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本編
筑前煮とがめ煮の違い
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胡蝶はその日、大量の煮しめを作っていた。というのも、亡くなったお佳代の母親――祖母の夢を見たせいだ。お佳代と同じく料理上手で、当時はほとんど寝たきりだったけれど、体調の良い日は決まって台所へ行き、楽しそうに料理をしていた。
祖母は煮しめのことをがめ煮と呼び、それをよく母に作らせていた。煮しめをうまく作れない女は嫁にはいけないと、脅されたこともあるらしい。祖母にとっては子どもの頃から慣れ親しんだ郷土料理で、母も子どもの頃からよく食べさせられたという。具材にはレンコンやゴボウといった噛みごたえのある野菜が入っているので、早食いを防いで満腹感が得られる上、しっかり噛むことで唾液がたくさん出て、消化にもいいのだと、祖母が笑顔で話してくれたのを思い出す。
祖母の作る煮しめには必ずといっていいほど鳥の骨付き肉が入っていた。ただ、あまり市場では見かけない、変わった食材――子どもの歯では噛み切れない上に飲み込めない――食材が入っていることも度々あって、胡蝶は少し苦手だった。けれどしばらくしてから、無性に祖母の作るがめ煮が食べたくなって、何度か挑戦したことがあるのだが、なぜかいつも黒っぽく、どろっとしたものになってしまう。
「具材を全部、同じ鍋で煮るからですよ」
アクの強い野菜と同じ鍋で煮ると他の食材まで黒っぽくなってしまうと、お佳代に注意されてからは、それぞれ別の鍋で煮ることにした。
「そういえば、おばあちゃんの作る煮しめ、少し変わってた。味が良くなるからって、いつもいれてた食材があったでしょ? あれ、母さん覚えてる?」
するとお佳代は変な顔をして、
「私はあれが嫌いでした。当時は戦時中で食べ物が少なかったから、残った食材はなんでもがめ煮の具材にしてたんですよ。お嬢様も美味しくないと言って、残されていたじゃありませんか」
そういえばそうだった。
懐かしい祖母の煮しめを再現するつもりだったが、昔の人と今の人とでは味の好みが違うし、昔美味しかったものが今も美味しいとは限らないと指摘されて、思わず悩んでしまう。
「それに母は、具材を前もって油で炒めたりしませんでしたよ」
「そうなの? でも炒めてから作ったほうがコクが出るって言わない?」
お佳代は笑って頷くと、
「お嬢様は、お嬢様らしい煮しめをお作りになればよろしいんですよ」
そう言われて迷いが消えた。
祖母の味を思い出しながら、自分なりにアレンジしてみる。
例えばぶつ切り骨付き肉を手羽先に変えてみたり、里芋ではなく煮物用じゃがいもを入れてみたりと、自分の好きな野菜をどんどん投入していく。
出来上がったものをお佳代に味見してもらうと、
「今風で悪くないです」
「味は? 美味しくない?」
「美味しいですよ。でもやっぱり里芋を使ったほうが……」
「わかった、すぐに作り直すわ」
「手羽先も悪くないですけど、普通に鶏もも肉でよろしいんじゃありません?」
「でもそれじゃあ、がめ煮にならないわ」
お佳代に助言してもらい、あーでもないこーでもないと言いながら、何度か作り直して、ようやく納得のいく煮しめが完成した。
「あとは一晩寝かせて味を染み込ませるわ」
「それ、本当に龍堂院家にお持ちになるんですか?」
「そのつもりだけど……やめたほうがいいかしら」
この期に及んで尻込みする胡蝶を「大丈夫ですよ」とお佳代は優しく励ます。
「お嬢様の人となりが分かる一品ですもの。きっと気に入ってもらえますわ」
一眞の両親との顔合わせを翌日に控え、胡蝶は緊張していた。明日の昼頃、迎えに来た一眞とともに龍堂院邸へ行き、軽くお茶をする予定なのだが、何か手土産でも持参したほうがいいとお佳代に助言されて、煮しめを作った次第だ。
「やっぱりお菓子にしたほうがよかったかも」
「それだと、単に趣味だと思われてしまいますわ」
「……そうよね」
貴族の娘が料理をするなんて、と眉をひそめられないだろうか。
息子の嫁にふさわしくないと。
――それでも構わないわ。これが私だもの。
胡蝶は開き直ると、試作用に作った大量の煮しめを大皿に盛る。
「悪くなる前に全部食べきれるかしら」
「もうすぐ辰が来ますから、あの子に片付けさせましょう」
「さすがの辰兄さんでもこの量は無理よ」
「コタがいたら良かったんですけどねぇ」
「ああ、虎太郎兄さん」
懐かしい乳兄弟――次男坊の名を聞いて、胡蝶は目を細めた。正義感の強い辰之助とは対照的に臆病で面倒臭がりな性格だったが、要領がよく、兄弟の中で一番勉強ができた。
「村の大食い大会で何度優勝したことか」
「その割にちっとも太らないから、羨ましかったわ。虎太郎兄さんは今どうしてるの?」
