聖女だった私

山田ランチ

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12 新たな神官長

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「でもよく考えればさぁ、ブリジット的には良かったんじゃないの?」

 ネリ―は口にポイポイ焼き菓子を放り込みながらソファにもたれ掛かっていた。
 マチアス所有の塔に入れずに戻ってから、ブリジットが失踪して十日が経過していた。あれからというもの国王への謁見も叶わず、リアムもマチアスも塔への立ち入り許可を出してはくれない。見張りも五人にされていた。公爵である父親になんとか国王との謁見を取り次いで欲しいと頼み込む為、二日間も公爵家の門の前で立つ羽目になるとは思いもしなかった。そしてなんとか今日、折れた父親が国王に取り次いでくれると了承を得る事が出来たのだった。たったそれだけの事に思った以上の日数が掛かってしまった。それでもあのように狭い空間に閉じ込められているブリジットを思えばどんな事も辛いとは思えない。今はただブリジットの身が心配で仕方なかった。

「お前は随分薄情だったんだな。ブリジット様の御身が心配じゃないのか」

 ハイスは苛立ちながら机に置いてある菓子皿を取り上げた。手の届かなくなったネリ―は不機嫌にハイスの腕にぶら下がる。しかし皿は更に上に掲げられた。
「だってブリジットは自分でリアム殿下の元に行ったんだよ。っていう事はまだリアム殿下が好きだったって事でしょ? 形はどうであれリアム殿下もブリジットを好きみたいだし? 想い合っている二人が一緒にいて何が悪いのさ」

 言葉を失ったハイスの手が不意に下がっていく。その瞬間を見逃さなかったネリ―は腕をよじ登ると更の上から焼き菓子をむんずと掴んだ。すかさずソファの上に戻り再び同じ格好でそれを頬張り出す。

「団長のそれはつまり嫉妬でしょう? ブリジット様にリアム殿下が触れるのが嫌なんだよ」
「なっ! 断じてそんな事はない!」
「あそ」
「あそ、だと? それだけか?」
「だって僕、別に団長の恋愛に興味ないもん」

 ハイスは盛大に頭を掻き毟ると部屋を出ていこうとした。

「あ、このお菓子美味しかったよ! また持ってきてね!」
「もうお前にはやらん! 第一誰が一人で食べていいと言った! 休憩時に皆で食べるようにと頂いてきたんだぞ」
「お父様によろしく!」

 言葉半分に勢いよく使用人部屋の扉を締める。廊下を歩いてきた者達が音でびくりとしていたが、気が付かないふりをして部屋の中を指差した。

「菓子があるがこのままでは全部ネリ―に食べられるぞ」

 すると若い使用人達は急いで部屋の中へと入っていく。すぐに中から女性の楽しそうな声を背中で聞きながら、盛大に溜息をついた。

「女性は強いな」

 ネリ―はブリジットを盲目的に敬愛しているのだと思っていた。だから塔に閉じ込められていると話せば、それこそこちらが止める側になるだろうとさえ思っていた。しかしネリ―のその後の態度は全くもって想像していないものだった。

――やったねブリジット! リアム殿下はまだブリジットが好きだったんだ!

 無邪気にそう言ったネリ―の言葉は、思いの他心の柔らかい部分に深く突き刺さった。
 確かに部屋を出るなと言っておいたのに、それを破って会いに行ったくらいなのだから相当会いたかったのは想像するに容易い。リアム殿下にそれ程までに想われる価値があるのかは別として、確かにリアムは女性が好みそうな容姿と性格だった。昔からいずれ王位を継ぐと言われ続けた王子は、その期待を裏切る事なく立派な王太子になったと思う。それでも今回の事は許せなかった。ブリジットが命を掛けて戦っている中愛人を作り、戻ってきた恋人に婚約破棄を告げたと思ったら他の男に取られるのが嫌だとばかりに、塔へ幽閉してしまった。今までのリアムからしたら考えられない気もしたが、それらは現に起こった事で、その原因の中に自分も入っているのだという事も許せなかった。

「ちゃんとお元気に過ごされているだろうか」

 聖騎士団の者達と交代で見張りを続けてきたが、あの塔にいることは間違いなさそうだった。食事も運ばれていくし、おそらく湯浴み用だろう。桶や湯、それに着替えも運ばれている。そして夜には必ずリアムが訪れる事も変わらない流れだった。

