30 / 46
第30話 慈しむもの
しおりを挟む
「私、てっきりすぐに結婚するものだと思っていました」
そう口を尖らせてドレスの裾を握り締めたジェニーは、仕事の合間にモンフォールの屋敷に立ち寄ったルイスをじろりと見た。口に付けていた紅茶を咽ながら戻したルイスは、気まずそうに向き直った。
「そうなのか?」
「そうですよ! だってわだかまりが解けたんですから、もう障害はないですよね! それなのにまだ進展なしだなんてあんまりです」
ぽかんとしていたルイスは一瞬驚いたようにジェニーを見つめた後、小さく息を吐いた。
「……なんだ、そっちの話か。姉様も副隊長もちゃんと考えているだろうから大丈夫だよ。フェリックスの事もあるから、このまま別居の状態は良くないと分かっているだろうしね」
「確かにフェリックス様がずっとモンフォールのお屋敷にいらっしゃるので私としては嬉しいですが、アルベルト様はお寂しいんじゃないでしょうか」
庭の外からはフェリックスの笑い声が上がっている。その隣りにはアルベルトとカトリーヌの姿があった。
「あれが寂しい父親の姿かねぇ」
呆れたように窓の外を見つめながら、ルイスは呆れたようにソファの背もたれに寄り掛かった。
アルベルトだけ離れて暮らしているとはいえ、時間が作れる限り朝食と夕食時には現れる。そして共に食事を取り、フェリックスと遊んでからベルトラン家の屋敷に帰るのだ。そんな暮らしがもう半年以上も続いていた。
「てっきり私達の話だと……」
「ルイス様? 今なんて仰いました?」
「なんでもないよ。私もそろそろ寄宿舎に戻らないと」
その時だった。扉が開きアルベルトの大きな声が響いた。
「ルイス! そろそろ城に戻るぞ!」
「今日はまだお仕事が終わった訳じゃなかったんですね?」
親子で庭から戻って来たカトリーヌはアルベルトのそばにぴたりと寄り添い、フェリックスはアルベルトの腕に抱えられてご満悦な表情だった。
「いや何、少し確認したい事があるだけですぐに屋敷に戻るよ。さあフェリックス、お別れの時間だ」
「お父様もここで寝ようよ。いいでしょう? お母様」
甘えるようにそう言われればカトリーヌも返答に困ってしまう。しかしアルベルトはフェリックスの頭を力一杯に撫でると、床に降ろした。みるみるうちにフェリックスの目に涙が溜まっていく。するとアルベルトはしゃがんでフェリックスの顔を覗き込んだ。
「いつまでもそう泣きべそをかくんじゃない。俺は三歳の時にはすでに剣を振っていたんだぞ」
「ぼ、僕も剣なら振っているもん!」
「それならお前はもう剣士だ。剣士はそう涙を流すものじゃない」
「けんし? お父様のようなきしじゃないの?」
「騎士になるには、ルイス叔父さんのように勉強しながら剣術の鍛錬もして試験を突破するんだ。そうして初めて騎士団に入団出来るんだぞ」
キョトンとしてたのはフェリックスだけではない。カトリーヌも苦笑いしながらフェリックスの肩に手を置いた時だった。
「うん分かった」
「そうか、分かったか。それなら良かった」
アルベルトは真っ直ぐに頷くと立ち上がった。
「それじゃあまた」
アルベルトの背中を見送ったカトリーヌは、大きな欠伸をしたフェリックスを促すように背中に触れた。
「お父様の言っていた事は分かったの?」
「分かったよ。うんとがんばらないときしにはなれないって事だね」
「そうね、お父様もルイスも騎士になった今も沢山練習をしているものね」
「そうなんだ! それなら僕はお勉強の方がいいな」
てっきりアルベルトのように騎士になると言われると思っていたカトリーヌは驚いて足を止めた。
「お父様のようになりたくはないの?」
「だってお父様と同じきしになったら、お母様といっしょにいられないんでしょ? 僕、お母様とずっと一緒にいたい!」
そう言って満面の笑みで笑った。
「フェリックスったら」
感動で言葉を失っていると、ルイスは微笑みながら玄関に向かった。
「カトリーヌ様、フェリックス様、私も今日はお暇しますね」
「ジェニーは駄目! 僕と一緒に寝るの!」
その瞬間、ルイスは大股で戻ってきた。
「フェリックス! 今ジェニーと寝るって言ったのか? まさか今までも一緒に寝た事があるんじゃないだろうな?」
「んとね、あるよ。ジェニーとはいっつも一緒に寝てるよ」
