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連載
甘い新婚生活④
しおりを挟む異変に気づいたのは、ある朝の出来事だった。
「アキレス様、どうなさったの?」
その日、目覚めるといつも隣で眠っている夫の姿がなく、捜しに外へ出たところ、血まみれで歩いているアキレスを見つけた。彼はメアリに気づくと、なぜか近寄りもせず、慌てたように逃げ出してしまう。
「アキレス様、待って」
『追いかけちゃダメだよ、メアリ』
『狩りをしたばかりだから、気が立ってるんだ』
精霊たちに行く手を阻まれて、ポカンとしてしまう。
「……狩り?」
いつも食事の量は気にかけていたのに。
そんなに空腹だったのかと愕然としてしまうメアリに、
『お腹がすいているからじゃない』
普段とは打って変わって、真剣な声で精霊たちは言った。
『現に殺すだけで食べてないしね』
『森の野生動物で狩りの練習をしているんだ』
『獲物を確実に仕留められるように』
獲物という物騒な響きに、背筋がゾクッとした。
「どういうことなの?」
『魔術師にかけられた呪いのせいさ』
『成長したせいで、殺戮衝動を抑えられなくなってる』
『恐ろしい呪いだよ』
『肉体だけじゃなく、心まで獣になってしまうんだ』
『このまま成長を続ければ、やがて人としての理性を失ってしまう』
『早く彼のそばを離れないと……』
『君まで襲われてしまうよ、メアリ』
自分の身を案じて精霊たちが忠告してくれているのは分かったが、
――アキレス様のおそばを離れることなんてできない。
メアリの答えは決まっていた。
「お願い、今すぐ私をあの人のところへ案内して」
『それはできない』
『呪いにこめられた殺戮衝動は強烈だ』
『今は野生動物を狩ることで衝動を散らしているけど』
「私なら平気よ。自分の身は自分で守れるわ」
そのために魔法を覚えたのだ。
けれど精霊たちはしぶるばかりで、
『彼の身にもなってごらんよ』
『メアリに会って、メアリを殺したいと思ってしまったら?』
『さらに彼を苦しめることになるだろうな』
それで先ほど、自分の前から逃げたのかと、メアリは唇を噛んだ。
――私のせいだわ。
ここでの日々があまりにも幸福で、愛する人と、心から安らげる場所で過ごせることが嬉しくて――けれどいい加減、現実に向き合わなければとメアリは覚悟を決めて、家の中へと戻った。
「妖精さん、起きて」
箪笥の上に飾られた剣に話しかけるが、聞こえるのは『すーすー』という寝息だけ。それもそのはず、しばらく見ない間に、妖精はイモムシではなく蛹の姿に変わっていた。それでもメアリは諦めずに話しかけ続けた。
「どうしてもあなたの力が必要なの」
『もう遅いよ……むにゃむにゃ』
ようやく応じてくれた。
その言葉にすがりつくようにメアリは訊ねる。
「遅いって?」
『刺さったトゲはもう抜けない。身体の中に入り込んじゃったから……むにゃむにゃ』
トゲ、と呟くメアリに、『そーいえば』と精霊たちは騒ぎ出した。
『皇子、メアリによく花をプレゼントしてたよね』
『だから皇子の部屋も花だらけ』
『その中に呪いの花が混じってたわけか』
『で、運悪くトゲが刺さっちまったわけだと』
なるほどそうかそういうことかと納得する精霊たちとは裏腹に、メアリは過去に自分を責め、悔やんでいた。
『メアリが気にすることじゃない』
『そうだよ、自分を責めないで』
『全部、この妖精のせい』
『そうだ、お前がさっさと口を割っていれば、こんなことには……』
やっぱり妖精は信用ならない、このイモ野郎、ああ今は蛹か、引き裂いて中身をぐちゃぐちゃにしてやる――精霊たちに脅されて、哀れな妖精はぶるぶる震えていた。
『お、お慈悲を……むにゃむにゃ』
『だったら今すぐ呪いを解け』
『メアリを悲しませるな』
『魔術師の魔力で相殺できるだろ』
『できんこともないですけど……むにゃむにゃ』
その言葉に、希望を見出したメアリは両手を胸の前で組む。
「私からもお願いします。どうかアキレス様の呪いを解いてください」
精霊たちは瞬時に妖精を取り囲むと、『てめぇ、メアリのお願いが聞けないってのか? ああん?』『この糸を切って、地面に落としてもいいんだぞ』『今すぐ中身をぶちまけて、見られない顔にしてやろうか?』小声で脅迫まがいなことを口にする。
『わ、わかったよ、わかったから、ちょっと待って……むにゃむにゃ』
『そんなに待っていられるかっ』
『事態は一刻を争うんだっ』
『三十秒以内で何とかしろっ』
『ぼ、僕にも準備ってものが……むにゃむにゃ』
しかし容赦なく精霊たちの『い~ち、に~い、さ~ん……』というカウントが始まり、蛹がもぞもぞと動き始めた。
『こうなったら、綺麗な蝶になって、あいつらを見返してやる……むにゃむにゃ』
やがて蛹の背中がパカっと割れて、中から大きな羽が現れた。しわしわに折りたたまれた羽は窓から差し込む陽光を浴びて、次第に伸びて、広がっていき……
『……蝶というより』
『蛾だな』
『見てよ、あの羽の、目みたいな模様』
『おえっ、気持ち悪っ』
無事に羽化し、成虫となった妖精は誇らしげにメアリの前に立った。
虫は虫なのだが、心なしか、きりっとしたように思える。
『僕の鱗粉を君にあげる。それを皇子にかければ、呪いは解けるはずだよ』
メアリは感謝しながら、空の小瓶に鱗粉を詰めると、
「あなたは一緒に来てくれないの?」
『僕はこの剣から動けないから』
「だったら私が……」
『それはやめておいたほうがいいよ、メアリ』
『獣は武器の匂いを嫌うから』
それもそうだと思い、妖精に留守をお願いして、メアリは外へ飛び出していった。
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