眠らせ姫と臆病侍

すなぎ もりこ

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眠りたくない僕

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 浅緋は目を開いた。
 目に入ったのは天井。
 両脇に迫るシンクと食器棚。

 (またここか…)

 しかし何故。
 今日は確か水曜日だよ、なぁ……
 上茶谷さんだっていな……
 浅緋は頭の下の柔らかい感触に気付く。
 クッション……

 浅緋は勢いよく起き上がり、カウンターの向こうのリビングに視線を向ける。
 上茶谷の姿はなかった。

 (帰ってしまったぞ、くそ、俺は何をしたんだ?!抱きついたのか?まさか押し倒したりはしてないよな?!)

 浅緋は床に座り、膝を抱えた。

「くそっ、こんな筈じゃっ、上茶谷さんっ……」
「はい」

 上茶谷がカウンターの角から顔を出した。
 浅緋は暫し惚けた後、四つん這いで近づいた。

「か、帰ってなかったの!」
「こんな所で眠りこんだ広瀬さんを置いて帰れませんよ」

 上茶谷はカウンターを挟んだリビングの床で、同じように膝を抱えて座っていた。

「俺、上茶谷さんに抱きついたの?な、何か言った?」

 上茶谷は浅緋をじっと見た後、膝に顔を埋めた。
 浅緋の血の気が引いた。

「な、何したの?俺、上茶谷さんに」
「……言って良いんですか?」
「聞くの怖いけど……言って!」
「私の事が好きみたい、と」

 浅緋は硬直し、顔を覆った。
 ……なんて事だ。
 何があったのか知らないが、思い余って告白してしまったらしい。

「それで……」
「そ、それで抱きついたの?」
「抱きついたというか、あの、キス、を」

 浅緋は愕然とし、未だ膝に顔を押し付けたままの上茶谷を見た。

「俺が……上茶谷さんにキスを……したの?」
「はい」
「……嘘だろ?」

 上茶谷はギュッと膝を抱え込み、小さくなった。

「そうですよね?多分、気の迷いだと思います!広瀬さんが私なんぞに……」
「全然覚えてない!!」
「ええ、ですから、忘れて貰って結構です」
「嫌だ!!」

 上茶谷は顔を上げて浅緋を振り返った。

「やっと、やっと、上茶谷さんとキス出来たのに、覚えてないなんて……クソっ」

 浅緋は床に頭を伏せた。

「勿体ない!何で覚えてないんだ!あーーーくそっ!」
「あの、広瀬さん」

 上茶谷の戸惑ったような声を聞きながら、浅緋は床に額をガンと打ち付けた。

「ということは、この先ずっと上茶谷さんに触る度に記憶を無くすって事じゃないか!抱き締めてもキスしても忘れてしまう。それに……このままじゃ、永遠に上茶谷さんとエッチ出来ない」
「エ、エエエエエッチ!!」
「上茶谷さんとエッチ出来ない!Fカップに挟めない!!」
「ひっ、広瀬さんんんーーー?!」

 上茶谷の裏返った声に、浅緋はハッと我に返った。
 取り乱して、言ってはならぬことを言ってしまった気がする。
 そっと目を上げると、上茶谷が顔を真っ赤に染めてふるふると震えていた。

「そんなっ!いやっ、いやらしいことをっ!」
「だって、考えちゃうんだよ!俺達は毎週末抱き合ってるんだよ?不埒な気持ちが沸いて当然だろ?!男の性だよ」

 浅緋は開き直って主張する。

「で、でも、精力は吸い取られてる筈ですよ?」
「上茶谷さん、性欲は吸い取られてもまた沸くものなんだよ」
「広瀬さん、目を覚まして下さい、何も私ような者が相手じゃなくても良い筈です!Fカップに拘らないで下さい、思うよりたいしたことありませんから!」

 上茶谷は胸を隠すように自らを抱き締めた。
 浅緋は必死で弁解する。

「そりゃFカップは魅力的だけど、俺が上茶谷さんとそういうことをしたいと思うのはそれだけが理由じゃないよ、上茶谷さんの事が気になってしょうがないんだよ、しょっちゅう考えてる……上茶谷さんと縁で繋がっていることを願ってしまうくらい」