何故か得意げなフェリックスの言葉に、ルイスは膝から崩れ落ちそうな程にがっくりと肩を落としていた。
「ルイス! 早くしろ、置いて行くぞ!」
「今行きますよッ!」
ドカドカと大股で玄関まで行くと、バタリと扉を締めた。
「何を怒っているのでしょうか」
「まあ、それはフェリックスに嫉妬したのでしょうね」
「嫉妬? ルイス様がフェリックス様にですか?」
「あの様子だとそれ以外ないじゃない」
ジェニーは笑っていたが、カトリーヌは至って真面目に頷いた。フェリックスを風呂に入れるべくエルザが駆け寄ってくる。フェリックスは次から次へと大好きな人達に囲まれて、ご満悦でエルザの手を握った。
「やっぱりありえませんよ、フェリックス様に嫉妬だなんて」
「だってあなた達婚約したじゃない。フェリックスは子供だけど、ルイスは面白くないはずよ」
その瞬間、笑い声が上がった。
「ルイス様が嫉妬なんてやっぱりないですッ! 確かに婚約はしましたけれど、私達手すらまだ……」
言い掛けてぐっと言葉を飲み込んだ。ここに結婚するまで相手の顔すら知らなかった者がいるという事を忘れていたからだ。申し訳なさそうに顔を上げると、カトリーヌは気にしていないように微笑んだ。
「あなた達はまだ十代だけど、その年で婚約も結婚も珍しくないのよ。安心していないでちゃんとルイスを捕まえておきなさい」
「捕まえるって私にはどうしたらいいのかさっぱりです……」
「そんなんじゃ好きな人を逃してしまうわよ」
その時、円な瞳が見開かれた。
「だ、え? 好き? 私が?」
「好きじゃないの? てっきりあなたはルイスの事がずっと好きなのだと思っていたわ」
「ずっと? いつから、え、それじゃあもしかしてその、ルイス様も気付いています?」
「どうかしらね。でもお見合いを壊してまであなたに求婚したくらいだから、相当な自信はあったのかもしれないわね」
ジェニーの足がピタリと止まる。そしてプルプルと全身が震えていた。
「恥ずかし過ぎます! 次からどうやってルイス様に会ったらいいんですか」
「次も何ももう何回も会っているじゃない。今更どうって事ないわよ」
「だって私、ルイス様に私が好きだと知られていないと思っていたんです。結婚の話だってあれから全く進むどころか話題にも上がらないですし、もしかしたらルイス様はいずれという意味で具体的なお考えはなかったのかもしれませんッ!」
一気に捲し立てるようにそう言うと回れ右をした。
「今日はもう帰ります!」
そしてピタリと足を止めた。
「一緒に寝れない事、フェリックス様に謝っておいて下さい」
エルザに風呂へ入れてもらい、ポカポカの湯気を上げて出てきたフェリックスにジェニーが帰った事を告げると、特に気にした様子もなくドンッとエルザに抱き着いた。
「それなら今日はエルザと寝る!」
「それじゃあご本を沢山読んで差し上げますね」
エルザはフェリックスの髪を丁寧に梳きながらタオルで抑えていく。すると次第に可愛らしい頭がユラユラと揺れ始めた。
「そういえば先程クマちゃん達に会いたいと仰っておりました。ベルトラン家にお連れしても宜しいでしょうか?」
「そうね、それならクマちゃん達を我が家に連れて来ましょうか?」
「良い案ですね。明日早速ルドルフさんにご相談してみます」
しかしその案に拒否を示したのは、まさかのフェリックスだった。
静かなベルトラン家に盛大な泣き声が響き渡る。何事かと出て来た使用人達は息を潜めて事の成り行きを見守っていた。
「何故嫌なのか言ってくれないと分からないわ。フェリックス、泣き止んで頂戴」
「いやぁ、なの! クマぢゃんここなのッ。ウッ、グッ」
ベルトラン家に置いてあるクマちゃんに会いに行くという所まではとても機嫌が良く、自分の部屋に入ってすぐ二体のクマのぬいぐるみに飛び込んでいた。
しかし今はその二体のクマのぬいぐるみの間に沈むように隠れ、ずっと泣き続けている。ルドルフもエルザも、もちろんカトリーヌも困ってしまい立ち尽くしていた。
「とにかく泣き疲れて眠るまで待ちましょう。フェリックス様はアルベルト様に似て頑固な所がおありのようですからね」
その瞬間、後ろから声が降ってきた。
「誰が頑固だって? 悪かったな、頑固者で」
「アルベルト様、お帰りなさいませ」
