あなたに逢うために。

若松だんご

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第二夜。

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 「…………、…………っ」

 まただ。

 夢の中で思う。
 また、誰かが私を呼んでいる。
 それは、どこか遠くから聞こえるようで。呼ばれているのはわかるのに、なんて呼んでいるのかわからない。
 ただ、その声はとても悲痛で。意味もわからず胸が締めつけられる。

 ――誰? 誰なの?
 私を呼ぶのは誰?

 私は、ここにいる。ここにいるわ。

 だから……。
 そんなに泣かないで――――。

 *     *      *      *

 (あ……)

 また泣いてた。
 目覚めと同時に涙がこぼれ落ちた。
 どうして泣くのかわからない。理由の見つからない涙。
 グイっと涙を拭いて身を起こす。
 カーテン越しに、部屋がほんのり明るい。
 同じベッドのなかには、裸のままの瀬田の姿。そしてもちろん、私も裸。裸のまま、瀬田の腕のなかに抱かれていた私。床には脱ぎ散らかされた二人分の衣類。机の上には乱雑に飲み散らかされた缶チューハイと、かつてから揚げの入っていたパックの残骸。

 (あ、そっか。昨日、泊まってたんだっけ)

 夢の影響か、それとも酒か。
 昨夜のことを忘れていた自分がいた。

 「んっ……、あれ、おはよ」

 トロンとした瀬田の声。

 「珍しいな、お前が早起きだなんて」

 瀬田は起きるつもりがないのか、けだるげに横になったままだ。

 「んー、なんとなく?」

 夢見が悪かった……というわけでもないので、説明しにくい。

 「シャワー、浴びてくる」

 とりあえずの理由をつける。が。

 「待てよ。せっかくだから……」

 グッと腕を引っ張られ、キスをされた。
 もう一回、朝のイッパツをさせろ。瀬田はそう言いたいのだろうけど。

 「……ゴメン。そういう気分じゃない」

 「ええー、じゃあこの目覚めちまったこれ、どうしたらいいんだよ」

 「トイレ行ったら?」

 ブーブーと文句をたれる瀬田を残してお風呂場に行く。
 ホント、なんとなくなのだけど、瀬田と一緒にいるのがイヤだった。嫌いになった……とかそういうんじゃない。昨日だって、あんまりよく覚えてないけど、気持ちよかったのは間違いないし。喘ぎすぎてちょっと喉が痛いぐらいだし。体の相性もよくて、セフレとして最高の男なんだけど。
 上手く説明できないけど、これ以上瀬田と触れ合うことにためらいがあった。

 熱めのシャワーで、石鹸で。
 髪も体も念入りに洗った。
 情事の痕をすべて消すように。
 
 *     *     *     *

 ユサッ、ユサユサッ……。

 テーブルの下から響く不定期な揺れ。
 微かだけどテーブルの脚に伝わり、テーブル上の請求書に伝わり、そして、請求書を指さす私に伝わる。
 その微かさが神経に障る。揺れるのなら、いっそのこと地震並みに大揺れしてくれたほうがマシ。
 
 「だからぁ、これは、僕じゃなくって、経理部に問い合わせてよ」

 目の前にいるオッサン、石山が苛立った声を上げた。その歳で「僕」かよ。何度聞いても気持ち悪いわ。
 でもビジネスマナーとして、能面のように真面目な顔を表に貼り付けて話し続ける。

 「でも、経理の方に電話したら、石山さんとお話ししてくださいって言われたんです」

 トントンと付箋を貼っておいた部分を示す。

 「ここのドレッシングのケース、交渉納価392円だったはずですが、請求書の価格、452円になってるんですよ」

 イヤそうに、石山が請求書を一瞥する。本当は、私とこうして向き合っているのも面倒くさいのだろう。顔を思いっきりしかめられた。

 (営業失格だよな、コイツ)

 あくまで、こちらはお客なんだけど?
 四十男よそじおとこの薄い頭髪を見ながら思う。
 アンタんトコから商品、買ってやってるんだけど? こっちだって面倒くさいけど、わざわざ説明してやってんだけど? 間違ってるのはアンタんトコなんだけど?

 「あー、もういいよ。交渉価格で、伝えた通りの金額で、やってもらえば」

 どうでもいいと、言い捨てられた。
 業務用ドレッシング、1000㎖24本入り。それが、10ケース。240本。
 一本あたり、60円の誤差だけど、240本ともなれば、14400円の差となる。
 そして誤差は、このドレッシングだけにとどまらない。請求書全体に誤差がちりばめられている。合わせた誤差は、……おそらく十数万単位。
 それを、そんなテキトーに済ませるなんて。

 (潰れろ、大企業)

 心の中で毒づく。

 「じゃあ、そういうことで」

 そそくさと石山が立ちあがる。話は一方的に打ち切られた。石山のなかで、私は「こうるさい草津さん」なんだろうな。絶対。

 「ああ、そうだ」

 経理部エリアを出ていきがてらに、石山がふり返った。

 「支払いの締め日、20日だから。急いでね」

 毎月、遅いんだよな、この会社の経理。嫌味を残して去っていくハゲ「僕」オッサン。

 (……お前んトコの請求がいい加減だから、遅くなるんだろーがっ!!)

