聖女狂詩曲 〜獣は野に還る〜

一 千之助

文字の大きさ
上 下
16 / 16

 世界を救った聖女様 〜終幕〜

しおりを挟む

「アレを外に出したのは間違いだったか」

「かもしれないが…… 出さないわけにもいくまい」

 デザアトが外で撒き散らした真実。

 それが背びれ尾びれをつけて市井を混乱に陥れている。

 聖女となった王女殿下は地下に幽閉され、長く虐待を受けていたと。未だに辛い思いをされているのではないかと。神殿からの問い合わせを筆頭に、多くの陳情が王宮へもたらされていた。
 そこにきて、前に開いたお茶会で絶望した貴族達の不安も深まっていく。

 事実、離宮周辺以外に祝福は発動していない。鬱蒼とした森はさらに広がり、デザアトと兄達を無情にも切り離していた。

 何をどうしたら良いのか分からないまま時は過ぎ、一年も経った頃。ドールの世界に異変が訪れる。



「結界が消えた……だとっ?!」

 驚愕に眼を見張る長兄。もたらされた報せは、最悪を約束するものだった。
 過去にも何度かあった事象。この異世界ドールの過酷な環境で、多くの国々が存在していられるのは聖女の恩恵があってこそである。
 大陸の殆どが樹海や荒野、砂漠などの荒れ果てた大地。そこに蔓延る魔獣らは容赦なく人間に襲いかかり、人々は生き物として最弱な底辺だった。
 それを神は哀れに思ったのか、いつの頃からか結界を張れる聖女が生まれ、小さな安息の地を人間に与える。そこから人の歴史は始まり、それぞれの国が建国されていったのだ。

 そして愚かな人間の愚行によって、何度となく理不尽に失われていった聖女もいる。そんな国は、ゆるゆると衰退し、次の聖女が生まれるのが間に合わない場合、滅びた例もあった。

 ……今のこの国のように。

 ぞくりと肌を粟立たせ、王子達はやもたまらずデザアトの離宮へ向かう。



「これはこれはお揃いで。何用でしょうか?」

 毎度お馴染みなバルバロッサ。

 それを渋面で見据え、兄らは半ば強引に離宮へと押し入った。



「本当にすまなかった、デザアトっ! 何をしてでも償うから、この国を見捨てないでくれっ!」

「もう結界が消えかかっていて崖っぷちらしい。……正直、どうしたら良いのかも分からないんだよ」

 平謝りな兄達をきょとんと見つめ、デザアトはバルバロッサを見上げた。

「王太子殿下…… いや、今は国王陛下か。陛下は何を言っているのだ?」

「……デザアト様の慈悲にすがっておられます。なんとかして貴女の祝福を得ようと」

 無駄な足掻きなのにな…… とまでは付け加えない腹黒家庭教師。
 慈悲……? と小さく呟いて首を傾げ、デザアトは本気で分からない顔をする。

「……言葉としては知っているが、私は慈悲というのがどういう意味か分からない。分からないモノは与えようもない」

 辛辣な言葉。それを知ることが出来ない状況に妹を貶めたのは自分達だ。取り返しのつかぬ過ちに、愕然と項垂れる王子達。
  
 ……これではまるで呪いのようだ。己の罪を知らしめるための。……我々のせいで、国が滅びるかもしれない。

 聖女の祝福が得られない。それだけで国は滅びる。なんと見事な意趣返しか。本人が意識してやっているわけではないから、どうにもならない。

 絶望の底で藻掻く国王達。それを見下ろして満足したバルバロッサは、胸の中で温めていた計画を実行した。

「……方法がなくはないですよ? ある意味、賭けになりますが」

 にっこり優美に微笑んだ家庭教師をすがるように兄らは見上げた。
 その切実な表情を見て、バルバロッサも己の勝利を確信する。




「バルっ! すごい、すごいっ、これが海か? 水が一杯だっ!」

「そうです。海です。もうデザアト様は自由ですから。王宮だの国だのに囚われず、楽しく暮らしましょう」

 スチュワードとバルバロッサに連れられ、王宮を出奔したデザアトは、広く美しい世界に夢中だった。



『デザアトを王宮の外で暮らさせるっ?!』

 あの日、押しかけてきたガイロック達にしたバルバロッサの提案。それはデザアトを野に放つこと。
 この王宮に住む限り、彼女は無意識な敵意を消せない。警戒心剥き出しで、安心出来る離宮のみを守ろうとする。

