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皇帝陛下は逃さない 8
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「……………………」
なぜか無言な二人。
片方は本に眼を落とし、片方は書類片手に執務中。
先日まで、べったりだった二人に不可思議な距離が空いていた。
訝る護衛や側近等。
……まさか、ここにきて何か不具合が?
……やめてくれ、また陛下が御乱心したら目も当てられないぞ?
……あの狼はどこだ? 今のうちに隔離しておくか、どこかに逃がしてしまおうっ!!
目は口ほどに物を言う。
アイコンタクトを越えた意思疎通を果たし、交代した護衛が、慌てて部屋から飛び出していった。
それと同時に運び込まれる昼食。食欲をそそる匂いに顔を上げ、オルフェウスがアンドリューに声をかける。
「陛下、そろそろお昼にございます。小休止いたしませんか?」
「ああ、そんな時間か」
並べられていく食事を見て、皇帝もテーブルへと向かった。そして、それぞれ席に着き、各々の手で食事をする。
それを呆然と眺めて言葉を失う周りの人々。
……何が起きて? あの陛下が、婚約者様を放しているとは。
……分からない。昨夜から、この有り様だ。
……飽きられたのか?
……有り得ないだろうっ? また狼を溺愛されたりしたら、堪らないぞっ?!
……せっかく人間に懸想なさってくださったのに。
ジェスチャーまで交えて、あわあわする側仕え達。
そんな彼等の視界の中で、二人は当たり障りない会話をしながら食事を続けていた。
「不自由はないか?」
「はい。……寝室の鎖がなくば、もっと楽なのですが」
「……………善処する」
自分の目が届かない時は、どうしてもオルフェウスを繋いでしまうアンドリュー。寝る前に繋ぎ、起きたら外す。それが毎日繰り返されていた。
二人にしか分からない会話に、耳ダンボで聞いている周囲の人々は首を傾げる。
「美味いか?」
「ええ。特にこれが……」
「……なら、俺のもやろう」
オルフェウスが微笑んで食べたのは赤い果実。そういえば、狼の頃もこれが好きだったなと思い出したアンドリューは、自分の皿の果実もオルフェウスの皿に移してやろうとした。
差し出されたフォーク。それを相手の皿に置こうとした瞬間、アンドリューは思わず硬直する。
オルフェウスが差し出したフォークに口を寄せて来たからだ。
当たり前のように開いた薄い唇。そこから覗く小さな舌の赤さが、妙に艶めかしい。
ぱくっと食べたオルフェウスは満足そうに微笑んだ。最近、よく笑うようになった婚約者様。アンドリューの眼福である。
「ありがとうぞんじます、陛下。……なら、こちらを。お好きですよね?」
流れるような所作で差し出されるフォーク。それには、アンドリューの好きなエビのカクテルが刺さっていた。
はい、と衒いもなく伸ばされた手に狼狽え、皇帝陛下は眼を白黒させる。
…………うおおおぉぉっ! 俺の好きな物を覚えてっ?! いや、それじゃないっ、それだけど、そこじゃないっ!! 可愛いことをするのは、やめろおぉぉっ!!
滾る男の劣情。こんな些細なことでもおっ勃つほど、今のアンドリューはオルフェウスに餓えていた。
どろりとした欲望が腹の底に渦を巻く。散々暴いてきた獲物の艶かしさに、彼は眼が眩みそうだった。
……違う、違うっ! コイツは何も考えていない! 期待するなっ! まだ、これからだっ!
これが計算された奸計ならアンドリューも楽なのだが、オルフェウスは素でやっている。これまで、羞恥も裸足で逃げ出すような赤裸々な暮らしをさせていた弊害だ。
これを望んで調教してきたはずなのに、手を出せない今は、生殺しでしかない。
くっそ………っ! これは特別なことなんだ。手ずから食べさせるなんて、普通はやらない。やらないんだよっ! ……ぬああぁぁっ! これを当たり前と思ってやられるのはキツいぃぃっ!! お前、誰にでもやるだろうっ?! 大したことじゃないと思ってるだろうっ?! うあああぁぁーっ!!
