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第一夜。
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夢を、見た。
とてもとても悲しい夢。
誰かが私を呼んでいる。どこか遠くで、そして近くで。
――誰?
見回しても、そこに誰もいない。
呼び声はとても切なくて、聞いているだけで、胸が苦しくなる。呼びかけに心が斬られるように痛くなる。
――誰? 誰なの!?
応えてあげたい。
そんなに呼ばなくても、私はここにいるわ。ここにいるの。だからそんな悲しそうな声で呼ばないで。
声の主を安心させてあげたい。そんな悲痛な声で呼び続ける訳を教えて欲しい。
なのに、私には何も見えない。
ねえ、私を呼ぶのは、誰―――!?
* * * *
(まただ……)
うるさいぐらい鳴り響くスマホの目覚ましに身をよじる。いつものベッド脇、スマホを条件反射で操作して深く息を吐き出す。
目覚めた自分の目には涙の跡。
(泣いてたんだ……)
グイっとその涙を手の甲で拭いとる。
寝ながら泣く。
最近の目覚めはいつもそうだ。
どんな悲しい夢を見ていたのか。具体的には全く覚えていない。ただ、残っているのは、流した涙の跡と、悲しいという感情だけ。
大事なことを忘れているような気がする。忘れちゃいけない大切なことなのに忘れてしまってる。
もどかしい。思い出したい。思い出さなきゃいけないのに。
なのに掴めるものは何もなくて。「悲しい」「苦しい」という感情だけがうっすらと残る。そのうち、日常に紛れて消えてしまう程度、夢の感情の残骸。
そう思うのは感傷に浸りすぎているからか。
(映画かなんかにでも影響されてんのかな)
そんなシーンのある映画、あったような。夢であった出来事が思い出せなくて、もどかしくってってヤツ。泣いて目が覚めるんだけど、なんで悲しかったのか、記憶は手の中の砂のようにボロボロ崩れ流れ落ちて、なんにも残らないっていう。今の私は、まさしくそんな状況。
とってももどかしく、変な焦燥感と言いようのない悲しみだけが残る。ああ、まさしく映画のヒロイン。あれ? ヒーローだっけか? ま、どっちでもいいや。
とりとめのないことを考えながら、ベッドから身を起こす。
朝の一分一秒はとても貴重。その一分があるかないかで、メイクやヘアスタイルに影響が出る。
夢なんて気にしているヒマはない。
いつものように洗面所にむかい、いつものように支度を始める。
それが当たり前。それが普通。
平均的な独身OLの、ありふれた朝の光景。
プチプラドラッグストアのコスメで下地を作って、仕上げにちょっとだけお高いデパコスで塗装。夕方にはクレンジングでゴシゴシ落としちゃうようなもんでも、社会人だからつけないわけにもいかない。髪も仕事の邪魔にならない程度にふんわりまとめる。服装は、代わり映えのない無難なパステルカラーのスーツ。制服化させてるので、どれを着るか悩むこともない。面倒だから悩みたくもない。
準備が出来たら、いつものようにカバンを持って部屋を出る。朝ごはんは食欲がわかないので、10秒チャージのあのゼリー。
ワンルームマンションのドアを開けたところで、立ち止まって眺めるような風景は広がっていない。狭い道路、あやとりよりも難解に絡んだような電線。林立する電柱。遠くにはビル群もあるけど、手前にある向かいのマンションやらで直接見ることは出来ない。まあ、見えたところで、どうということはないんだけど。
急ぎ足で駅にむかい、そこで人に紛れて都会の風景になってゆく。すれ違っても誰も覚えていない、すれ違ったことすら記憶に残らない。電柱や自販機と変わりない存在。もはや空気? ううん。空気は人に必要なものだから、この場合、空気以下の存在かもしれない。
そんな空気以下の私たちを詰め込んで、電車はせわしなく動く。いつもの時間に、いつものところへ。吐き出された私たちは、互いに干渉することなく、目的地へと流れていく。
私が流れつくのは、立ち並ぶビルの一角、食品卸会社のビルの3階の奥。窓に近い私の席。
ロッカーに私物を放り込んでこの席に座れば、それで日常が始まる。
