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第29話 この部屋だからこそ
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久しぶりのベルトラン家はモンフォールの屋敷に比べるととても静かだった。使用人達は息を殺しているのか気配がない。それでいて寝室は綺麗に整えられていた。
この部屋に入るのはこれで二度目。アルベルトもじっとベッドを見つめたまま立ち尽くしている。そして遠慮がちに扉を閉めた。
「別にこの部屋でなくともいいんだぞ」
「何故ですか? 私がこの部屋がいいと言ったんです」
一度目とは違い今日は二人一緒に入ったからか、緊張感が増して手足は冷え切っていた。
「でもここには良い思い出はないだろう? 俺もあなたも。出来る事ならあの夜をやり直したいとずっと思っていたんだ」
カトリーヌはアルベルトの手を引きながらベッドに腰掛けた。及び腰になっているのはむしろアルベルトの方なのかもしれない。カトリーヌは大きな手をそっと両手で掴むと自分の頬に持っていった。
「私はあの夜を取り消したいと思った事はありません。だって、あの夜にフェリックスを授かったのですから」
するとアルベルトは痛むように顔を歪めた。
「そういう意味ではない」
「分かっております。色々な事がありましたが、その全てがあるから今こうして幸せだと感じる事が出来るのです」
「今幸せか?」
「もちろんですよ。アルベルト様はそうではないのですか?」
拗ねて見せると、アルベルトは慌てたように抱き締めてきた。
「そんな事はない! 俺はずっと幸せだった。申し訳ないくらいに」
「誰に申し訳ないんです?」
「戦争で死んでいった仲間、それに母。この家に嫁いだ母は不幸だったろうから」
カトリーヌはそっと腕を回すと、広い背中を抱き締め返した。
「幸せになる事を申し訳ないと思っておられるのですね」
「それともう一つ。どれだけ待っても父上はフェリックスの誕生日には出席しないと思う。おそらくだが、愛人への義理立てをしているんだろう」
「お子を授からなかったからですか?」
「祖父が手を回していたようだ。昔は父の愛人を憎んだりもしたが、今となればあの人もベルトラン家に人生を狂わされた一人だと思うと何とも言えないな」
いつかの義父の言葉が蘇っていた。
「もしかしたら、お義父様はその事をご存知だったんじゃないでしょうか」
「どういう事だ? 愛する女が子が出来ないと苦しんでいたんだぞ」
「前にお父様に子を授かり嬉しいものかと聞かれた事があるんです。憶測ですがお義父様はその方にお子が出来たらアルベルト様と対立してしまうかもしれないと考えたのではないでしょうか? アルベルト様の事も守る為に……なんて勝手な考えですね」
「いつか父とも話をしてみようと思う。いつになるかは分からないがな」
「それがいいですね。幸せになる事を拒まないでください。アルベルト・ベルトランという人だけが私とフェリックスを幸せに出来るのですから」
「誓おう。カトリーヌとフェリックスを幸せにするよ。そして生きている限り、幸せになる努力をすると」
アルベルトは腕の力を緩めると、カトリーヌの首筋に顔を埋めた。するとアルベルトはそこで深呼吸をした。
「この香り、また使っているんだな」
「ルドルフが用意していてくれたんです」
「この香りはあなたに良く似合っている」
そう言ってもう一度深呼吸してくる。しかし今度は不意に熱い舌で舐められてしまった。
「ふ、ン」
口から出てしまった声に思わず口元を押さえると、アルベルトはその手を掴んできた。
「そういう声も沢山聞かせてほしい。今日だけじゃなく、これからもずっと……」
返事をする間もなく口づけが降ってくる。カトリーヌは受け止めるのが精一杯で息を吸うものやっとだった。ようやく唇が離れた頃には息が乱れ、いつの間にかベッドに押し倒されていた。
「あの、灯りは?」
「消したくない。出来ればこのままがいいんだが、嫌か?」
灯りは多く置かれており、蝋燭の橙色の灯りに照らされたアルベルトは、目を背けたくなるほどの色気を纏っていた。するりと肩からガウンが落とされる。
何度も求めてくるアルベルトを受け入れながら、カトリーヌが眠りについたのは、明け方近くだった。
不意に頭を撫でられる感覚に目が覚めると、目の前にはアルベルトの顔があった。横になったままこちらを見ていたアルベルトは、少し恥ずかしそうに笑っていた。
「起こしてしまったかな。愛らしくてつい……」