ルドルフは眼鏡をクイッと上げると、慣れた手付きでコートを受け取っていた。
「珍しいですね、このような時間にどうされたんです?」
「モンフォール家に向かったらこっちに向かったと言われてな」
「朝もご一緒されていたではないですか。お昼休みも抜け出して来たんですか?」
もうルドルフの嫌味など相手にしないと決めたらしいアルベルトは、カトリーヌの頬に軽く口づけると、クマのぬいぐるみの間に深く沈んでいるフェリックスを眺めた。フェリックスもまた突然現れたアルベルトに驚き、泣くのを一旦忘れているようだった。
「実はクマちゃんをモンフォールの屋敷に持っていこうとしたら泣き出してしまって、今説得していた所なんです」
「確かに向こうにいる事の方が多いから、気に入りのおもちゃはそばにあった方がいいな」
「そう思っていたんですけれど、フェリックスはどうもそれが気に入らないようなんです」
カトリーヌはもう一度フェリックスに声を掛けた。
「クマちゃんがいつもそばにあった方が嬉しいんじゃない?」
「いやッ! クマちゃんのお家はここなの!」
「だからあなたが行く所にクマちゃんも連れて行ったらいいじゃない」
するとまたフェリックスは泣き出してしまった。
アルベルトはゆっくりと近づくと、フェリックスの前にしゃがんだ。クマのぬいぐるみの隙間からアルベルトを見上げたフェリックスは、ビクリとして更に奥へと入っていく。
「クマちゃんをここに置いておきたいのか?」
返事の代わりに不機嫌な顔が頷く。するとアルベルトは二体のクマちゃんの手を取った。
「そうしてくれるとお父様も嬉しいよ」
「え?」
フェリックスが少しだけ浮上してくる。
「実を言うと、この家にはお母様もフェリックスもいなくて少し寂しかったんだ。だからこの部屋にクマちゃんがいると寂しくない」
「うん、クマちゃんがここにあると嬉しいよね!」
「もしかしてフェリックスはわざとクマちゃんをここに置いていたいんじゃないのか? ここもお前の家だからな」
「……好きな物、全部あっちに持って行ったら、うんとね、寂しいもん」
「そうだな」
「クマちゃん持っていかない?」
「いかないよ。ずっとここがフェリックスとクマちゃんの部屋だ」
するとフェリックスは隙間から飛び出し、アルベルトに飛び付いた。
「まさかアルベルト様の背に父親を見る日が来ようとは」
アルベルトに抱き上げられながらこちらに戻ってきたフェリクスの機嫌はすっかり直っていた。
「お前はいちいち大袈裟なんだよ」
そう口を尖らせてドレスの裾を握り締めたジェニーは、仕事の合間にモンフォールの屋敷に立ち寄ったルイスをじろりと見た。口に付けていた紅茶を咽ながら戻したルイスは、気まずそうに向き直った。
「そうなのか?」
「そうですよ! だってわだかまりが解けたんですから、もう障害はないですよね! それなのにまだ進展なしだなんてあんまりです」
ぽかんとしていたルイスは一瞬驚いたようにジェニーを見つめた後、小さく息を吐いた。
「……なんだ、そっちの話か。姉様も副隊長もちゃんと考えているだろうから大丈夫だよ。フェリックスの事もあるから、このまま別居の状態は良くないと分かっているだろうしね」
「確かにフェリックス様がずっとモンフォールのお屋敷にいらっしゃるので私としては嬉しいですが、アルベルト様はお寂しいんじゃないでしょうか」
庭の外からはフェリックスの笑い声が上がっている。その隣りにはアルベルトとカトリーヌの姿があった。
「あれが寂しい父親の姿かねぇ」
呆れたように窓の外を見つめながら、ルイスは呆れたようにソファの背もたれに寄り掛かった。
アルベルトだけ離れて暮らしているとはいえ、時間が作れる限り朝食と夕食時には現れる。そして共に食事を取り、フェリックスと遊んでからベルトラン家の屋敷に帰るのだ。そんな暮らしがもう半年以上も続いていた。
「てっきり私達の話だと……」
「ルイス様? 今なんて仰いました?」
「なんでもないよ。私もそろそろ寄宿舎に戻らないと」
その時だった。扉が開きアルベルトの大きな声が響いた。
「ルイス! そろそろ城に戻るぞ!」
「今日はまだお仕事が終わった訳じゃなかったんですね?」