どこにでもある、平均的なOLの日常。昨日と今日の境目のない、いつもの同じ仕事。多分、去年も同じ仕事をこの机でこなしてた。おそらく来年も同じ仕事をこの机でこなしているのだろう。
なーんて感慨は置いといて。
いつものように始まった仕事、目の前に広がった請求書の内容に、私はいつものようにため息を吐き出した。
(まただよ、コレ……)
私の仕事は、納品された商品のリストと、卸した業者からの請求書を比べ、内容があっていれば、請求書どおりに業者にお金を払うように上に報告する……というもの。
パソコン上に残っているデータと請求書。たいていは何の誤差もなく、請求どおりに支払うように報告するのだけど……。
(これ、全然違うじゃん)
パソコンのデータにある納品価格と、請求価格がまったく合ってない。納品された商品によっては、高かったり、安かったり。数が合ってても、金額が間違ってたり。
そもそも納品価格は、その業者とウチの営業が話し合って決めている。これだけ購入してあげるから、この金額で卸してよ。ついでにリベートつけて色つけてホイホイホイ――みたいな。そういう話がついて、このデータ上の価格が作られている。だから、こちらのパソコンに残ってる支払予定額は間違っていないはずなんだけど。
ため息を、大げさなぐらい吐き出してから受話器を取る。受話器、ダンベルよりも重く感じる。それぐらい、この作業が嫌い。敬遠したい。
数回のコールのあと、いかにもOLと言った声の女性が出た。
いつもの声、いつもの鼻へのかかり具合。
(ああ、面倒くさい。ヤダな)
感情はおくびにも出さず、ビジネス声で電話の主旨を伝える。
「すみません、この伝票、3枚目の商品についてですが……」
「これ、交渉納価392円だったはずですが、請求書の価格、452円になってます。どちらが正しいのかご存知ですか?」
「請求書担当の方、お願いします」
などなど。
なるべく丁寧に、なるべくへりくだった私の問いかけにたいして……。
「ええ~、そんなこと言われても……」
「パソコンで出したら、そうだったんですぅ」
「担当は、私ですけどぉ。よくわかりません~」
……バカか。お前は。
甘ったるく答えればいいってもんじゃないのよっ!!
内容も、答え方もムカつく。なんでもかんでも「ええ~」とか「ですぅ」とか言っとけば済まされると思うな!!
挙句の果てに。
「そっちに行った営業と話しをしてくださ~い」
と一方的に電話を切られた。
――これでさ。相手、ウチよりも大企業のOLなんだよ。それも経理部の。ウチみたいに営業と経理と庶務がワンフロアに存在するような中小企業じゃなくって、大企業のOL。
海外との取引を中心にやってるとかなんとか言うような、そういった企業。ウチが小売店とかに卸す外国製食品は、ほとんどこの企業から卸してもらってる。今見てるドレッシングは、確かアメリカ産。
(大企業って、ザルなのかね)
こんなちゃらんぽらんな請求をしてて潰れないんだから、大企業ってのはよほどお金にゆとりがあるのだろう。あんな「ですぅ」「でもぉ」OLを雇うぐらいだし。
無機質なツーツー音の受話器。怒りをぶつけるように乱暴に下ろす。相手が切った後だし、ビジネスマナー的にはセーフな八つ当たり。
仕方ない。
営業に価格を確認してくるか。
ため息だけ残して、同じフロアにある営業部にむかう。こういう時、ワンフロアに営業が同居してる会社って便利ですよねー(棒)。
いつになったら、このテキトーな請求が直るんだろうか。
もしかしたら永遠にこのままで、私はずっと変わらず毎月、この請求書と格闘し続けるのかもしれない。そして毎月毎月あの「ですぅ」「でもぉ」を聞かされ続ける。
暗澹たる思いで、営業部のコーナーに足を踏み入れる。
* * * *
「ぷはぁっ~!!」
一気にチューハイを飲み下し、一息つく。
「仕事終わりのアルコール最高~っ!!」
といっても、飲みに行くお金はないので家飲み。それもビールも高くて懐に響くので、チューハイか発泡酒しかストックしてない。
今日の気分はレモン。それもかなり濃い目のレモン味。
帰りにコンビニで買ってきた総菜のから揚げと一緒にその味を堪能する。やっぱ唐揚げにはレモンだわ!!
