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シャストラの目的

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 曲がりくねった道は、荷馬車が何とか二台通れるほどの幅だ。荷馬車が行き交うことができるようにドラヴィダ王が整備したという話だったが、その実、軍隊を通しやすくするためということらしい。

 途中で休憩を挟みながら、シャストラとグラハはクティーに旅の知識や大陸の国情まで、かいつまんで教えてくれた。
 それは、簡単な読み書き程度やカレーとナンの作り方しか学んだことのなかったクティーの世界が新しく広がったことでもあった。

 山道には旅人が休むための小屋も整えられていたので、村までは夜営する必要もなく、身の危険も特にはなかった。
 高地に慣れるために段階をおって登って行き、もう一泊すれば村に入るという日。
 その日も普通に、小屋に宿泊することになった。珍しく同宿の旅人はいない。まさに三人だけの夜。
 クティーは、シャストラから思いがけない告白を聞くことになった。

「明日は、いよいよスーリヤ村に入ります」
「はい」
「ですから、その前にクティーには僕たちの目的の一端をお話し致します」
「え?」
 意外だった。シャストラたちの旅の目的など、クティーには関係のないことだった。
 知らされることもないと思っていた。
 クティー自身、知りたいとも思わなかった。
 だから何も聞かなかった。
 
「僕たちのすることに協力をお願いすることになるかと思います。それに知らないままわけもわからず右往左往することになってしまっては、困るでしょう」
「少しでも何か知っておいたほうが、足手まといにならない?」
「そうとも言えますね」
 シャストラは正直に頷いた。

 小屋の焚き火が幾分、シャストラの横顔を明るく照らし出している。
 だが、それがいっそうただならぬことを告げてきそうで、クティーの身は自然と固くなってくる。
 
「十年前まで、スーリヤ村は全てダルシャナ王国の領土でした」
「それは、私も知っています」
 クティーは国境沿いの山の入り口にある町に住んでいたのだ。
 国境沿いの小競り合いについては、幼い頃から聞き知っていた。
 
「それを今のドラヴィダの王が即位した途端、ドラヴィダの領土だと言い出して、ダルシャナとの領土問題が始まりました」
「ドラヴィダの王さまは、スーリヤ村のルビーを狙っているんですよね?」
「そうです。スーリヤ村は大陸屈指のルビーを産出する村だからです」
「簡単に村を手放せないってことは、そんなにスーリヤ村のルビーはダルシャナ王にとっても大事なものなんですか?」

 確かにルビーなどの鉱物資源を産出する場所は、いくつ国内にあるかで輸出などの貿易に関わってくる重要な問題だ。
 しかし、平地が多いドラヴィダに比べて山地が多いダルシャナは、ルビー以外にも金山や銀山、それにダイヤモンドの鉱山など幾つも鉱物資源の山を持っている。
 ルビー一つぐらいドラヴィダにくれてやっても、と庶民は思わないでもない。
 実際、そういう旅の商人の話をクティーは良く聞いていた。
 
「ええそうです。ダルシャナ王にとっては、金山や銀山にも等しい、あるいはそれ以上に大切なルビーの村なのです」
「じゃあ、シャストラさんたちはダルシャナの王さまから何らかの密命を受けて、スーリヤ村に入るのですか?」
「クティーさんは飲み込みが早いですね。説明の手間が省けます」
「そうですね。私たちは、スーリヤ村奪還計画を考えているのです」
「たった二人で、ですか?」
 それとも村に駐屯している軍を動かすのだろうか?

「村にいる軍を動かせば、それこそ両国間に戦端を開くことになってしまいます」
 クティーの心中を読んだようにグラハが答えた。
「私たちとしましては、もっと穏便にドラヴィダ王と軍に退いて頂こうと思っているのです」
「穏便に、ですか?」
「はい。大がかりな戦は、ダルシャナの王も望んではおられません」
「そうですよね」
 一度、戦となってしまえば、両国の民に多大な負担や被害が訪れてしまうのだ。
 簡単には起こせない。
 
「でもどうやって?」
 シャストラとグラハの瞳が意味ありげにクティーに集中した。
「わ、私、ですか?」
「そうです。あなたの力をお借りしたいのですが」
「え? そ、そんな……」
 まさか自分の力をあてにされているとは思わなかった。

「あなたとは違いますが、私にも力があります。あなたと私が力を合わせれば、多少の軍にも匹敵するでしょう。どうかあなたの力を私たちにお貸し下さい」
 丁寧にシャストラが頭を下げた。
「そういうことだったんですね。私が必要な理由は」
「すみません。そういうことです」
「いえ。いいんです。これでスッキリしました。それにひどいところに売り飛ばされたり、嫁がされたりすることを思えば、まだ良い方だと思います。納得できました。私の力がいるんですね?」
「はい」
「もしかして、その成果によっては、ダルシャナでの待遇は変わりますか?」
「基本的には変わりませんよ。でも、失敗すれば生きて村から出られないかもしれませんけど」
「そうですか……」
 死と隣り合わせの仕事、というわけだ。

 クティーの手が我知らず震えてくる。
 そしてそれが体全体に広がるまで時間はかからなかった。
「怖いですよね?」
「はい」
 正直に頷いた。

「もし、どうしても怖くて嫌だと仰るのでしたら、先に国境を越えてダルシャナへ入って頂いてもかまいませんよ。ダルシャナ側に、私の手の者を待機させていますから、その者たちに王都まで送らせましょう」
「いいんですか?」
「シャストラさま!」
 クティーのほっとした声と、グラハの非難まじりの声とが重なった。

「シャストラさま、私たちの計画にはクティーの力が必要不可欠だと仰ったのはあなたさまではありませんか? それを今更……」
「ああそうだ。計画を立てたのは私だ。しかし、当日クティーさんが使いものにならなければ意味がありません。怯えて力が顕現しなければ、かえって僕たち自身の命も危なくなってしまう。違うか?」
「確かに仰る通りですが」
「使えるなら使う。使えないなら使わない計画を考える。それくらいの修正機能は僕にはあるつもりだけどな」
「シャストラさま…」

「あの、大丈夫です。間近に怖いものさえ見なければ、多分、力は使えます」
 クティーはゆっくりと呼吸を整えた。
 少しずつ震えがおさまってくる。
「本当に?」
「はい。目の前が血の海になるとか強烈なものでも見ない限りは、大丈夫です」

「そうですか。ありがとうございます。では、心置きなくあなたの力をあてにさせて頂きます」
 シャストラは満面の笑みを浮かべた。
 やはり、本心ではクティーの力を借りたかったようだ。
 
「私の方こそ、できるだけ足手まといにならないようにします」
「じゃあ、改めてよろしく」
「はい」
「それじゃあ、細かい打ち合わせをしよう。一旦、村に入ってしまうと、言葉から行動まで誰かにつつぬけになってしまう可能性もありますから」
「わかりました」
 そして、月が真上に昇るまで三人の作戦会議は続いた。
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