守るべきモノ

神崎

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交際

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 スーパーで買ったものを手にして伊織が家に帰ってくると、倫子の姿はなかったようだ。仕事をしているようなら、倫子の部屋のドアの隙間からは光が漏れているが今日はそれがない。だが夕食がいらないとは聞いていないので、用意をすればいいかと伊織は今を通り過ぎて台所で食材を置いた。そして自分の部屋に荷物を置くと、また台所に戻る。そのとき家のドアが開く音がした。
「ただいま。」
 倫子の声だ。しばらくすると、やはり倫子が顔をのぞかせる。
「伊織。居たの。」
「さっき俺も帰ってきてさ。」
「そう。食事の用意は今から?」
「うん。鰺が安くてさ。たたきにしようかなって。」
「いいね。あぁ、これ、一品に加えてくれる?」
 そう言って倫子はビニールに入った袋を伊織に手渡す。中身は豆腐のようだ。
「豆腐?」
「ざる豆腐。備え付けのたれをかけて食べるみたいね。」
「冷や奴みたいな?」
「とは違うみたい。もっとプリンみたいな感じよ。薬味はいらないって言っていたけど。」
 そう言って倫子は一つあくびをする。その様子に伊織が少し笑った。
「疲れてる?」
「んー。まぁね……。」
 詳しくはわからない。話をしようとしないからだ。
「たたきに薬味を沢山入れようか。それから今日は豚汁にするから。」
「楽しみね。私、ちょっと資料整理したいから、出来たら呼んでくれる?」
 倫子はそう言って部屋に戻っていった。倫子はいったい何本仕事を今抱えているのだろう。本屋へ行けば倫子の連載している雑誌はすぐに目にすることは出来るし、原作をつとめている漫画も人気があるようだ。その漫画の原作も小説とは少し変えたいと言って口を出しているようだし、映像になっているものもチェックをしているようだ。
 そのうち体を壊すのではないのだろうか。伊織はずっとそう思っていた。
 気晴らしは酒のようだが最近はあまり飲んでいないし、夜中でもずっと電気がついている。
 たまにはスタミナを付けるものでも作った方が良いのかもしれない。今日は魚がメインだが、明日は肉にしよう。伊織はそう思いながら、御坊の泥を落とし始めた。

 そのころ、泉は駅前のカフェにいた。春樹の仕事が終わるのは、いつも泉よりも遅い。今日もそうだから、泉が少し待つような形だった。
 本を開いて、文字を追う。倫子の本はいつもはらはらさせられるし、犯人を予想しながら読むのはとても面白い。だがその本の最後のページを見ると、編集人の名前に春樹の名前があって少し胸が痛い。
 そのときカフェのドアの向こうに春樹の姿が見えた。春樹もこちらを見て笑顔だった。泉は本を閉じてリュックに入れると、カップを返却口に返してカフェを出た。
「待った?」
「少しね。レモネードが無くなったから、ちょうど良かったわ。」
「レモネード?珍しいね。コーヒーばかりなのかと思ったよ。」
「こんな夜にコーヒーを飲んだら眠れなくなるから。」
 話があるのだという。倫子の話によると、泉はすべて知っているらしい。だとしたら話というのは一つしかないだろう。
 自分の荷物の他に持っているバッグを握りなおした。その中には、妻の着替えやタオルが入っている。
「奥さんのところに行ってこっちに?」
「うん。毎日のことだしね。」
「優しいよね。春樹さんは。」
 なのにどうして倫子に手を出したのだろう。作品のためとは言っても、そこまでする必要があるのだろうか。それとも本当に隙だというのか。イヤ。それはない。奥さんが居るのだから。
「妻がね。」
「うん。」
「年内持たないかもしれないと言われたよ。」
 その言葉に泉は視線をそらせた。
「そう……。」
「今までが奇跡だった。栄養剤とか、人工呼吸器で生きてたんだから。」
「奥様に悪いと思わない?」
 思ったよりストレートに聞いてきた。倫子ほどではないが、泉も気が強いのだろう。
「倫子のこと?」
 もう隠す必要はない。だから春樹は倫子と呼び捨てにする。
「うん。」
「……君が口を出すことじゃないんじゃないのかな。」
 駅構内に入ると、二人は改札口にパスをかざす。そしていつもの路線の方へ歩いていく。
「二人の問題だから、私が口を出すことじゃない。だけど……私が心配しているのは、そのことじゃないの。」
「そのことじゃない?」
 てっきり反対していると思っていた。驚いて泉の方をみる。
「亜美に何か言われると思う。」
「亜美……って「bell」の?」
「うん。確かに不倫をしているのは、私も気持ちが良いことじゃないし文句の一つも言いたい。だけど、一番不安なのは亜美にばれたらってことだから。」
「……彼女が何かするの?」
 ホームにでて、電車に乗り込んだ。そして電車の車内を見渡す。ラッシュは過ぎている時間なので、そんなに込んでいない。泉は入り口近くに立つと、春樹もその隣に立った。
「倫子はお嬢様みたいなところがあるの。世間知らずの割に、突っ走るところがあるわ。それに思ったことをすぐに口に出すから、敵も多かったの。」
「……。」
 この間、浜田高臣と対峙した倫子がそうだった。不機嫌を顔に隠せず、仕事を断ったのだから。結局浜田はぶつぶつ何か言っていたようだようだが、それで引き下がったとは思えない。
「今までそれでやってこれたのは、亜美が居たからなのよ。」
「昔からの知り合いだと言っていたね。」
「亜美は私に声をかける前から倫子の友達みたいで、倫子が危ない目に遭おうとしていたところをいつも助けてたように思えるわ。それは男関係もそう。」
 男関係と言われて、春樹の表情が少しこわばった。
「大学生の時も、小説家になったときもそうだったけれど、倫子はネタのためなら男と寝ることも惜しまないの。男はいつもそれに勘違いしてて恋人のように振る舞おうとしたんだけれど、決まってあるときからぱったりと倫子に近づかなくなるの。」
「……それは亜美さんが何かをするから?」
「かもしれない。何をするのかは、私にはわからないけれど。家を買うって言って私を同居させるって言ったのも、きっと亜美から逃れたいからだと思う。」
「ずっと亜美さんが邪魔をしてたってこと?」
「または脅していたか。」
「ずいぶん物騒な話だね。」
 まるで他人事だ。春樹の様子に泉はため息を付く。
「わかってる?倫子に近づくとどうなるかって。それに……不倫じゃない。」
「あのね。泉さん。」
 春樹は少し声のトーンを落として泉に言う。
「俺だって、亜美さんが普通の人だとは思っていないよ。」
「何で?」
「……同級生だろう?ということは二十五か六。」
「うん。」
「その若さで店を一件持つのは、難しいと思う。小さい店でも初期費用がどれくらいかかると思う?」
「それは……。」
 チェーン店だし、自分の店ではない。だがその費用は莫大なものだろう。
「飲食をしているならわかると思う。借金をするにしても頭金は右から左に流れるものじゃない。とすると、誰か後ろに立っているんだろうとは思ってた。」
 参ったな。やはり年の功ということなのだろうか。それにそれなりの地位にいるのだ。春樹にはわかっているのだろう。
「倫子にも言われたからね。同居していることも言わない方が良いって。」
「……だったらいいんだけど……。」
 ううん。良くない。泉はふと本来の目的を思い出した。
「じゃなくてね。春樹さん。」
「あ、駅着いたね。降りようか。」
 誤魔化された。泉は心で舌打ちをして、二人で駅のホームに降りた。
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