22 / 44
連載
女王の目覚め 後編
しおりを挟む森に一歩足を踏み入れた瞬間、周囲の景色ががらりと変わった。気づけば、メアリは鬱蒼と生い茂る森の奥地にいて、目の前に広がる光景に目を奪われていた。
――ああ、何もかも、あの時のままだわ。
温もりを感じさせる樹木の家、こじんまりとした可愛らしい畑に、瑞々しい野菜たち。精霊たちが作ってくれた、メアリの居場所。ただ一つ、異なる点があるとすれば……
――ここにも、精霊たちがいない?
「あの子たちには隠れてもらったの。二人きりで話がしたかったから」
メアリの疑問に答えるように、声がした。
ひとりでに家の扉が開き、中から一人の女性が現れる。
「待っていたわ、あたしの愛しい子」
同じ女性であるメアリですら見とれてしまうほどの、美しい女性だった。青みがかった銀髪に虹色の瞳、恐ろしく整った顔立ちをしている。美男美女が多いセイタールでも、彼女ほどの美貌の持ち主は見たことがない。
「あなたが、私の……?」
「ええ、でも、おばあちゃんって呼ぶのはやめてね。傷つくから」
わかりましたと神妙な面持ちでうなずく。
「ではなんとお呼びすれば?」
「エメラルダと。あの人がつけてくれた名前なの」
「……あの人?」
「あたしの恋人だった人。レイ王国の初代国王陛下」
驚くメアリの頬を「可愛い」と言ってエメラルダは指先でつつく。
「だったら私のお母様は……」
「言っとくけど、あの人の子ではないわ。あの人と出会う前から、シシィはいたから。女王は単独で子を成せるのよ、知らなかった?」
絶句するメアリに、「とりあえず、中で話しましょう」とエメラルダは家の中にメアリを誘う。
「あたたかいお茶を淹れてあげるわ。甘いお菓子もあるわよ」
その言葉に、メアリはいそいそとエメラルダのあとを付いて歩く。
まもなく、湯気の立つティーカップが目の前に現れて、メアリはうっとりしながらお茶をすすった。ここに来るまで食欲がなく、何も口にしていなかったせいか、いっそう美味しく感じられる。
「この林檎パイ、すごくおいしいです」
「そう? あたしが焼いたの。あの人の好物だったから」
「……初代国王様のことを、愛しておられたのですね」
「ええ、とっても」
エメラルダは噛み締めるように言った。
「その分、別れが辛かったわ」
低い声で言い、じっと向かい側に座るメアリの顔を見つめる。
「だから眠りにつく前に、森に呪いをかけたの。シシィがあんなことになったのは、あたしのせい。愛する人と、同じ時間を生きられるようにしたつもりなのに……ひどい母親でしょう?」
何と言っていいのかわからず、黙りこむメアリを、エメラルダは愛おしげに眺める。
「だからあなたに会えて、とても嬉しい。あなたはシシィよりも、あの人に似ているわ。黒い髪や淡い緑色の瞳……ちょっと抜けてて、おっとりしたところもそっくりで……」
見れば見るほどよく似ていると言われて、メアリは喜んでいいのか、わからなかった。
「ねぇメアリ、あたしと一緒に、ずっとここにいてくれない?」
思わずパイをのどに詰まらせそうになり、慌ててお茶を飲んだ。
「申し訳ありませんが、それはできません」
「あら、どうして? って、冗談よ」
エメラルダは笑って言う。
「あなた、人間の皇子様に恋をしているのですってね。精霊たちが全て話してくれたわ」
「……では、アルガのことも許してくださるのですか」
「あら、本題はそっち?」
小首を傾げて言い、エメラルダはすっと立ち上がる。
「少し、散歩でもしましょうか」
***
……ただの散歩だと言っていたのに。
なぜこんな事態になってしまったのかと、メアリは視線を遠くに向けていた。
――おい、見ろっ。精霊の森から人が現れたぞ。
――馬鹿な、それは本当に人か?