親子で庭から戻って来たカトリーヌはアルベルトのそばにぴたりと寄り添い、フェリックスはアルベルトの腕に抱えられてご満悦な表情だった。
「いや何、少し確認したい事があるだけですぐに屋敷に戻るよ。さあフェリックス、お別れの時間だ」
「お父様もここで寝ようよ。いいでしょう? お母様」
甘えるようにそう言われればカトリーヌも返答に困ってしまう。しかしアルベルトはフェリックスの頭を力一杯に撫でると、床に降ろした。みるみるうちにフェリックスの目に涙が溜まっていく。するとアルベルトはしゃがんでフェリックスの顔を覗き込んだ。
「いつまでもそう泣きべそをかくんじゃない。俺は三歳の時にはすでに剣を振っていたんだぞ」
「ぼ、僕も剣なら振っているもん!」
「それならお前はもう剣士だ。剣士はそう涙を流すものじゃない」
「けんし? お父様のようなきしじゃないの?」
「騎士になるには、ルイス叔父さんのように勉強しながら剣術の鍛錬もして試験を突破するんだ。そうして初めて騎士団に入団出来るんだぞ」
キョトンとしてたのはフェリックスだけではない。カトリーヌも苦笑いしながらフェリックスの肩に手を置いた時だった。
「うん分かった」
「そうか、分かったか。それなら良かった」
アルベルトは真っ直ぐに頷くと立ち上がった。
「それじゃあまた」
アルベルトの背中を見送ったカトリーヌは、大きな欠伸をしたフェリックスを促すように背中に触れた。
「お父様の言っていた事は分かったの?」
「分かったよ。うんとがんばらないときしにはなれないって事だね」
「そうね、お父様もルイスも騎士になった今も沢山練習をしているものね」
「そうなんだ! それなら僕はお勉強の方がいいな」
てっきりアルベルトのように騎士になると言われると思っていたカトリーヌは驚いて足を止めた。
「お父様のようになりたくはないの?」
「だってお父様と同じきしになったら、お母様といっしょにいられないんでしょ? 僕、お母様とずっと一緒にいたい!」
そう言って満面の笑みで笑った。
「フェリックスったら」
感動で言葉を失っていると、ルイスは微笑みながら玄関に向かった。
「カトリーヌ様、フェリックス様、私も今日はお暇しますね」
「ジェニーは駄目! 僕と一緒に寝るの!」
その瞬間、ルイスは大股で戻ってきた。
「フェリックス! 今ジェニーと寝るって言ったのか? まさか今までも一緒に寝た事があるんじゃないだろうな?」
「んとね、あるよ。ジェニーとはいっつも一緒に寝てるよ」
何故か得意げなフェリックスの言葉に、ルイスは膝から崩れ落ちそうな程にがっくりと肩を落としていた。
「ルイス! 早くしろ、置いて行くぞ!」
「今行きますよッ!」
ドカドカと大股で玄関まで行くと、バタリと扉を締めた。
「何を怒っているのでしょうか」
「まあ、それはフェリックスに嫉妬したのでしょうね」
「嫉妬? ルイス様がフェリックス様にですか?」
「あの様子だとそれ以外ないじゃない」
ジェニーは笑っていたが、カトリーヌは至って真面目に頷いた。フェリックスを風呂に入れるべくエルザが駆け寄ってくる。フェリックスは次から次へと大好きな人達に囲まれて、ご満悦でエルザの手を握った。
「やっぱりありえませんよ、フェリックス様に嫉妬だなんて」
「だってあなた達婚約したじゃない。フェリックスは子供だけど、ルイスは面白くないはずよ」
その瞬間、笑い声が上がった。
「ルイス様が嫉妬なんてやっぱりないですッ! 確かに婚約はしましたけれど、私達手すらまだ……」
言い掛けてぐっと言葉を飲み込んだ。ここに結婚するまで相手の顔すら知らなかった者がいるという事を忘れていたからだ。申し訳なさそうに顔を上げると、カトリーヌは気にしていないように微笑んだ。
「あなた達はまだ十代だけど、その年で婚約も結婚も珍しくないのよ。安心していないでちゃんとルイスを捕まえておきなさい」
「捕まえるって私にはどうしたらいいのかさっぱりです……」
「そんなんじゃ好きな人を逃してしまうわよ」
その時、円な瞳が見開かれた。
「だ、え? 好き? 私が?」
「好きじゃないの? てっきりあなたはルイスの事がずっと好きなのだと思っていたわ」
「ずっと? いつから、え、それじゃあもしかしてその、ルイス様も気付いています?」
「どうかしらね。でもお見合いを壊してまであなたに求婚したくらいだから、相当な自信はあったのかもしれないわね」