「お前、飲み方がオッサンくさいのな」
一緒に缶チューハイを開けた飲み友が笑う。こっちもレモン。それも自分で卓上用レモン果汁まで継ぎ足しての追いレモン。
「うるさいなあ。酒ぐらい好きに飲ませてよぉ」
「うわあ、からむ、からむ。お前、会社にいるときと、全然態度が違うじゃん」
「当ったり前よぉ~。会社じゃ猫かぶってたほうがラクだもん~」
うまくいけば、騙された男がひっかかってくれるかもしれないし。
目の前にあったレモン果汁をから揚げにもかける。あ、ウマ。
「いい女だな、草津さん。仕事も出来るし、おしとやかだし。『オレの嫁になってくれないか、杏里……』、な~んてお誘いがあるかもしれないじゃんっ‼」
缶を片手にバシバシと机を叩く。声もそれなりにイケメンが作れた。
「うわ、本音だだ洩れ。それ営業の連中が聞いたら泣くぞ、ゼッタイ」
「ええ~!? 営業ぉ!? あそこ、イイ男いないじゃん。オッサンばっかだし」
イケてないし。
「おま……、それをオレの前で言うか?」
「ああ、そっか、アンタも営業だったね~」
ゴメンゴメンと、一応の謝罪はしておく。
うっかりしてたけど、この飲み友、営業部所属だったわ。
営業部の瀬田和樹。
私の同期で、飲み仲間で、……セフレ。
最初は、あの請求書のことで相談に乗ってもらっていただけだったのだけど、仕事終わりに愚痴を聞いてもらってたり、飲みに行ってたら、……まあ、その。なんだ。
そういう関係になっていた。
互いに好きとか、そういう感情はなかった。ただ、女としてさびしいなって思った時に、そばにいたのがコイツだった。大学を出てから、特に恋人もいなかった私は、なんとなくこの男と関係を結んだ。
すでに処女じゃなかったし。避妊さえすれば問題ないでしょ。適度なSEXは、酒といっしょで、いいストレス発散になる。
相手も同じだったようで、互いにストレスが溜まってくると、会って酒飲んで愚痴って、そしてSEXをする。ホテルは、お酒と同じで金がかかってしまうので、どっちかの家でってことが多かった。
今日は、たまたまウチだったけど。
「このあと、楽しませてあげるからさぁ、いいじゃん、飲も、飲もっ!!」
何度目かの乾杯を求めてから、また缶チューハイを口にする。やっぱ合うねえ、から揚げとレモンチューハイ!! やっぱ仕事終わりはこれでしょ!! ってかんじ。
ダラダラグダグダと喋りながら、チューハイ2缶空けたところでつまみも尽きた。思考もトロンと落ちてきて、なんだかフワフワ気持ちいい。瀬田のほうも同じだったようで、酒がまわりお腹がふくれてくると、代わりに性欲が頭をもたげてくる。もっと気持ちよくなりたいな~、もっと気分良くなりたいな~、スッキリしたいな~。
軽くキスを交わしたのを合図に、前戯をテキトーにこなして、そのままベッドへ。相手の気持ちいいところを知り尽くしてるから、無駄なことはしない。
惰性のような愛撫、そして性交。
正常位で、騎乗位で。
頭ん中も体の中も、フワッフワでトロットロで気持ちいい。なんかヤなことあった気がするけど、ん~、どうでもいいやぁ。
好きなだけ相手の体で感じて。「酒と女は男の甲斐性」みたいに言われるけど、女にとっても必須アイテムなのよ。こうして日々のご褒美みたいなものがなければ、女だって生きにくいのよ。
気持ちよくなったついでに、酔いもまわって眠くなってきた。
情交の余韻に浸って愛を語り合う、ピロートーク、賢者タイムなんてこともない。
(ああ、缶、片付けなきゃ……)
そんなことをボンヤリ考えながら、汗ばんだ瀬田の腕の中、溶けるように眠りに落ちていった。
とてもとても悲しい夢。
誰かが私を呼んでいる。どこか遠くで、そして近くで。
――誰?
