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七、美濃の強力娘、今をときめく女房となるの語
(五)
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「単刀直入に言うよ。菫野。僕の妃、東宮妃になってくれないか?」
「――――は?」
真剣に聴いてたはずなのに、思いっきり間抜けな声が出た。
安積さまの妃に? 東宮妃に? わたしが? なるの?
「はあああっ!?」
次に大きな声が出た。
「驚くのも無理はないよね」
「おお、驚きますよ、そんなの!」
わたしが東宮妃にって。正気なの?
「それとも、まさか、まだわたしの強力を利用しよう――とか?」
東宮妃が強力でないといけない理由なんて、ちっともこれっぽっちも思いつかないけど。もしそういうことなら、何がなんでも辞退させてもらいますけどっ!?
「そんなんじゃないよ。……信用されてないんだなあ、僕は」
ハアッと、深く息を吐き出された安積さま。疑ったわたしが悪いような気がしてきたけど。
(ちょっと待って! 悪いのは安積さまでしょ!)
桜花さまをお守りするために、わたしの強力を利用した前科があるんだもん! 疑うわたしは悪くない!
「僕はね、今までずっと、桜花の幸せさえ守れたら、後はどうなってもいいって思ってたんだ。桜花の幸せさえ見届けたら、自分がどうなってもいいってね」
――わたくしね、菫野には、兄さまを俗世につなぎとめる〝舫い〟になってほしいって思ってるの。
宇治の帰り道、桜花さまがおっしゃっていたこと。
安積さまは、自身の幸せを求めようとなさらない。桜花さまのためだけに生きておられた。桜花さまの未来のために、出家すら厭わない覚悟をお持ちだった。もしかしたらだけど、ご自身の生死すら、桜花のためならって、どうなろうと気にしてなかったのかもしれない。
――桜花には、幸せになって欲しいんだ。
そのために、わたしの強力も利用した。
「でも今は、少し欲張りになってる。ちょっとだけ自分のために生きてもいいって思い始めてるんだ」
それは、安積さまにとって、大きな変化じゃないのかな。誰かのために生きるんじゃなくて、自分のために生きる。
当たり前だけど、とっても欲張り。
「僕はこの先、父の跡をついで帝になるだろう。帝となれば、桜花だけじゃなく、国の民草も守らなきゃいけなくなる。それが治天の君、帝というものだからね。だけど、僕は弱い。桜花一人、守ることができなかった。そして、守り方を間違える。桜花に叱られたよ。そんなつもりで菫野を呼び寄せたのかって。きみを泣かせてしまったことも、ものすごく怒られた。反省してる」
「安積さま……」
あの桜花さまが、兄を叱るだなんて。うれしいけど、想像がつかない。
でも、さっきの命婦さまを諫めたあたり、意外と桜花さまってお強いのかもしれない。怒らせたら怖い人。
「僕は弱い。そして間違える。そういう人間だ。だから、そんな弱い僕が帝となっても揺るがなく立ち続けるために、きみに支えてほしいんだ。支えるだけじゃない、僕が間違った時は、ぶん殴ってでも止めてほしい」
「えっと、その。わたしがぶん殴ったら、宮さま、どうにかなっちゃいますよ?」
吹っ飛ぶ程度ですめばいいけど。
「ハハッ。大丈夫。ぶん殴られないように、間違えないように務めるから」
「はあ……」
なんか、それでいいのかなあって気になる。
「でも、百歩……じゃない、千歩か万歩ぐらい譲ったとして。わたしが妃になるのは無理ですよ」
受領の娘がなれるとしたら、せいぜい更衣か尚侍。それも、身分差ありすぎて、つま先立ちでプルプルしながら伸ばした腕で、どうにか手が届くぐらいの地位。
「ああ、そこは大丈夫。権大納言がきみの養父となってくれるから」
「はあっ!? ゴンダイナゴン……さま?」
どっから降って湧いて出た、その人。
「中将の兄だよ。あの先の左大臣の長男。彼には、娘はいるけど、入内するには幼すぎてね。きみの養女の話を持ちかけたら、喜んで了承してくれたよ」
「はあ……」
おそらくだけど、権大納言にしてみれば、父親がとんでもない陰謀を企ててたわ、自分には入内させる娘がいないわで、悩みどころだったんだろう。
そこに、安積さまから「養女どう?」の話が来た。
弟、中将さまが姉宮を妻にもらっても、右大臣家には桜花さまがご降嫁なされる。
右と左。
どちらも、姫宮のご降嫁先となったことで、権力の均衡は崩れない。いや、左大臣家のが流罪になった父親がいる分、不利。
もしここで、安積さまのもとに右大臣家から妃が入内して、御子をお産み参らせたら。左大臣家の落ち目待ったなし。
なら、安積さまの申し出に従って、わたしを養女にして入内させたら。なんたって、その養女は、安積さまが溺愛(? デキアイ?)してる娘だし? 養女にして損はない。
「でも、わたしと左大臣家では格が違いすぎませんか?」
わたしはあくまで、一介の受領の娘。左大臣家の娘になるには、ちょっと……。
「大丈夫だよ。きみの家と左大臣家は同じ〝藤原北家〟の流れ。問題ないよ」
いや、待て、ちょっと。
苗字が同じだからって。そりゃあ、祖父の祖父の祖父のそのまた祖父ぐらいなら、兄弟だったかもしれませんけど? だからって親戚みたいな扱いしてたら、この都じゅうにいる全ての藤原さんが、ご親戚、お仲間、大差ないってなっちゃいますけど?