「やっぱり聖女様よね! 絶対にそうよ」
「私も聖女様だと思う」
「それなら賭けにならないじゃない!」

 笑いながら角を曲がってきた使用人達は、ハイスの姿を見て言葉を止めた。気まずそうにその横を通り過ぎていく。そして気がつくと声を掛けていた。 

「神殿に住まう者達のする事か。精霊様は視ておられるぞ」
「「申し訳ございません!」」

 二つ重なった声を背中で受けながら廊下を曲がってすぐ、壁を殴りつけた。もちろん石の壁はびくともしない。たった今使用人達に向けた言葉が跳ね返ってくる。

「精霊様は視ているか。全くだな」

 それならばきっとこの醜い心の内もすでにお見通しなのだろう。いくら口ではブリジットの身を案じていても、半分は自分の為に動いている。それが分かっているからこそ、噛み合わなくなり始めた心が悲鳴を上げ始めていた。
 いつの間にか、足は最深部の祈りの間へと向いていた。そこには神官長が相変わらず祈りを捧げている背中が目に入る。少し離れた場所で同じように膝を突き、水面を見つめ、そして目を閉じた。

 静寂の中、自分の息遣いだけが耳に入ってくる。目を瞑っているはずなのに目の前には瞼を閉じる寸前にみた水面が浮かんでいた。やがて水面に波紋が現れ始める。そして気がつくとその波紋の上に一人の男性が立っていた。長い髪に高い背。白い着流しを着ている姿は神々しい。しかし逆光の中にいるように、その顔を見る事は出来なかった。波紋が揺れると共にその人の姿も近づいてくる。そして目の前に迫ったその時、不意に肩を掴まれた。

「……ス、ハイス!」

 はっとして目を開けると、険しい顔をした神官長が覗き込んできていた。

「大丈夫か?」
「はい、まだ祈り始めたばかりですので」

 すると険しい顔は更に怪訝なものへと変わった。

「お前……、祈り始めてからかなりの時が立っているぞ。ほら、足も固まっているだろう?」

 言われて初めて膝に痛みが押し寄せてくる。立ち上がろうとしても力が入らず、そっと引き剥がすように片方ずつ膝を離すと激痛が走った。驚いて尻もちをつく。そしてしばらく呆然としていた。

「水面の上に人が現れて、とても美しいお姿でした。……お顔までは分かりませんでしたが」 

 自分でも滅茶苦茶な事を言っている自覚はある。尻すぼみしてしまう声を、神官長は分かっているとばかりに頷いた。

「どうやらお前はウンディーネ様に認められたようだな。お前が神官長の位を継ぐ時が来たようだ」
「私がですか? でも、神官長はあなたです」
「交代の時が来たのだよ」
「ですが、私は聖騎士団も率いております」
「今はもう邪気はないし、聖騎士団は一時解体でもいいだろう。もともと聖騎士団は邪気を祓う者達だ。他のいざこざは国の兵士達に任せればいい。お前達は本当によくやってくれた」
「しかし、わたしは家も継がなくてはなりません」
「お前は神官長になりたくないのか?」
「そんな事はありませんが……」
「神官長になれば今よりも発言の力が増すぞ。当たり前だろう? 神殿の最高職に就くのだからな」
「それでしたらブリジット様を塔から出す事も叶いますか?」
「それは交渉次第だが、もしかしたらお会いする事は叶うかもしれん。神官長職は国王に継いで地位のある役職なのだ」
「ならば何故ブリジット様の開放に声を上げて下さらなかったのですか!」

 恨めしそうに見上げたハイスに、神官長は申し訳なさそうに首を振った。

「私にはもうウンディ―ネ様のお姿は視えておらず、あの時はもう神官長を名乗る事は出来なかったのだよ」
「どういう、意味ですか?」

 腕を引かれるままその場に立ち上がると、神官長は寂しそうに水面を見つめた。 

「神官長の任に就くにはウンディーネ様のお姿を拝見出来なければ就けない。それは神官長から次代の神官長へと繋いでいく秘密なのだ。自然とその時は二人そばにいる時に起こる。それが神官長になる唯一にしてたった一つの条件なのだよ。そろそろ頃合いだと思っていた」
「でもなぜ私には視えたのでしょう。そんな資格があるとは思えません」
「ではなぜ資格がないと思う?」

 ハイスは答えられなかった。貴族である事も剣の腕が立つことも関係ない。聖騎士になれたのは祈りが伝わったからであって、それならば他にも聖騎士達はいる。他の者達よりは恵まれているとは思うがそれ以上はないように思えた。

「我らには分からないから、尊いのだ」

 俯いていた顔を上げると優しい瞳とかち合う。それだけで自然と涙が零れ落ちていた。

「今の私が神官長になったら間違いなく西の塔へ行きます。王族に謀反ありと取られてしまう可能性もあります。そうすれば神殿は……神殿の人々も捕らえられてしまうかもしれない」
「私は精霊ウンディーネ様を信じている。神殿の者達も。今この時にお前があの姿を視たのは精霊様のご意思である。お前はそれを信じないのか?」
「……信じます」
「本来なら儀式があるがそれは建前。儀式で神官長の位を継ぐのではない。精霊様のお姿を拝見した時、すでに神官長はお前になったのだよ」

 ハイスは強く頷くと走り出していた。
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