見回しても、そこに誰もいない。
呼び声はとても切なくて、聞いているだけで、胸が苦しくなる。呼びかけに心が斬られるように痛くなる。
――誰? 誰なの!?
応えてあげたい。
そんなに呼ばなくても、私はここにいるわ。ここにいるの。だからそんな悲しそうな声で呼ばないで。
声の主を安心させてあげたい。そんな悲痛な声で呼び続ける訳を教えて欲しい。
なのに、私には何も見えない。
ねえ、私を呼ぶのは、誰―――!?
* * * *
(まただ……)
うるさいぐらい鳴り響くスマホの目覚ましに身をよじる。いつものベッド脇、スマホを条件反射で操作して深く息を吐き出す。
目覚めた自分の目には涙の跡。
(泣いてたんだ……)
グイっとその涙を手の甲で拭いとる。
寝ながら泣く。
最近の目覚めはいつもそうだ。
どんな悲しい夢を見ていたのか。具体的には全く覚えていない。ただ、残っているのは、流した涙の跡と、悲しいという感情だけ。
大事なことを忘れているような気がする。忘れちゃいけない大切なことなのに忘れてしまってる。
もどかしい。思い出したい。思い出さなきゃいけないのに。
なのに掴めるものは何もなくて。「悲しい」「苦しい」という感情だけがうっすらと残る。そのうち、日常に紛れて消えてしまう程度、夢の感情の残骸。
そう思うのは感傷に浸りすぎているからか。
(映画かなんかにでも影響されてんのかな)
そんなシーンのある映画、あったような。夢であった出来事が思い出せなくて、もどかしくってってヤツ。泣いて目が覚めるんだけど、なんで悲しかったのか、記憶は手の中の砂のようにボロボロ崩れ流れ落ちて、なんにも残らないっていう。今の私は、まさしくそんな状況。
とってももどかしく、変な焦燥感と言いようのない悲しみだけが残る。ああ、まさしく映画のヒロイン。あれ? ヒーローだっけか? ま、どっちでもいいや。
とりとめのないことを考えながら、ベッドから身を起こす。
朝の一分一秒はとても貴重。その一分があるかないかで、メイクやヘアスタイルに影響が出る。
夢なんて気にしているヒマはない。
いつものように洗面所にむかい、いつものように支度を始める。
それが当たり前。それが普通。
平均的な独身OLの、ありふれた朝の光景。
プチプラドラッグストアのコスメで下地を作って、仕上げにちょっとだけお高いデパコスで塗装。夕方にはクレンジングでゴシゴシ落としちゃうようなもんでも、社会人だからつけないわけにもいかない。髪も仕事の邪魔にならない程度にふんわりまとめる。服装は、代わり映えのない無難なパステルカラーのスーツ。制服化させてるので、どれを着るか悩むこともない。面倒だから悩みたくもない。
準備が出来たら、いつものようにカバンを持って部屋を出る。朝ごはんは食欲がわかないので、10秒チャージのあのゼリー。
ワンルームマンションのドアを開けたところで、立ち止まって眺めるような風景は広がっていない。狭い道路、あやとりよりも難解に絡んだような電線。林立する電柱。遠くにはビル群もあるけど、手前にある向かいのマンションやらで直接見ることは出来ない。まあ、見えたところで、どうということはないんだけど。
急ぎ足で駅にむかい、そこで人に紛れて都会の風景になってゆく。すれ違っても誰も覚えていない、すれ違ったことすら記憶に残らない。電柱や自販機と変わりない存在。もはや空気? ううん。空気は人に必要なものだから、この場合、空気以下の存在かもしれない。
そんな空気以下の私たちを詰め込んで、電車はせわしなく動く。いつもの時間に、いつものところへ。吐き出された私たちは、互いに干渉することなく、目的地へと流れていく。
私が流れつくのは、立ち並ぶビルの一角、食品卸会社のビルの3階の奥。窓に近い私の席。
ロッカーに私物を放り込んでこの席に座れば、それで日常が始まる。
どこにでもある、平均的なOLの日常。昨日と今日の境目のない、いつもの同じ仕事。多分、去年も同じ仕事をこの机でこなしてた。おそらく来年も同じ仕事をこの机でこなしているのだろう。