そのうち、「北家だろうが、南家だろうがみな同じ藤原だ! 関係ない!」って言い出しそう。
「それで? 菫野自身はどう思ってるの?」
「はえっ!?」
「僕に嫁ぐこと。身分や家柄に問題はなくなったし。後はきみの心次第なんだけど?」
「えっと、えっと、あの……、その……」
都に上ったら、素敵な恋がしたい。
そう思ってた。
内裏で働く女房として、美しい絵巻物のような世界で、ときめく物語のような恋をくり広げるたい。
「ちょっとぐらい、そういうことないかなぁ」「誰か付け文の一つや二つぐらい贈ってくれないかしら」ぐらいは思ってた。せっかく内裏に出仕するんだからって、それぐらい期待はしてた。
そこに現れた、安積さま。
桜花さまによく似た面差しで、凛とした、「いかにも貴公子!」って感じのかっこよさで。お文のお手蹟も黒々と男らしいのに、とても優雅で。
ここに光源氏なんかが来ても、「失礼しましたー」って帰っていっちゃいそうなぐらい、安積さまはカッコよくて。平中だってお呼びじゃないわよ。
お声も低すぎず高すぎす、「菫野」なんて名前を呼ばれちゃおうもんなら、そのままコロリと恋に落ちてしまいそうで。
「菫野。可憐な名前だね」
「まあ、およしになって、宮さま」
「〝宮〟だなんてよそよそしい呼びかけはナシだ。僕の名を、〝安積〟と呼んでくれないか」
「あ、安積……さま」
なんて展開を期待したこともあったわよ。ええ、ちょっぴりだけどありましたわよ。
だけど、それはあくまで妄想であって、願望であって。いざそれが叶うとなると、その……。
「あの、本気でわたしを妃にって、思っていらっしゃるのですか?」
疑いたくなる。
だって、光源氏が末摘花を「是非!」とは言わないでしょ? そういう方は、やんごとなくってとんでもなく美人な姫君と恋するものでしょ?
「きみ以外いないと思ってるけど?」
「強力ですよ?」
「でも優しい」
「歌も楽も下手くそですよ?」
「教えがいがあるね」
「顔も十人並みですし」
「かわいいと思うけど?」
…………。ダメだ。
安積さま、とっても残念な嗜好をしていらっしゃる。お顔は良いのに。
「菫野。どうか、どうか僕を夫に選んでくれないか」
そしてどこまでも真摯だ。
「菫野」
ついっとわたしの手を取る安積さま。真剣な視線がわたしを捕らえて……。
「――菫野、助けてくれ!」
庭先からかかった声。
「孤太!」
ピョーンと空から降ってきたのは孤太。
降りてきたはいいけど、後ろをふり返り、焦りまくっている。
「待て、狐! 我と話をせよ!」
ついで降ってきたのは、あの陰陽師。なんか、いろいろ降ってくるなこの庭。
「ヤだよ! ってか、もう喋ることなんて残ってねえよ!」
「主になくても我にはある。お主は野狐であろう? 式にせぬ代わりに、その性が他の狐とどう違うのか教えよ――。宮、御前、失礼つかまつった。続けられよ」
あのお堂で会った陰陽師。
わたしを捕まえたのは、あくまで孤太を呼び寄せるためで、安積さまをどうにかしようって気はなかったんだって。だから、安積さまがわたしを助けに来たのを見て、「こりゃマズいな」ってことで中将さまのもとに式神を飛ばした。だから、特にお咎めもなく、こうして自由に(?)、孤太を追い回してる。
趣味はあやかしついて調べること。そしてあわよくば、あやかしを自分の式神にして使役することという陰陽師。
そんな陰陽師が、孤太をひっ捕まえて、何事もなかったように、ズルズルと庭の茂みを越えていこうとするけど。
「ま、待って! 待って、待って、待って! 孤太を連れて行かないで! 一言ぐらい、飼い主に許可取ってよ!」