――私、知ってるわ。精霊付きのメアリ王女殿下よ。
――ではそのお隣にいらっしゃるのは……。
――間違いない。
――ああ、間違いないぞっ。
――あの美しさ、あの神々しさを見ろ。
――精霊だっ。
――精霊の女王陛下っ。
――ついに我らの前に、顕現なされたっ。
「やけに森の外がうるさいと思ったら、こういうこと」
森を出た途端、大勢の人間たちに遠巻きに囲まれても、エメラルダは平然としていた。
――我らはあなたの信者。
――あなたの奴隷です。
――どうか、何なりとご命令を。
再び同じ台詞を繰り返す信者たちに、メアリは薄ら寒いものを覚えたが、エメラルダは「馬鹿な人間たち」と哀れむような視線を向けていた。けれど、
「だったら、互いに殺し合いなさい」
美しい唇から発せられた、信じられないような言葉に、メアリは耳を疑ってしまう。
「あたしたち精霊にとって、人間は自然を破壊する害虫でしかない。この美しい地上から、全ての人間を消し去ることがあたしの願いよ。どう? それでもあたしの奴隷になる気はある?」
それほど大きな声を出していないにも関わらず、エメラルダの声は響き、人々の耳に届いていた。辺りはしんと静まり返り、信者たちは食い入るように精霊の女王を見つめている。
一方のメアリは、なぜエメラルダがそんな嘘をつくのはわからなかった。彼女が本心からそれを望んでいるのであれば、とっくの昔に、精霊たちが人間を襲っているはずだ。
「もし、一人でも多くの人間を殺してくれたら、ご褒美をあげるわ。そうねぇ、あたしの力で、精霊にしてあげるっていうのはどう? 人間よりも長生きできて、自由に魔法が使えるようになるわよ」
その言葉が引き金となった。
突然、信者の一人が隣の信者に掴みかかり、殴り始めたのだ。
――人間は害虫。
――害虫は殺せ。
――人間を殺せ。
「いつの世も、人間は変わらないわね。メアリもそう思わない?」
この光景を見せるために、彼女は自分をここに連れてきたのだと、その言葉で気づいた。衝撃のあまり何もできずにいたメアリだったが、信者たちの暴走を止めようと、ノエや護衛騎士たちが駆けつけるのを見て、はっと我に返る。
――そうだ、アルガが教えてくれた……。
まだうまく使えるか自信はなかったが、メアリは目を閉じて強く念じた。やがて、自身の周りに膜のようなものができるのを感じると、それを徐々に広げていくようにイメージする。
――もっと広く、もっと、もっと。
「さすがはあたしのお孫ちゃん。結界魔法が使えるのね」
楽しげなエメラルダの声を聞いて、こわごわ目を開けると、気づけば信者たちはみな、折り重なるようにして地面に倒れていた。慌てて駆けつけ、確認するが、ただ眠っているだけのようだ。
「殿下、これは一体……」
唯一ノエだけには効かなかったようで、彼は呆然としたようにその場に立っていた。
「殿下、アルガはどこに? 彼女には会えたのですか?」
「アルガならここよ」
メアリが答える前に、ゆったりとした足取りで近づいてきたエメラルダが口を挟んだ。ふと見れば、色鮮やかな三羽の小鳥が、エメラルダの腕に並んで止まっていた。
「このうちの一羽が、鳥に化けたアルガよ。当てたら返してあげる」
精霊の女王を前にし、慌ててその場で膝を折ったノエだったが、
「ただし一度でも間違えば、アルガには二度と会えないと思いなさい」
すっと立ち上がって女王の前に行き、ノエは慎重に口を開いた。
「答えを言う前に、小鳥に話しかけてもよろしいですか?」
「ええ、でもアルガには一切口をきかないよう言ってあるから、無駄だと思うけど」
それでもかまわないとノエは口を開く。
「小鳥の皆さん、私の言葉が理解できるのであれば、右を向いてください」
小鳥は一斉に右を向いた。けれど一羽だけ、全く動かない小鳥がいた。その小鳥を指差し、「彼女がアルガです」とノエは迷わず答える。
「なぜそう思うの?」
エメラルダは興味深げに訊ねる。
