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連載
女王の目覚め 前編
しおりを挟む「再びお目にかかれて、恐悦至極に存じます、精霊の姫君」
その日、メアリのもとを訪れたのは、いかにも武人らしい体格の、五〇代くらいの男性だった。近衛隊長官のニコラウス・リカイオスである。かつて第一皇子の婚約者としてセイタールに来た際、メアリも何度か顔を合わせたことがあった。
『メアリ、気をつけて』
『こいつは皇后側の人間だよ』
『つまりアキレスにとっての敵』
『今はどうだろうね』
放蕩皇子と揶揄されてまで、アキレスが帝都を離れていた理由――皇后に何度も殺されかけたという彼の言葉の、具体的な意味が、ようやく理解できた気がした。
――皇族の身辺を護衛するはずの近衛隊に、命を狙われていたなんて。
恐怖よりも激しい怒りを覚えて、じっと長官の顔を見入る。
すると長官は敏感にそのことを感じ取ったらしく、重い口を開いた。
「そのご様子だと、すでにご存知のようですね。アキレス殿下は、確かにわたくしたち近衛隊を信用しておられませんでした。ですがけして、わたくしはアキレス殿下の敵ではありません。殿下を亡き者にして、わたくしに何の得がありましょう?」
『そりゃ、皇后が死んだから』
『見返りは何も得られないし?』
『アキレスに粛清される前に』
『メアリに助けを求めに来たって感じ?』
「それは私にではなく、皇太子殿下に直接申し上げることでは?」
やんわり切り返すと、長官は恐縮したよう視線を泳がせる。
「おっしゃる通りですが、なにぶん、会っていただけないもので……」
『近衛隊は近々、再編成されるみたいだしね』
『間違いなく地方に飛ばされるだろうな』
そうだったのかと、メアリは納得する。
「でしたら、私にできることは何もありません。お引取りを」
「殿下っ」
毅然とした態度で立ち上がるメアリに、長官はなおも食い下がる。
「亡き皇后陛下は、精霊教の大主教でもあらせられました。わたくしも信者の一人として、私財の大部分を教団に寄付し、布教につとめてまいりました」
――精霊教?
『精霊を信仰する教団のことだよ』
『僕らにとってのファンクラブみたいな?』
『緑豊かな国づくり、がスローガンなんだって』
『国中に支部があって、けっこう規模は大きいよね』
へぇとメアリは心の中でつぶやく。
『精霊の森の周辺で、たまに野宿している人を見かけるでしょ?』
『たぶん、あれがそう。巡礼みたいな?』
「わたくしたちは魔の森を聖地と呼び、魔物を守り人と呼んでおります。先日の謁見の間にて、多くの守り人が出現した時は、感涙にむせびました。あの瞬間、わたくしたち信者は、殿下にかたく忠誠を誓ったのであります」
自身の言葉に酔いしれるように、長官は続けた。
「わたくしたち信者は、女王陛下がお目覚めになられた暁には、精霊の森近くに集結し、陛下の手となり足となり、お仕えする所存です。ですから殿下、どうかわたくしめを殿下のおそばに……」
『こいつ、やばくない?』
『とりあえず消す?』
メアリはかぶりを振って応えると、再度「お引取りを」と言った。
「申し訳ありません、ニコラウス・リカイオス様。まもなく、他のお客様がお越しになりますので」
気を利かせたアルガが、半ば強引に応接間から長官を追い出してくれる。
ほっとしたのも束の間、
「このこと、アキレス様にご報告したほうがいいかしら」
「そうね……」
考え込むように目を伏せたアルガだったが、途中ではっとしたように顔を上げる。
「どうしたの、アルガ?」
そのただならぬ様子に、メアリは不安を覚える。
気づけば、周りにいる精霊たちも、一様に虚空を見上げて、そわそわし始める。
「まさか……そんな」
『――この気配、間違いないよ』
『懐かしい。お目覚めになられたんだ』
「女王陛下が、お目覚めになられた」
『そう、お目覚めになられた』
『我らが愛する、女王陛下が』
次の瞬間、彼らの姿が蜃気楼のように揺らめいたかと思うと、ぱっと目の前から消えてしまった。
「……アルガ?」
一人取り残されてしまったメアリは、呆然として辺りを見回す。
「皆……どこへ行ってしまったの?」
いくら話しかけても、答える声はない。
こんなことは、生まれて初めてだった。
***
昔々、荒れ果てた大地に精霊の女王が降り立った。
彼女が息を吹きかければ植物が芽吹き、彼女の歩くところには花々が咲き乱れた。
草木が生い茂るのに時間はかからず、荒地は森へと姿を変えた。
女王の魔力を吸って、森は徐々に広がっていき、同時に多くの精霊たちが誕生した。精霊たちは女王のために働き、より木々を成長させ、森を広大にした。やがてその森は精霊の国と呼ばれるようになり、しばしば人間の治める国と対立するようになった。
そんな中で人間に興味を持ち、人間の娘に恋をした精霊がいた。
娘を愛するあまり、精霊は凛々しい青年の姿に化けて娘に近づき、子を成した。
それを知った女王の怒りは凄まじく、その精霊から魔力を奪うと、二度と精霊の姿に戻れないよう呪いをかけた。そして国から追放したのだった。
