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第八夜。
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――昨日午後8時40分ごろ、路上で倒れている女性が発見されました。
――救急隊が駆けつけましたが、現場で死亡を確認されました。
――亡くなったのは、現場すぐのマンションに住む、無職の草津杏里さん(28)。
――彼女は、事件当時、一人暮らしだったということです。
――警察は、事故、自殺の両面から捜査を開始したとのことです。
* * * *
「いや、別に君が殺したとは思ってないよ。ただ、当時のことを詳しく聞かせてほしい。そう思ってるだけなんだ」
グレー一色に近い狭い部屋で、向かい合って座る年配の刑事が言った。
「君が彼女に触れていないことは、防犯カメラで確認している。映像を見る限り、君が到着したときに、彼女は手すりの上に立っていたからね」
「――はい」
短く頷いた。
「おそらく自殺だと思ってるんだが。君、その心当たりとかないかい?」
刑事が、テーブルの上に両肘をついた。手を組み、口元を押しつけたせいで、その感情は読み取れない。
「オレは、特には……」
「君たち、つき合ってたんだろ?」
もう一人の刑事、立ったままだった若い男が口をはさむ。
「仕事で悩んでたとか、恋愛関係で困ってたとか。そういうの、ないの?」
「いえ……。オレは何も聞いてません、スミマセン」
声とともに、頭が沈んでいく。
刑事たちが呆れたようにため息を吐きだした。
* * * *
警察署をあとにして、なんにもない空を見上げる。
事件性は薄い。
そう判断した刑事たちは、目撃者であり、第一発見者となったオレを数時間拘束しただけで解放した。
――おそらくは、将来を悲観しての自殺。
そういうことになったらしい。
事件の数週間前に仕事を辞めている。ふさぎがちになって家に籠っていた。
一応恋人扱いになっている、オレとの仲も上手くいってなかった。これは三井寺先輩をはじめ、仕事仲間の証言だった。
――やっぱ、あれかね。28って歳もあるし、そういうことを悩んでたのかもな。
ありえそうな適当なところに、刑事の推理は落ち着いた。
別れ話、痴情のもつれなんてのも想像されていたようだけど、杏里は飛び降りたのであって、オレに突き落とされたわけじゃないから、その線はアッサリ消された。
そろそろ結婚に焦る年齢。なのに煮え切らない恋人。仕事のストレス。見えない将来のビジョン。それらすべてを悲観しての自殺。
そういうことらしい。
そんなことはない。
杏里は、将来を悲観するような、後ろ向きな性格じゃなかった。
反論したかったが、やめた。
違うと叫んだところで、杏里は帰ってこない。
オレの手の届かないところに行ってしまった。永遠に。
* * * *
帰りに、杏里のいたマンションの前を通りがかる。
警察の現場検証も終わったのだろう。野次馬のように集まっていた人もいなくなっていた。彼女の流した血の跡は、きれいに消されている。代わりにあったのは、キレイな花束がいくつか。少ししおれた花が、寂し気に風に揺れていた。
「杏里……」
あの夜のことを思い出す。
あと少し。あと少し早くたどり着けていたなら。
届かなかった手。最期にかすかに笑った杏里の顔。嬉しそうに飛び出した彼女の体。
彼女を追って階下に駆け降りたオレが見たのもの。
いびつにねじ曲がった体から伸ばされた手。自らの血だまりに転がりながら、とても美しい死に顔。かなりやつれてはいたが、幸せそうに満足そうに笑っていた。
(杏里……)
あの時、彼女は何を思っていたのだろう。
そして、いったい何にむかって手を差し伸べていたのか。
永遠にわからない。
彼女はもういないのだから。
ギュッと拳を握りしめる。
「セイシロー」
不意に背後で声がした。
その聞き覚えのある名前に、はじかれたようにふり向く。
そこに立っていたのは、初老の男性。オレよりいくぶん背の低い人物ではあったが、水色のシャツにスラックス、紺色のループタイと、身なりの整った男性だった。手には、黄色と薄紫の花束。弔問に訪れたのか。