『不幸中の幸いというか、デザアト様は国や街といった、土地を区切る概念をお持ちでありません。見たまま聞いたままを感じ、祝福を与えておられる様です。離宮を見ればお分かりになるかと』

 言われて兄達が困惑げに眼を伏せた。

『なので、その範囲を世界に広げるのです。楽しく胸躍るような経験を積み重ねさせ、この世界を愛するように。そうすれば、いくばくかの恩恵がこの国にも与えられるでしょう』

 漠然としたバルバロッサの見解。しかし、それは妙案のようにも思えた。
 今現在が物語っている。聖女に愛されない王宮と、愛される離宮を隔てた深い森が。
 なので、試すだけでもしてみようと、ガイロックは十分な路銀を約束し、デザアトの出奔を許したのだ。

 国中を回って、あらゆる所を愉しむ王女殿下。

 毎日楽しい彼女の幸せが祝福となり、無意識に多くの土地を潤していく。結界も復活して、魔獣の侵攻が止まった。
 じわじわと広がる祝福の恩恵が目に見え始めて、狂喜乱舞する貴族や国民達。

 少しずつ建て直される外の風景を眺め、ガイロックが深々と溜め息をついた。バルバロッサの見解と決断は正しかったと。
 実際は、デザアトを王宮に置いておきたくない家庭教師や専属護衛が仕組んだ謀であるが、そんなことは知らない国王陛下。
 まんまと彼等の企みにはかられたが、それで事態は好転したのだから、むしろ御の字だろう。

 王宮にあっては成し得なかった偉業。あって当たり前と胡座をかいていた所に食らった痛恨の一撃。

「……ここに、アレの幸せはないということか」

「………………………………」

 長兄の呟きを耳にして、スフィアとエーデルは何の言葉も口に出来ない。

 野に放たれた王女殿下は長く諸国を漫遊し、国中が落ち着いた頃、ある地域の大きな森に離宮を建てた。
 それは王宮で住んでいた離宮によく似た建物で、彼女の終の棲家となる。



「バル。これからも、よろしくな」

「もったいないお言葉です、王女殿下」

 デザアトの手に口づけ、恭しく跪く家庭教師。

 彼は、デザアトの熱烈な求愛により、彼女の伴侶となった。
 近くの教会で慎ましやかな式をあげ、スチュワードを証人に書類だけを交わす。
 事後報告でそれを知った兄達が、押しかけてきたのも御愛嬌。

「聞いておらぬぞっ! 私の許可もない婚姻は成立せんっ!!」

 吠えるガイロックを見据え、しれっと答えるバルバロッサ。

「王女殿下の好きに暮らさせる約束です。これもその内。……まさか、私を選ばれるとは、こちらも青天の霹靂なのですが」

 語尾が尻すぼみになっていく家庭教師に、苦笑いなスチュワード。
 世界を愛させるという壮大な計画を成功させ、感無量だった彼に、思い切り良くデザアトは告白した。

「私はバルと共に在りたいと思う。この世の終わりまでな。これが愛というものなのではないか?」

 満面の無邪気な笑みを食らい、思わず仰け反るバルバロッサ。ここで彼も観念する。

 ……どちらかといえば、貴女のは親愛でしょうね。でも、それで良いです。わたくしが心から貴女を愛していますから。……思い出を重ねて、少しずつ夫婦になっていきましょう。