 手にした請求書を叩きつけたい(そして、グシャグシャに石山もろとも踏みつけたい)欲求にかられるが。

 う~。我慢、我慢。
 そんなことをしたって、なんの得にもなりはしない。
 石山の言う20日まで、あと二日。
 一応の言質げんちはとったからと、自分に言い聞かせ席に戻る。交渉価格で、こちらはキッチリカッチリ支払うように手配してやろうじゃないの。

 (今日、飲もう)

 いつものように瀬田を呼んで、飲んでSEX朝までコース。
 そうでもしなきゃ、このイライラは収まらない。飲んで、エッチしてストレス発散!!
 そんなことを考えながら、パソコンの画面を開く。
 それなのに。

 「草津さん、あそこの請求書、早くあげてね」

 通りすがりに上司から言われた。

 ブルータスッ上司よ!! お前もかっ!!

 イライラMAXだ。リミッター超えそう。
 酒とSEXでなんとかなるだろうか。

 (とりあえず、チューハイは3缶かな)

 そしてSEXも三回。瀬田を寝かせてなんかやらない。トコトンつき合ってもらおう。
 あとで、こっそり瀬田にラインをいれておこう。

*     *     *     *

 だるい。
 眠いとか、そういうのじゃなく、ただだるい。
 仕事のストレスは、まあ、発散できた。
 苛立ちをぶつけるような酒とSEXだったけど、それなりに楽しかった。
 突然の呼び出しでも、瀬田は最後まで私につき合ってくれた。

 「こんなの、わかってくれるの、瀬田だけだよぉ」

 けっこうな絡み酒だったような気がする。そして泣き酒。
 グデグデグダグダな私を、瀬田はちゃんと楽しませてくれた。まあ、かなり酔っぱらってしまって、2回目の途中から記憶が曖昧。気持ちよかったことだけは覚えてるから、それなりだったんだと思う。
 今日は平日だし、あの請求書のこともやらなくちゃいけないから、出社しなきゃいけないんだけど。締め切りまであと一日。今日しかないんだけど。
 完全に動く気力が失せている。
 髪を梳くのも、着替えるのも、全部面倒。体が鉛みたい。重い。
 酒の飲み過ぎ? それともSEXのやり過ぎ?
 なんか、そういうのとは違う体調不良。説明できない体の違和感。
 会社には、熱があるとウソついて休んだ。
 瀬田は心配してくれたけど、二人そろって休むわけにもいかないので、彼だけ仕事に送り出す。仕事に行く直前、ヤツは昨夜のまま散らかった部屋も片付けていってくれた。脱ぎ散らかした私のスーツもハンガーにかけて、ご丁寧に消臭スプレーまでふりかけておいてくれた。

 (うーん、いいヤツ)

 あれでカノジョがいないのだから、世の女の子は見る目がない。
 瀬田がいなくなって、ガランとした部屋に一人。
 窓の外から、街が動き出した音がするけど、私はまったく動く気にならなかった。かろうじてダボダボパーカー(瀬田の部屋着)だけ着て、ベッドに寄りかかって座る。
 動くのがものすごく億劫。考えることも面倒。

 (熱、あるのかな?)

 ノロノロと体温を測るが、36.2と正常。
 昨日のSEXで疲れた? 酒が残ってる? 仕事のストレスで、ウツでも発症した? それとも、まさかの……妊娠?

 (あれぐらいで?)

 別に、体の節々が痛いとか、頭がズキズキするとかいうのもない。仕事だって、ムカつくけど、あんなのいつものことだ。妊娠は……、可能性はゼロじゃないけど、ついこの間、生理来たばっかだし。ちゃんと避妊してるし。

 (もっと激しいことしたことあるし、もっとヤバいぐらい飲んだことあるし)

 基本、体が強いのか、ザルなのか、SEXや酒で体がどうにかなることはない。
 それなのに、今日は、どうにも……。

 (ダメ……。もう寝よう)

 ズルズルと這うようにしてベッドのなかに戻る。
 瀬田とのSEXで、乱れた布団を直すのもダルイ。ゴロンッと横になると、そのまま目を瞑る。
 それだけで、動きたくない体は、簡単に眠りに落ちる。

 泣かないで。
 そう思いながら、またあの夢を見る。
 あの声の主。いったい誰なんだろう。
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