後の祭り感満載な懊悩煩悶で悶絶する皇帝の姿に、何が起きたのか分からず、小首を傾げるオルフェウスである。
「……陛下が可怪しくはないですか?」
昼食後、アンドリューが小用に立った隙に、オルフェウスは執務室の護衛に尋ねた。
……陛下が可怪しいのは今に始まったことではないのですが。
と、思いはしても口の端にのぼらせず、護衛は儀礼の範囲で答える。
「どうでしょうか。私は婚約者様と仲睦まじい陛下しか存じません。今は少し忙しいだけと思われます」
……お願いします、陛下を誑し込んで離さないでください。あの方は、油断すると狼に走っていくのです。それだけでなく、破廉恥極まりない行為に及ぶのですっ!!
切実な内心を上手に隠し、にっこり微笑む護衛。それを見上げて、オルフェウスは小さな嘆息をもらした。
……仲睦まじいか。前と比べたら、たしかに悪い待遇ではない。無体も働かないし、何くれと気をかけてもらっている。……あれかな? 手に入れたから、もう興味が失せたとか? 男って、そういうとこがあると聞くし。落とすのを愉しむというか。うん。
妃になると決まったから、もう可愛がってやる必要はないと思わ……… ーーーーっ?!
そこまで考えて、オルフェウスは思わず口に手を当てた。己の破廉恥な想像で、みるみる顔が朱に染る。
……何を考えてっ! まるで、閨を望んでいるような……っ! やだやだっ! あさましいっ!!
しかし身体は正直だ。そう思い立っただけで、オルフェウスの中が、ずくりと重く疼いた。じわ……っと広がる熱い何か。
それの求めるものを自覚して、オルフェウスは深い自戒に陥る。
……なんて、はしたない。まるで盛りのついた犬のようではないか。……ああ、狼ではあったな、うん。
そしてオルフェウスの脳裏にアンドリューの言葉が過る。
『……こういうことだ。オルフェウスが男だろうが女だろうが、ましてや狼であっても俺には関係ない。愛せるし、抱けるし、離さない。分かったか?』
父候爵に向かって皇帝の吐き捨てた啖呵。
……愛せる? 犬畜生でも? あの時は……頭が可怪しいんじゃないかと……思ったけど。
実際にアンドリューは狼姿のオルフェウスにも怯まなかった。それを理解して、オルフェウスは劣情と別の新たな疼きを覚える。
甘やかな秘密めいた火照り。心地好いソレが肌の下を這い回り、無意識に零れる熱い吐息。
「狼でも…… 愛せる……か」
何気ないオルフェウスの呟きを拾い、壁際に立っていた護衛達が、ぎょっと目を見張った。
……バレてるっ?! 不味い、陛下が狼を溺愛する変態なことが知られてしまったのかっ?!
それぞれ、明後日な方向に考えを巡らせる中、皇帝陛下が戻って来る。
「……? どうした? 何か雰囲気が……」
戻ってきたアンドリューは、顔面蒼白で立ち竦む護衛らと、頬を朱に染めて憂い顔な婚約者を何度も交互に見て、悋気を爆発させる。
「なんだ、これはっ?! 何があった? なぜ顔が赤いのだ、オルフェウスっ! こいつらが何かしたのかっ?!」
……えええええぇぇーーーっ?!
と、あらぬ冤罪に慌ててふためく護衛騎士達。
こうして、気づいても良さそうな感情に気づかないまま、オルフェウスの毎日は続く。
愛しい婚約者に情を寄せて欲しい。慕われたいと、わちゃわちゃするアンドリューを尻目に、あらゆる妄想や勘違いが、面白いくらい交差する王宮だった。
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