 勢いと勘違いから始まる恋もある。

 喧々諤々と言い争う旦那様や国王を眺めて、デザアトはいつもの無垢な笑顔で笑った。

「世界は楽しくて嬉しくて愛しいものだな? バルっ! 今度こそ子の宿し方を教えてくれよ? アタシはお前の子が沢山欲しいぞ?」

 相変わらず生物学的にしか男女の構造を知らない王女殿下の赤裸々な言葉に、バルバロッサは真っ赤な顔を強張らせる。
 言い争っていたことも忘れ、彼は妻となったデザアトを、そっと抱きしめた。

「………ゆっくりで。わたくしにも心の準備をさせてください。ホントに貴女という人は……」

 ……心臓が爆散しそうですよ。

 デロ甘な妹夫妻に毒気を抜かれ、忌々しげな顔のまま、ぺいっと婚姻許可証を投げつけるガイロック。
 それを慌てて受け取り、スチュワードは押し黙って帰っていく国王陛下を気の毒そうに見送った。
 彼等の犯した罪は一生消えない。この先ずっと、デザアトからは家族とも思われず、忘れ去られていくのだろう。それが取り返しのつかないことをした兄達に与えられた罰だった。

 デザアトが彼らを記憶に残すことはない。

 こうして野に放たれた聖女様は本来の力を取り戻し、最愛な旦那様と長く幸せに暮らす。
 国境などを知らない彼女の祝福は世界中を満たし、聖女のいない祝福不足な他の国の窮地まで救った。

 これを後に知った国々は、ケダモノな聖女様の奇跡を甚く敬う。彼女の祝福がなくば、滅びていた国もあったかもしれない。

 野に放たれた聖女様の逸話は《聖女狂詩曲》と名づけられ、長く世界に語り継がれた。その悲惨な幼少期の物語とともに。
 
                ~了~
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

モブで可哀相? いえ、幸せです!

みけの
ファンタジー
私のお姉さんは“恋愛ゲームのヒロイン”で、私はゲームの中で“モブ”だそうだ。 “あんたはモブで可哀相”。 お姉さんはそう、思ってくれているけど……私、可哀相なの?

はずれスキル念動力(ただしレベルMAX)で無双する~手をかざすだけです。詠唱とか必殺技とかいりません。念じるだけで倒せます~

さとう
ファンタジー
10歳になると、誰もがもらえるスキル。 キネーシス公爵家の長男、エルクがもらったスキルは『念動力』……ちょっとした物を引き寄せるだけの、はずれスキルだった。 弟のロシュオは『剣聖』、妹のサリッサは『魔聖』とレアなスキルをもらい、エルクの居場所は失われてしまう。そんなある日、後継者を決めるため、ロシュオと決闘をすることになったエルク。だが……その決闘は、エルクを除いた公爵家が仕組んだ『処刑』だった。 偶然の『事故』により、エルクは生死の境をさまよう。死にかけたエルクの魂が向かったのは『生と死の狭間』という不思議な空間で、そこにいた『神様』の気まぐれにより、エルクは自分を鍛えなおすことに。 二千年という長い時間、エルクは『念動力』を鍛えまくる。 現世に戻ったエルクは、十六歳になって目を覚ました。 はずれスキル『念動力』……ただしレベルMAXの力で無双する!!

【完結】それはダメなやつと笑われましたが、どうやら最高級だったみたいです。

まりぃべる
ファンタジー
「あなたの石、屑石じゃないの!?魔力、入ってらっしゃるの?」 ええよく言われますわ…。 でもこんな見た目でも、よく働いてくれるのですわよ。 この国では、13歳になると学校へ入学する。 そして1年生は聖なる山へ登り、石場で自分にだけ煌めいたように見える石を一つ選ぶ。その石に魔力を使ってもらって生活に役立てるのだ。 ☆この国での世界観です。

老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜

二階堂吉乃
ファンタジー
 瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。  白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。  後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。  人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話8話。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

聖女の紋章 転生?少女は女神の加護と前世の知識で無双する わたしは聖女ではありません。公爵令嬢です!

