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第一章
1-14 先生と豆太郎
しおりを挟むユスティティアが送ってきた人生の中で、気を抜くということは自らの命を危険にさらす行為であった。
王太子の婚約者、次期王妃、ルヴィエ侯爵の娘――
様々な立場から、彼女が死んでくれたらと願う者は少なくなかったのである。
だからこそ、彼女は人前で居眠りをすることなど無かった。
いつも完璧を求められ、虐待とも思える教育を受け、気弱な彼女なりに必死に生きてきたのだ。
それ、全てから解放された。
パチパチと聞こえる焚き火の音。
ゆらめく火。
そして、目の前には、この世で一番信頼できる相棒と教師がいる。
(何もかも失ったはずだったのに……最高のものが私の手の内に残った感じがする……これも、花竜人がもたらす幸運ってやつかな)
豆太郎とキスケの他愛ない会話が、どんどん遠くになってきた――そう感じていた彼女は、いつの間にかテーブルに体を預けて眠っていた。
スヤスヤと眠るユスティティアに、豆太郎がどうしようと狼狽えていたのだが、キスケのほうは落ち着いたものだ。
地面に置いたままであった自分の荷物を担いで豆太郎に声をかけた。
「この建物の中には入っていいかな」
「あ、はい! 鍵はかかっていませんから、どうぞ!」
豆太郎に許可を貰ったキスケは、木製の扉を開いて建物の中へ足を踏み入れる。
職人でも、ここまで完璧に真っ直ぐな建築は無理だろうと思えるほど、歪みの無い床と壁。
キスケが力を入れて押しても揺れることが無い。
「見事な作りだね……これは凄いよ」
「マスターの建築は、丈夫さだけが取り柄なので……センスは、どこかへ置き忘れてきたみたいです」
「あはは、手厳しいね! でも、これだけ頑丈なら、あの魔物の攻撃も数回なら防げたはずだ。人が建築する中では、あり得ない強度だよ。しかも、木材でコレなんだよね? 石材になったらどうなることやら……」
「あ、おそらく、マスターは最終的に、鉄で造るとか言い出しそうですが……」
「……鉄っ!? え、えーと……え? 鉄? そんなことが可能なのかい?」
「マスターにはできますね」
「俺は、ユスティティアさんの認識を改めないといけないね……」
そう言いながら、キスケと豆太郎は室内を確認していく。
全てが木製かと思いきや、石造りの場所もある。
火を使う場所は基本的に石造りだ。
ベッドルーム、トイレ、バスルーム、そして、玄関を入ってすぐにある大きな空間――
全体的にガランとしているし、トイレやバスルームも、この世界の物と大差ない。
「内装は、見慣れた物が多くて安堵したよ」
「あ、それは……今作れる家具が、最低ランクの物ばかりだからだと……」
「え?」
「そのうち、先生さんが驚くような内装になります! マスターは、内装のセンスだけはピカイチなんです!」
嬉しそうにキスケを見上げて報告する豆太郎に、一抹の不安を覚えながらも、「そうなんだ」と相槌を打つ。
(これは……覚悟しておいた方が良いかもしれない……)
おそらく、この先は驚きの連続になる日々が来ることを予想しながら、彼は辺りを改めて見た。
「このガランとした空間は、何か予定があったりするのかい?」
「はい! キッチンを作ったり、作業用のツールを作ったりして並べていきたいのですが、木材と鉄が足りなくて、この空間は手つかずですね」
「木材……ああ、そうか。慎重に行動していたんだね。森へ行くにも草むらに何が潜んでいるか判らなかったから……」
「マスターは、そういう危機管理能力が優れているので、滅多に死なないキャラとしても有名でした」
最初は何を言ってるのか判らなかったキスケだったが、彼女たちの説明を聞いたあとでは話が違う。
仮想空間と現実の違い――
それに対し、得体の知れない危機感を抱いていたのだ。
「……現実世界では死んだら終わりだよ。命は一つだから……無理はしないで欲しいな」
