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本編2
モブ令嬢と王子は王都へと戻る3
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シャルル王子はへたり込みながら嗚咽を上げる王妃様を見ても、蔑むように一瞥するだけだった。
その視線は――氷のように冷たい。
小さな手に、そっと手を引かれる。そして私はシャルル王子によって、話し合いの席から立たされた。
「アリエル、この女の息がかからぬ土地へ行こう」
「シャルル様、だけどお話がまだ――」
「君を殺そうとした輩がいる場所に、もう用はない」
「でも、ぎゃふんがまだ……」
私は唇を尖らせる。
徹底的にこちらに有利な条件を突きつけ、それを飲めれば王都に残るし、飲めなければ交渉決裂でまた逃亡。
……というのが、私が考えた『ぎゃふん』だった。
妥協をしたら、また怯える日々に戻ってしまう。だからもう、零か百かしかないと思ったのだ。どちらに転んでも、悔しそうな顔の王妃様が見られるだろうし。
――まぁ、ぎゃふん以前に殺されかかったわけですけどね。
シャルル王子は無言で、私の手をぐいぐいと引っ張っていく。その足取りに迷いはない。
逃亡生活再び……か。
実家の子爵家に一度顔を見せてから――は迷惑をかけてしまうかな。逃亡生活中はフィリップ王子の影の方々が、時々父母の様子を教えてくれていた。その報告を聞くたびに「良かった、元気そうだなぁ」なんて思っていたけれど。もう一生、会うこともないのかな……
「二人とも、待ちなさい」
穏やかな、けれど逆らうことを許さない響きのある声が廊下に響いた。振り向くと、そこにはどこか疲れたような表情の陛下が立っていた。その後ろにはフィリップ王子も居る。
王妃様は側に居ない――謁見室に置いてきたのだろうか。
「シャルル、アリエル嬢。これからしばらく、妃は水の宮に置いておく。だから安心して王都に居てはくれないか?」
「――水の宮?」
陛下から告げられた聞き慣れない宮の名前に、私はきょとんとして首を傾げる。するとシャルル王子が、少し複雑そうな表情で説明をしてくれた。
「湖の真ん中にある小島に建てられた離宮だ。移動の手段は小舟だけ。……離宮という体の、幽閉施設だな」
「幽閉……」
その重々しい響きに、私の眉尻は自然に下がってしまう。
「妃は体が弱くすぐに寝込んでしまうからな。療養だと言って数年雲隠れをしていても、不審がる者は少ないだろう。アリエル嬢……彼女のした数々のこと、本当に申し訳ないと思っている」
陛下が――私に深々と頭を垂れる。
一国の王が臣下に頭を下げるなんて! しかも頭を下げられているのは、実に冴えないモブなのだ。この光景に、フィリップ王子とシャルル王子も目を丸くしている。
「な、なりません! 臣下に頭を下げるだなんて……お顔を上げてください!」
焦りながら私が乞うと、陛下はようやく頭を上げてくれる。そして、にこりと人の良さげな笑みを浮かべた。
「苛烈に見える妃だが、あれは弱いところもたくさんあってね。私はそれが可愛くて可愛くて仕方がないんだ」
「……はぁ」
突然の、惚気である。それに対応できず私は締まりのない返事を返してしまう。実母に聞かれたら『陛下になんて態度を!』って激怒されそうだなぁ。王妃様の弱いところ……? 私には想像もつかない。
「その可愛い妻の不始末の詫びに『身内』に頭を下げるくらいのことくらい、私は厭わないよ」
陛下と王妃様の間にも……いろいろなことがあったのだろう。
陛下の穏やかな表情は王妃様への慈しみに溢れていて、その柔らかさはシャルル王子が私に向ける表情に少し似ていると思った。
それにしても……
「――身内?」
陛下の言葉を思い返して、私は首を傾げた。
「君は、シャルルの婚約者だろう?」
「でも、陛下も私とシャルル王子の婚約に反対しているのでは」
「反対……してたんだけどね」
彼は言葉を切ってじっと私を見つめる。そして再び、唇を開いた。
「君はか弱いご令嬢に見えたから、王族の婚約者には向いていないと思っていたんだ。だけど先ほどの堂々とした君は、若い頃の妃によく似ていたからね。うん……大丈夫そうだ」
陛下の言葉に――私は目を丸くしたまま固まった。
王妃様に、似ている? 陛下は悪気なく褒めてくださっているのだろうけど、遠慮しておきたい。
私は絶対に、将来嫁いびりなんてしない!