なーんて感慨は置いといて。
いつものように始まった仕事、目の前に広がった請求書の内容に、私はいつものようにため息を吐き出した。
(まただよ、コレ……)
私の仕事は、納品された商品のリストと、卸した業者からの請求書を比べ、内容があっていれば、請求書どおりに業者にお金を払うように上に報告する……というもの。
パソコン上に残っているデータと請求書。たいていは何の誤差もなく、請求どおりに支払うように報告するのだけど……。
(これ、全然違うじゃん)
パソコンのデータにある納品価格と、請求価格がまったく合ってない。納品された商品によっては、高かったり、安かったり。数が合ってても、金額が間違ってたり。
そもそも納品価格は、その業者とウチの営業が話し合って決めている。これだけ購入してあげるから、この金額で卸してよ。ついでにリベートつけて色つけてホイホイホイ――みたいな。そういう話がついて、このデータ上の価格が作られている。だから、こちらのパソコンに残ってる支払予定額は間違っていないはずなんだけど。
ため息を、大げさなぐらい吐き出してから受話器を取る。受話器、ダンベルよりも重く感じる。それぐらい、この作業が嫌い。敬遠したい。
数回のコールのあと、いかにもOLと言った声の女性が出た。
いつもの声、いつもの鼻へのかかり具合。
(ああ、面倒くさい。ヤダな)
感情はおくびにも出さず、ビジネス声で電話の主旨を伝える。
「すみません、この伝票、3枚目の商品についてですが……」
「これ、交渉納価392円だったはずですが、請求書の価格、452円になってます。どちらが正しいのかご存知ですか?」
「請求書担当の方、お願いします」
などなど。
なるべく丁寧に、なるべくへりくだった私の問いかけにたいして……。
「ええ~、そんなこと言われても……」
「パソコンで出したら、そうだったんですぅ」
「担当は、私ですけどぉ。よくわかりません~」
……バカか。お前は。
甘ったるく答えればいいってもんじゃないのよっ!!
内容も、答え方もムカつく。なんでもかんでも「ええ~」とか「ですぅ」とか言っとけば済まされると思うな!!
挙句の果てに。
「そっちに行った営業と話しをしてくださ~い」
と一方的に電話を切られた。
――これでさ。相手、ウチよりも大企業のOLなんだよ。それも経理部の。ウチみたいに営業と経理と庶務がワンフロアに存在するような中小企業じゃなくって、大企業のOL。
海外との取引を中心にやってるとかなんとか言うような、そういった企業。ウチが小売店とかに卸す外国製食品は、ほとんどこの企業から卸してもらってる。今見てるドレッシングは、確かアメリカ産。
(大企業って、ザルなのかね)
こんなちゃらんぽらんな請求をしてて潰れないんだから、大企業ってのはよほどお金にゆとりがあるのだろう。あんな「ですぅ」「でもぉ」OLを雇うぐらいだし。
無機質なツーツー音の受話器。怒りをぶつけるように乱暴に下ろす。相手が切った後だし、ビジネスマナー的にはセーフな八つ当たり。
仕方ない。
営業に価格を確認してくるか。
ため息だけ残して、同じフロアにある営業部にむかう。こういう時、ワンフロアに営業が同居してる会社って便利ですよねー(棒)。
いつになったら、このテキトーな請求が直るんだろうか。
もしかしたら永遠にこのままで、私はずっと変わらず毎月、この請求書と格闘し続けるのかもしれない。そして毎月毎月あの「ですぅ」「でもぉ」を聞かされ続ける。
暗澹たる思いで、営業部のコーナーに足を踏み入れる。
* * * *
「ぷはぁっ~!!」
一気にチューハイを飲み下し、一息つく。
「仕事終わりのアルコール最高~っ!!」
といっても、飲みに行くお金はないので家飲み。それもビールも高くて懐に響くので、チューハイか発泡酒しかストックしてない。
今日の気分はレモン。それもかなり濃い目のレモン味。
帰りにコンビニで買ってきた総菜のから揚げと一緒にその味を堪能する。やっぱ唐揚げにはレモンだわ!!