そう言うと額に口づけをされる。そしてまた頭を撫でられた。
「眠らなかったのですか?」
「少し寝たよ。でももったいなくてな」
「これから沢山見られますよ」
「そうだけど、目が冴えてしまっているようだ」
気持ちを認めてからのアルベルトの愛情には際限がなかった。フェリックスも元々自分の気に入った人や物には執着するくせがあるようで、アルベルトを見ているとフェリックスの性格はアルベルト譲りなのかと納得してしまう。
「なぜ笑うんだ?」
「フェリックスと似ていると思いまして」
「確かに髪は私似だが、顔はむしろ母似だろう?」
「容姿のお話ではなく性格の事です」
アルベルトはピンときていないようで、考え込んだ。
「一つ気になっていた事があるんだが、聞いてもいいだろうか」
「今更遠慮しないでください」
「……俺がベルガー領へ遠征に行っている時手紙をやり取りしていたが、ある日を堺にルドルフの筆跡になったようだが、あれはどんな意味があったんだろうかと」
カトリーヌはすり寄るように広い胸に寄った。
「あれはアルベルト様からのお手紙がそうだったからです」
「俺の手紙がか?」
「いつかを堺に筆跡に変わっていたようでしたので、私もそうしてしまいました」
今思えばなんて小さな抵抗だったのかと思う。それでもあの時は少しでも同じ事をし返す事で、小さな矜持を保ちたかったのかもしれない。
「確かに俺の字ではなかった。あの時は剣を握り過ぎていたせいかペンを持つと震えてしまって上手く字を書く事が出来なかったんだ」
「怪我をされていたのですか!?」
とっさに腕に触れるとおかしそうに笑った。
「そうではなくて、小さい怪我は毎日していたが剣を持ってから細いペンに持ち替えると、どうしても筋肉が痙攣してしまってな。今はもちろん問題ないから心配しないでくれ」
「そんな、それなのに私ったら……」
「でも理由が分かって良かったよ。それも含めて俺が伝えれば良かったんだ。すまない事をした」
カトリーヌはアルベルトにしがみついていた。
「私が悪いんです! アルベルト様に嫌われていると思い、勝手にそうしてしまったんです」
「沢山のすれ違いをしてきてしまったようだ。これからはどんな小さな事でも話し合っていこう」
「アルベルト様。本当に愛しております」
「俺もだ。愛しているよ」
モンフォール領を馬で駆け抜けていく姿に、竪穴から出てきた兵士達は驚きながらその背中を追っていた。
「あれってカトリーヌ様だろう? お一人でいいんだろうか」
その後に続いて出てきたカールは驚いている騎士達に笑いながら言った。
「あれではアルベルト様もお大変だな」
言葉とは裏腹に嬉しそうなカールは、地下空間の最終確認をしてようやく穴を塞ぐ段階まできていた。
「カール! 間もなく陛下が領地入りなされるから屋敷に戻るようにって旦那様がお呼びよ!」
グリの後ろに乗ってきたエルザを見るなり、カールはぴくりと眉を動かした。
「わざわざエルザまで来たのか?」
するとグリは困ったように後ろを見た。
「男の嫉妬はみっともないぞ」
「「嫉妬?!」」
二人の声が重なる。そして顔を真赤にするとそっぽを向いてしまった。
あのグロースアーマイゼ国との一騒動があってから国王陛下は王位を退き、フィリップが国王になって一年が過ぎようとしていた。
エルザはカールの馬の後ろに乗り直すと、いつの間にか並走してきたカトリーヌに手を振った。
「お嬢様! お早く戻られないと陛下がご到着されますよ! アルベルト様も!」
エルザは大声を上げると、カトリーヌは手を振り返して馬を早めた。
「まさか少し習っただけで乗馬があれほどに上達するとは、恐るべしお嬢様ね」
「俺はまだアルベルト様とお嬢様が結婚していない事の方が驚きだけどな」
するとエルザは後ろで小さく笑った。
「お嬢様のご希望らしいわよ。きっとアルベルト様はやきもきしているでしょうね」
「お嬢様に理由を聞いたのか? 教えてくれよ! 俺だって心配しているんだぞ!」
「あなたに心配されなくてもお嬢様とアルベルト様は大丈夫よ」
前の方から小さな文句が聞こえてくる。エルザは微笑みながらカールのお腹に回す腕にそっと力を込めた。
ーー意地悪している訳じゃないのよ? だって、まだアルベルト様と恋人でいたいんだもの。私達には二人で愛を育む時間がまるでなかったのだから。そこは反省してもらわないとね。そして今度こそプロポーズして欲しいの。
そういうカトリーヌはとても幸せそうに笑っていた。
「ちゃんとアルベルト様がカトリーヌ様を満足させられたらきっと結婚出来るわ」