「似てません! ぜんっぜん似てません!」
今まで私たちの話を黙って聞いていたシャルル王子が大声で割って入る。そして私に、ぎゅうっと抱きついて頬ずりした。
「――うん。似ていないぞ、父上。アリエル嬢に謝った方がいい」
フィリップ王子も苦笑を浮かべながら、言葉を挟んだ。
「……似てると、思うんだけどなぁ」
陛下はなぜか、実に残念そうな口調で言う。……そしてシャルル王子に向き直った。
「シャルル、時間がかかるとは思うが……いつか母上を許してやってはくれないか。あれは命がけで産んだお前のことが可愛くて仕方がないんだ」
「許しません。父上のそういうところが、あの女をつけ上がらせるのです」
シャルル王子はツンとしてにべもなく言ってから、陛下から顔を逸す。取り付く島もないとはこのことだ。
……シャルル王子が、頼りになるのがとても嬉しい。
だけどシャルル王子と王妃様は私が来るまで仲が良かったのだと考えると、少し申し訳ない気持ちにもなる。
――嫁姑問題はどの世界でも難しい。
そんなことを考えながら、私は小さく息を吐いた。
とにかく――私はこうして、本当に久しぶりの王都での平穏を得ることになったのだ。
王妃様はいずれ離宮から出てくるし、私の立場を考えると……これは一時的な平穏なのだろう。
それでも、シャルル王子が日陰の存在にならずに済んだことが。
私は……とても嬉しかった。
その視線は――氷のように冷たい。
小さな手に、そっと手を引かれる。そして私はシャルル王子によって、話し合いの席から立たされた。
「アリエル、この女の息がかからぬ土地へ行こう」
「シャルル様、だけどお話がまだ――」
「君を殺そうとした輩がいる場所に、もう用はない」
「でも、ぎゃふんがまだ……」
私は唇を尖らせる。
徹底的にこちらに有利な条件を突きつけ、それを飲めれば王都に残るし、飲めなければ交渉決裂でまた逃亡。
……というのが、私が考えた『ぎゃふん』だった。
妥協をしたら、また怯える日々に戻ってしまう。だからもう、零か百かしかないと思ったのだ。どちらに転んでも、悔しそうな顔の王妃様が見られるだろうし。
――まぁ、ぎゃふん以前に殺されかかったわけですけどね。
シャルル王子は無言で、私の手をぐいぐいと引っ張っていく。その足取りに迷いはない。
逃亡生活再び……か。
実家の子爵家に一度顔を見せてから――は迷惑をかけてしまうかな。逃亡生活中はフィリップ王子の影の方々が、時々父母の様子を教えてくれていた。その報告を聞くたびに「良かった、元気そうだなぁ」なんて思っていたけれど。もう一生、会うこともないのかな……
「二人とも、待ちなさい」
穏やかな、けれど逆らうことを許さない響きのある声が廊下に響いた。振り向くと、そこにはどこか疲れたような表情の陛下が立っていた。その後ろにはフィリップ王子も居る。
王妃様は側に居ない――謁見室に置いてきたのだろうか。
「シャルル、アリエル嬢。これからしばらく、妃は水の宮に置いておく。だから安心して王都に居てはくれないか?」
「――水の宮?」
陛下から告げられた聞き慣れない宮の名前に、私はきょとんとして首を傾げる。するとシャルル王子が、少し複雑そうな表情で説明をしてくれた。
「湖の真ん中にある小島に建てられた離宮だ。移動の手段は小舟だけ。……離宮という体の、幽閉施設だな」
「幽閉……」
その重々しい響きに、私の眉尻は自然に下がってしまう。