「誰が飼い主だ!」
引きずられながら孤太が叫ぶ。
「すみません、宮さま、失礼いたします!」
スルリと、安積さまから自分の手を抜き取り、一礼してから庭に駆け出る。
陰陽師に好き放題されそうな孤太を守るため、飼い主であるわたしも立ち会わなくっちゃ。
「なんだよ。顔赤けえぞ?」
引きずられる孤太が問う。
「うるさいわね。暑いからよ」
秋は近いけどまだ夏だから。暑いから。だからわたしの顔は赤いの。火照ってるの。
そういうことにしておいて。
いつかは、ちゃんとお返事して、答えを出さなきゃいけないんだろうけど。今は。
今はまだ、もう少しだけ、恋にときめいてるだけのわたしでいさせてください。
*
「兄さま」
「逃げられてしまったよ。あの狐のせいでね」
一人残された簀子の縁に妹と、妹の許嫁となった男が現れる。
おそらく、御簾内から事の顛末を見ていたのだろう。フラれた僕を慰めに来たのか、それとも――
「兄さま、これぐらいで諦めてはいけませんわよ」
叱咤激励しに来たらしい。
「わたくし、なんとしても菫野には姉さまになって欲しいんですの」
「うん。僕だって、なんとしても妻になって欲しいよ」
右大臣と左大臣の力の均衡を取るため。
桜花を右大臣家に、僕に左大臣家の養女を。乱れた政を正すためと、建前を父に述べて、無理やり了承を得た。
桜花は、真成と結婚するために。僕は菫野と結婚するために。
「否」と言えないように、周りから攻めて、理詰めで追い詰めて、桜花は婚約にこぎつけたけれど、僕の方はこうしてアッサリ逃げられた。
(あの狐がいる限り、難しいかな)
助けに行った時も、僕ではなく、あの狐の方に抱きついてた。狐の名は呼ぶのに、僕の名を呼んでくれたことはない。
(まったく脈がないわけじゃないと思うんだけど)
見つめれば顔を赤くしてくれるし。囁やけば、アタフタし始めるし。
意識されてないわけじゃない。ただ、狐のほうに重きが置かれてるだけで。
「まあ、これからゆっくり口説いていくとするよ」
急いで思いを成し遂げなくてもいい。恋が成ってしまっては味わえない、このジレジレとした、もどかしい時を楽しむとしよう――今は。
慣れてしまったら見られなくなるだろう、彼女の慌てふためき真っ赤になる姿。気を失わせるのは本意じゃないけど、ああいう姿が見られるのは、きっと今だけだから。
訪れた平穏。生きると決めた自分には、彼女がその気になるのを待つだけの時間がある。
「でも、どうにも我慢できなくなったら、かっ攫ってしまおうかな」
誰にも彼女を渡さない。渡す気もない。狐にも。
野に咲く菫は、僕のものだ。摘み取っていいのは僕だけだ。
今はああして逃してあげるけど、その時が来たら、一歩たりとも逃がす気はない。
「怖い兄さまですこと」
妹が笑う。
「おや、今ごろ気づいたのかい?」
僕は、とっても狭量で、我儘で、強欲なんだ。
* * * *
今は昔。美濃国受領の娘、「強力姫」といふ姫ありけり。
心極めて優しく、幼きころ、助けし狐に岩砕く強力を授けらるる。
見目よく、ここは悪しと見ゆるとこなく端正なるが、身の力極めて強かりける。
美濃の川にて大岩砕きしこと。琵琶を爪弾き、怨霊を呼び寄せたること。宇治にて、牛車を狩り、空駆け姫宮助けしこと。御仏の加護を持ちて春宮守りしこと。常、檜扇、指をもつて押し砕くこと。事績、笑ひに事欠かぬ姫なり。
然るにその姫、後にすぐれてときめき給ひて、春宮の后になりてぞありけるとなむ語り伝へたるとや。
「――――は?」
真剣に聴いてたはずなのに、思いっきり間抜けな声が出た。
安積さまの妃に? 東宮妃に? わたしが? なるの?
