私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ

文字の大きさ
4 / 18

4 気がつけば、一年八ヶ月の月日が流れていました

しおりを挟む
 第一訓練所の寮は二年以上は一人部屋があてがわれている。とは言っても誰かが来れば分かる程には狭い部屋だった。ジャンは隣の友人の部屋で就寝前にチェスで勝負をしていた所、突然自分の部屋の扉が叩かれた音に、チェス盤をひっくり返してしまった。

「ジャンの部屋じゃないか?」

 友人がドアを開けた所で急に引っ込んでくる。後ろでぶつかったジャンは苛立ちながら、閉じかけたドアをぐいっと開けた。

「ジャン、ここにいたのか」

 激しく扉を叩いていたのはトリスタンだった。見た目はいつもの通りだが、ドアの叩き方からするに焦っていたのか苛立っていたのかのどちらだろう。どちらにしてもジャンにはその心当たりがあった。

「もうすぐ就寝の時刻ですよ。ここから二年の寮まではそれなりに遠いはずですが」

 数歩で詰め寄ってきたトリスタンは握り締めていた手紙をジャンの前に差し出した。すぐに部屋のドアを開けると、ポカンとしていたトリスタンを中へ促した。先程の大きな音で何事かと幾つかのドアが開いている。いらぬ噂が立つのはごめんだった。珍しく事態を飲み込むのが遅かったトリスタンと自室に入ると、手紙に視線を向けた。

「コレットからの手紙ですね」
「お前は知っていたのか? コレットがグレンツェ領に行くと」
「それはまあ。家族ですし」

 するとトリスタンの手の中で手紙がぐしゃりと握られた。

「なぜこんなに遅く連絡が来たんだ。ロシニョール家に遣いを出したら、もうとっくに出発した後だと聞いたぞ」
「そうですね、もう向こうに到着している頃ではないでしょうか?」

 珍しく苛立っているトリスタンの睨んでくる表情に、ジャンは思わず怯んでしまった。赤い髪が燃えているように見える。圧倒的な体格差にも負けずなんとか足に力を入れると、真っ直ぐに見返した。

「ロシニョール家はなぜ俺に何も言わず勝手な事をしたんだ」
「勝手だなんて、ただ少しの間旅行に行っただけですよ」
「手紙には見聞を広げる為とあるが?」
「結婚したらそういう機会も少なくなりますからね。少しでもトリスタン様のお役に立ちたいという想いからだと思います」

 するとトリスタンの眉間のしわが一層深くなった。

「俺は別にコレットに役に立って欲しいなんて思っていない。それとも俺はそんなに頼りないか?」
「まさか! ただの女心ですからどうかお許しください」
「でもあそこは隣国と近すぎる。それに王都からはどんなに急いで馬を走らせても四日はかかるだろう」

――四日? いやいや馬でも六日はかかるだろ。どれだけ飛ばす気なんだよ、この人。

 じっと見返すとトリスタンは我に帰ったように口を押さえた。

「コレットは何か言っていたか?」
「例えばなんです?」
「……俺について、何か言って旅立たなかったか?」
「そうですね、トリスタン様から連絡が来る事は今までなかったから、大丈夫だと思う。そう言っていました」
「なんだそれは」
「言葉の意味のままだと思います。今までトリスタン様から手紙を頂いたり、会いに来られたりはなかったと聞いておりますから。だから今回も少しくらい離れていても特に気にされないだろうと思ったのでしょう。それでも手紙を出したのは姉の心遣いです。もしその手紙がなかったら、姉がグレンツェ領に行っていたのを知ったのは、お土産を持って帰って来た時だったでしょうね」