幸之丞
ファンタジー
2023/11/22~11/23  女性向けホットランキング1位 2023/11/24 10:00 ファンタジーランキング1位  ありがとうございます。 「うわ~ 私を捨てないでー!」 声を出して私を捨てようとする父さんに叫ぼうとしました・・・ でも私は意識がはっきりしているけれど、体はまだ、生れて1週間くらいしか経っていないので 「ばぶ ばぶうう ばぶ だああ」 くらいにしか聞こえていないのね? と思っていたけど ササッと 捨てられてしまいました~ 誰か拾って~ 私は、陽菜。数ヶ月前まで、日本で女子高生をしていました。 将来の為に良い大学に入学しようと塾にいっています。 塾の帰り道、車の事故に巻き込まれて、気づいてみたら何故か新しいお母さんのお腹の中。隣には姉妹もいる。そう双子なの。 私達が生まれたその後、私は魔力が少ないから、伯爵の娘として恥ずかしいとかで、捨てられた・・・  ↑ここ冒頭 けれども、公爵家に拾われた。ああ 良かった・・・ そしてこれから私は捨てられないように、前世の記憶を使って知識チートで家族のため、公爵領にする人のために領地を豊かにします。 「この子ちょっとおかしいこと言ってるぞ」 と言われても、必殺 「女神様のお告げです。昨夜夢にでてきました」で大丈夫。 だって私には、愛と豊穣の女神様に愛されている証、聖女の紋章があるのです。 この物語は、魔法と剣の世界で主人公のエルーシアは魔法チートと知識チートで領地を豊かにするためにスライムや古竜と仲良くなって、お力をちょっと借りたりもします。 果たして、エルーシアは捨てられた本当の理由を知ることが出来るのか? さあ! 物語が始まります。

遺棄令嬢いけしゃあしゃあと幸せになる☆婚約破棄されたけど私は悪くないので侯爵さまに嫁ぎます!

天田れおぽん
ファンタジー
婚約破棄されましたが私は悪くないので反省しません。いけしゃあしゃあと侯爵家に嫁いで幸せになっちゃいます。  魔法省に勤めるトレーシー・ダウジャン伯爵令嬢は、婿養子の父と義母、義妹と暮らしていたが婚約者を義妹に取られた上に家から追い出されてしまう。  でも優秀な彼女は王城に住み、個性的な人たちに囲まれて楽しく仕事に取り組む。  一方、ダウジャン伯爵家にはトレーシーの親戚が乗り込み、父たち家族は追い出されてしまう。  トレーシーは先輩であるアルバス・メイデン侯爵令息と王族から依頼された仕事をしながら仲を深める。  互いの気持ちに気付いた二人は、幸せを手に入れていく。 。oOo。.:♥:.。oOo。.:♥:.。oOo。.:♥:.。oOo。.:♥:.  他サイトにも連載中 2023/09/06 少し修正したバージョンと入れ替えながら更新を再開します。  よろしくお願いいたします。m(_ _)m

今度生まれ変わることがあれば・・・全て忘れて幸せになりたい。・・・なんて思うか!!

れもんぴーる
ファンタジー
冤罪をかけられ、家族にも婚約者にも裏切られたリュカ。 父に送り込まれた刺客に殺されてしまうが、なんと自分を陥れた兄と裏切った婚約者の一人息子として生まれ変わってしまう。5歳になり、前世の記憶を取り戻し自暴自棄になるノエルだったが、一人一人に復讐していくことを決めた。 メイドしてはまだまだなメイドちゃんがそんな悲しみを背負ったノエルの心を支えてくれます。 復讐物を書きたかったのですが、生ぬるかったかもしれません。色々突っ込みどころはありますが、おおらかな気持ちで読んでくださると嬉しいです(*´▽`*) *なろうにも投稿しています

処理中です...