「とっくの昔に家を出て行きましたよ。田舎の生活には飽き飽きしたと言ってねぇ。まともな職にもつかないで、ふらふらしていますよ」
「でも頭のいい兄さんのことだから、きっとうまくやっているわよ」
「だといいんですが」
祖母は煮しめのことをがめ煮と呼び、それをよく母に作らせていた。煮しめをうまく作れない女は嫁にはいけないと、脅されたこともあるらしい。祖母にとっては子どもの頃から慣れ親しんだ郷土料理で、母も子どもの頃からよく食べさせられたという。具材にはレンコンやゴボウといった噛みごたえのある野菜が入っているので、早食いを防いで満腹感が得られる上、しっかり噛むことで唾液がたくさん出て、消化にもいいのだと、祖母が笑顔で話してくれたのを思い出す。
祖母の作る煮しめには必ずといっていいほど鳥の骨付き肉が入っていた。ただ、あまり市場では見かけない、変わった食材――子どもの歯では噛み切れない上に飲み込めない――食材が入っていることも度々あって、胡蝶は少し苦手だった。けれどしばらくしてから、無性に祖母の作るがめ煮が食べたくなって、何度か挑戦したことがあるのだが、なぜかいつも黒っぽく、どろっとしたものになってしまう。
「具材を全部、同じ鍋で煮るからですよ」
アクの強い野菜と同じ鍋で煮ると他の食材まで黒っぽくなってしまうと、お佳代に注意されてからは、それぞれ別の鍋で煮ることにした。
「そういえば、おばあちゃんの作る煮しめ、少し変わってた。味が良くなるからって、いつもいれてた食材があったでしょ? あれ、母さん覚えてる?」
するとお佳代は変な顔をして、
「私はあれが嫌いでした。当時は戦時中で食べ物が少なかったから、残った食材はなんでもがめ煮の具材にしてたんですよ。お嬢様も美味しくないと言って、残されていたじゃありませんか」
そういえばそうだった。
懐かしい祖母の煮しめを再現するつもりだったが、昔の人と今の人とでは味の好みが違うし、昔美味しかったものが今も美味しいとは限らないと指摘されて、思わず悩んでしまう。
「それに母は、具材を前もって油で炒めたりしませんでしたよ」
「そうなの? でも炒めてから作ったほうがコクが出るって言わない?」
お佳代は笑って頷くと、
「お嬢様は、お嬢様らしい煮しめをお作りになればよろしいんですよ」
そう言われて迷いが消えた。
祖母の味を思い出しながら、自分なりにアレンジしてみる。
例えばぶつ切り骨付き肉を手羽先に変えてみたり、里芋ではなく煮物用じゃがいもを入れてみたりと、自分の好きな野菜をどんどん投入していく。
出来上がったものをお佳代に味見してもらうと、
「今風で悪くないです」
「味は? 美味しくない?」
「美味しいですよ。でもやっぱり里芋を使ったほうが……」
「わかった、すぐに作り直すわ」
「手羽先も悪くないですけど、普通に鶏もも肉でよろしいんじゃありません?」
「でもそれじゃあ、がめ煮にならないわ」
お佳代に助言してもらい、あーでもないこーでもないと言いながら、何度か作り直して、ようやく納得のいく煮しめが完成した。
「あとは一晩寝かせて味を染み込ませるわ」
「それ、本当に龍堂院家にお持ちになるんですか?」
「そのつもりだけど……やめたほうがいいかしら」
この期に及んで尻込みする胡蝶を「大丈夫ですよ」とお佳代は優しく励ます。
「お嬢様の人となりが分かる一品ですもの。きっと気に入ってもらえますわ」
一眞の両親との顔合わせを翌日に控え、胡蝶は緊張していた。明日の昼頃、迎えに来た一眞とともに龍堂院邸へ行き、軽くお茶をする予定なのだが、何か手土産でも持参したほうがいいとお佳代に助言されて、煮しめを作った次第だ。
「やっぱりお菓子にしたほうがよかったかも」
「それだと、単に趣味だと思われてしまいますわ」
「……そうよね」
貴族の娘が料理をするなんて、と眉をひそめられないだろうか。
息子の嫁にふさわしくないと。
――それでも構わないわ。これが私だもの。
胡蝶は開き直ると、試作用に作った大量の煮しめを大皿に盛る。
「悪くなる前に全部食べきれるかしら」
「もうすぐ辰が来ますから、あの子に片付けさせましょう」
「さすがの辰兄さんでもこの量は無理よ」
「コタがいたら良かったんですけどねぇ」
「ああ、虎太郎兄さん」
懐かしい乳兄弟――次男坊の名を聞いて、胡蝶は目を細めた。正義感の強い辰之助とは対照的に臆病で面倒臭がりな性格だったが、要領がよく、兄弟の中で一番勉強ができた。
「村の大食い大会で何度優勝したことか」
「その割にちっとも太らないから、羨ましかったわ。虎太郎兄さんは今どうしてるの?」
「とっくの昔に家を出て行きましたよ。田舎の生活には飽き飽きしたと言ってねぇ。まともな職にもつかないで、ふらふらしていますよ」
「でも頭のいい兄さんのことだから、きっとうまくやっているわよ」
「だといいんですが」
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