 遠くで消灯の鐘の音が響き渡る。トリスタンは放心しているのか無言のまま部屋を出て行った。扉を締めて鍵を掛ける。そしてずるりとしゃがみ込んだ。 

「あっぶねぇ。間近のトリスタン様の迫力、すげえ」

 ジャンは今のやり取りを少し頭の中で反芻した後、小さく笑ってベッドの中に入った。

「少しくらい焦らせたっていいよな」

 しかしこの時のジャンは思いもしなかった。
 コレットは二ヶ月経っても、半年経っても、一年経ってもグレンツェ領から戻ってくる事はなかった。




「んん――! 久しぶりの王都! ああ空気が淀んでいるわ」
「グレンツェ領も王都もそんなに空気は変わりませんよ、お嬢様そろそろ中にお戻りください」

 後ろから腰を掴まれたコレットは渋々馬車の中へと戻った。馬車の中で広げていた書類を鞄にしまい始めたルネも心なしかソワソワしているように見えるのは気のせいだろうか。微笑みながらルネを見ていると、呆れたに盛大な溜め息が溢れた。

「お嬢様、本当にそのままで宜しいのですね?」

 視線が髪の毛に向いている事に気が付き、またかと頷いた。

「いいと言っているでしょう。二年近くも会わなければ皆、“雰囲気を変えられたのね”くらいにしか思わないわ」
「ですがせっかくの美しい白金の御髪を後ろで三編みだなんて。それにその丸眼鏡! せめてその眼鏡だけはお外しください」
「どうして? すっかり目が悪くなってしまったからこれがないと字が見づらいのよね」
「日常生活に支障はないのですから、書類を見る時だけにすればよいのでは?」
「でもわざわざ眼鏡を出し入れするのも面倒じゃない。それに私意外と似合っていると思うの」

 くいっと眼鏡の端を上げて見せると、再び盛大な溜め息が洩れた。

「高位貴族のご令嬢はそのような眼鏡はかけません。ドレスに合いませんからね。それに常に書類を見たりもしません。それにそのような三編みもしたりはしません。それに! そのような格好は致しません。これだけは譲れませんので、屋敷に到着次第お着替えくださいませ」
「ルネったらお母様みたい」
「お嬢様がすっかりグレンツェ領に染まってしまったからです。今のお姿を奥様がご覧になられたらなんと仰るか少しはお考え下さい!」

 さすがに申し訳なくなってしまい、固く握り締められているその手を取った。

「見た目がなによ。これだけ長期で家を開けられたのは叔父様がちゃんと私のしている事をお父様にご報告して下さってくれていたおかげなんだから。そうじゃなきゃ強制的に王都へ連行されているわ。お父様はそういうお方だもの。顔は地味だけどやる時はやるの」

 侯爵家当主の父親は城で外交官としても働いている。その中には他国との貿易も仕事の一つだった。父親がグレンツェ領から連れ戻さなかったという事は、それなりにコレットがグレンツェ領にいる事が有益だと判断したと取る事が出来た。鼻歌を歌いながら懐かしい外の景色を見ている所で、ふとルネが悲鳴を上げた。 

「どうしたの、そんなに大きな声を出して……」

 ルネの手には二通の手紙が掴まれている。その封筒には見覚えがあった。その瞬間、コレットの全身から血の気が引いていった。

「それはまさか、例の手紙なの?」
「そのまさかですお嬢様。どうしましょう。荷造りでバタバタとしており、書類に挟まったままになっておりました。申し訳ございません!」
「……もうしょうがないわね。だってここまで来てしまったんだもの。幸いお父様には叔父様から連絡が行っているはずだから到着はご存知のはずよ」
「ですが、もう一通の方は……」

 ルネは封筒の宛名を見て息を止めた。

ーートリスタン・デュボワ様

 トリスタンにも王都に帰るという知らせを出すつもりでいた。でも内容はほんの業務連絡のようなもので、この一年と八ヶ月の間、数通やり取りした内容も互いの近況を堅苦しく伝えていただけだった。その中に婚約者同士らしい甘い言葉は一つも散りばめられてはいなかった。
 最後のトリスタンからの手紙は二ヶ月前。卒業したトリスタンは近衛騎士団に配属され、クレマン王太子殿下の側近として任務に当たる事になったとの報告だった。交流戦に毎年選ばれる程の腕を持つトリスタンが公務を手伝いながら身辺の護衛もするのだ。これ程頼りになる側近がいるだろうか。いずれクレマン王太子殿下が即位すれば、トリスタンの地位は更に上るだろう。そう思うとトリスタンがとても遠くに行ってしまったように思えた。

