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獅子の麗人は困惑する

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「次! もうかかってくる者はいないのか!」

 訓練場の中央で、私は咆哮を上げた。
 周囲には十数人の騎士たちが、無様に這いつくばっている。
 ……彼らを這いつくばらせたのは、私なのだが。
 私は日々、騎士たちと剣の稽古をしている。ふだんはそこまで長居しないのだが……今日は長居をしたい理由があった。

「手加減しないにもほどがあるでしょう……イテテ」
「こんなにしごかれるとは、ツイてねぇな。今日の侯爵様はご機嫌ななめか?」

 ――聞こえているぞ。

 そんな思いを込めてじろりと睨むと、騎士たちは慌てて立ち上がりピンと背筋を伸ばす。
 我がブリーゲル侯爵家の騎士団は、この国きっての猛者たちの集まりである。……そのはずだ。そうでなければ、私が許さない。

「何人でもまとめてかかって来い。今日の私は機嫌がいいから……いくらでも稽古に付き合ってやる」

 私の言葉を聞いた皆はどよめき、訓練を見守っていた堂々とした体躯と紅の髪を持つ獅子族の騎士団長が、ひくりと頬を引きつらせる。そして騎士団長は、慌てた様子でこちらへと駆け寄って来た。

「侯爵様。多くの者は『純血の獅子』のしごきに長時間は耐えられませぬ。これくらいで、勘弁してやってはくれませんか」
「――そうか。では、彼らは休ませよう。しかし私の体力はまだまだ余っていてな。貴殿が少し付き合ってくれ」

 地面に落ちていた模擬剣を足で蹴り飛ばすと、それは正確に騎士団長へと飛んでいく。模擬剣を慌てて受け取ると、彼は涙目になって震えながらそれを構えた。

 獅子族の男が、なんて顔をしているのだ。

 私はため息をつきたくなった。
 とはいえ他種族の血を入れていない『純血の獅子』と、他種族の血が混じった獅子――口が悪い者は『雑種』と呼ぶ――の間には大きな身体能力の差がある。獅子族が多く住むブリーゲル侯爵家の領内ですら『純血の獅子』の人口割合は少ないのだ。そして騎士団長は『他種族の血が混じった獅子』だ。

「お嬢様~!」

 ……気の抜ける愛らしい声が、遠くから聞こえた。
 また私をお嬢様と呼んで……いや、それはこの際いいとしよう。
 私が模擬剣を地面に投げると、周囲からはほっとしたような息が漏れる。
 ……私の稽古はそんなに嫌か? 軟弱者どもめ。

「アウレール……」

 私はため息で押し出すようにして、その名前を口にした。
 今朝は彼と顔を合わせるのが気まずくて……逃げるようにして訓練場へと来てしまった。
 私は、男慣れしていない。だから口づけしかしていないとはいえ、男女の雰囲気になった男に対してどういう顔をしていいのかがわからなかったのだ。
 いつまでも逃げられないのはわかっているが、もう少しだけ心の整理をする時間が欲しかった。なのに……
 とてとてという軽い足音が近づいて来て、もう一度「お嬢さ……エーファ様!」と愛らしい声に呼ばれた。
 慌てたように間違いを言い直すのが……可愛すぎるんだが!
 私は気持ちを落ち着かせるために数度深呼吸をすると、アウレールへと顔を向けた。

「アウレール、なにをしに来たんだ?」
「いつも鍛錬ご苦労さまです。お昼なのでメイド長に言われてお弁当を持ってきました!」

 私の問いに明るく返して、アウレールはバスケットを掲げてみせる。そして花が咲くような笑みを浮かべた。

 ……可愛い、可愛いのかたまりか!