「そこは、マスターも理解していて、余計に慎重になっていたようです」
「彼女は、そういうところが賢いね。自らの力に溺れず、冷静な判断が出来る。とても良い事だよ」
「先生さんに褒められたって知ったら、マスターは大喜びです!」
キスケの足元にまとわりつくように歩きながら、尻尾をブンブン振っている豆太郎に笑顔を向けた彼は、ガランとした寝室へ入り、木枠だけが出来ているベッドを見て笑った。
「使えそうだ」
そういうや否や、荷物から何かを取り出して手のひらへ乗せる。
真っ白でモコモコしている、手のひらサイズの綿だ。
その綿を、力を込めてポンッと叩く。
すると、その綿がモコモコ動き出し、両手に抱えるほどの大きさにまで膨らんでしまった。
ぽよんぽよんと押し返す感触を確認していたキスケに、豆太郎は丸い目を更に丸くして尋ねる。
「そ、それは何ですか?」
「ボーボという、普段は温厚なんだけど何かあると巨大化する羊みたいな家畜の毛だね。竜人族が住む地域でも平気で暮らせる強い家畜だよ」
「竜人族が住む地域は厳しい環境だったのですか?」
「魔力濃度の濃い地域でね。所有魔力量が低いと体がもたない。そんな場所だよ」
「では、マスターも、魔力がそれだけあるんですか?」
「勿論、俺の次に多いよ。本人は気づいていないけど、人が持つ魔力とは桁違いなんだよね」
「へぇ……マスターって……やっぱり、凄いんですね!」
「そうだね。とても凄いよ」
嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる豆太郎に笑顔を向けながら、大きくなったボーボの毛をベッドの木枠に乗せる。
それから、荷物に入っていたシーツをかぶせて、毛布を取り出した。
「……先生さん、旅の荷物ですよね。それ……」
「ああ、ユスティティアさんの件が片付いたら、また、同族探しの旅へ出る予定だったからね。とりあえず、彼女をここへ寝かせてあげよう」
「先生さんはどうするんですか?」
「俺は暫く寝なくても大丈夫。生粋の竜人は、一週間ほど寝なくても平気だからね」
「す、すごいですね……」
一端外へ出て、ユスティティアを抱き上げる。
そして、即席で用意したベッドへ寝かせた。
寒くは無いだろうかと心配していたようだが、建物がシッカリしているので隙間風も入ってこない。
「冷えすぎることはないと思うけど……一応……」
キスケが小さく呟くと、赤い結晶が浮かび上がる。
それはほのかに輝き、周囲をじんわりと暖めてくれた。
「それは何ですか?」
「水晶に力の一端を込めた物だよ。これは、炎を込めた水晶だから、あたたかいんだ。……そういえば、俺が何を司る竜人族が言っていなかったね。俺は、全属性を併せ持つ水晶竜の竜人なんだ」
「全属性……それって、光・闇・火・水・土・風……ということですか?」
「そこに、氷と雷と毒。時も付け加えてね」
「……え? 先生さん……それって……この世界では普通なんですか?」
「いや、普通じゃ無いよ。本来の水晶竜は、時を司っているんだけど……突然変異といったらいいのかな。全属性を網羅しちゃったんだよね。今使える属性は封印の影響で少ないんだけど、四属性は取り戻したよ」
「そうだったんですか……先生さんも苦労しているんですね」
「あはは、そんなに心配しなくて良いよ。それでも十分強いからね。さて、静かに寝かせてあげようか。彼女は疲れているだろうし……」
「あ、はいっ」
眠るユスティティアに軽く挨拶をしてから、一人と一匹は家の外へ出る。
焚き火に木をくべたあと、森の方へ視線を向けた。
「んー……やっぱり、明かりが気になるんだね。近づいてきたら面倒だから……豆太郎君、ちょっと離れていてくれるかな」
キスケに促され、後方へ豆太郎が距離を取ったと同時に、彼の体から凄まじい気配が放たれる。
殺気というには凄まじく、闘気というには荒々しい。
だが、それもすぐに治まった。
