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本編
肉じゃがとコロッケ
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「清春様が亡くなられた? それは本当なの?」
「ああ。遺書はないが、病室で自殺していたらしい」
珍しく沈痛な面持ちの辰之助が現れたと思ったら、衝撃的なニュースを知らされて、胡蝶は動揺していた。愛の無い結婚とはいえ、清春とは一年間、夫婦として過ごしたのだ。浪費癖がひどくて女性にだらしない人ではあったけれど、悪人ではなかった。
「まさか、私のせいで?」
――せっかく会いに来てくれたのに、迷惑だと言ったから?
「それはないと思うぞ、胡蝶」
「ええ、そうですよ。あたくしが思うに、これは自殺に見せかけた殺人で、犯人は愛人に違いありません」
「……お袋、話をややこしくするのはやめてくれ」
「だってお前、自殺だったら遺書があるはずだろ」
「まあ、不審な点はいくつかあるが……って、俺らが首を突っ込むことじゃねぇべさ」
「そうだねぇ、子爵様も人知れず悩みを抱えていらしたのかもしれないしねぇ」
確かに表向き夫婦ではあったけれど、清春は心の内を、一度でも自分に明かしてくれたことはなかった。同じ家に住んでいても、ほとんど顔を合わせなかったし、会話らしい会話もなかった。
――夫婦とは名ばかりの赤の他人。
そんな自分が、元夫の死を悲しむことすら、おこがましいのかもしれない。
けれどせめて葬儀には出席したいと思ったのだが、
「いけません、お嬢様。侯爵様がお許しになりませんわ」
「……そうよね」
それに北小路家の親族や使用人たちにも、よく思われていなかったし。出席したところで、迷惑に思われるかもしれないと、胡蝶はため息をついた。そもそも着ていく喪服がない。
「それより胡蝶、今夜は何を作るんだ?」
暗い空気を払拭しようとしてか、辰之助が殊さら明るい声を出す。
「ええっと、そうね、兄さんは何が食べたい?」
「前のカツレツもうまかったけど、やっぱがっつり豚カツが食いてぇなぁ」
「うちにはそんな分厚い肉を買う余裕なんてないよ。じゃがいもなら沢山あるけど」
「だったら肉じゃがとコロッケを作るわね」
いつものように台所へ行って料理を始めるが、どうしても清春のことが頭から離れない。彼がもうこの世にいないなんて、信じられなかった。
――清春様の身に、何が起こったの?
料理をしている間だけは、辛い現実を忘れて、ひたすら目の前の作業に夢中になれるのに、この時ばかりは気もそぞろで、案の定、考え事をしながら料理をしていたせいで指を切ってしまった。慌てて傷口を洗い、血止めをする。大した怪我ではなくほっとしたものの、「どうかされましたか、胡蝶様」と開けっ放しの勝手口からにゅっと人の顔が現れて、息が止まりそうになった。
「貴方は……」
そこにいたのは紫苑の教育係兼護衛の一眞だった。
「どうしてここに?」
「驚かせてしまって申し訳ありません。姿を見せるつもりはなかったのですが、つい」
言いながら、胡蝶の指先を見ている。
「この程度の傷、すぐに治ります。それより紫苑に何かあったのですか?」
「いいえ、何も」
「でしたら、私に何か御用でも?」
「北小路子爵の件で、貴女様が気落ちしていないか見てこいと、殿下に申し付けられまして」
まあ、と紫苑に呆れると同時に、一眞に対して申し訳なさがこみ上げてくる。
「ご心配おかけして、申し訳ありません」
「それだけ、殿下は胡蝶様のことを好いておられるのです」
「慕ってくれるのは嬉しいですが、そろそろ姉離れしてもらわないと……」
真面目に答えると、一眞はなぜか気の毒そうな顔をした。
「それより、清春様は本当に自殺されたのですか?」
「……そのようですね」
実際に現場を見ていないので実感が湧かず、思わず座り込んでしまう。
「大丈夫ですか?」
「わかりません……ただ……」
最後に会った日、彼はもの言いたげな顔をして自分を見ていた。
口の端にご飯粒を付けて、子どものような無防備な表情で。
「今でも、信じられなくて……自殺するような方ではないのに」
「では殺されたと思われるのですか?」
確かに、そう考えたほうがしっくりくる。
あちこちで恨みを買っていそうだから。特に女性に。
「北小路子爵のことはもうお忘れください。彼が何かの事件に巻き込まれたとお考えなら、なおのこと。下手に関われば、胡蝶様の身が危ない……と、殿下ならおっしゃるでしょう」
一眞の言葉にも一理あると、胡蝶はうなずく。
「まあ、私ったら、お客様にお茶も出さないで……」
「お気遣いなく、自分はこれで失礼します」
彼は頭を下げると、そそくさと行ってしまった。
少しくらいゆっくりしていけばいいのにと思いながら、胡蝶は立ち上がり、料理を再開する。一眞と話をしたおかげか、先程より心が軽くなっているのに気づいて、胡蝶は知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「ああ。遺書はないが、病室で自殺していたらしい」
珍しく沈痛な面持ちの辰之助が現れたと思ったら、衝撃的なニュースを知らされて、胡蝶は動揺していた。愛の無い結婚とはいえ、清春とは一年間、夫婦として過ごしたのだ。浪費癖がひどくて女性にだらしない人ではあったけれど、悪人ではなかった。
「まさか、私のせいで?」
――せっかく会いに来てくれたのに、迷惑だと言ったから?
