スノウ・ホワイトは家出中

すなぎ もりこ

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「グリンバルド様は書斎でございます」
 侍女長はにこりともせずに告げた。
「先ほど領地を見回りされてお戻りになられたところです。一刻後にはお出かけになると聞いておりますので、お話しされるのであれば手短になさるのが良いでしょう」
 暗に邪魔をするなと言っているようなものである。
「すぐに済む。たいした用でもない」
 ツンと顎を上げて横をすり抜けるスノウを、侍女長は無言で見送っていたが、程なく抑揚のない声が追ってきた。
「スノウ様、差し出がましいようですが、多少でも当主としてのお務めをなさるべきではないでしょうか」
 足を止めたスノウは、振り返らずにあとに続く言葉を待つ。いつもなら聞き流して逃げ去るところだが、珍しくも聞いてみても良いという気持ちになっていた。
「グリンバルド様にすべてを押し付けるというのはいかがなものでしょう。スノウ様も秋には二十歳におなりです。グリンバルド様はスノウ様が正式な当主となるためのお手続きを準備しておいでです。いつまでも逃げ回っているわけにはいかないでしょう」
「お前、僕にこの家の当主が務まると思うか?」
 顔だけを向け、口の端で笑うスノウに、侍女長は真顔で応じる。
「先代の血を引くのはスノウ様おひとりだけです」
「僕は相応しいかどうかを聞いているんだ」
 廊下の先の窓から差し込む光が、やせぎすな身体の前に長い影を作る。彼女は少しの間のあと、口を開いた。
「スノウ様が二十歳になるまでグリンバルド様が仮の当主を務める。それが、先代の遺言です。スノウ様に当主としての適性があるかどうかなど関係ないのです。私どもに口を挟む権利などありません」
 どいつもこいつも言うことは同じだ。決して本心を明かさない。
 スノウは舌打ちを堪えながら低い声で侍女長を問い詰めた。
「お前は僕がこの家を潰しても構わないというのか」
「そうならないために、覚悟を決めてほしいと願ってはおります」
「グリンバルドがいれば、この家に僕など必要ない」
 侍女長は眉を顰め、痛みを堪えるように僅かに下を向く。
「あの方を残していくのですか」
 思いもかけない言葉に、スノウは目を見開いた。
 小さな頃からこの家に仕える侍女長は、結婚を期に屋敷の近くに居を構え、通いで勤めている。この家で起きた悲劇の一部始終を見てきた人間だ。頼りない跡取りのみが遺された前途多難の家を見捨てることを選ばず、静かに、この家を支えてきた。
「そうか、お前も所詮、グリンバルド側の人間なんだな」
 スノウは背後を振り向き、侍女長を睨む。両の拳を握りしめ声を振り絞った。
「血の継承にこだわる必要なんかない。養子が家を継いでいる例など腐るほどあるじゃないか。それに、いつまでも腫れ物に触るように扱って僕の居場所をなくしたのはお前たちだろう? いまさら必要だなんて虫がいいと思わないか?」
 侍女長は目を伏せた。身体の前で組まれた手が小さく震えている。
「……そんなつもりは、ありませんでした」
「そうかもしれない。でも、結果的にそうなった。僕はこの家が嫌いだ。息がつまる」
「スノウ様、けれど――」
 何かを言いかけた侍女長の言葉を遮るように、スノウは床を踏みつけた。
「僕が相続を放棄すればすべてが丸く収まる! グリンバルドは領主の座を手に入れ、お前たちは変わらぬ生活が約束されるんだ! 何の不満があると言うんだ!」
 スノウは踵を返し、激情に支配されたまま廊下を進む。自分の立てる足音に煽られ、怒りは加速していく。そうして目当ての部屋にたどり着くと、スノウは拳を振り上げた。
 扉に打ち付けた拳がじんじんと熱い。昔から自分の身体を痛めつけることだけはしなかった。自分の取柄は容姿だけだと知っていたからだ。
 赤くなった小指の関節を見て、奥歯を噛みしめる。
 長い髪を自ら切り落とした、あの日以来の痛みだった。
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