「知ってるの……ですか?」
〈セイシロー〉という言葉の意味を。
かすれた声のオレの問いかけに男性が頷いた。
そして。
「君も知ってるんだね」
男性が悲し気な顔をした。
* * * *
オレは、男性と二人、近くの小さな公園に場所を移した。
ビルに囲まれ、取り残されたような空間となった公園には、オレたち以外の人はいない。
そんな公園のベンチに並んで腰かける。
「……さて。何から話せばいいかな」
手にしたコーヒー缶を持て余しながら、男性が切り出した。
男性は、唐崎洋二郎と名乗った。この近くにあるマンションに暮らしていて、一人娘を半年前に亡くしたのだという。
自殺―――。
事件性も感じられず、警察はそう判断したのだと唐崎は言った。
自らマンションの部屋から飛び降りた。遺書はない。悩んでいることも、トラブルに巻き込まれた様子もない。だから、突発的に衝動的に飛び降りた。そういう自殺。妙齢の女性によくある「将来を悲観して」「生きる意味を見いだせなくて」の飛び降り。
「杏里と同じだ……」
オレの呟きに唐崎は頷いた。
「娘、加奈子はね。ある日突然のように、大切な人がいると言い出したんだ」
加奈子さんは独身で、特にこれといった相手とつき合ってるということはなかったらしい。普通に学校を卒業して、好きな仕事に就いた。デザイナーとして働いていたらしい。
「妻も私も、加奈子に大切な人ができたことをとても喜んだよ。25にもなっていたからね。寂しいけれど、好きな人が出来て、恋人になって結婚するのならと。娘の成長を喜んで見ていたんだよ」
だがそれは違ったと、唐崎は続けた。
「加奈子は、日々衰弱していった。大好きだったはずの仕事にも行かず、部屋に籠り、毎日を眠って過ごすようになっていった」
心配する両親をも拒絶するように、毎日、時間に関係なく眠っていたという。
「何かの病気かと思って医者にも診せた。だが、どこにも異常はなかった」
あったのは、すべてを拒絶して眠りだけを求める姿。
「あの人に逢うのだから邪魔しないで。加奈子はそう叫んでいたよ。愛しい清四郎さまに逢うのだからと。無理やり起こそうとする私や妻に対して暴れて抵抗するようになった」
「セイシロー……」
杏里のときと同じ名前。
言い知れない寒さが、背中に押し寄せる。
「加奈子の場合は、部屋から続くバルコニーだった。7階でね。……それはもう、ひどい状態だったよ」
妻から、娘が飛び降り自殺したとの連絡をもらい、唐崎はその現場に駆けつけた。
血まみれで押し潰され、ねじ切れたような姿の娘の遺体。そして、幸福そうなその死に顔。
泣き崩れた夫妻の前で、刑事が「またか」と呟いたという。
「……また、とは?」
問いかけに、唐崎が少し頷いた。
「刑事さんを問いただしたんだけどね。この2年ほど、こういう自殺が増えているんだって話だったんだよ」
それは、不定期に起こる自殺で。亡くなった人物同士の接点はなく。杏里や加奈子さんのように飛び降りもあれば、車の前に飛び出しての自殺もあったのだという。
亡くなった人物に共通するのは、独身女性だということ。眠りを求めること。そして……。
「〈セイシロー〉ですか」
加奈子さんも杏里も口にした名前。
亡くなった人物同士、なんの接点もないのだから、〈セイシロー〉についても刑事の捜査はすぐに行き詰まった。どこをどう捜しても、〈セイシロー〉なる人物は見つからない。ネット上にも、現実にも。
唐崎も、〈セイシロー〉とは誰なのか、刑事とは別に捜していたらしい。娘の死の原因を知ってるのは、その〈セイシロー〉だろうとふんでいたのだ。
「〈セイシロー〉はね、ほどなくして見つかったよ」
唐崎が、クイッと指し示すように顔を上げた。
「あそこにコンビニが建っているだろう?」
「ええ」
公園の木々の間から見えるコンビニ。杏里ともよく酒やつまみを買いに立ち寄った場所。杏里はレモン味の缶チューハイを好み、オレも一緒に飲んだ。その思い出に、一瞬目が潤む。
「あそこにね。あったんだよ。〈清四郎塚〉が」
「セイシローヅカ?」
「その昔、この辺りにね、〈長浜清四郎〉という武士が生きていたという伝説があるんだ」
少し長いけど、聞いてくれるかい?
