守るべきモノ

神崎

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 作品の修正をしながら倫子は少しため息を付いた。泉が帰ってくると言っていた割には遅すぎる。春樹もまだ帰ってきていないし、やはりこの年末にいろんな事件が起こりすぎているのかもしれない。そう思いながらパソコンの端にある時計を見た。そしてぐっと伸びをする。
 寝る予定はないのに布団を敷いているのは、このところ春樹がここに来て眠っているから。倫子が隣にいるとよく眠れるらしい。最初は少し戸惑った。倫子はセックスをしたあと、そのまま眠ることはあまりなかったから。
 したいだけだろう。そう思っていたから、横で眠る感覚がよくわからない。だが春樹は違う。目を覚ましたとき、春樹が隣にいるのが幸せだと思えた。
「倫子。」
 ドアの向こうで声がする。伊織の声だ。
「どうぞ。」
 ドアを開けると、もう部屋着に着替えている伊織がいた。半纏を羽織っていて、さすがにそれはないよと倫子も泉も言っていたが布団をかぶっているようで温かいらしい。
「春樹さんから連絡があったよ。」
「連絡してきた?」
 携帯電話を見ると確かに着信があった。集中していたので気が付かなかったのだろう。
「例の事件で、「戸崎出版」は本社の指示から、女性を一人で帰社させないようにって。」
「しっかりした会社ね。」
「今日は日が変わるまでしか残業しないようにって。それから女性は、社用車とか自家用車を持っている人が送るようにって言われたらしい。春樹さんも同じ方面の人は送って帰るって。」
「上に立つ人だからそれくらいするでしょうね。」
 やはり「戸崎出版」はしっかりした会社だ。元々は「青柳グループ」のように外資系だったらしいが、外資系はどうしてもその国の情勢や作用される。だから自分の会社の地盤をしっかり固めたいと、若き社長は思っているらしい。
 「青柳グループ」は違う。自ら立ち上げることなく、買収や吸収で大きくなった会社だ。
「泉がいる会社って、元々コーヒーの卸をしている会社だったかな。」
「そう。コーヒーとか紅茶とかを輸入している会社みたいね。カフェ事業に手を出したのは正解だったのかもしれないわ。」
 あのコーヒーの淹れ方をしていたのは相馬という女性だった。倫子の記憶の中のその女性は、がりがりに痩せていて首もとに常にスカーフを巻いていた。たまに髪の長い女性が来て、コーヒーの淹れ方や媒染の仕方を教えていたようだが、あの建物が無くなってその女性も見なくなった。
「でも、泉ってその会社の社員じゃないんだって言ってたな。」
「うん……。あの子ね、元々本屋でバイトをしていたの。そのつてで就職も決めた。なのに会社の方針で、あの店舗に移動になったのよ。」
 カフェと併設したいと「book cafe」を立ち上げたのだが、肝心のバリスタが集まらなかったのだ。そこでバリスタの資格を持っている泉に臨時で入ってもらうようにしたのだ。
「……そうだったんだ。でも何でバリスタの資格なんか持ってたの?」
「たまたまよ。私の本で「白夜」という本があるんだけど、その本の中にバリスタが出てくるの。」
「あぁ。見たことがあるよ。」
「そのとき必要だからと思って、バリスタの資格の資料を集めていたときに泉が取っておこうかなって言ってたの。まぁ、資格はあって邪魔になるものじゃないしね。」
 そんなものをとってどうするの?と倫子は呆れたように泉に言った。だが泉は笑いながら、倫子に言う。
「バリスタの資格持ってたら、いつでも倫子に美味しいコーヒーを淹れてあげられるじゃない。毎朝、淹れてあげるから。」
 そんなときから泉は倫子を大事にしていたのだ。呆れていたのだが嬉しいと思った。
「今は、それが仕事になっているから、何が飯の種になるかわからないわね。」
 コーヒーやお茶にこだわりはない。だが泉のコーヒーだけは美味しいと思う。別に特徴的な淹れ方でも、他の人と違ったものでもない。だがあの建物の片隅で、コーヒーの匂いに包まれながら文字を追っていくあの時間が贅沢だった。
「……倫子は資格は持ってないの?」
「持ってるわ。一応、私、高校の国語は教えられるのよ。」
「高校の?」
 意外だったが、倫子のような教師が居たら絶対生徒からも同僚からも煙たがられるだろう。歯にきせない物言いだからだ。
「あとは車と、バイクも持ってる。」
「よく取ったね。」
「バイクは気持ちいいわよ。あなたは持っていないの?」
「俺、車も持ってなくてさ。必要だからと思って、原付だけは持っているけどね。でも、大きいバイクは気持ちいいんだろうな。」
「春樹も持っているのよ。」
「春樹さんが?」
 意外だった。だがあの体格だから、きっと大きなバイクはきっと似合うだろう。
「バイクでツーリングがしたいって言っていたけれど、行こうって言っていた日は雨が降っていたし……。もっと暖かくなったら行っても良いわね。」
 デートのようなことをするのだ。それが少し悔しい。春樹はもう独身なのだ。倫子とデートをしていても何もとがめられることはない。本来なら、この家だって春樹と二人で住んでいても良いのだ。邪魔だと言われているように思える。
「あぁ。そうだった。伊織に渡したいものがあったのよ。」
 倫子はそういって立ち上がると、いつも持っているバッグの中から綺麗な包みを取り出した。白い包み紙は、レースが使われている。
「え……俺に?」
「メモパッドのお礼よ。」
「良いのに。あまり高くなかったんだから。」
「良いからもらっておいて。」
 その中を見てみると、そこにはイヤホンがあった。
「コードレスだ。」
「伊織、いつも電車の中では音楽を聞いているんでしょう?でもコードが長くて絡まるって言ってたし。」
 絡まったコードを説くので駅に着いてしまうのだ。何をしているんだといつも思う。
「良いの?」
「そんなに高くないわよ。」
 メモパッドをもらったときも同じことを言った。倫子もまた伊織をよく見ていたのだ。
「……ありがとう。」
 春樹には何かあげたのだろうか。そして何かもらったのだろうか。それが気になるところだが、今はこれを使う度にきっと倫子を思い出す。春樹のものだとわかっていても。
「どういたしまして。でも泉には内緒にしておいてね。」
「どうして?」
「嫌でしょう?恋人に別の女から物を貰うなんて。」
 すると伊織は少しため息を付くと、倫子に言う。
「俺らさ……別れたんだよ。」
「え?」
 二人で出かけた日。どうするのかと聞いていなかった。だが別れたとは思っても見なかった。
「でも、ここに住んでいて前と変わらない感じがするわ。本当に別れたの?」
「うん。そもそもあまりつきあっている感じってしなかっただろう?」
「まぁ……そうね。」
 泉も女である感じがしないし、伊織も男らしいというのには少し足りない。ユニセックスな二人だから、うまくいくのだと思っていたのに。
「残念ね。」
「え?」
「他人からみる、恋人ってどんな感じなのか見てみたかったのに。」
「ネタにするつもり?」
「そのままネタにはしないわ。ただ……周りが見えなくなるくらい、感情が高ぶることってあると思うの。それは他人から見たとき、どんな風に写るんだろうって思って。」
 当事者だからわからない。倫子も春樹のことしか見ていないのだ。それが悔しい。
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