「はあああっ!?」
次に大きな声が出た。
「驚くのも無理はないよね」
「おお、驚きますよ、そんなの!」
わたしが東宮妃にって。正気なの?
「それとも、まさか、まだわたしの強力を利用しよう――とか?」
東宮妃が強力でないといけない理由なんて、ちっともこれっぽっちも思いつかないけど。もしそういうことなら、何がなんでも辞退させてもらいますけどっ!?
「そんなんじゃないよ。……信用されてないんだなあ、僕は」
ハアッと、深く息を吐き出された安積さま。疑ったわたしが悪いような気がしてきたけど。
(ちょっと待って! 悪いのは安積さまでしょ!)
桜花さまをお守りするために、わたしの強力を利用した前科があるんだもん! 疑うわたしは悪くない!
「僕はね、今までずっと、桜花の幸せさえ守れたら、後はどうなってもいいって思ってたんだ。桜花の幸せさえ見届けたら、自分がどうなってもいいってね」
――わたくしね、菫野には、兄さまを俗世につなぎとめる〝舫い〟になってほしいって思ってるの。
宇治の帰り道、桜花さまがおっしゃっていたこと。
安積さまは、自身の幸せを求めようとなさらない。桜花さまのためだけに生きておられた。桜花さまの未来のために、出家すら厭わない覚悟をお持ちだった。もしかしたらだけど、ご自身の生死すら、桜花のためならって、どうなろうと気にしてなかったのかもしれない。
――桜花には、幸せになって欲しいんだ。
そのために、わたしの強力も利用した。
「でも今は、少し欲張りになってる。ちょっとだけ自分のために生きてもいいって思い始めてるんだ」
それは、安積さまにとって、大きな変化じゃないのかな。誰かのために生きるんじゃなくて、自分のために生きる。
当たり前だけど、とっても欲張り。
「僕はこの先、父の跡をついで帝になるだろう。帝となれば、桜花だけじゃなく、国の民草も守らなきゃいけなくなる。それが治天の君、帝というものだからね。だけど、僕は弱い。桜花一人、守ることができなかった。そして、守り方を間違える。桜花に叱られたよ。そんなつもりで菫野を呼び寄せたのかって。きみを泣かせてしまったことも、ものすごく怒られた。反省してる」
「安積さま……」
あの桜花さまが、兄を叱るだなんて。うれしいけど、想像がつかない。
でも、さっきの命婦さまを諫めたあたり、意外と桜花さまってお強いのかもしれない。怒らせたら怖い人。
「僕は弱い。そして間違える。そういう人間だ。だから、そんな弱い僕が帝となっても揺るがなく立ち続けるために、きみに支えてほしいんだ。支えるだけじゃない、僕が間違った時は、ぶん殴ってでも止めてほしい」
「えっと、その。わたしがぶん殴ったら、宮さま、どうにかなっちゃいますよ?」
吹っ飛ぶ程度ですめばいいけど。
「ハハッ。大丈夫。ぶん殴られないように、間違えないように務めるから」
「はあ……」
なんか、それでいいのかなあって気になる。
「でも、百歩……じゃない、千歩か万歩ぐらい譲ったとして。わたしが妃になるのは無理ですよ」
受領の娘がなれるとしたら、せいぜい更衣か尚侍。それも、身分差ありすぎて、つま先立ちでプルプルしながら伸ばした腕で、どうにか手が届くぐらいの地位。
「ああ、そこは大丈夫。権大納言がきみの養父となってくれるから」
「はあっ!? ゴンダイナゴン……さま?」
どっから降って湧いて出た、その人。
「中将の兄だよ。あの先の左大臣の長男。彼には、娘はいるけど、入内するには幼すぎてね。きみの養女の話を持ちかけたら、喜んで了承してくれたよ」
「はあ……」
おそらくだけど、権大納言にしてみれば、父親がとんでもない陰謀を企ててたわ、自分には入内させる娘がいないわで、悩みどころだったんだろう。
そこに、安積さまから「養女どう?」の話が来た。
弟、中将さまが姉宮を妻にもらっても、右大臣家には桜花さまがご降嫁なされる。
右と左。
どちらも、姫宮のご降嫁先となったことで、権力の均衡は崩れない。いや、左大臣家のが流罪になった父親がいる分、不利。
もしここで、安積さまのもとに右大臣家から妃が入内して、御子をお産み参らせたら。左大臣家の落ち目待ったなし。
なら、安積さまの申し出に従って、わたしを養女にして入内させたら。なんたって、その養女は、安積さまが溺愛(? デキアイ?)してる娘だし? 養女にして損はない。
「でも、わたしと左大臣家では格が違いすぎませんか?」
わたしはあくまで、一介の受領の娘。左大臣家の娘になるには、ちょっと……。
「大丈夫だよ。きみの家と左大臣家は同じ〝藤原北家〟の流れ。問題ないよ」
いや、待て、ちょっと。
苗字が同じだからって。そりゃあ、祖父の祖父の祖父のそのまた祖父ぐらいなら、兄弟だったかもしれませんけど? だからって親戚みたいな扱いしてたら、この都じゅうにいる全ての藤原さんが、ご親戚、お仲間、大差ないってなっちゃいますけど?