 思わずにやけそうになる口元を、私はぎゅっと引き締める。

「そうか、ご苦労だったな。帰って――」
「エーファ様。今日は天気がいいですから、騎士団の施設内ではなく外のどこかで食べませんか? 僕もお供します!」

 私の『帰っていい』という言葉を遮るようにアウレールが言葉を重ねる。抗議しようと彼に目をやると、大きな瞳ですがるように見つめられた。
 そんな目をされたら……私に逆らう術はない。

「……わかった。私は昼食の後に公務へ戻る。皆は引き続き、鍛錬に励むように」

 小さな従僕に続いて訓練場を去ろうとすると「……やっとあの男女が居なくなるな」と誰かがつぶやく声が聞こえた。

 ――それを聞いて、私はぴたりと足を止めた。

 病で亡くなった父は……多くの騎士たちから慕われていた。
 戦場では鬼神のような強さを発揮し、しかし常日頃は皆に優しくおおらかで。
 そんな父は皆に好かれて当然だった。

 その後釜に私のような『女』が座ってまだ半年だ。
 
 父を慕っていた騎士たちが反感を覚えても当然だろう。
 しかし――当然だとはわかっていても、主を軽んじるような騎士をこの地に置くわけにはいかない。
 今の当主は私だ。そしてこの騎士団は、当然私の支配下にあるのだから。
 足元を『軽く』踏みつける。するとメキメキと軋むような音を立てながら硬い地面がへこみ、大きな亀裂が入った。それを見て、騎士たちは驚愕といった声を上げる。

「騎士団長。先ほどの発言をした者に適切な処分を」
「は……はっ!」

 振り返らずに足を踏み出す私の背中に、団長の引きつった声が被さった。

 あんなものは『女』ではないと言われるのに、『男』と同じには扱ってもらえない。
 どの『男』よりも武功を上げても、『女』というだけで軽んじられる。
『男』より強くとも、姿形がどれだけ『男』に似ていても、私はあくまで『女』なのだ。

 私という生き物は中途半端で……救いがないな。
 口元には、つい自嘲気味な笑みが浮かんでしまう。

 その時……優しく手が握られた。誰のものかは見なくてもわかる。アウレールの、小さくて華奢な手だ。

「泣きそうな顔をしないでください、エーファ様」

 続けて甘い声音で囁かれ、手の甲を指で撫でられる。
 アウレールに目をやると、彼は眉尻を下げて悲しそうにこちらを見つめていた。
『主人に触れるなど無礼だ』と言わなければならないのだろうが……。愛らしい顔を見ていると、そんな気持ちは萎んでいくのだからずるいと思う。

「アウレール、私はそんな顔をしているか?」
「はい。……頭を撫でてお慰めできればいいのですが、僕では手が届かないのが残念です」

 冗談かと思って笑おうとしたが、彼の表情は真剣だ。
 幼い頃に母は亡くなった。
 父は『跡継ぎ』になる私に厳しかった。
 ……記憶の糸をいくら手繰ってみても、誰かに撫でられたような記憶は私にはない。

「頭など……誰かに撫でられた記憶はないな」
「じゃあ、僕が撫でます」

 アウレールは強い口調で言うと、手をしっかりと握り直して私を引っ張り歩こうとする。

「手が、届かないんだろう?」
「……届かなくても、撫でるんです」

 きっぱりとそう言って歩く小さな背中を見ていると、胸がどくどくと強い動悸を刻む。

 ……アウレールは見た目に反して、ずいぶんと男らしいようだ。

 そう考えたのと同時に昨夜の唇の感触を思い出して、頬がカッと熱くなった。

「エーファ様、あそこの木陰が食事にちょうど良さそうですね」

 言われて前方に目を向けると、どっしりとした大木が植わっている。たしかにあの下だと涼しいだろうな。

「準備をしますので、お待ちくださいませね」

 アウレールはそう言うと私の手を離してから大木へと向かい、地面に布地を引いたりバスケットの中身を出したりと食事の準備を整えはじめた。
 先ほどまで手の中にあった温かさが消えてしまったことが、なぜだか寂しい。
 そんな気持ちに戸惑いながら、私はアウレールを見つめていた。
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