「えぇ! アルベルト様でもまだ駄目って、お嬢様は厳し過ぎるだろ」
「いいから早くお屋敷に戻りましょう」
カールは前に回っているエルザの手の甲を擦ると、馬を早めた。
この部屋に入るのはこれで二度目。アルベルトもじっとベッドを見つめたまま立ち尽くしている。そして遠慮がちに扉を閉めた。
「別にこの部屋でなくともいいんだぞ」
「何故ですか? 私がこの部屋がいいと言ったんです」
一度目とは違い今日は二人一緒に入ったからか、緊張感が増して手足は冷え切っていた。
「でもここには良い思い出はないだろう? 俺もあなたも。出来る事ならあの夜をやり直したいとずっと思っていたんだ」
カトリーヌはアルベルトの手を引きながらベッドに腰掛けた。及び腰になっているのはむしろアルベルトの方なのかもしれない。カトリーヌは大きな手をそっと両手で掴むと自分の頬に持っていった。
「私はあの夜を取り消したいと思った事はありません。だって、あの夜にフェリックスを授かったのですから」
するとアルベルトは痛むように顔を歪めた。
「そういう意味ではない」
「分かっております。色々な事がありましたが、その全てがあるから今こうして幸せだと感じる事が出来るのです」
「今幸せか?」
「もちろんですよ。アルベルト様はそうではないのですか?」
拗ねて見せると、アルベルトは慌てたように抱き締めてきた。
「そんな事はない! 俺はずっと幸せだった。申し訳ないくらいに」
「誰に申し訳ないんです?」
「戦争で死んでいった仲間、それに母。この家に嫁いだ母は不幸だったろうから」
カトリーヌはそっと腕を回すと、広い背中を抱き締め返した。
「幸せになる事を申し訳ないと思っておられるのですね」
「それともう一つ。どれだけ待っても父上はフェリックスの誕生日には出席しないと思う。おそらくだが、愛人への義理立てをしているんだろう」
「お子を授からなかったからですか?」
「祖父が手を回していたようだ。昔は父の愛人を憎んだりもしたが、今となればあの人もベルトラン家に人生を狂わされた一人だと思うと何とも言えないな」
いつかの義父の言葉が蘇っていた。
「もしかしたら、お義父様はその事をご存知だったんじゃないでしょうか」
「どういう事だ? 愛する女が子が出来ないと苦しんでいたんだぞ」
「前にお父様に子を授かり嬉しいものかと聞かれた事があるんです。憶測ですがお義父様はその方にお子が出来たらアルベルト様と対立してしまうかもしれないと考えたのではないでしょうか? アルベルト様の事も守る為に……なんて勝手な考えですね」
「いつか父とも話をしてみようと思う。いつになるかは分からないがな」
「それがいいですね。幸せになる事を拒まないでください。アルベルト・ベルトランという人だけが私とフェリックスを幸せに出来るのですから」
「誓おう。カトリーヌとフェリックスを幸せにするよ。そして生きている限り、幸せになる努力をすると」
アルベルトは腕の力を緩めると、カトリーヌの首筋に顔を埋めた。するとアルベルトはそこで深呼吸をした。
「この香り、また使っているんだな」
「ルドルフが用意していてくれたんです」
「この香りはあなたに良く似合っている」
そう言ってもう一度深呼吸してくる。しかし今度は不意に熱い舌で舐められてしまった。
「ふ、ン」
口から出てしまった声に思わず口元を押さえると、アルベルトはその手を掴んできた。
「そういう声も沢山聞かせてほしい。今日だけじゃなく、これからもずっと……」
返事をする間もなく口づけが降ってくる。カトリーヌは受け止めるのが精一杯で息を吸うものやっとだった。ようやく唇が離れた頃には息が乱れ、いつの間にかベッドに押し倒されていた。
「あの、灯りは?」
「消したくない。出来ればこのままがいいんだが、嫌か?」
灯りは多く置かれており、蝋燭の橙色の灯りに照らされたアルベルトは、目を背けたくなるほどの色気を纏っていた。するりと肩からガウンが落とされる。
何度も求めてくるアルベルトを受け入れながら、カトリーヌが眠りについたのは、明け方近くだった。
不意に頭を撫でられる感覚に目が覚めると、目の前にはアルベルトの顔があった。横になったままこちらを見ていたアルベルトは、少し恥ずかしそうに笑っていた。
「起こしてしまったかな。愛らしくてつい……」
そう言うと額に口づけをされる。そしてまた頭を撫でられた。
「眠らなかったのですか?」
「少し寝たよ。でももったいなくてな」
「これから沢山見られますよ」
「そうだけど、目が冴えてしまっているようだ」