「アルガは賢い女性です。自分は小鳥ではないから、私の頼みを聞く必要はないと判断したのでしょう。それに私も、アルガに話しかけたわけでなく、小鳥に頼んだだけなので。まあ、消去法ですね」
「正解よ」
直後に人の姿に戻ったアルガは、ノエの腕の中にいた。
「黙っていなくなってごめんなさい」
「……無事でよかった」
そっと二人から離れて、メアリはあらためてエメラルダに向き合った。
「アルガを返していただけますね?」
「もちろん。他の精霊たちもあなたのところに戻りたがってるわ。よほど居心地がいいのね」
「あなたは……エメラルダ様は、森にお戻りに?」
「ええ、正直に言えば、まだ寝足りないのよね。ただどうしてもあなたに会いたくて、二度寝するのを先延ばしにしたの。次に起きた時には、あなたはもう、この世からいなくなっているかもしれないでしょ?」
先ほどから、エメラルダの声を遠くに感じると、メアリは不思議だった。
――それに、頭がくらくらしてきた。
「あらあら、結界魔法なんて使うから、ふらふらになってるじゃないの」
慣れないことをしたのねと、エメラルダは優しい声で言う。
「もう帰りなさい、あなたの愛する人のもとへ」
…………
………
…
「――メアリっ」
目を開けた瞬間、温かな光が差し込んできて、メアリは堪らず手を伸ばしていた。どうやら自分はベッドの上に寝かされているらしく、上体を起こすと、すぐさま抱きしめられてしまう。
「アキレス様……」
「ノエから報告を受けた時は肝が冷えた。よかった、無事に戻ってきてくれて」
どうやらあのあと、半日ほどメアリは眠りについていたそうだ。女王の魔法により、メアリたちは帝都にある皇城に送られ、その後、アルガは侍女として甲斐甲斐しく、メアリの面倒を見てくれたらしい。
『女王様はまた眠りについてしまわれたし』
『つまんないよねぇ』
『まあ、メアリがいてくれるだけマシか』
『そうだね、僕らにはメアリがいるもんね』
聴き慣れた声と精霊たちの姿に、メアリは安堵のため息をついた。
「そういえば、信者の方々はどうなったのですか?」
「君が魔法で眠らせたそうだが、目覚めると、眠る前後の記憶を失っていたらしい」
ふとその時、女王が魔法を使って何かしたのかもしれないとメアリは考えた。
「危険性はないと判断して家に帰したというが、心配か?」
いえ、とかぶりを振る。
「何があったか、話してくれ」
「ノエ様からお聞きになられたのでは?」
「メアリの口から聞きたい」
では夕食のあとでと答えながら、近づいてくる気配に、メアリは頬を赤らめ、そっと目を閉じた。
29
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
〖完結〗旦那様には出て行っていただきます。どうか平民の愛人とお幸せに·····
藍川みいな
恋愛
「セリアさん、単刀直入に言いますね。ルーカス様と別れてください。」
……これは一体、どういう事でしょう?
いきなり現れたルーカスの愛人に、別れて欲しいと言われたセリア。
ルーカスはセリアと結婚し、スペクター侯爵家に婿入りしたが、セリアとの結婚前から愛人がいて、その愛人と侯爵家を乗っ取るつもりだと愛人は話した……
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全6話で完結になります。
王家も我が家を馬鹿にしてますわよね
章槻雅希
ファンタジー
よくある婚約者が護衛対象の王女を優先して婚約破棄になるパターンのお話。あの手の話を読んで、『なんで王家は王女の醜聞になりかねない噂を放置してるんだろう』『てか、これ、王家が婚約者の家蔑ろにしてるよね?』と思った結果できた話。ひそかなサブタイは『うちも王家を馬鹿にしてますけど』かもしれません。
『小説家になろう』『アルファポリス』(敬称略)に重複投稿、自サイトにも掲載しています。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。