愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活

四馬㋟

文字の大きさ
上 下
92 / 93
その後の話

親子喧嘩に終わりなし

しおりを挟む

 
「虎太郎兄さん、どうしたの? ぼうっとして。家はもうすぐそこよ」

 一眞と別れた後、我が家へと続く道を歩きながら胡蝶は、隣を歩く次兄を見上げた。汽車の中ではあんなにお喋りだったのに、汽車を降りた途端に兄の口数は減っていき、今や完全に無口になっている。

「ただいま、母さん。兄さんを連れて帰って来たわ」

 なぜがその場から動かず、明後日の方向を向いている兄を横目に母を呼ぶと、

「まあまあ、お帰りなさいまし、お嬢様。それに虎太郎も……あら、虎太郎はどこですか?」
「え? 兄さんならここに……まあ、どこへいったのかしら。さっきまでここにいたのよ」
「それより、虎太郎の結婚相手もここに来ているんですか?」

 声を潜めて訊ねられる。
 首を横に振ると、お佳代は「やっぱり」と頷く。

「振られたんですね」
「そうじゃなくて……」

 思わず口を開きかけた胡蝶に、お佳代は「皆まで言わずとも分かっています」と神妙な顔でお土産の温泉饅頭を受け取ると、

「安心してください。虎太郎には何も言いませんよ。啖呵切って家を飛び出した手前、あの子も決まり悪いでしょうし」

 水連が虎太郎のことをどう思っていたのか――少しくらい見込みがあったのか、その点は胡蝶にも分からないため、あえてそのことには触れず、

「兄さんが戻ってきたら、優しく迎えてあげてね」
「もちろんですとも」
「また喧嘩して、兄さんを家から追い出してはだめよ」
「まあ、勝手に出て行ったのはあの子のほうですよ。あたくしは何も……」

 若干、不満顔のお佳代だったが、

「分かりました、うまくやりますわ」

 仕方がないとばかりにため息を吐く。
 それでも胡蝶は安心できず、

「兄さんに口うるさいことを言わないでね。傷ついているんだから」
「お嬢様ったら、少しはあたくしのことも信用してください」

 子どものように唇を尖らせるお佳代に苦笑しつつ、家の中に入る。

「あまり時間がないから、今日の夕飯は簡単なものでいい?」
「必要ありません。豚の角煮を作っておきましたから」

 豚の角煮は虎太郎の好物である。
 胡蝶が微笑んで母の顔を見ると、

「お嬢様と同じように、豚肉はちゃんとお米のとぎ汁で煮ましたよ」

 お佳代は照れ隠しのようにそっぽを向く。

「だったら副菜と汁物だけ作るわね」

 部屋に荷物を置き、着替えたらすぐに料理を始める。

 まずはスプーン一杯分のお塩を入れた熱湯でほうれん草を下茹でし、冷水に通して水気を切る。まな板の上で五センチ程の大きさにカットしたらボウルに移して、調味料――ごま油、醤油、にんにくのすりおろし、すりごまを加えて混ぜる。小鉢に盛ったら、ほうれん草ナムルの完成だ。

 続いて汁物――水切りしたお豆腐と、下処理をしてあく抜きをしたゴボウ、一センチ角に切った油揚げ、大根と人参は皮を剥いてイチョウ切りにする。できればコンニャクと里芋、椎茸も入れたかったが、ないのであきらめる。

 中火で熱したお鍋にごま油をひき、材料を入れて油が全体になじむまで炒める。お水と調味料を加えて、野菜が柔らかくまで煮る。あくが出たら取り除き、お豆腐は手で軽く崩しながら入れて、弱火でひと煮立ちさせたら、けんちん汁の出来上がり。

「兄さんっ、晩御飯ができたわよっ」

 庭先に出て大声で呼ぶと、虎太郎はいそいそと戻ってきた。
 そのすぐ後ろに辰之助の姿もあり、つい笑ってしまう。

「兄さんたち、仲直りしたのね」

 旅行から帰ったばかりで身体は疲れていたものの、楽しそうに食事をする親兄弟の顔を眺めていると、やはり我が家で過ごす時間が一番だと感じた。久しぶりに口にした母の手料理はとても美味しく、懐かしい味がして、悲しくないのになぜか涙が出てしまう。

 そんな感傷に浸りつつ、その晩はぐっすり眠った。
 それから数日後、


「勘弁してくれよぉ、お袋、泣くようなことかよ」
「あたしはねぇ、虎太郎、別に悲しくて泣いてんじゃないんだよ、悔しくて泣いてるんだ」
「悔しいって何が?」
「ご近所の奥さんに、息子さんはいつ結婚するんですか? って訊かれて、何も答えられなかったからだよ」

「なんで答えられねぇんだよ? うちの息子にそんな予定はないし、他人の詮索する暇があるのならてめぇの出戻り娘の心配でもしてろって言い返せばいいじゃねぇか。あのわがまま女、二度も結婚したくせに、また離婚して、子どもを連れて実家に戻ってきてるんだろ?」