気持ちを認めてからのアルベルトの愛情には際限がなかった。フェリックスも元々自分の気に入った人や物には執着するくせがあるようで、アルベルトを見ているとフェリックスの性格はアルベルト譲りなのかと納得してしまう。
「なぜ笑うんだ?」
「フェリックスと似ていると思いまして」
「確かに髪は私似だが、顔はむしろ母似だろう?」
「容姿のお話ではなく性格の事です」
アルベルトはピンときていないようで、考え込んだ。
「一つ気になっていた事があるんだが、聞いてもいいだろうか」
「今更遠慮しないでください」
「……俺がベルガー領へ遠征に行っている時手紙をやり取りしていたが、ある日を堺にルドルフの筆跡になったようだが、あれはどんな意味があったんだろうかと」
カトリーヌはすり寄るように広い胸に寄った。
「あれはアルベルト様からのお手紙がそうだったからです」
「俺の手紙がか?」
「いつかを堺に筆跡に変わっていたようでしたので、私もそうしてしまいました」
今思えばなんて小さな抵抗だったのかと思う。それでもあの時は少しでも同じ事をし返す事で、小さな矜持を保ちたかったのかもしれない。
「確かに俺の字ではなかった。あの時は剣を握り過ぎていたせいかペンを持つと震えてしまって上手く字を書く事が出来なかったんだ」
「怪我をされていたのですか!?」
とっさに腕に触れるとおかしそうに笑った。
「そうではなくて、小さい怪我は毎日していたが剣を持ってから細いペンに持ち替えると、どうしても筋肉が痙攣してしまってな。今はもちろん問題ないから心配しないでくれ」
「そんな、それなのに私ったら……」
「でも理由が分かって良かったよ。それも含めて俺が伝えれば良かったんだ。すまない事をした」
カトリーヌはアルベルトにしがみついていた。
「私が悪いんです! アルベルト様に嫌われていると思い、勝手にそうしてしまったんです」
「沢山のすれ違いをしてきてしまったようだ。これからはどんな小さな事でも話し合っていこう」
「アルベルト様。本当に愛しております」
「俺もだ。愛しているよ」
モンフォール領を馬で駆け抜けていく姿に、竪穴から出てきた兵士達は驚きながらその背中を追っていた。
「あれってカトリーヌ様だろう? お一人でいいんだろうか」
その後に続いて出てきたカールは驚いている騎士達に笑いながら言った。
「あれではアルベルト様もお大変だな」
言葉とは裏腹に嬉しそうなカールは、地下空間の最終確認をしてようやく穴を塞ぐ段階まできていた。
「カール! 間もなく陛下が領地入りなされるから屋敷に戻るようにって旦那様がお呼びよ!」
グリの後ろに乗ってきたエルザを見るなり、カールはぴくりと眉を動かした。
「わざわざエルザまで来たのか?」
するとグリは困ったように後ろを見た。
「男の嫉妬はみっともないぞ」
「「嫉妬?!」」
二人の声が重なる。そして顔を真赤にするとそっぽを向いてしまった。
あのグロースアーマイゼ国との一騒動があってから国王陛下は王位を退き、フィリップが国王になって一年が過ぎようとしていた。
エルザはカールの馬の後ろに乗り直すと、いつの間にか並走してきたカトリーヌに手を振った。
「お嬢様! お早く戻られないと陛下がご到着されますよ! アルベルト様も!」
エルザは大声を上げると、カトリーヌは手を振り返して馬を早めた。
「まさか少し習っただけで乗馬があれほどに上達するとは、恐るべしお嬢様ね」
「俺はまだアルベルト様とお嬢様が結婚していない事の方が驚きだけどな」
するとエルザは後ろで小さく笑った。
「お嬢様のご希望らしいわよ。きっとアルベルト様はやきもきしているでしょうね」
「お嬢様に理由を聞いたのか? 教えてくれよ! 俺だって心配しているんだぞ!」
「あなたに心配されなくてもお嬢様とアルベルト様は大丈夫よ」
前の方から小さな文句が聞こえてくる。エルザは微笑みながらカールのお腹に回す腕にそっと力を込めた。
ーー意地悪している訳じゃないのよ? だって、まだアルベルト様と恋人でいたいんだもの。私達には二人で愛を育む時間がまるでなかったのだから。そこは反省してもらわないとね。そして今度こそプロポーズして欲しいの。
そういうカトリーヌはとても幸せそうに笑っていた。
「ちゃんとアルベルト様がカトリーヌ様を満足させられたらきっと結婚出来るわ」
「えぇ! アルベルト様でもまだ駄目って、お嬢様は厳し過ぎるだろ」
「いいから早くお屋敷に戻りましょう」
カールは前に回っているエルザの手の甲を擦ると、馬を早めた。
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