そう前置いてから、唐崎が語り始めた。
――救急隊が駆けつけましたが、現場で死亡を確認されました。
――亡くなったのは、現場すぐのマンションに住む、無職の草津杏里さん(28)。
――彼女は、事件当時、一人暮らしだったということです。
――警察は、事故、自殺の両面から捜査を開始したとのことです。
* * * *
「いや、別に君が殺したとは思ってないよ。ただ、当時のことを詳しく聞かせてほしい。そう思ってるだけなんだ」
グレー一色に近い狭い部屋で、向かい合って座る年配の刑事が言った。
「君が彼女に触れていないことは、防犯カメラで確認している。映像を見る限り、君が到着したときに、彼女は手すりの上に立っていたからね」
「――はい」
短く頷いた。
「おそらく自殺だと思ってるんだが。君、その心当たりとかないかい?」
刑事が、テーブルの上に両肘をついた。手を組み、口元を押しつけたせいで、その感情は読み取れない。
「オレは、特には……」
「君たち、つき合ってたんだろ?」
もう一人の刑事、立ったままだった若い男が口をはさむ。
「仕事で悩んでたとか、恋愛関係で困ってたとか。そういうの、ないの?」
「いえ……。オレは何も聞いてません、スミマセン」
声とともに、頭が沈んでいく。
刑事たちが呆れたようにため息を吐きだした。
* * * *
警察署をあとにして、なんにもない空を見上げる。
事件性は薄い。
そう判断した刑事たちは、目撃者であり、第一発見者となったオレを数時間拘束しただけで解放した。
――おそらくは、将来を悲観しての自殺。
そういうことになったらしい。
事件の数週間前に仕事を辞めている。ふさぎがちになって家に籠っていた。
一応恋人扱いになっている、オレとの仲も上手くいってなかった。これは三井寺先輩をはじめ、仕事仲間の証言だった。
――やっぱ、あれかね。28って歳もあるし、そういうことを悩んでたのかもな。
ありえそうな適当なところに、刑事の推理は落ち着いた。
別れ話、痴情のもつれなんてのも想像されていたようだけど、杏里は飛び降りたのであって、オレに突き落とされたわけじゃないから、その線はアッサリ消された。
そろそろ結婚に焦る年齢。なのに煮え切らない恋人。仕事のストレス。見えない将来のビジョン。それらすべてを悲観しての自殺。
そういうことらしい。
そんなことはない。
杏里は、将来を悲観するような、後ろ向きな性格じゃなかった。
反論したかったが、やめた。
違うと叫んだところで、杏里は帰ってこない。
オレの手の届かないところに行ってしまった。永遠に。
* * * *
帰りに、杏里のいたマンションの前を通りがかる。
警察の現場検証も終わったのだろう。野次馬のように集まっていた人もいなくなっていた。彼女の流した血の跡は、きれいに消されている。代わりにあったのは、キレイな花束がいくつか。少ししおれた花が、寂し気に風に揺れていた。
「杏里……」
あの夜のことを思い出す。
あと少し。あと少し早くたどり着けていたなら。
届かなかった手。最期にかすかに笑った杏里の顔。嬉しそうに飛び出した彼女の体。
彼女を追って階下に駆け降りたオレが見たのもの。
いびつにねじ曲がった体から伸ばされた手。自らの血だまりに転がりながら、とても美しい死に顔。かなりやつれてはいたが、幸せそうに満足そうに笑っていた。
(杏里……)
あの時、彼女は何を思っていたのだろう。
そして、いったい何にむかって手を差し伸べていたのか。
永遠にわからない。
彼女はもういないのだから。
ギュッと拳を握りしめる。
「セイシロー」
不意に背後で声がした。
その聞き覚えのある名前に、はじかれたようにふり向く。
そこに立っていたのは、初老の男性。オレよりいくぶん背の低い人物ではあったが、水色のシャツにスラックス、紺色のループタイと、身なりの整った男性だった。手には、黄色と薄紫の花束。弔問に訪れたのか。
「知ってるの……ですか?」
〈セイシロー〉という言葉の意味を。
かすれた声のオレの問いかけに男性が頷いた。
そして。
「君も知ってるんだね」
男性が悲し気な顔をした。
* * * *