その後、精霊と人とのあいだに生まれた子どもは、すくすくと成長していった。
彼は興味本位から精霊の国を訪れると、そこで美しい女王に出会い、一目惚れしてしまう。
最初は彼を毛嫌いしていた女王だったが、いつしか彼を愛するようになり、人と精霊が共に暮らせるような国を作ろうと、毎日のように語り合った。
女王の協力を得て、男は新たな国の王となるが、妻は娶らなかった。
次の王は、民の中から決めると断言し、生涯、女王にのみ愛を捧げた。
…………
………
…
「……アルガが消えた」
移動する馬車の中で、ノエは悄然と肩を落としていた。婚約者が失踪したと知って、よほど強いショックを受けたらしく、先ほどから何度も同じ台詞を繰り返している。「アルガが消えた……アルガが消えた」と。まるで、大切に隠していた宝物を奪われてしまった、子どものように。
気持ちはわかる。
強い喪失感を覚えているのは自分も同じだから。
――ここにアキレス様がいてくださったら……。
公務で帝都を離れている婚約者のことを思いながら、メアリもまた胸を痛めていた。
「アルガは本当に精霊の森にいるのですね」
「それしか考えられませんわ」
メアリは力強く答えた。
「女王が目覚めたと言っていましたもの」
「それが事実なら、大変なことですよ」
ノエは憂鬱そうな口調で言う。
「精霊の女王は大変な人間嫌いだと、どの文献にも記されていますから」
「ですが、精霊は争いを好みませんわ」
「ええ、元より、侵略戦争を仕掛けられるような心配はしていません。ただ――」
「ただ?」
「精霊の女王はこことは異なる別世界、もしくは別次元からやって来たという説があります。女王の気分次第では、精霊の森ごと住処を別の場所に移してしまう可能性もあるのではないかと――そうなると、二度とアルガに会えなくなるのではないかという不安に苛まれまして……」
考えすぎでしょうか? とノエは暗い顔でうつむいた。
「人間が相手であれば、脅すなり懐柔するなりして、いかようにも対応できるのですが、いかんせん、相手は精霊――さすがの私も打つ手がなく……」
「ノエ様、そうならないために今、精霊の森に向かっているのでしょう」
少しでも彼を元気づけようと、メアリは明るい声を出した。
「森に入れないノエ様の代わりに、私が話してみますわ。女王陛下とはいえ、私にとっては祖母にあたる方ですもの。アルガに会わせてくださいと頼めば、きっと……」
「アルガは戻ってくるでしょうか」
その質問に、メアリは答えなかった。
答えることもできなかった。
「精霊である彼女には優先順位があり、私は四番目に大事なんだそうです。もちろん、私自身がそれでもかまわないと望んだのですから、そのことに不満はありません。それに私も、万が一の時は、婚約者である彼女より主君であるアキレス殿下を優先すると伝えていますし」
「まあ、そうでしたの」
「彼女が戻らなければ、私はその事実を受け入れるしかない。その覚悟は出来ているつもりでしたが、どうしても後悔してしまうのです。女王が目覚める前に、彼女を人間に――私の妻にしてしまえば良かったと」
他人事ながら、思わずドキドキしてしまうメアリだった。
「女王のそばにいることが精霊にとっての最上の喜びなのでしょう?」
「そうとも限らないと思います。過去に人間に恋をして、女王のもとを離れた精霊もいるわけですし」
「あなたの母君は別として、そういえば、レイ王国初代国王の父親は、普通の精霊でしたね」
「初代国王陛下が世継ぎを残されなかったという話は本当ですの?」
「ええ、彼の死後、王位は大臣や将軍の親族によって引き継がれたそうです」
道理で、彼の資料が少ないはずだとメアリは納得した。
歴史の書物でも、初代国王のことはほとんど触れられていないのだ。
「とりあえず、今はアルガに会うことだけを考えましょう」
精霊の森にたどり着くまで、かなりの日数を要したが、苦にはならなかった。ただ、森の周辺はいつもと様子が違い、フードをかぶった人々が男女問わず集まっていた。
「あれは……」
「精霊教の信者たちですね」
森に向かって何事かつぶやいている者もいれば、「女王陛下万歳」と叫んでいる者もいる。
――我らはあなたの信者。
――あなたの奴隷です。
――どうか、尊きお姿をお見せ下さい。
――我らが女神よ。
「なぜ女王の目覚めを彼らが知っているのか……」
ノエは怪訝そうに眉をひそめる。
「アルガが姿を消す前に、誰かに会われましたか?」
「ええ、ニコラウス・リカイオス様がお見えになられて……」
そこでメアリははっと口もとを押さえる。
「もしかしたら話を聞かれたかもしれませんわ」
「ありえますね、彼はアルガが精霊であることも知っていますし」
うんざりしたように言い、人気のない場所で馬車を止めると、森の入口までメアリをエスコートする。
「できれば、私もお供したいのですが……」
「ここまでで結構です」
メアリはきっぱりと言って微笑んだ。
「あなたに何かあれば、アルガに合わせる顔がありませんもの。では、行ってきますね」
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