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世界を救った聖女様 〜終幕〜
しおりを挟む「アレを外に出したのは間違いだったか」
「かもしれないが…… 出さないわけにもいくまい」
デザアトが外で撒き散らした真実。
それが背びれ尾びれをつけて市井を混乱に陥れている。
聖女となった王女殿下は地下に幽閉され、長く虐待を受けていたと。未だに辛い思いをされているのではないかと。神殿からの問い合わせを筆頭に、多くの陳情が王宮へもたらされていた。
そこにきて、前に開いたお茶会で絶望した貴族達の不安も深まっていく。
事実、離宮周辺以外に祝福は発動していない。鬱蒼とした森はさらに広がり、デザアトと兄達を無情にも切り離していた。
何をどうしたら良いのか分からないまま時は過ぎ、一年も経った頃。ドールの世界に異変が訪れる。
「結界が消えた……だとっ?!」
驚愕に眼を見張る長兄。もたらされた報せは、最悪を約束するものだった。
過去にも何度かあった事象。この異世界ドールの過酷な環境で、多くの国々が存在していられるのは聖女の恩恵があってこそである。
大陸の殆どが樹海や荒野、砂漠などの荒れ果てた大地。そこに蔓延る魔獣らは容赦なく人間に襲いかかり、人々は生き物として最弱な底辺だった。
それを神は哀れに思ったのか、いつの頃からか結界を張れる聖女が生まれ、小さな安息の地を人間に与える。そこから人の歴史は始まり、それぞれの国が建国されていったのだ。
そして愚かな人間の愚行によって、何度となく理不尽に失われていった聖女もいる。そんな国は、ゆるゆると衰退し、次の聖女が生まれるのが間に合わない場合、滅びた例もあった。
……今のこの国のように。
ぞくりと肌を粟立たせ、王子達はやもたまらずデザアトの離宮へ向かう。
「これはこれはお揃いで。何用でしょうか?」
毎度お馴染みなバルバロッサ。
それを渋面で見据え、兄らは半ば強引に離宮へと押し入った。
「本当にすまなかった、デザアトっ! 何をしてでも償うから、この国を見捨てないでくれっ!」
「もう結界が消えかかっていて崖っぷちらしい。……正直、どうしたら良いのかも分からないんだよ」
平謝りな兄達をきょとんと見つめ、デザアトはバルバロッサを見上げた。
「王太子殿下…… いや、今は国王陛下か。陛下は何を言っているのだ?」
「……デザアト様の慈悲にすがっておられます。なんとかして貴女の祝福を得ようと」
無駄な足掻きなのにな…… とまでは付け加えない腹黒家庭教師。
慈悲……? と小さく呟いて首を傾げ、デザアトは本気で分からない顔をする。
「……言葉としては知っているが、私は慈悲というのがどういう意味か分からない。分からないモノは与えようもない」
辛辣な言葉。それを知ることが出来ない状況に妹を貶めたのは自分達だ。取り返しのつかぬ過ちに、愕然と項垂れる王子達。
……これではまるで呪いのようだ。己の罪を知らしめるための。……我々のせいで、国が滅びるかもしれない。
聖女の祝福が得られない。それだけで国は滅びる。なんと見事な意趣返しか。本人が意識してやっているわけではないから、どうにもならない。
絶望の底で藻掻く国王達。それを見下ろして満足したバルバロッサは、胸の中で温めていた計画を実行した。
「……方法がなくはないですよ? ある意味、賭けになりますが」
にっこり優美に微笑んだ家庭教師をすがるように兄らは見上げた。
その切実な表情を見て、バルバロッサも己の勝利を確信する。
「バルっ! すごい、すごいっ、これが海か? 水が一杯だっ!」
「そうです。海です。もうデザアト様は自由ですから。王宮だの国だのに囚われず、楽しく暮らしましょう」
スチュワードとバルバロッサに連れられ、王宮を出奔したデザアトは、広く美しい世界に夢中だった。
『デザアトを王宮の外で暮らさせるっ?!』
あの日、押しかけてきたガイロック達にしたバルバロッサの提案。それはデザアトを野に放つこと。
この王宮に住む限り、彼女は無意識な敵意を消せない。警戒心剥き出しで、安心出来る離宮のみを守ろうとする。
『不幸中の幸いというか、デザアト様は国や街といった、土地を区切る概念をお持ちでありません。見たまま聞いたままを感じ、祝福を与えておられる様です。離宮を見ればお分かりになるかと』
言われて兄達が困惑げに眼を伏せた。
