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女王の目覚め 後編

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 森に一歩足を踏み入れた瞬間、周囲の景色ががらりと変わった。気づけば、メアリは鬱蒼と生い茂る森の奥地にいて、目の前に広がる光景に目を奪われていた。



 ――ああ、何もかも、あの時のままだわ。



 温もりを感じさせる樹木の家、こじんまりとした可愛らしい畑に、瑞々しい野菜たち。精霊たちが作ってくれた、メアリの居場所。ただ一つ、異なる点があるとすれば……



 ――ここにも、精霊たちがいない?



「あの子たちには隠れてもらったの。二人きりで話がしたかったから」



 メアリの疑問に答えるように、声がした。

 ひとりでに家の扉が開き、中から一人の女性が現れる。



「待っていたわ、あたしの愛しい子」



 同じ女性であるメアリですら見とれてしまうほどの、美しい女性だった。青みがかった銀髪に虹色の瞳、恐ろしく整った顔立ちをしている。美男美女が多いセイタールでも、彼女ほどの美貌の持ち主は見たことがない。



「あなたが、私の……?」

「ええ、でも、おばあちゃんって呼ぶのはやめてね。傷つくから」



 わかりましたと神妙な面持ちでうなずく。



「ではなんとお呼びすれば?」

「エメラルダと。あの人がつけてくれた名前なの」

「……あの人?」

「あたしの恋人だった人。レイ王国の初代国王陛下」



 驚くメアリの頬を「可愛い」と言ってエメラルダは指先でつつく。



「だったら私のお母様は……」



「言っとくけど、あの人の子ではないわ。あの人と出会う前から、シシィはいたから。女王は単独で子を成せるのよ、知らなかった?」



 絶句するメアリに、「とりあえず、中で話しましょう」とエメラルダは家の中にメアリを誘う。



「あたたかいお茶を淹れてあげるわ。甘いお菓子もあるわよ」



 その言葉に、メアリはいそいそとエメラルダのあとを付いて歩く。



 まもなく、湯気の立つティーカップが目の前に現れて、メアリはうっとりしながらお茶をすすった。ここに来るまで食欲がなく、何も口にしていなかったせいか、いっそう美味しく感じられる。



「この林檎パイ、すごくおいしいです」

「そう? あたしが焼いたの。あの人の好物だったから」

「……初代国王様のことを、愛しておられたのですね」

「ええ、とっても」



 エメラルダは噛み締めるように言った。



「その分、別れが辛かったわ」



 低い声で言い、じっと向かい側に座るメアリの顔を見つめる。



「だから眠りにつく前に、森に呪いをかけたの。シシィがあんなことになったのは、あたしのせい。愛する人と、同じ時間を生きられるようにしたつもりなのに……ひどい母親でしょう?」



 何と言っていいのかわからず、黙りこむメアリを、エメラルダは愛おしげに眺める。



「だからあなたに会えて、とても嬉しい。あなたはシシィよりも、あの人に似ているわ。黒い髪や淡い緑色の瞳……ちょっと抜けてて、おっとりしたところもそっくりで……」



 見れば見るほどよく似ていると言われて、メアリは喜んでいいのか、わからなかった。



「ねぇメアリ、あたしと一緒に、ずっとここにいてくれない?」



 思わずパイをのどに詰まらせそうになり、慌ててお茶を飲んだ。



「申し訳ありませんが、それはできません」

「あら、どうして? って、冗談よ」



 エメラルダは笑って言う。



「あなた、人間の皇子様に恋をしているのですってね。精霊たちが全て話してくれたわ」

「……では、アルガのことも許してくださるのですか」

「あら、本題はそっち?」



 小首を傾げて言い、エメラルダはすっと立ち上がる。



「少し、散歩でもしましょうか」









 ***









 ……ただの散歩だと言っていたのに。



 なぜこんな事態になってしまったのかと、メアリは視線を遠くに向けていた。



 

 ――おい、見ろっ。精霊の森から人が現れたぞ。

 ――馬鹿な、それは本当に人か?

 ――私、知ってるわ。精霊付きのメアリ王女殿下よ。

 ――ではそのお隣にいらっしゃるのは……。

 ――間違いない。

 ――ああ、間違いないぞっ。

 ――あの美しさ、あの神々しさを見ろ。

 ――精霊だっ。

 ――精霊の女王陛下っ。

 ――ついに我らの前に、顕現なされたっ。





「やけに森の外がうるさいと思ったら、こういうこと」



 森を出た途端、大勢の人間たちに遠巻きに囲まれても、エメラルダは平然としていた。



 ――我らはあなたの信者。

 ――あなたの奴隷です。

 ――どうか、何なりとご命令を。



 再び同じ台詞を繰り返す信者たちに、メアリは薄ら寒いものを覚えたが、エメラルダは「馬鹿な人間たち」と哀れむような視線を向けていた。けれど、



「だったら、互いに殺し合いなさい」



 美しい唇から発せられた、信じられないような言葉に、メアリは耳を疑ってしまう。



「あたしたち精霊にとって、人間は自然を破壊する害虫でしかない。この美しい地上から、全ての人間を消し去ることがあたしの願いよ。どう? それでもあたしの奴隷になる気はある?」



 それほど大きな声を出していないにも関わらず、エメラルダの声は響き、人々の耳に届いていた。辺りはしんと静まり返り、信者たちは食い入るように精霊の女王を見つめている。