豆太郎は【ゲームの加護】で強化された、『storm』のAIナビゲーションシステムだ。
もし、本物の犬だったら、正気を保っていられたかどうかも怪しくなるほどのプレッシャーを、彼は放っていたのである。
「まあ、これで暫くは近づこうと思わないでしょ」
「威嚇したんですか?」
「そんな感じだね。あとは、念には念を入れて……」
彼の指先には、小さな水晶の欠片があった。
それは、意志を持っているように飛び回り、数多の糸を張り巡らせる。
光る糸は森から来る外敵を、この場から遠ざけようとしているようだった。
「こんなもんかな?」
「先生さんは……色々な力が使えるんですね。でも……なんだか、離れる準備をしているような……」
「察しが良いね。少しの間――そうだね、彼女が目を覚ますまでの間、少し気になる事があるから片付けてくるよ」
「え? 先生さん……戻ってこないなんてことは……」
「ないない! キミたちを放っていくことなんて無いから、安心して」
尻尾と耳をぺたりと下げてしまった豆太郎を見て慌てたキスケは、懐からリボンを取り出した。
丁寧に扱っているところを見ると、とても大事な物であると推察できる。
それを、豆太郎の首に巻き付けて笑う。
「コレはね、俺の姉の形見なんだ。これだけは、封じられた後も覚えていたんだよ。それくらい大事な物だけど、豆太郎君に預けておくね。俺が、また帰ってくるって約束だ」
「先生さん……こんな大事な物を僕に……」
「だから、安心して……そうだ、キミも疲れているだろうから、ユスティティアさんの横で一緒に眠っていなさい。俺がちゃんと一晩は安全を確保しておいたからね。また、明日から大変だよ?」
「明日から……ですね!」
「そうだ。明日からは、俺も一緒に頑張るから、今日は休みなさい。ナビであるキミにも、休息は必要だ」
「わかりました。僕もマスターの横で休ませていただきます。先生さん……無理はしないでくださいね」
「ああ、勿論だよ。頑張るのは、これからなんだからね」
ニッコリと笑うキスケに安心したのか、豆太郎は耳をピンッと立てて、尻尾をちぎれんばかりに振っている。
ユスティティアのところへ戻る豆太郎を優しい目で見送り、建物の中へ入ったことを確認したキスケは、ゆっくりと踵を返した。
「さて……ちょっと気になる事もあるし、少し探っておきますか」
パキンッという音が聞こえた後は、シャラシャラと涼やかな音色が聞こえてくる。
音の発生源は、キスケの背中――そこには、見る者すべてが溜め息をこぼしそうなほど美しい、水晶で出来た翼であった。
「王都まで、本気を出せば一時間ってところかな? まあ、あの子達が起きる前には余裕で帰ってこれるでしょ」
ふわりと彼の体が浮いたと思いきや、凄まじい速度で移動を開始する。
それは、流星のようで、人が移動しているとは思えない。
竜人族の強靱な肉体がなければ、この速度について行けなかっただろうという速度で移動しているのだ。
(先ずは情報。そして……島に近い隣の領地で、朝市があるはずだから、そこで何か見繕って帰ろうか)
きっと喜んでくれるはずだと考えるだけで、キスケは頬が緩むのを感じた。
「俺の同族を苦しめた借りは、少しだけでも返しておかないとね。あまりため込みすぎると――何をしちゃうかわからないし」
爽やかな笑顔から紡ぎ出されたとは思えない言葉を聞いた者が居たら、その場で硬直したに違いない。
同族の繋がりを何よりも重んじる水晶竜の逆鱗に、彼らは意図せず触れてしまったのだ。
ただ、彼はそのなかでも一番温厚で慈悲深い。
そして、人間の世界で長く暮らしてきたので、ある程度の人間的な善悪も持ち合わせていた。
空を駆ける水晶竜の力を持つキスケは、何を考え、何を思うのだろうか。
静かな怒りを内包し、鋭い視線をただ王都へ向けるのであった。
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