「トリスタン様には屋敷に着いたらお手紙をお出しするわ。どちらにしてもお忙しいようだから、帰ったと言ってもすぐにはお会い出来ないと思うしね」
「直接お会いに行かれてはいかがですか? きっとトリスタン様もお喜びになられると思います」
「もう大人なのだから事前の連絡もなしに会いに行く程身勝手ではないわよ。それに今はもう王城勤務なのだからご迷惑が掛かってしまうわ。私と会っている間にクレマン殿下から離れてしまう事になってしまうもの」
「あのお嬢様がちゃんとお相手の事を考えていらっしゃるのですね」
「それは酷い誤解よルネ」
「でもジャンには怒られるかもしれないわね」
「昨年はせっかく代表に選ばれたのに帰れませんでしたからね」
「だから今年も選ばれてくれるといいんだけど」

 馬車は王都の街中に入り、速さを緩めていく。街の中からは菓子の甘い匂いや焼きたてのパンの香りが漂っている。そして騒がしい子供達の声や、楽隊の楽しそうな音が響いていた。馬車は大通りを抜けて坂を上がっていく。そして我が家の大きな門が見えた時には、思わず懐かしさで胸が締め付けられた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様

恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。 不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、 伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。 感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、 ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。 「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」 足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。 「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」 一度凍りついた心は、二度と溶けない。 後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、 終わりのない贖罪の記録。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

義兄妹になったその日、恋は帰る場所を失った

恋せよ恋
恋愛
「お前を愛しすぎて、壊したくないんだ」 十歳の時、葡萄畑で「将来結婚しよう」と指切りをした初恋の幼馴染。 けれど、親同士の再婚により、私たちは「同い年の兄妹」になった。 シモンは氷の貴公子と呼ばれながら、 夜な夜な女性を抱き、放蕩の限りを尽くす。 裏切られ、絶望した義妹メルローズは、邸を出る決意をする。 しかし、雨の中でメルローズを捕らえたシモンは、泣き叫んだ。 「お前の純潔を守るために、俺がどれほどの地獄にいたか、 お前は知らない!」 同居する恋しいメルローズを襲いたいという狂気的な衝動。 放蕩は、それを抑えるための代償だった――。 真実を知っても、逃げようとするメルローズ。 シモンは牙を剥き、圧倒的な執念で外堀を埋め、 メルローズを婚約者として檻に閉じ込めた。 すれ違った二人の初めてが重なる時、 狂おしいほどの溺愛が幕を開ける。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

恋人の気持ちを試す方法

山田ランチ
恋愛
あらすじ 死んだふりをしたら、即恋人に逃げられました。 ベルタは恋人の素性をほとんど知らぬまま二年の月日を過ごしていた。自分の事が本当に好きなのか不安を抱えていたある日、友人の助言により恋人の気持ちを試す事を決意する。しかしそれは最愛の恋人との別れへと続いていた。 登場人物 ベルタ 宿屋で働く平民 ニルス・パイン・ヘイデンスタム 城勤めの貴族 カミラ オーア歌劇団の団員 クヌート オーア歌劇団の団長でカミラの夫

どんなあなたでも愛してる。

piyo
恋愛
遠征から戻った夫の姿が変わっていたーー 騎士である夫ディーノが、半年以上の遠征を終えて帰宅した。心躍らせて迎えたシエラだったが、そのあまりの外見の変わりように失神してしまう。 どうやら魔女の呪いでこうなったらしく、努力しなければ元には戻らないらしい。果たして、シエラはそんな夫を再び愛することができるのか? ※全四話+後日談一話。 ※毎日夜9時頃更新(予約投稿済)&日曜日完結です。 ※なろうにも投稿しています。