そのうち、「北家だろうが、南家だろうがみな同じ藤原だ! 関係ない!」って言い出しそう。
「それで? 菫野自身はどう思ってるの?」
「はえっ!?」
「僕に嫁ぐこと。身分や家柄に問題はなくなったし。後はきみの心次第なんだけど?」
「えっと、えっと、あの……、その……」
都に上ったら、素敵な恋がしたい。
そう思ってた。
内裏で働く女房として、美しい絵巻物のような世界で、ときめく物語のような恋をくり広げるたい。
「ちょっとぐらい、そういうことないかなぁ」「誰か付け文の一つや二つぐらい贈ってくれないかしら」ぐらいは思ってた。せっかく内裏に出仕するんだからって、それぐらい期待はしてた。
そこに現れた、安積さま。
桜花さまによく似た面差しで、凛とした、「いかにも貴公子!」って感じのかっこよさで。お文のお手蹟も黒々と男らしいのに、とても優雅で。
ここに光源氏なんかが来ても、「失礼しましたー」って帰っていっちゃいそうなぐらい、安積さまはカッコよくて。平中だってお呼びじゃないわよ。
お声も低すぎず高すぎす、「菫野」なんて名前を呼ばれちゃおうもんなら、そのままコロリと恋に落ちてしまいそうで。
「菫野。可憐な名前だね」
「まあ、およしになって、宮さま」
「〝宮〟だなんてよそよそしい呼びかけはナシだ。僕の名を、〝安積〟と呼んでくれないか」
「あ、安積……さま」
なんて展開を期待したこともあったわよ。ええ、ちょっぴりだけどありましたわよ。
だけど、それはあくまで妄想であって、願望であって。いざそれが叶うとなると、その……。
「あの、本気でわたしを妃にって、思っていらっしゃるのですか?」
疑いたくなる。
だって、光源氏が末摘花を「是非!」とは言わないでしょ? そういう方は、やんごとなくってとんでもなく美人な姫君と恋するものでしょ?
「きみ以外いないと思ってるけど?」
「強力ですよ?」
「でも優しい」
「歌も楽も下手くそですよ?」
「教えがいがあるね」
「顔も十人並みですし」
「かわいいと思うけど?」
…………。ダメだ。
安積さま、とっても残念な嗜好をしていらっしゃる。お顔は良いのに。
「菫野。どうか、どうか僕を夫に選んでくれないか」
そしてどこまでも真摯だ。
「菫野」
ついっとわたしの手を取る安積さま。真剣な視線がわたしを捕らえて……。
「――菫野、助けてくれ!」
庭先からかかった声。
「孤太!」
ピョーンと空から降ってきたのは孤太。
降りてきたはいいけど、後ろをふり返り、焦りまくっている。
「待て、狐! 我と話をせよ!」
ついで降ってきたのは、あの陰陽師。なんか、いろいろ降ってくるなこの庭。
「ヤだよ! ってか、もう喋ることなんて残ってねえよ!」
「主になくても我にはある。お主は野狐であろう? 式にせぬ代わりに、その性が他の狐とどう違うのか教えよ――。宮、御前、失礼つかまつった。続けられよ」
あのお堂で会った陰陽師。
わたしを捕まえたのは、あくまで孤太を呼び寄せるためで、安積さまをどうにかしようって気はなかったんだって。だから、安積さまがわたしを助けに来たのを見て、「こりゃマズいな」ってことで中将さまのもとに式神を飛ばした。だから、特にお咎めもなく、こうして自由に(?)、孤太を追い回してる。
趣味はあやかしついて調べること。そしてあわよくば、あやかしを自分の式神にして使役することという陰陽師。
そんな陰陽師が、孤太をひっ捕まえて、何事もなかったように、ズルズルと庭の茂みを越えていこうとするけど。
「ま、待って! 待って、待って、待って! 孤太を連れて行かないで! 一言ぐらい、飼い主に許可取ってよ!」
「誰が飼い主だ!」
引きずられながら孤太が叫ぶ。
「すみません、宮さま、失礼いたします!」
スルリと、安積さまから自分の手を抜き取り、一礼してから庭に駆け出る。
陰陽師に好き放題されそうな孤太を守るため、飼い主であるわたしも立ち会わなくっちゃ。