『なので、その範囲を世界に広げるのです。楽しく胸躍るような経験を積み重ねさせ、この世界を愛するように。そうすれば、いくばくかの恩恵がこの国にも与えられるでしょう』
漠然としたバルバロッサの見解。しかし、それは妙案のようにも思えた。
今現在が物語っている。聖女に愛されない王宮と、愛される離宮を隔てた深い森が。
なので、試すだけでもしてみようと、ガイロックは十分な路銀を約束し、デザアトの出奔を許したのだ。
国中を回って、あらゆる所を愉しむ王女殿下。
毎日楽しい彼女の幸せが祝福となり、無意識に多くの土地を潤していく。結界も復活して、魔獣の侵攻が止まった。
じわじわと広がる祝福の恩恵が目に見え始めて、狂喜乱舞する貴族や国民達。
少しずつ建て直される外の風景を眺め、ガイロックが深々と溜め息をついた。バルバロッサの見解と決断は正しかったと。
実際は、デザアトを王宮に置いておきたくない家庭教師や専属護衛が仕組んだ謀であるが、そんなことは知らない国王陛下。
まんまと彼等の企みにはかられたが、それで事態は好転したのだから、むしろ御の字だろう。
王宮にあっては成し得なかった偉業。あって当たり前と胡座をかいていた所に食らった痛恨の一撃。
「……ここに、アレの幸せはないということか」
「………………………………」
長兄の呟きを耳にして、スフィアとエーデルは何の言葉も口に出来ない。
野に放たれた王女殿下は長く諸国を漫遊し、国中が落ち着いた頃、ある地域の大きな森に離宮を建てた。
それは王宮で住んでいた離宮によく似た建物で、彼女の終の棲家となる。
「バル。これからも、よろしくな」
「もったいないお言葉です、王女殿下」
デザアトの手に口づけ、恭しく跪く家庭教師。
彼は、デザアトの熱烈な求愛により、彼女の伴侶となった。
近くの教会で慎ましやかな式をあげ、スチュワードを証人に書類だけを交わす。
事後報告でそれを知った兄達が、押しかけてきたのも御愛嬌。
「聞いておらぬぞっ! 私の許可もない婚姻は成立せんっ!!」
吠えるガイロックを見据え、しれっと答えるバルバロッサ。
「王女殿下の好きに暮らさせる約束です。これもその内。……まさか、私を選ばれるとは、こちらも青天の霹靂なのですが」
語尾が尻すぼみになっていく家庭教師に、苦笑いなスチュワード。
世界を愛させるという壮大な計画を成功させ、感無量だった彼に、思い切り良くデザアトは告白した。
「私はバルと共に在りたいと思う。この世の終わりまでな。これが愛というものなのではないか?」
満面の無邪気な笑みを食らい、思わず仰け反るバルバロッサ。ここで彼も観念する。
……どちらかといえば、貴女のは親愛でしょうね。でも、それで良いです。わたくしが心から貴女を愛していますから。……思い出を重ねて、少しずつ夫婦になっていきましょう。
勢いと勘違いから始まる恋もある。
喧々諤々と言い争う旦那様や国王を眺めて、デザアトはいつもの無垢な笑顔で笑った。
「世界は楽しくて嬉しくて愛しいものだな? バルっ! 今度こそ子の宿し方を教えてくれよ? アタシはお前の子が沢山欲しいぞ?」
相変わらず生物学的にしか男女の構造を知らない王女殿下の赤裸々な言葉に、バルバロッサは真っ赤な顔を強張らせる。
言い争っていたことも忘れ、彼は妻となったデザアトを、そっと抱きしめた。
「………ゆっくりで。わたくしにも心の準備をさせてください。ホントに貴女という人は……」
……心臓が爆散しそうですよ。
デロ甘な妹夫妻に毒気を抜かれ、忌々しげな顔のまま、ぺいっと婚姻許可証を投げつけるガイロック。
それを慌てて受け取り、スチュワードは押し黙って帰っていく国王陛下を気の毒そうに見送った。
彼等の犯した罪は一生消えない。この先ずっと、デザアトからは家族とも思われず、忘れ去られていくのだろう。それが取り返しのつかないことをした兄達に与えられた罰だった。
デザアトが彼らを記憶に残すことはない。
こうして野に放たれた聖女様は本来の力を取り戻し、最愛な旦那様と長く幸せに暮らす。
国境などを知らない彼女の祝福は世界中を満たし、聖女のいない祝福不足な他の国の窮地まで救った。
これを後に知った国々は、ケダモノな聖女様の奇跡を甚く敬う。彼女の祝福がなくば、滅びていた国もあったかもしれない。
野に放たれた聖女様の逸話は《聖女狂詩曲》と名づけられ、長く世界に語り継がれた。その悲惨な幼少期の物語とともに。
~了~
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