「お前、飲み方がオッサンくさいのな」
一緒に缶チューハイを開けた飲み友が笑う。こっちもレモン。それも自分で卓上用レモン果汁まで継ぎ足しての追いレモン。
「うるさいなあ。酒ぐらい好きに飲ませてよぉ」
「うわあ、からむ、からむ。お前、会社にいるときと、全然態度が違うじゃん」
「当ったり前よぉ~。会社じゃ猫かぶってたほうがラクだもん~」
うまくいけば、騙された男がひっかかってくれるかもしれないし。
目の前にあったレモン果汁をから揚げにもかける。あ、ウマ。
「いい女だな、草津さん。仕事も出来るし、おしとやかだし。『オレの嫁になってくれないか、杏里……』、な~んてお誘いがあるかもしれないじゃんっ‼」
缶を片手にバシバシと机を叩く。声もそれなりにイケメンが作れた。
「うわ、本音だだ洩れ。それ営業の連中が聞いたら泣くぞ、ゼッタイ」
「ええ~!? 営業ぉ!? あそこ、イイ男いないじゃん。オッサンばっかだし」
イケてないし。
「おま……、それをオレの前で言うか?」
「ああ、そっか、アンタも営業だったね~」
ゴメンゴメンと、一応の謝罪はしておく。
うっかりしてたけど、この飲み友、営業部所属だったわ。
営業部の瀬田和樹。
私の同期で、飲み仲間で、……セフレ。
最初は、あの請求書のことで相談に乗ってもらっていただけだったのだけど、仕事終わりに愚痴を聞いてもらってたり、飲みに行ってたら、……まあ、その。なんだ。
そういう関係になっていた。
互いに好きとか、そういう感情はなかった。ただ、女としてさびしいなって思った時に、そばにいたのがコイツだった。大学を出てから、特に恋人もいなかった私は、なんとなくこの男と関係を結んだ。
すでに処女じゃなかったし。避妊さえすれば問題ないでしょ。適度なSEXは、酒といっしょで、いいストレス発散になる。
相手も同じだったようで、互いにストレスが溜まってくると、会って酒飲んで愚痴って、そしてSEXをする。ホテルは、お酒と同じで金がかかってしまうので、どっちかの家でってことが多かった。
今日は、たまたまウチだったけど。
「このあと、楽しませてあげるからさぁ、いいじゃん、飲も、飲もっ!!」
何度目かの乾杯を求めてから、また缶チューハイを口にする。やっぱ合うねえ、から揚げとレモンチューハイ!! やっぱ仕事終わりはこれでしょ!! ってかんじ。
ダラダラグダグダと喋りながら、チューハイ2缶空けたところでつまみも尽きた。思考もトロンと落ちてきて、なんだかフワフワ気持ちいい。瀬田のほうも同じだったようで、酒がまわりお腹がふくれてくると、代わりに性欲が頭をもたげてくる。もっと気持ちよくなりたいな~、もっと気分良くなりたいな~、スッキリしたいな~。
軽くキスを交わしたのを合図に、前戯をテキトーにこなして、そのままベッドへ。相手の気持ちいいところを知り尽くしてるから、無駄なことはしない。
惰性のような愛撫、そして性交。
正常位で、騎乗位で。
頭ん中も体の中も、フワッフワでトロットロで気持ちいい。なんかヤなことあった気がするけど、ん~、どうでもいいやぁ。
好きなだけ相手の体で感じて。「酒と女は男の甲斐性」みたいに言われるけど、女にとっても必須アイテムなのよ。こうして日々のご褒美みたいなものがなければ、女だって生きにくいのよ。
気持ちよくなったついでに、酔いもまわって眠くなってきた。
情交の余韻に浸って愛を語り合う、ピロートーク、賢者タイムなんてこともない。
(ああ、缶、片付けなきゃ……)
そんなことをボンヤリ考えながら、汗ばんだ瀬田の腕の中、溶けるように眠りに落ちていった。
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