「なんだよ。顔赤けえぞ?」
引きずられる孤太が問う。
「うるさいわね。暑いからよ」
秋は近いけどまだ夏だから。暑いから。だからわたしの顔は赤いの。火照ってるの。
そういうことにしておいて。
いつかは、ちゃんとお返事して、答えを出さなきゃいけないんだろうけど。今は。
今はまだ、もう少しだけ、恋にときめいてるだけのわたしでいさせてください。
*
「兄さま」
「逃げられてしまったよ。あの狐のせいでね」
一人残された簀子の縁に妹と、妹の許嫁となった男が現れる。
おそらく、御簾内から事の顛末を見ていたのだろう。フラれた僕を慰めに来たのか、それとも――
「兄さま、これぐらいで諦めてはいけませんわよ」
叱咤激励しに来たらしい。
「わたくし、なんとしても菫野には姉さまになって欲しいんですの」
「うん。僕だって、なんとしても妻になって欲しいよ」
右大臣と左大臣の力の均衡を取るため。
桜花を右大臣家に、僕に左大臣家の養女を。乱れた政を正すためと、建前を父に述べて、無理やり了承を得た。
桜花は、真成と結婚するために。僕は菫野と結婚するために。
「否」と言えないように、周りから攻めて、理詰めで追い詰めて、桜花は婚約にこぎつけたけれど、僕の方はこうしてアッサリ逃げられた。
(あの狐がいる限り、難しいかな)
助けに行った時も、僕ではなく、あの狐の方に抱きついてた。狐の名は呼ぶのに、僕の名を呼んでくれたことはない。
(まったく脈がないわけじゃないと思うんだけど)
見つめれば顔を赤くしてくれるし。囁やけば、アタフタし始めるし。
意識されてないわけじゃない。ただ、狐のほうに重きが置かれてるだけで。
「まあ、これからゆっくり口説いていくとするよ」
急いで思いを成し遂げなくてもいい。恋が成ってしまっては味わえない、このジレジレとした、もどかしい時を楽しむとしよう――今は。
慣れてしまったら見られなくなるだろう、彼女の慌てふためき真っ赤になる姿。気を失わせるのは本意じゃないけど、ああいう姿が見られるのは、きっと今だけだから。
訪れた平穏。生きると決めた自分には、彼女がその気になるのを待つだけの時間がある。
「でも、どうにも我慢できなくなったら、かっ攫ってしまおうかな」
誰にも彼女を渡さない。渡す気もない。狐にも。
野に咲く菫は、僕のものだ。摘み取っていいのは僕だけだ。
今はああして逃してあげるけど、その時が来たら、一歩たりとも逃がす気はない。
「怖い兄さまですこと」
妹が笑う。
「おや、今ごろ気づいたのかい?」
僕は、とっても狭量で、我儘で、強欲なんだ。
* * * *
今は昔。美濃国受領の娘、「強力姫」といふ姫ありけり。
心極めて優しく、幼きころ、助けし狐に岩砕く強力を授けらるる。
見目よく、ここは悪しと見ゆるとこなく端正なるが、身の力極めて強かりける。
美濃の川にて大岩砕きしこと。琵琶を爪弾き、怨霊を呼び寄せたること。宇治にて、牛車を狩り、空駆け姫宮助けしこと。御仏の加護を持ちて春宮守りしこと。常、檜扇、指をもつて押し砕くこと。事績、笑ひに事欠かぬ姫なり。
然るにその姫、後にすぐれてときめき給ひて、春宮の后になりてぞありけるとなむ語り伝へたるとや。
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むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
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美濃という地名に親近感が沸きました。
感想、ありがとうございます!
美濃~。美濃、いい所ですよ~。現在の岐阜県ですね~。
栗きんとんとか、五平餅とか、高山ラーメンが絶品です~。……って、五平餅と高山ラーメンは美濃ではなく、飛騨でした。(同じ岐阜県だけど)
お読みいただき、ありがとうございました。