 思わず二人の会話を盗み聞きしていた胡蝶だったが、自分のことを言われているような気がして、なんだか気まずかった。

「虎太郎っ、その口の利き方はなんだい。ご近所さんに失礼じゃないかっ」

「分かんねぇ奴にはハッキリ言ってやんないと分かんねぇんだよ。お袋こそ、言われっぱなしで腹が立ってるんだろ? 俺が行って話つけてきてやるよ」

「そんなことされたら迷惑だよっ。世間の目っていうのがあるんだからねっ」
「前から思ってたんだけどなぁ、お袋は世間体を気にし過ぎなんだよ。そんなんじゃ病気になっちまうぞ」

「なんて礼儀知らずな子なんだろうっ。あんた、小さい頃はご近所さんの娘さんと仲が良かったじゃないか。たくさん遊んでもらって、何度かご飯もご馳走になったはずだよ」

 すると虎太郎はその時のことを思い出してばつが悪くなったのか、

「覚えちゃいねぇよ、そんな昔のこと」

 先ほどの威勢はどこへやら、声が小さくなる。
 しかしお佳代はそんな息子の変化にも気づかず、

「あたしの育て方が悪かったんだ。ご近所の奥さんも言ってたよ。あたしらは子どもを甘やかしすぎたのさ」
 
 悔やむような言葉を口にする。
 こんなことを言われて、虎太郎もあとに引けなくなったのか、

「出来の悪い息子で悪かったなっ。後悔するくらいなら産まなきゃよかったんだっ」

 カッカして怒鳴ると、再び家を飛び出してしまった。

 この家で親子喧嘩は今に始まったことはないし、実の親子だからこそ、遠慮がないのも理解できる。それにしたって、子どもの頃はすぐに仲直りできたものだが、大人同士だと、どうしてこうもお互い感情的になってエスカレートしてしまうのか。

「……母さん、またなの?」

 しかたなく母の前に出て行くと、

「ごめんなさい、お嬢様……ごめんなさい。あれほど喧嘩をするなと言われていたのに……」

 しまいには泣き崩れる母を前にすると何も言えず、ただただため息がこぼれた。
 泣いて後悔するくらいなら、あんなことを言わなければいいのに。

 歳をとったせいで、感情のコントロールが難しくなっているのだろうか。

「泣かないで、母さん。大丈夫よ。私が何度でも兄さんを連れ戻してくるから」

 しかしその数時間後、虎太郎はケロッとした様子で帰ってきて言った。

「胡蝶、これやるよ。うまそうなきゅうりだろ?」
「まあ、どうしたの?」
「久しぶりに喜代(きよ)姉ちゃんに会って、もらったんだ」


 喜代姉ちゃんというのは、先ほどお佳代が話していたご近所の娘さんのことである。

「その辺うろついてたら、おすそ分けでくれたんだ。俺のことも覚えててさ、気さくで感じのいい姉ちゃんだったよ。別れた旦那の酒癖がひどくて、子ども守るために別れたんだとさ。子ども育てながら家の仕事手伝って、立派なもんだよ。俺も見習わねぇとな」


 そう言いながら、ふらりと台所に立ち寄ると、


「なんか食いもんねぇかな? さっきから腹が減って腹が減って」


 ――まったく、この人たちときたら。


 苦笑いを浮かべながら、兄の後ろを追いかけて胡蝶も台所へ向かった。


しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……

矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。 『もう君はいりません、アリスミ・カロック』 恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。 恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。 『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』 『えっ……』 任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。 私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。 それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。 ――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。 ※このお話の設定は架空のものです。 ※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

わたしはただの道具だったということですね。

ふまさ
恋愛
「──ごめん。ぼくと、別れてほしいんだ」  オーブリーは、頭を下げながらそう告げた。  街で一、二を争うほど大きな商会、ビアンコ商会の跡継ぎであるオーブリーの元に嫁いで二年。貴族令嬢だったナタリアにとって、いわゆる平民の暮らしに、最初は戸惑うこともあったが、それでも優しいオーブリーたちに支えられ、この生活が当たり前になろうとしていたときのことだった。  いわく、その理由は。  初恋のリリアンに再会し、元夫に背負わさせた借金を肩代わりすると申し出たら、告白された。ずっと好きだった彼女と付き合いたいから、離縁したいというものだった。  他の男にとられる前に早く別れてくれ。  急かすオーブリーが、ナタリアに告白したのもプロポーズしたのも自分だが、それは父の命令で、家のためだったと明かす。    とどめのように、オーブリーは小さな巾着袋をテーブルに置いた。 「少しだけど、お金が入ってる。ぼくは不倫したわけじゃないから、本来は慰謝料なんて払う必要はないけど……身勝手だという自覚はあるから」 「…………」  手のひらにすっぽりと収まりそうな、小さな巾着袋。リリアンの借金額からすると、天と地ほどの差があるのは明らか。 「…………はっ」  情けなくて、悔しくて。  ナタリアは、涙が出そうになった。

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

処理中です...