ジェニーの足がピタリと止まる。そしてプルプルと全身が震えていた。
「恥ずかし過ぎます! 次からどうやってルイス様に会ったらいいんですか」
「次も何ももう何回も会っているじゃない。今更どうって事ないわよ」
「だって私、ルイス様に私が好きだと知られていないと思っていたんです。結婚の話だってあれから全く進むどころか話題にも上がらないですし、もしかしたらルイス様はいずれという意味で具体的なお考えはなかったのかもしれませんッ!」
一気に捲し立てるようにそう言うと回れ右をした。
「今日はもう帰ります!」
そしてピタリと足を止めた。
「一緒に寝れない事、フェリックス様に謝っておいて下さい」
エルザに風呂へ入れてもらい、ポカポカの湯気を上げて出てきたフェリックスにジェニーが帰った事を告げると、特に気にした様子もなくドンッとエルザに抱き着いた。
「それなら今日はエルザと寝る!」
「それじゃあご本を沢山読んで差し上げますね」
エルザはフェリックスの髪を丁寧に梳きながらタオルで抑えていく。すると次第に可愛らしい頭がユラユラと揺れ始めた。
「そういえば先程クマちゃん達に会いたいと仰っておりました。ベルトラン家にお連れしても宜しいでしょうか?」
「そうね、それならクマちゃん達を我が家に連れて来ましょうか?」
「良い案ですね。明日早速ルドルフさんにご相談してみます」
しかしその案に拒否を示したのは、まさかのフェリックスだった。
静かなベルトラン家に盛大な泣き声が響き渡る。何事かと出て来た使用人達は息を潜めて事の成り行きを見守っていた。
「何故嫌なのか言ってくれないと分からないわ。フェリックス、泣き止んで頂戴」
「いやぁ、なの! クマぢゃんここなのッ。ウッ、グッ」
ベルトラン家に置いてあるクマちゃんに会いに行くという所まではとても機嫌が良く、自分の部屋に入ってすぐ二体のクマのぬいぐるみに飛び込んでいた。
しかし今はその二体のクマのぬいぐるみの間に沈むように隠れ、ずっと泣き続けている。ルドルフもエルザも、もちろんカトリーヌも困ってしまい立ち尽くしていた。
「とにかく泣き疲れて眠るまで待ちましょう。フェリックス様はアルベルト様に似て頑固な所がおありのようですからね」
その瞬間、後ろから声が降ってきた。
「誰が頑固だって? 悪かったな、頑固者で」
「アルベルト様、お帰りなさいませ」
ルドルフは眼鏡をクイッと上げると、慣れた手付きでコートを受け取っていた。
「珍しいですね、このような時間にどうされたんです?」
「モンフォール家に向かったらこっちに向かったと言われてな」
「朝もご一緒されていたではないですか。お昼休みも抜け出して来たんですか?」
もうルドルフの嫌味など相手にしないと決めたらしいアルベルトは、カトリーヌの頬に軽く口づけると、クマのぬいぐるみの間に深く沈んでいるフェリックスを眺めた。フェリックスもまた突然現れたアルベルトに驚き、泣くのを一旦忘れているようだった。
「実はクマちゃんをモンフォールの屋敷に持っていこうとしたら泣き出してしまって、今説得していた所なんです」
「確かに向こうにいる事の方が多いから、気に入りのおもちゃはそばにあった方がいいな」
「そう思っていたんですけれど、フェリックスはどうもそれが気に入らないようなんです」
カトリーヌはもう一度フェリックスに声を掛けた。
「クマちゃんがいつもそばにあった方が嬉しいんじゃない?」
「いやッ! クマちゃんのお家はここなの!」
「だからあなたが行く所にクマちゃんも連れて行ったらいいじゃない」
するとまたフェリックスは泣き出してしまった。
アルベルトはゆっくりと近づくと、フェリックスの前にしゃがんだ。クマのぬいぐるみの隙間からアルベルトを見上げたフェリックスは、ビクリとして更に奥へと入っていく。
「クマちゃんをここに置いておきたいのか?」
返事の代わりに不機嫌な顔が頷く。するとアルベルトは二体のクマちゃんの手を取った。
「そうしてくれるとお父様も嬉しいよ」
「え?」
フェリックスが少しだけ浮上してくる。
「実を言うと、この家にはお母様もフェリックスもいなくて少し寂しかったんだ。だからこの部屋にクマちゃんがいると寂しくない」