「それはないと思うぞ、胡蝶」
「ええ、そうですよ。あたくしが思うに、これは自殺に見せかけた殺人で、犯人は愛人に違いありません」
「……お袋、話をややこしくするのはやめてくれ」
「だってお前、自殺だったら遺書があるはずだろ」
「まあ、不審な点はいくつかあるが……って、俺らが首を突っ込むことじゃねぇべさ」
「そうだねぇ、子爵様も人知れず悩みを抱えていらしたのかもしれないしねぇ」
確かに表向き夫婦ではあったけれど、清春は心の内を、一度でも自分に明かしてくれたことはなかった。同じ家に住んでいても、ほとんど顔を合わせなかったし、会話らしい会話もなかった。
――夫婦とは名ばかりの赤の他人。
そんな自分が、元夫の死を悲しむことすら、おこがましいのかもしれない。
けれどせめて葬儀には出席したいと思ったのだが、
「いけません、お嬢様。侯爵様がお許しになりませんわ」
「……そうよね」
それに北小路家の親族や使用人たちにも、よく思われていなかったし。出席したところで、迷惑に思われるかもしれないと、胡蝶はため息をついた。そもそも着ていく喪服がない。
「それより胡蝶、今夜は何を作るんだ?」
暗い空気を払拭しようとしてか、辰之助が殊さら明るい声を出す。
「ええっと、そうね、兄さんは何が食べたい?」
「前のカツレツもうまかったけど、やっぱがっつり豚カツが食いてぇなぁ」
「うちにはそんな分厚い肉を買う余裕なんてないよ。じゃがいもなら沢山あるけど」
「だったら肉じゃがとコロッケを作るわね」
いつものように台所へ行って料理を始めるが、どうしても清春のことが頭から離れない。彼がもうこの世にいないなんて、信じられなかった。
――清春様の身に、何が起こったの?
料理をしている間だけは、辛い現実を忘れて、ひたすら目の前の作業に夢中になれるのに、この時ばかりは気もそぞろで、案の定、考え事をしながら料理をしていたせいで指を切ってしまった。慌てて傷口を洗い、血止めをする。大した怪我ではなくほっとしたものの、「どうかされましたか、胡蝶様」と開けっ放しの勝手口からにゅっと人の顔が現れて、息が止まりそうになった。
「貴方は……」
そこにいたのは紫苑の教育係兼護衛の一眞だった。
「どうしてここに?」
「驚かせてしまって申し訳ありません。姿を見せるつもりはなかったのですが、つい」
言いながら、胡蝶の指先を見ている。
「この程度の傷、すぐに治ります。それより紫苑に何かあったのですか?」
「いいえ、何も」
「でしたら、私に何か御用でも?」
「北小路子爵の件で、貴女様が気落ちしていないか見てこいと、殿下に申し付けられまして」
まあ、と紫苑に呆れると同時に、一眞に対して申し訳なさがこみ上げてくる。
「ご心配おかけして、申し訳ありません」
「それだけ、殿下は胡蝶様のことを好いておられるのです」
「慕ってくれるのは嬉しいですが、そろそろ姉離れしてもらわないと……」
真面目に答えると、一眞はなぜか気の毒そうな顔をした。
「それより、清春様は本当に自殺されたのですか?」
「……そのようですね」
実際に現場を見ていないので実感が湧かず、思わず座り込んでしまう。
「大丈夫ですか?」
「わかりません……ただ……」
最後に会った日、彼はもの言いたげな顔をして自分を見ていた。
口の端にご飯粒を付けて、子どものような無防備な表情で。
「今でも、信じられなくて……自殺するような方ではないのに」
「では殺されたと思われるのですか?」
確かに、そう考えたほうがしっくりくる。
あちこちで恨みを買っていそうだから。特に女性に。
「北小路子爵のことはもうお忘れください。彼が何かの事件に巻き込まれたとお考えなら、なおのこと。下手に関われば、胡蝶様の身が危ない……と、殿下ならおっしゃるでしょう」
一眞の言葉にも一理あると、胡蝶はうなずく。
「まあ、私ったら、お客様にお茶も出さないで……」
「お気遣いなく、自分はこれで失礼します」
彼は頭を下げると、そそくさと行ってしまった。
少しくらいゆっくりしていけばいいのにと思いながら、胡蝶は立ち上がり、料理を再開する。一眞と話をしたおかげか、先程より心が軽くなっているのに気づいて、胡蝶は知らず知らずのうちに微笑んでいた。
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