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本編

悪妻麗子

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「なぜ胡蝶は見舞いに来ない? 俺の手紙は間違いなく侯爵に届いているはずだが……」

「侯爵様からのお返事でしたら、こちらに」



 初老の家令から渡された手紙を読んで、清春は唇を噛み締める。



「胡蝶との再婚は許さない、金輪際、娘には近づくな……だと?」

「離婚したばかりで日も浅いですし……」

 

 ただでさえ怪我で身動きがとれず、苛々しているというのに。

 家令の慰めの言葉ですら余計に気に障る。



「……麗子れいこ夫人のほうはどうだ?」

「侯爵夫人でしたら、本日、見舞いにお越しくださるそうですよ」



 それを聞いて、僅かに希望の光が見えた。



 侯爵家の正妻、麗子は、妾の子である胡蝶を心底嫌っている。それは、自分が生んだ娘より、胡蝶のほうが美しく聡明だからだ。彼女ならば侯爵よりも懐柔しやすい。胡蝶を奴隷のようにこき使うためだと言えば、再婚を許してくれるかもしれない。



 しかし、お昼過ぎになって現れた麗子は、いつもと様子が違っていた。きらびやかな装飾品と、派手な色合いの着物を好む彼女が、地味な身なりをして、どこか怯えたように辺りを見回しつつ、病室に入ってくる。当然、家令は既に下がらせているので、室内は二人きりだ。



「具合はいかが? 清春さん。悪いけど、長居はできないの」

「もしかして侯爵に内緒で来られたのですか?」

「ええ、そうよ」

「……まさか、私たちが故意に胡蝶をキズモノにしたことが、侯爵にバレて――」



 麗子は「しっ」と口の前に指を立てて清春の言葉を遮ると、再び怯えたように辺りを見回す。



「バレてはいないわ。ただこの件を耳にした皇后陛下が、いたく気分を害されたようで……主人に手紙を送ってきたの。それから主人の機嫌が悪くてね。わたくしも散々、八つ当たりされたのよ。胡蝶の結婚がうまくいかなかったのは、わたくしのせいだと言ってね」



 あながち間違いではないので、清春は黙っていた。



「そういうわけだから、再婚なんてもってのほかよ。あの娘のどこかそんなに気に入ったのかしれないけど、借金が無くなっただけでも感謝しなさい」



 言うだけ言って、さっさとその場から立ち去ろうとする麗子を、清春は慌てて呼び止める。



「胡蝶はこれからどうなるのですか?」

「もちろん時期を見て、出戻り女でも構わないという家に嫁がせるわよ」



 胡蝶がよその男のモノになる……考えただけで腸が煮え返りそうになった。



「胡蝶との再婚を許してくれなければ、侯爵に全てを話します」



 麗子はぴたりと足を止めて、こちらを向いた。

 眦を吊り上げ、鬼のような形相を浮かべて、清春を睨みつける。



「子爵の分際で、侯爵夫人のわたくしを脅迫するつもり?」



 高圧的な態度をとられて、内心ビクビクしていたものの、「ええ、そうです」と言い切る。



「肩代わりして頂いたお金は、いつか必ずお返ししますから」

「……それほどまでにあの娘が欲しいのね」

「はい」



 麗子の目を見て、はっきりと答える。



 出会った時から胡蝶に惹かれていた。だからこそ、自分に心を開かない彼女にイラついて、好きな子をいじめる子どものような振る舞いをしてしまった。けれど事故に遭って、死を覚悟した瞬間、彼女のことが好きだと自覚した。生きて、もっと彼女と一緒にいたい、彼女の笑顔が見たいと思ってしまった。



 ――次は間違えない。絶対に幸せにしてみせる。



「胡蝶を愛しています」



 麗子はやれやれと言ったように近づいて来ると、「わかったわ」と優しい声を出した。「貴方に手を貸しましょう」と。手のひらを返したような態度に、清春は何の疑いも持たず、



 ――しょせんは女だな。



 内心でほくそ笑む。



「その代わり、主人には内緒よ」

「ええ、もちろんです」

「そういえば喉が渇いたわね」

「看護師を呼んでお茶を淹れてもらいましょうか?」

「いいえ、さすがにそれは悪いから、自分で用意するわ」



 そう言って部屋を出て行ったかと思うと、高級酒が入ったボトルを手に、戻ってきた。



「気が早いけれど、二人で乾杯しましょう。計画が上手くいくように願って」



 清春は何の疑いも持たず、ワインの入ったグラスを受け取る。

 酒を口にするのは久しぶりで、つい何杯も飲んでしまった。



 ――なんだか眠くなってきたな。 



「清春さんったら、うつらうつらなさって、子どもみたいよ」

「……申し訳ありません。少し、眠ります」

「ええ、わたくしのことはお気になさらさず、どうぞお休みになって」



 ……

 ……





 結局その日、清春が目を覚ますことはなかった。

 なぜなら彼の首には細い紐が幾重にも巻きついており、それによって命を落としていたからだ。



 駆けつけた警官は自殺と断定し、その件は闇に葬られることとなった。



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