「うん、クマちゃんがここにあると嬉しいよね!」
「もしかしてフェリックスはわざとクマちゃんをここに置いていたいんじゃないのか? ここもお前の家だからな」
「……好きな物、全部あっちに持って行ったら、うんとね、寂しいもん」
「そうだな」
「クマちゃん持っていかない?」
「いかないよ。ずっとここがフェリックスとクマちゃんの部屋だ」
するとフェリックスは隙間から飛び出し、アルベルトに飛び付いた。
「まさかアルベルト様の背に父親を見る日が来ようとは」
アルベルトに抱き上げられながらこちらに戻ってきたフェリクスの機嫌はすっかり直っていた。
「お前はいちいち大袈裟なんだよ」
133
お気に入りに追加
2,263
あなたにおすすめの小説
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
あなたの愛が正しいわ
来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~
夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。
一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。
「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」

初めから離婚ありきの結婚ですよ
ひとみん
恋愛
シュルファ国の王女でもあった、私ベアトリス・シュルファが、ほぼ脅迫同然でアルンゼン国王に嫁いできたのが、半年前。
嫁いできたは良いが、宰相を筆頭に嫌がらせされるものの、やられっぱなしではないのが、私。
ようやく入手した離縁届を手に、反撃を開始するわよ!
ご都合主義のザル設定ですが、どうぞ寛大なお心でお読み下さいマセ。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい
LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。
相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。
何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。
相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。
契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

妾に恋をした
はなまる
恋愛
ミーシャは22歳の子爵令嬢。でも結婚歴がある。夫との結婚生活は半年。おまけに相手は子持ちの再婚。 そして前妻を愛するあまり不能だった。実家に出戻って来たミーシャは再婚も考えたが何しろ子爵領は超貧乏、それに弟と妹の学費もかさむ。ある日妾の応募を目にしてこれだと思ってしまう。
早速面接に行って経験者だと思われて採用決定。
実際は純潔の乙女なのだがそこは何とかなるだろうと。
だが実際のお相手ネイトは妻とうまくいっておらずその日のうちに純潔を散らされる。ネイトはそれを知って狼狽える。そしてミーシャに好意を寄せてしまい話はおかしな方向に動き始める。
ミーシャは無事ミッションを成せるのか?
それとも玉砕されて追い出されるのか?
ネイトの恋心はどうなってしまうのか?
カオスなガストン侯爵家は一体どうなるのか?

婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした
アルト
ファンタジー
今から七年前。
婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。
そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。
そして現在。
『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。
彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる