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本編
自覚なしの両片想い
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「……という次第でして」
翌日、柳原家を訪れた一眞に事情を説明されて、胡蝶は恐縮したように頭を下げた。皇子の教育係を務めるくらいだから、それなりに身分の高い方だろうと予想はしていたものの、まさか公爵家の跡取りだとは思わず、
「数々のご無礼、お許し下さい」
平身低頭して許しを乞うと、「やめてください」と一眞は慌てたように言った。
「胡蝶様、どうか頭をお上げください」
「……私ったら、公爵様の御子息をコンだなんて……」
思い出すだけでも顔から火が出そうだ。
「その件は忘れてください。正体を隠していた私にも非がありますし」
「ですが、一眞様は本当によろしいのですか?」
「はい、既に婚約は解消していますし。ただ、両親には申し訳ないことをしたと反省しています」
「ご両親は、私との婚約のことはご存知ですの?」
「ええ、伝えてあります」
「……嘘の婚約であることも?」
「それはさすがに……敵を騙すにはまず味方からだと、殿下にも強く言われていますから」
申し訳なさのあまり身のすくむ思いがした。
「さぞかし、ご両親はがっかりされたでしょうね。私のような女が相手だと知って」
「そのようにご自分を過小評価なさらないでください。もちろん、諸手を挙げて喜んでいましたよ」
胡蝶にとっては嬉しい驚きだったが、だからこそ余計に後ろめたいのだと一眞は肩を落とす。
「早く貴女に会わせろ、家に連れて来いとせっつかれて困りました。花ノ宮卿からお許しを頂けるまで待って欲しいと言って、時間稼ぎをしているところです」
「お父様にはどのように説明なさったの?」
「殿下が皇后陛下を通して、話を付けてくれたようです。嵯峨野家よりはマシ、とのお返事を賜りました。まもなく貴女様のところへも知らせが来るかと」
既に根回しは済んでいるようで、感心してしまう。
「両家の親から早く式の日取りを決めろと催促されるかもしれませんが、胡蝶様は離婚されたばかりですし、それを口実にできる限り先延ばしにしていきましょう」
あくまで形だけの婚約だと分かってはいるものの、紫苑が無理強いしたのではないかと心配してしまい、「本当によろしいのですか?」とつい念押ししてしまう。
「私のせいで、一眞様の貴重なお時間を無駄にしてしまって……」
「そう重く捉えないでください」
「……ですが」
「私にとっても渡りに船ですから。どうにも、まだ結婚する気にはなれなくて」
それを聞いて安心するどころか、なぜか落ち込んでしまう。
「結婚したくない理由をうかがっても?」
「蛙の子は蛙。混ざり者の子は混ざり者……」
つぶやくように言って、一眞は笑った。
「私には生まれつき、片目がありません。私自身、不自由に感じたことはありませんが、周りからは気味悪がられて、幼少期は苦労しました。ただでさえ、混ざり者というだけで差別されますから。父が言うには、私は先祖返りなんだそうです。片目がないのはそのせいだろうと……」
途中で言葉を切って、一眞はため息をついた。
「異能の才に溺れることなく誰よりも努力しろと、父にはよく言われたものです。混ざり者として生まれたからこそ、人の何十倍もの努力をしなければ他者には認めてもらえないと。私は父の言いつけを守り、感情を殺して、必死に努力して今の地位を築きました。ですが、自分の子には同じ苦労をして欲しくありません」
胡蝶は知らず知らずのうちに一眞の話に引き込まれ、共感を覚えていた。
――もしも私に娘ができたら、私と同じ道を歩ませることを良しとするかしら?
可愛い娘を、北小路清春や嵯峨野勘助のような男性の元へ嫁がせる?
考えただけでも吐き気がしてきた。
――私も同じだわ、娘には自分と同じような苦労はして欲しくない。
「……結婚しても、子どもを作らないという選択肢もあるわ」
心の中で言ったつもりが、声に出してしまったらしい。
はっとしたように自分を見る一眞に、胡蝶は慌てて言った。
「独り言ですから、どうかお気になさらず」
「そう、ですか」
彼は困惑したように言い、立ち上がる。
「長居をして申し訳ありません。これで失礼します」
「あら、よろしければお夕飯をご一緒に……」
「結構です」
迷うことなく玄関へ足を向ける一眞の腕を、咄嗟に掴んで引き止めてしまう。
「待ってくださいっ」
このまま別れるのが嫌で、反射的に彼を引き止めてしまった。
驚いた顔をする一眞を見上げながら、必死に次の言葉を考える。
「一眞様、一眞様は料理をする貴族の女をどのように思われますか?」
「?? 自立心があって、良いことかと」
その返答にほっとしつつ、畳み掛けるように続ける。
「でしたら、私の手料理、食べて頂けますね?」
「それは殿下に申し訳が……」
「言い訳はやめてください。食べて頂けなければ、一眞様の言葉を疑ってしまうわ」
自分でも意地の悪い言い方だと思ったが、それだけ胡蝶も必死だった。
そんな胡蝶を困ったように見、一眞は観念したように上を向く。
「……わかりました、ご馳走になります」
翌日、柳原家を訪れた一眞に事情を説明されて、胡蝶は恐縮したように頭を下げた。皇子の教育係を務めるくらいだから、それなりに身分の高い方だろうと予想はしていたものの、まさか公爵家の跡取りだとは思わず、
「数々のご無礼、お許し下さい」
平身低頭して許しを乞うと、「やめてください」と一眞は慌てたように言った。
「胡蝶様、どうか頭をお上げください」
「……私ったら、公爵様の御子息をコンだなんて……」
思い出すだけでも顔から火が出そうだ。
「その件は忘れてください。正体を隠していた私にも非がありますし」
「ですが、一眞様は本当によろしいのですか?」
「はい、既に婚約は解消していますし。ただ、両親には申し訳ないことをしたと反省しています」
「ご両親は、私との婚約のことはご存知ですの?」
「ええ、伝えてあります」
「……嘘の婚約であることも?」
「それはさすがに……敵を騙すにはまず味方からだと、殿下にも強く言われていますから」
申し訳なさのあまり身のすくむ思いがした。
「さぞかし、ご両親はがっかりされたでしょうね。私のような女が相手だと知って」
「そのようにご自分を過小評価なさらないでください。もちろん、諸手を挙げて喜んでいましたよ」
胡蝶にとっては嬉しい驚きだったが、だからこそ余計に後ろめたいのだと一眞は肩を落とす。
「早く貴女に会わせろ、家に連れて来いとせっつかれて困りました。花ノ宮卿からお許しを頂けるまで待って欲しいと言って、時間稼ぎをしているところです」
「お父様にはどのように説明なさったの?」
「殿下が皇后陛下を通して、話を付けてくれたようです。嵯峨野家よりはマシ、とのお返事を賜りました。まもなく貴女様のところへも知らせが来るかと」
既に根回しは済んでいるようで、感心してしまう。
「両家の親から早く式の日取りを決めろと催促されるかもしれませんが、胡蝶様は離婚されたばかりですし、それを口実にできる限り先延ばしにしていきましょう」
あくまで形だけの婚約だと分かってはいるものの、紫苑が無理強いしたのではないかと心配してしまい、「本当によろしいのですか?」とつい念押ししてしまう。
「私のせいで、一眞様の貴重なお時間を無駄にしてしまって……」
「そう重く捉えないでください」
「……ですが」
「私にとっても渡りに船ですから。どうにも、まだ結婚する気にはなれなくて」
それを聞いて安心するどころか、なぜか落ち込んでしまう。
「結婚したくない理由をうかがっても?」
「蛙の子は蛙。混ざり者の子は混ざり者……」
つぶやくように言って、一眞は笑った。
「私には生まれつき、片目がありません。私自身、不自由に感じたことはありませんが、周りからは気味悪がられて、幼少期は苦労しました。ただでさえ、混ざり者というだけで差別されますから。父が言うには、私は先祖返りなんだそうです。片目がないのはそのせいだろうと……」
途中で言葉を切って、一眞はため息をついた。
「異能の才に溺れることなく誰よりも努力しろと、父にはよく言われたものです。混ざり者として生まれたからこそ、人の何十倍もの努力をしなければ他者には認めてもらえないと。私は父の言いつけを守り、感情を殺して、必死に努力して今の地位を築きました。ですが、自分の子には同じ苦労をして欲しくありません」
胡蝶は知らず知らずのうちに一眞の話に引き込まれ、共感を覚えていた。
――もしも私に娘ができたら、私と同じ道を歩ませることを良しとするかしら?
可愛い娘を、北小路清春や嵯峨野勘助のような男性の元へ嫁がせる?
考えただけでも吐き気がしてきた。
――私も同じだわ、娘には自分と同じような苦労はして欲しくない。
「……結婚しても、子どもを作らないという選択肢もあるわ」
心の中で言ったつもりが、声に出してしまったらしい。
はっとしたように自分を見る一眞に、胡蝶は慌てて言った。
「独り言ですから、どうかお気になさらず」
「そう、ですか」
彼は困惑したように言い、立ち上がる。
「長居をして申し訳ありません。これで失礼します」
「あら、よろしければお夕飯をご一緒に……」
「結構です」
迷うことなく玄関へ足を向ける一眞の腕を、咄嗟に掴んで引き止めてしまう。
「待ってくださいっ」
このまま別れるのが嫌で、反射的に彼を引き止めてしまった。
驚いた顔をする一眞を見上げながら、必死に次の言葉を考える。
「一眞様、一眞様は料理をする貴族の女をどのように思われますか?」
「?? 自立心があって、良いことかと」
その返答にほっとしつつ、畳み掛けるように続ける。
「でしたら、私の手料理、食べて頂けますね?」
「それは殿下に申し訳が……」
「言い訳はやめてください。食べて頂けなければ、一眞様の言葉を疑ってしまうわ」
自分でも意地の悪い言い方だと思ったが、それだけ胡蝶も必死だった。
そんな胡蝶を困ったように見、一眞は観念したように上を向く。
「……わかりました、ご馳走になります」
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