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第16話 執事は、恋する騎士が如く。

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 「ではレディ、貴女のお屋敷まで私めがお送りいたしましょう」

 いや、帰るとこ、一緒でしょうが。

 「このように素晴らしいご令嬢、なかなか離れがたく思っているのですよ」

 なにそのキザったらしいセリフ。
 伯爵夫人たちは「まあ」なんて言って微笑んでるけど。
 「訳:オレはお前を見張らなくちゃいけないからな。ベッタリネッタリくっついてくぜ」なんでしょうよ、きっと。

 「ですから、大切な姫をお送りする騎士ナイトとなる名誉を与えられたく存じます」

 訳:逃げられちゃ困る虜囚を監視する看守になるぜ。ホテルという監獄に護送するぜ。
 ……別にいいけどさ。

 「では、伯爵夫人。失礼いたします」

 今ここでコイツの正体バラしたらどうなるのかな? 
 どこまでも紳士に振る舞ってるけど、正体はただの執事なんですよ~って。身分偽って潜入した曲者ですよ~って。なんなら令嬢を軟禁する、悪者の手先なんですよ~、アタシ、命を狙われてるんですよ~って。
 ダメだ。
 コイツの正体をバラしたら、それは子爵家の恥になる。こんな執事を雇ってるなんて、メイフォード子爵家はどうなっておりますの?ってなる。
 子爵家を大事に思ってる……なんてことはまったくないけど、それでも家名に傷がつくのは避けたい。後見を担ってくれてるボードウィン卿にも申し訳ないし。

 「では、参りましょうか、レディ」

 さり気なく出された腕。これに掴まれってことかしら。
 
 「ではお暇いただきますわ、夫人」

 ニッコリ笑って挨拶をすませる。けど、その腕は掴まない。代わりにその白手袋の上に手を載せる。
 フツー、エスコートって言ったらこっちでしょ? 腕に手をかけるだなんて、恋人同士でもあるまいし。馴れ馴れしすぎ。

 「あらあら、初々しいわね」

 「ティーナさん、またお会いいたしましょうね」

 「フフフ、お話し、聞かせていただく楽しみが増えましたわね」

 ――げ。
 そっちにとられたか。
 「舞踏会でひと目で恋に落ちた二人。でもまだその想いに戸惑う令嬢と、そんな令嬢をいたわり、大切に扱う紳士」みたいな。いつかは、その腕に手を添えるのかしら?
 恥じらう令嬢を、熱く真摯に見つめ愛を語る紳士。親の決めた結婚ではなく、二人の想いが実らせた愛!!

 うげげ。

 そんな恋物語の主人公になんてされたくないわよ。妄想であっても御免被りたいけど、扇子の内に隠されたご夫人方の笑みは、絶対それを連想してるわよね。

 (コイツが、ホントに男爵だったりしたら……ねえ)

 並んで歩く横顔を見る。
 スラッと高い身長。ムダのない体つき。
 けぶるような金色の髪。切れ長の瞳は高貴な青紫。耳のあたりから顎へ続く稜線はスッキリと滑らか。
 人がたくさんいるのに、コイツは立ち止まったりぶつかったりしない。避けるでもなく、速度を緩めるでもなく。戸惑うことなく優雅に躱す姿はそつがない。
 「眉目秀麗」っていうのかな。その優れた容姿と立ち振舞いに、自然と道が開かれてくかんじ。

 (これでホントに男爵だったら)

 年齢的にはつり合ってると思う。多分、二十代半ば、二十四、五歳ぐらいかな? アタシと七つか八つ違い。その若さで執事の任に就いていたんだから、きっと有能なんだろう。(看守として有能なのは実証済み)
 地位も、子爵家と男爵家なら、まあ、問題はないと思う。(あるかもしれないけど、そこはわかんない)
 本当にコイツが伯爵夫人が紹介してくださった結婚相手なら、その性格とか意地の悪すぎる嫌味とかそういうのは片目どころか両目つむって、「子爵家のこと、お願いします」って言うのに。その少し低いけどよく通る声は、皮肉さえ混じってなければ危機心地の良いものだし。黙っていれば優良物件、子爵家にふさわしい紳士だし。

 「レディ。あまりしげしげと見つめないでくださいませんか? ――照れます」

 え? は? 見つめる?

 言われてハッと気づく。「しげしげ」っていうより、「ジロジロ」「ジットリ」見ちゃってたわ、アタシ。
 
 「あまり見つめられますと――」

 グッと腰に回った手。それが軽々とアタシを持ち上げて――。

 「きゃあっ!!」

 「――このように攫ってしまいたくなります、レディ」

 「わかった!! わかったから下ろして!!」

 いくらなんでも、こんな人前で抱き上げられたくない!!

 「――失礼」

 キースの体越しにドンッと響いた振動。ジタバタするアタシに届いた、キースとは別の低い声。
 そこにいたのはまだ年若い給仕。手にはグラスの載ったトレー。――うっかり、キースにぶつかっちゃった?
 あんまり顔を上げない給仕。きっと叱られるとでも思ってるんだろう。ぶつかった謝罪だけ残して、そそくさと立ち去っていった。その姿はすぐに人混みにまぎれていく。

 「大丈夫?」

 シャンパンは引っ掛けられてなさそうだけど。

 「ええ、ですが――」

 そのままスタスタと歩き出すキース。

 「早く帰りましょう」

 え? なになに? っていうか、おーろーしーてー。横抱きで荷物かなんかみたいに運ばれたくない。

 暴れる代わりにポカポカと手当たり次第叩くんだけど、ビクともしないキースの体。大股に歩いて会場を抜けると、そのまま階段も駆け下りる。

 「――出せ」

 玄関に着けられていた馬車に乗り込むなり、出発を命じたキース。御者台にいたのはなんと、テオ。従僕フットマンが馬車を操るの?
 何をどうとも尋ねることなく、命じられたままテオがピシリと鞭を打ち、馬車が動き出す。

 「まったく、こんな……ね」

 馬車の振動で、アタシを抱えたままのキースの体がグラリと揺れた。

 「きゃあっ」

 「すみません、レディ。ご自身で座っていて……、ください、ません……か?」

 キースの腕から力が抜け、アタシの体はズルズルと馬車の床に落ちていった。

 「キース!?」

 見上げたキースの顔は青白く、幾筋もの汗が滴り落ちてる。息もとても浅い。

 アタシ、そんなに重かった? 

 「飛ばします。シッカリ座っていてください、レディ」

 御者台から聞こえた声。同時にグンッと体を引っ張られるような衝撃。テオが馬車のスピードを上げたんだろう。下から襲う振動が激しく響く。

 「大丈夫……です、よ」

 笑おうとしたのか、頬を引きつらせたキース。さっきまでの紳士然とした様子はどこにも残ってない。その余裕も皮肉もなにもない。

 「必ず……守り……ます、から」
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