愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活

四馬㋟

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胡蝶、またもや小姑になる

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「失礼いたします、お客様。お食事をお持ちしました」

 一人になった途端、どっと旅の疲れが出たのか、テーブルに突っ伏して寝入ってしまったらしい。
 窓の外が暗くなっていることに気づいて、胡蝶は慌てて身なりを整え、背筋を伸ばす。

「どうぞ、お入りになって」

 顔を伏せつつ入ってきたのは若く美しい女中だった。
 歳の頃は、胡蝶よりも二つ、三つ上くらいか。

 きっちり結い上げられた、濡れたような艶やかな黒髪、ほんのり桃色に色づいた唇に、暗く陰りのある瞳――女将の言っていた通りの人だ。この人が水連さんに違いないと、内心興奮しながら彼女の顔を盗み見る。

 水連は慣れた手つきで、テーブルの上に次々とお皿を並べていく。

 しばらく彼女のきびきびとした動作に見とれていたのだが、空腹だったせいもあり、途中からお料理のほうへ意識が向かってしまった。旬の野菜を使った前菜の数々、山菜の天ぷら、川魚の塩焼きに上質なお肉を使った網焼き、新鮮な馬肉の刺身まである。

 ――これで一人前? 私、こんなに食べられるかしら。

 いいえ食べてみせると心の中で決意する。

「からしレンコンは地元の米焼酎と相性がいいのですけれど、いかがします?」
「い、いいえ、お酒は結構ですわ」

 そうだ、今は美味しそうな旅館のお料理に気を取られている場合ではない。
 もちろんお料理も堪能するつもりだけど、今優先すべきことは――。


「初めまして、水連さん。柳原虎太郎の妹、胡蝶と申します」

 思い切って自己紹介するものの、水連は表情一つ変えず、手を止めてこちらを見る。

「お客様のお名前は存じております。名乗る必要はございません」
「あの、そういうことではなくて……」

 初対面だから警戒されているのだろうか?
 女同士、年が近ければすぐに打ち解けられると思ったのだが、

「貴女が虎太郎兄さんと大変仲が良いと伺ったものですから」
「誰にですか?」
「えっと、女将さんに」

 迷惑そうにため息を吐く水連に、思わず怯みかけた胡蝶だったが、

「それが何か?」
「ですから、妹として、私も貴女と仲良くなりたいなと思いまして……」

 とりあえず言いたいことは言えた。
 こわごわ相手の反応を待つと、

「私はそうは思いません」

 水連は頑なな態度を崩さず、どこか冷たい目で胡蝶を見ていた。

「私は虎太郎さんと話がしたいのであって、その妹さんと話がしたいわけではありませんから」
「それは、私たちがまだお互いのことをよく知らないから……」
「なぜ知る必要があるのですか? しょせんは赤の他人でしょう?」

 突き放したような水連の言い方に、不思議と怒りは湧かなかった。
 ただ、彼女の雰囲気が誰かに似ている気がして、息を飲む。

 ――この人、出会った頃の一眞さんに似ているんだわ。

 一見して真面目で、冷たくて、どことなく近寄りがたい。でもそれは、混ざり者であるがゆえに、他人に畏怖され、蔑まれてきたせいだと胡蝶は考える。他人にも自分にも厳しくて、今でこそ胡蝶には優しくしてくれる一眞だが、彼の全てを知っているわけではない。今だって、彼がどこにいるのか、何を考えて行動しているのか、分からないのだ。

 ――でも、それでも……。

「私が水連さんのことを知りたいと思うのは迷惑かしら?」
「……そうですね、迷惑です」

 無表情で、何を考えているのか分からない水連だったが、今はこれで十分だと胡蝶は肩の力を抜いた。
 手早く食事の支度を済ませると、

「では、ごゆるりとお寛ぎください」

 水連は深く頭を下げて、美しい所作で部屋を出ていく。
 翌朝、


「一体どういうつもりだよ、胡蝶」

 朝食を運んできた虎太郎に、怖い顔で詰め寄られた。
 鏡の前で髪の毛を梳きながら、「何よ」と胡蝶もにらみ返す。

「水連の仕事の邪魔しやがって、彼女はお前みたいに暇じゃねぇんだぞ」
「兄さん、私が暇を持て余しているからこの旅館に遊びに来たと、本気で思っているの?」
「忙しい人間が他人の詮索なんかするかよ」
「水連さんは他人じゃないわ。私のお義姉さんになるかもしれない人よ」

 きっぱりと言い返せば、虎太郎は照れくさそうに頭を掻く。

「胡蝶、頼むからもう家に帰れよ。お前がいると、水連が傷つく」
「……どうして?」

「嫌なことを思い出すんだそうだ。水連はあの通り、美人だろ? けど口下手で、周りとうまくやれねぇんだと。前の職場じゃ、同僚からの嫌がらせがひどくて、それでやめざるをえなかったそうだ。ナンパしてきた客ともめたとかでなぁ……」

 言葉を切って、虎太郎はため息をつく。

「お前は経験したことないだろうけど、接客業は大変なんだぞ、胡蝶。こっちに悪気がなくたって、相手の受け取り方しだいだからな。察しが悪くて不器用な人間からすれば、地獄だろうよ。けど水連は、生きるために必死に頑張ってんだ」

「言っときますけどねぇ、兄さん。私だって、花ノ宮家ではたくさんの大人たちに囲まれて育ったのよ。北小路家では悪妻扱いされて、それはひどい目に遭ったわ。私にだって、水連さんの気持ちは理解できるわよ」

「そういやそうだったな」

 珍しく神妙な顔をする兄に、

「だからもう少しだけ、ここにいてもいいでしょ?」

 頼み込むと、彼は渋い顔をして、けれど最後は折れてくれた。

「分かった。その代わり、水連をいじめたら許さないからな」


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