身代わりの恋だと思っていました〜記憶を失った私に、元婚約者が泣いて縋る理由〜

恋せよ恋
恋愛
「君を愛している。一目惚れだったんだ」 18歳の伯爵令嬢エリカは、9歳年上のリヒャルト伯爵から 情熱的な求婚を受け、幸せの絶頂にいた。 しかし、親族顔合わせの席で運命が狂い出す。 彼の視線の先にいたのは、エリカの伯母であり、 彼の学生時代の恋人で「初めての女性」だった……ミレイユ。 「あの子は私の身代わりでしょう」「私はあなただけなの」 伯母ミレイユの甘い誘惑と、裏切りの密会。 衝撃の事実を目撃したエリカは、階段から転落し、 彼と過ごした愛しくも残酷な二年間の記憶だけを失ってしまう。 「……あの、どちら様でしょうか?」 無垢な瞳で問いかけるエリカに、絶望し泣き崩れるリヒャルト。 裏切った男と、略奪を企てた伯母。 二人に待ち受けるのは、甘い報復と取り返しのつかない後悔だった。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

旦那様は離縁をお望みでしょうか

村上かおり
恋愛
 ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。  けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。  バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。

白い結婚は終わりました。――崩れない家を築くまで

しおしお
恋愛
「干渉しないでくださいませ。その代わり、私も干渉いたしません」 崩れかけた侯爵家に嫁いだ私は、夫と“白い結婚”を結んだ。 助けない。口を出さない。責任は当主が負う――それが条件。 焦りと慢心から無謀な契約を重ね、家を傾かせていく夫。 私は隣に立ちながら、ただ見ているだけ。 放置された結果、彼は初めて自分の判断と向き合うことになる。 そして―― 一度崩れかけた侯爵家は、「選び直す力」を手に入れた。 無理な拡張はしない。 甘い条件には飛びつかない。 不利な契約は、きっぱり拒絶する。 やがてその姿勢は王宮にも波及し、 高利契約に歪められた制度そのものを立て直すことに――。 ざまあは派手ではない。 けれど確実。 焦らせた者も、慢心した者も、 気づけば“選ばれない側”になっている。 これは、干渉しない約束から始まる静かな逆転劇。 そして、白い結婚を終え、信頼で立つ家へと変わっていく物語。 隣に立つという選択こそが、最大のざまあでした。

眠り姫は十年後、元婚約者の隣に別の令嬢を見つけました

鍛高譚
恋愛
幼い頃、事故に遭い10年間も眠り続けていた伯爵令嬢アーシア。目を覚ますと、そこは見知らぬ大人の世界。成長した自分の身体に戸惑い、周囲の変化に困惑する日々が始まる。 そんな彼女を支えるのは、10年前に婚約していた幼馴染のレオン。しかし、目覚めたアーシアに突きつけられたのは、彼がすでに新しい婚約者・リリアナと共に未来を築こうとしている現実だった――。 「本当に彼なの?」 目の前のレオンは、あの頃の優しい少年ではなく、立派な青年へと成長していた。 彼の隣には、才色兼備で知的な令嬢リリアナが寄り添い、二人の関係は既に「当然のもの」となっている。 アーシアは過去の婚約に縋るべきではないと分かりつつも、彼の姿を目にするたびに心がざわめく。 一方でレオンもまた、アーシアへの想いを完全に断ち切れてはいなかった。 幼い頃の約束と、10年間支え続けてくれたリリアナへの誠意――揺れ動く気持ちの狭間で、彼はどんな未来を選ぶのか。 「私の婚約者は、もう私のものではないの?」 「それでも私は……まだ、あなたを――」 10年間の空白が引き裂いた二人の関係。 心は10歳のまま、だけど身体は大人になったアーシアが、新たな愛を見つけるまでの物語。 運命の婚約者との再会は、果たして幸福をもたらすのか――? 涙と葛藤の三角関係ラブストーリー、ここに開幕!

処理中です...