「妃は体が弱くすぐに寝込んでしまうからな。療養だと言って数年雲隠れをしていても、不審がる者は少ないだろう。アリエル嬢……彼女のした数々のこと、本当に申し訳ないと思っている」
陛下が――私に深々と頭を垂れる。
一国の王が臣下に頭を下げるなんて! しかも頭を下げられているのは、実に冴えないモブなのだ。この光景に、フィリップ王子とシャルル王子も目を丸くしている。
「な、なりません! 臣下に頭を下げるだなんて……お顔を上げてください!」
焦りながら私が乞うと、陛下はようやく頭を上げてくれる。そして、にこりと人の良さげな笑みを浮かべた。
「苛烈に見える妃だが、あれは弱いところもたくさんあってね。私はそれが可愛くて可愛くて仕方がないんだ」
「……はぁ」
突然の、惚気である。それに対応できず私は締まりのない返事を返してしまう。実母に聞かれたら『陛下になんて態度を!』って激怒されそうだなぁ。王妃様の弱いところ……? 私には想像もつかない。
「その可愛い妻の不始末の詫びに『身内』に頭を下げるくらいのことくらい、私は厭わないよ」
陛下と王妃様の間にも……いろいろなことがあったのだろう。
陛下の穏やかな表情は王妃様への慈しみに溢れていて、その柔らかさはシャルル王子が私に向ける表情に少し似ていると思った。
それにしても……
「――身内?」
陛下の言葉を思い返して、私は首を傾げた。
「君は、シャルルの婚約者だろう?」
「でも、陛下も私とシャルル王子の婚約に反対しているのでは」
「反対……してたんだけどね」
彼は言葉を切ってじっと私を見つめる。そして再び、唇を開いた。
「君はか弱いご令嬢に見えたから、王族の婚約者には向いていないと思っていたんだ。だけど先ほどの堂々とした君は、若い頃の妃によく似ていたからね。うん……大丈夫そうだ」
陛下の言葉に――私は目を丸くしたまま固まった。
王妃様に、似ている? 陛下は悪気なく褒めてくださっているのだろうけど、遠慮しておきたい。
私は絶対に、将来嫁いびりなんてしない!
「似てません! ぜんっぜん似てません!」
今まで私たちの話を黙って聞いていたシャルル王子が大声で割って入る。そして私に、ぎゅうっと抱きついて頬ずりした。
「――うん。似ていないぞ、父上。アリエル嬢に謝った方がいい」
フィリップ王子も苦笑を浮かべながら、言葉を挟んだ。
「……似てると、思うんだけどなぁ」
陛下はなぜか、実に残念そうな口調で言う。……そしてシャルル王子に向き直った。
「シャルル、時間がかかるとは思うが……いつか母上を許してやってはくれないか。あれは命がけで産んだお前のことが可愛くて仕方がないんだ」
「許しません。父上のそういうところが、あの女をつけ上がらせるのです」
シャルル王子はツンとしてにべもなく言ってから、陛下から顔を逸す。取り付く島もないとはこのことだ。
……シャルル王子が、頼りになるのがとても嬉しい。
だけどシャルル王子と王妃様は私が来るまで仲が良かったのだと考えると、少し申し訳ない気持ちにもなる。
――嫁姑問題はどの世界でも難しい。
そんなことを考えながら、私は小さく息を吐いた。
とにかく――私はこうして、本当に久しぶりの王都での平穏を得ることになったのだ。
王妃様はいずれ離宮から出てくるし、私の立場を考えると……これは一時的な平穏なのだろう。
それでも、シャルル王子が日陰の存在にならずに済んだことが。
私は……とても嬉しかった。
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