 一方のメアリは、なぜエメラルダがそんな嘘をつくのはわからなかった。彼女が本心からそれを望んでいるのであれば、とっくの昔に、精霊たちが人間を襲っているはずだ。



「もし、一人でも多くの人間を殺してくれたら、ご褒美をあげるわ。そうねぇ、あたしの力で、精霊にしてあげるっていうのはどう? 人間よりも長生きできて、自由に魔法が使えるようになるわよ」



 その言葉が引き金となった。

 突然、信者の一人が隣の信者に掴みかかり、殴り始めたのだ。



 ――人間は害虫。

 ――害虫は殺せ。

 ――人間を殺せ。



「いつの世も、人間は変わらないわね。メアリもそう思わない?」



 この光景を見せるために、彼女は自分をここに連れてきたのだと、その言葉で気づいた。衝撃のあまり何もできずにいたメアリだったが、信者たちの暴走を止めようと、ノエや護衛騎士たちが駆けつけるのを見て、はっと我に返る。



 ――そうだ、アルガが教えてくれた……。



 まだうまく使えるか自信はなかったが、メアリは目を閉じて強く念じた。やがて、自身の周りに膜のようなものができるのを感じると、それを徐々に広げていくようにイメージする。



 ――もっと広く、もっと、もっと。



「さすがはあたしのお孫ちゃん。結界魔法が使えるのね」



 楽しげなエメラルダの声を聞いて、こわごわ目を開けると、気づけば信者たちはみな、折り重なるようにして地面に倒れていた。慌てて駆けつけ、確認するが、ただ眠っているだけのようだ。



「殿下、これは一体……」



 唯一ノエだけには効かなかったようで、彼は呆然としたようにその場に立っていた。



「殿下、アルガはどこに? 彼女には会えたのですか?」

「アルガならここよ」



 メアリが答える前に、ゆったりとした足取りで近づいてきたエメラルダが口を挟んだ。ふと見れば、色鮮やかな三羽の小鳥が、エメラルダの腕に並んで止まっていた。



「このうちの一羽が、鳥に化けたアルガよ。当てたら返してあげる」



 精霊の女王を前にし、慌ててその場で膝を折ったノエだったが、



「ただし一度でも間違えば、アルガには二度と会えないと思いなさい」



 すっと立ち上がって女王の前に行き、ノエは慎重に口を開いた。



「答えを言う前に、小鳥に話しかけてもよろしいですか?」

「ええ、でもアルガには一切口をきかないよう言ってあるから、無駄だと思うけど」



 それでもかまわないとノエは口を開く。



「小鳥の皆さん、私の言葉が理解できるのであれば、右を向いてください」 



 小鳥は一斉に右を向いた。けれど一羽だけ、全く動かない小鳥がいた。その小鳥を指差し、「彼女がアルガです」とノエは迷わず答える。



「なぜそう思うの?」



 エメラルダは興味深げに訊ねる。



「アルガは賢い女性です。自分は小鳥ではないから、私の頼みを聞く必要はないと判断したのでしょう。それに私も、アルガに話しかけたわけでなく、小鳥に頼んだだけなので。まあ、消去法ですね」



「正解よ」



 直後に人の姿に戻ったアルガは、ノエの腕の中にいた。



「黙っていなくなってごめんなさい」

「……無事でよかった」



 そっと二人から離れて、メアリはあらためてエメラルダに向き合った。



「アルガを返していただけますね?」

「もちろん。他の精霊たちもあなたのところに戻りたがってるわ。よほど居心地がいいのね」

「あなたは……エメラルダ様は、森にお戻りに?」



「ええ、正直に言えば、まだ寝足りないのよね。ただどうしてもあなたに会いたくて、二度寝するのを先延ばしにしたの。次に起きた時には、あなたはもう、この世からいなくなっているかもしれないでしょ?」



 先ほどから、エメラルダの声を遠くに感じると、メアリは不思議だった。



 ――それに、頭がくらくらしてきた。



「あらあら、結界魔法なんて使うから、ふらふらになってるじゃないの」



 慣れないことをしたのねと、エメラルダは優しい声で言う。



「もう帰りなさい、あなたの愛する人のもとへ」









 …………

 ………

 …









「――メアリっ」



 目を開けた瞬間、温かな光が差し込んできて、メアリは堪らず手を伸ばしていた。どうやら自分はベッドの上に寝かされているらしく、上体を起こすと、すぐさま抱きしめられてしまう。



「アキレス様……」

「ノエから報告を受けた時は肝が冷えた。よかった、無事に戻ってきてくれて」



 どうやらあのあと、半日ほどメアリは眠りについていたそうだ。女王の魔法により、メアリたちは帝都にある皇城に送られ、その後、アルガは侍女として甲斐甲斐しく、メアリの面倒を見てくれたらしい。



『女王様はまた眠りについてしまわれたし』

『つまんないよねぇ』

『まあ、メアリがいてくれるだけマシか』

『そうだね、僕らにはメアリがいるもんね』



 聴き慣れた声と精霊たちの姿に、メアリは安堵のため息をついた。



「そういえば、信者の方々はどうなったのですか?」

「君が魔法で眠らせたそうだが、目覚めると、眠る前後の記憶を失っていたらしい」



 ふとその時、女王が魔法を使って何かしたのかもしれないとメアリは考えた。



「危険性はないと判断して家に帰したというが、心配か?」



 いえ、とかぶりを振る。



「何があったか、話してくれ」

「ノエ様からお聞きになられたのでは?」

「メアリの口から聞きたい」



 では夕食のあとでと答えながら、近づいてくる気配に、メアリは頬を赤らめ、そっと目を閉じた。







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