ヒオリ様、おはようございます」
「おはようございます、ヒオリ様」
「おはようございます」

 ダークグレーの髪の、兄弟のような世話係が湯の入った桶と布を持ってやって来た。
 朝の支度を済ませて、白髪の世話係が持ってきた服を纏う。
 普段のゆるやかな部屋着ではなく、外出用のしっかりとした布地の服だ。
 ベルトを閉め、装飾品の付いた紐で身分を表し、持つ事を許されたのはペーパーナイフのような頼りない短剣のみ。
 最悪、ヒオリが黒曜帝を刺しても陛下が死なぬようにという配慮だ。
 そんな事はありえないのだが、彼ら……いや、彼らの上の者からすればその警戒はして然るべきものだろう。
 人質を連れていくなど前代未聞。
 それも、『魔窟』が現れたその国とは無関係。
 ただやはり、『黒曜帝』に古くから仕えている者たちの中で『ユイエン』の名は相当に特別なようだった。
 連れて行かれる人質が『ユイエン』の息子と聞いた古い家臣たちは驚きと溜息とともに頭を抱え、目を瞑ったという。
 そして皆が口を揃えて「ユイエン殿の息子ならば仕方がない」と頷いたのだそうだ。
 本当に……ヒオリの父は何者なのだろう?

「みんな行くんですね」
「我々はヒオリ様のお世話係でございますから」

 頭を下げたのは赤毛の世話係。
 その横で茶髪の世話係もヒオリと同じ色の紐を腰に下げていた。
 よく見ると他の世話係も同じ色の紐を腰に巻いている。
 おそらく『ユイエン』の息子の世話係たる証なのだろう。

(一体……)

 改めて父が何者なのかと考えてしまった。
 それについて、答える者はいないのだが。

「わあ……こんな造りだったんですね」

 世話係たちに囲まれて、ついに人質宮を一歩出る。
 六年ぶりともなれば、入ってきた時の事などほとんど忘れているようだ。
 いや、十歳の子どもには緊張の方が大きかったのだろう。
 白い石造りの廊下を進み、玄関を出るとまた大きな通路があった。
 石畳が敷き詰められ、一軒、二軒と高い壁に覆われた家が立っている。
 他の人質たちの家……牢だ。
 用意された箱庭。
 生活する分にはなんにも困った事などない。
 ヒオリも本来ならば外へと出る事もなかった。

 
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