 浅緋は正座をして顔を覆う。
 そう、考えるのが怖くてずっと避けていたこと。
 だけど、これまでは効いていたはずのストッパーが役に立たないほど、気持ちが傾いている。

「上茶谷さんの憑き物のせい、それか俺の儀式の反動も関係しているのかもしれない。衝動と感情がぐちゃぐちゃになって乱れてる。普通じゃない環境におかれて一時的におかしくなっているだけなのかもしれない」
「広瀬さん……」
「だとしたら、君を傷付けるだけの想いだ、わかってる」

 浅緋は込み上げる感情に息が苦しくなる。
 それでも声を絞り出した。
 言わずにはいられない。

「でも……今の俺は君に触れたくてしょうがない。ずっと、もっと側にいたいんだ」

 上茶谷は黙っている。
 情けなく声を震わせて発した自分の声の余韻が耳に残る。
 掌で覆われた目を閉じると、目尻に涙が滲むのがわかった。
 浅緋は呼吸を整える。

 こんな告白をされて、上茶谷は戸惑っていることだろう。
 上茶谷は違うと言ったが、所詮ヤリチンのスケコマシだ。
 親切ヅラで弱味に付け込んで利用するような卑怯者だ。
 好きになんてなってもらえる訳が……

「あのぅ、じゃあ、私、フックを付けます!」

 浅緋は上茶谷の発した不可解な言葉に眉を寄せた。
 そろそろと手を外して視線を向ける。
 上茶谷は床に手を付いて、身を乗り出していた。

「広瀬さんが投げて下さった縁の紐を、カラビナで受け止めます!いや、決して外れないように腰に巻いて結びます!私、ロープワークは得意なんで!」
「えっと、それは……どう」
「私、縁は結ぶものだと思ってます。私も広瀬さんと縁で繋がりたい。だから、結ぶんです!」

 上茶谷は鼻息も荒く、握った拳を掲げた。

「上茶谷さん……本当に?」
「私のようなクソダサい変わり者で良ければ、是非!!」

 浅緋は感極まって上茶谷に手を伸ばしたが、すんでのところで止めた。

「ここで君を抱き締めたら、また例のアレが発動する。今の事を忘れる訳にはいかない」

 浅緋は床に突っ伏した。
 ああ……辛い。
 こんなに気持ちが盛り上がってるのに触れないなんて。

「上茶谷さん……好き」
「は、ははいっ、ありがとうございます!」
「触りたいけど……我慢する」
「我慢して頂いてありがとうございます!」

 浅緋は床に額を付けたまま笑う。
 相変わらずズレている。
 でも、そんなところも堪らなく面白くて可愛いと思ってしまうんだよ。
 浅緋は身体を起こして上茶谷に向き合った。

「上茶谷さん、君に憑いているものを祓ったら、キスもその先も許してくれる?」

 上茶谷は慌てて移動し、浅緋の正面に正座をした。

「はい……あの、挟むの!勉強しておきます!」
「……最初っからそれは良いよ」

 浅緋は上茶谷の手を取って握る。

「これくらいなら大丈夫だよね」
「おそらく」

 上茶谷は頬染めて俯いた。
 浅緋は微笑む。
 まるで恋を覚えたての中学生みたいだ。
 ああ、でも幸せだ。
 問題もやらなきゃならないことも山積みだけど、今はこの心地に酔っていたい。

「上茶谷さん、好き」
「何度もありがとうございます!」

 上茶谷は目をギュッと瞑って答える。
 浅緋は握る手に力を込めた。
 絶対離さない。
 縁が結ばれていなかったら結ぶまでだ。
 そう、彼女が決して外れないように結んでくれると言った。
 自分は遠慮なく放つまでだ。
 呆れられるほど、気持ちを告げよう。

 浅緋は荒れ狂いそうになっていた身の内の獣を飼い慣らす。
 これを放つのはまだ先だ。
 その日が必ず来ると信じる事が出来るから。
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