オレは、男性と二人、近くの小さな公園に場所を移した。
ビルに囲まれ、取り残されたような空間となった公園には、オレたち以外の人はいない。
そんな公園のベンチに並んで腰かける。
「……さて。何から話せばいいかな」
手にしたコーヒー缶を持て余しながら、男性が切り出した。
男性は、唐崎洋二郎と名乗った。この近くにあるマンションに暮らしていて、一人娘を半年前に亡くしたのだという。
自殺―――。
事件性も感じられず、警察はそう判断したのだと唐崎は言った。
自らマンションの部屋から飛び降りた。遺書はない。悩んでいることも、トラブルに巻き込まれた様子もない。だから、突発的に衝動的に飛び降りた。そういう自殺。妙齢の女性によくある「将来を悲観して」「生きる意味を見いだせなくて」の飛び降り。
「杏里と同じだ……」
オレの呟きに唐崎は頷いた。
「娘、加奈子はね。ある日突然のように、大切な人がいると言い出したんだ」
加奈子さんは独身で、特にこれといった相手とつき合ってるということはなかったらしい。普通に学校を卒業して、好きな仕事に就いた。デザイナーとして働いていたらしい。
「妻も私も、加奈子に大切な人ができたことをとても喜んだよ。25にもなっていたからね。寂しいけれど、好きな人が出来て、恋人になって結婚するのならと。娘の成長を喜んで見ていたんだよ」
だがそれは違ったと、唐崎は続けた。
「加奈子は、日々衰弱していった。大好きだったはずの仕事にも行かず、部屋に籠り、毎日を眠って過ごすようになっていった」
心配する両親をも拒絶するように、毎日、時間に関係なく眠っていたという。
「何かの病気かと思って医者にも診せた。だが、どこにも異常はなかった」
あったのは、すべてを拒絶して眠りだけを求める姿。
「あの人に逢うのだから邪魔しないで。加奈子はそう叫んでいたよ。愛しい清四郎さまに逢うのだからと。無理やり起こそうとする私や妻に対して暴れて抵抗するようになった」
「セイシロー……」
杏里のときと同じ名前。
言い知れない寒さが、背中に押し寄せる。
「加奈子の場合は、部屋から続くバルコニーだった。7階でね。……それはもう、ひどい状態だったよ」
妻から、娘が飛び降り自殺したとの連絡をもらい、唐崎はその現場に駆けつけた。
血まみれで押し潰され、ねじ切れたような姿の娘の遺体。そして、幸福そうなその死に顔。
泣き崩れた夫妻の前で、刑事が「またか」と呟いたという。
「……また、とは?」
問いかけに、唐崎が少し頷いた。
「刑事さんを問いただしたんだけどね。この2年ほど、こういう自殺が増えているんだって話だったんだよ」
それは、不定期に起こる自殺で。亡くなった人物同士の接点はなく。杏里や加奈子さんのように飛び降りもあれば、車の前に飛び出しての自殺もあったのだという。
亡くなった人物に共通するのは、独身女性だということ。眠りを求めること。そして……。
「〈セイシロー〉ですか」
加奈子さんも杏里も口にした名前。
亡くなった人物同士、なんの接点もないのだから、〈セイシロー〉についても刑事の捜査はすぐに行き詰まった。どこをどう捜しても、〈セイシロー〉なる人物は見つからない。ネット上にも、現実にも。
唐崎も、〈セイシロー〉とは誰なのか、刑事とは別に捜していたらしい。娘の死の原因を知ってるのは、その〈セイシロー〉だろうとふんでいたのだ。
「〈セイシロー〉はね、ほどなくして見つかったよ」
唐崎が、クイッと指し示すように顔を上げた。
「あそこにコンビニが建っているだろう?」
「ええ」
公園の木々の間から見えるコンビニ。杏里ともよく酒やつまみを買いに立ち寄った場所。杏里はレモン味の缶チューハイを好み、オレも一緒に飲んだ。その思い出に、一瞬目が潤む。
「あそこにね。あったんだよ。〈清四郎塚〉が」
「セイシローヅカ?」
「その昔、この辺りにね、〈長浜清四郎〉という武士が生きていたという伝説があるんだ」
少し長いけど、聞いてくれるかい?
そう前置いてから、唐崎が語り始めた。
応援ありがとうございます!
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