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第四章 せめぎ合う光と闇

第六十九話 Pearly Gate

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「本当に吸血鬼達は消えたのか……?」
 
 白と黒の間の色味をした灰の山があちらこちらに点在している。織田が指先でそれをそっと触ってみると、それはさらさらとしている。見たところ、灰自体に害する力は全くなさそうだ。
 
 世間を騒がせた者達の成れの果てとしては、あまりにも呆気ない気がするが、これが芍薬の力なのだろう。
 闇の者達を浄化し、全てを無に帰す力。
 だだ、重い静寂が辺りに広がっている。
 
「あっという間に消えてしまったんだね……嘘みたいだけど、本当みたい……」
 
 優美もどこかすっきりしない表情だ。
 
 ランカスター家一族の者達にも、譲れない正義と思いがあった。それは人間にとっては有害以外の何物でもなかったが、彼等にとっては決して間違いではなかったのだ。
 二百年以上昔の事件で地獄に突き落とされた彼等は、ただひたすら救いを求めて彷徨い続けていた。
 ただ、それだけだった。
 ルフスが下した結論が果たして良かったのか悪かったのか。
 そんな思いが頭の中でおしくら饅頭をしている。
 
「でも……でも……っ……静藍先輩が……っ!!」
 
 優美の傍で大粒の涙をぽろぽろ流し、しゃくりあげる者がいる。
 愛梨だった。
 
「早く何とかしなきゃ、静藍先輩が死んじゃう……!!」
 
 そんな愛梨の頭を左京が右手でわしゃわしゃと撫でた。
 
「泣くんじゃねぇよ愛梨~! 確かに、あれだけ大怪我していたら、普通の人間じゃヤバいだろうけど、先輩だろ? な? 何とかなるって!!」
 
 何とか宥めている傍で織田が静かに言った。
 彼も浮かない顔をしている。
 きっと、優美と同じ心境に違いない。
 
「彼の言うとおりだ。俺達は何も出来ない。全ては力を授けられている茉莉君に任せるしかない。静藍君はきっと大丈夫だと信じて、ここは静かに応援しようじゃないか」
 
 一同は茉莉達を見守ることにした。 
 
 ※ ※ ※
 
 恐ろしい程の静寂が辺りを包んでいた。
 セフィロスだった灰の山の前で、茉莉は座り込んでいる。
 彼女の腕の中で意識を取り戻した静藍は、ぼんやりとしていた。
 その目には光がない。
 どこか遠くを見ているのだろうか。
 彼が一体何を見ているのか、良く分からない。
 
「……静藍……!」
 
 茉莉が何度か呼び掛けたところで、気が付いた静藍はゆっくりと顔を動かし、瞳を合わせてきた。
 
「……良かった……体力がここまで何とか保てて……」
 
 白いTシャツは血で身体に張り付いており、静藍は唇まで紙のように真っ白になっていた。
 自分の太腿の上に彼の頭を乗せている茉莉は目を真っ赤にしている。瞳の色はいつもの榛色に戻っていた。
 
「……やり遂げましたね、茉莉さん……」
 
 静藍は薄い唇を何とかこじ開けようとしつつ、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。
 瞳は焦点が定まっておらず、上下左右にと動いている。
 声が震えており、生気がない。
 
「静……藍……嘘……!?」
 
 蒼白になる茉莉。
 
 ドクン。
 ドクン。
 ドクン。
 
 (肺に何かが詰まった感じがして息が出来ない。
 身体が……動かない……)
 
 ドクン。
 ドクン。
 ドクン。
 
 (このままだとあんた本当に、死ぬの? )
 
 ――君は……来るな!! 俺が囮になる。俺から離れて早く逃げろ!! ――
 
 自分を守る為に囮となり命を落とした白木。
 
 ――僕はここにいます。だから、君にしか出来ないことを……やり遂げて下さい……自信を持って……! ――
 
 自分に芍薬刀を授ける為に重症を負った静藍。
 
 ――セフィロス達を、俺を解放してくれ。頼む。俺達を縛り続けるこの呪縛から自由にしてくれ! ――
 
 迷う自分の背中を押してくれたルフス。
 
 様々な想いが忍捩摺のように絡み付き、茉莉の心は千々に乱れた。
 
 このままだと静藍の肉体が死に絶えてしまう。
 自分を死ぬ気で助けに来てくれたのに。
 震える自分を強く抱き締めて、壊れそうになる心を守ってくれたのに……!!
 
 (私は又……失ってしまう……!! )
 
「茉莉さん……君に話さないといけないことがあります」
 
 静藍は額にしわを寄せながらゆっくりと一呼吸した。
 
「僕は……自分にかけられた呪いを解くのに、君の血が必要であることを分かっていました……」
 
「え……?」
 
 目を見開く茉莉。
 それに構わず静藍は途切れ途切れ言葉を繋げた。
 
「何となくですが、身体に流れる“血”が、君を呼んでいたんです。抗えない、何かの力によって“引き寄せられる”ような感じ……」
 
「確かに、君を狙って近付いたと言われてみれば、その通りです。間違ってはいません……」
 
 彼は再びゆっくりと一呼吸し、そのまま言葉を続けた。
 
「でも、僕は君を傷付けるのが嫌だから、他の方法がないか探し続けていました。ずっと。でも、どんなに探しても見つからなくて……」
 
「静……藍……」
 
 弱りきった静藍の瞳は、今にも薄明から真っ暗闇に向かって落ちようとしていた。
 肉体が限界を超え、今にも生命が燃え尽きようとしているのだ。
 それなのに、優しい光が絶え間なく揺らめいている。
 どうしようもなく美しい宝石のような瞳。
 
「ずっと黙ってて……ごめんなさい……」
 
 静かに目を閉じる静藍。茉莉は慌てて彼の肩を強く叩き、揺さぶった。
 
 (嫌! そんなの嫌……!! )
 
「嘘……静藍……? 嘘でしょ!? 目を開けて! ここで眠っちゃ駄目! 生きるの! 一人で勝手に結論出さないでよこの馬鹿!!」
 
 (あんたを死なせるなんて、私絶対に許さないんだから!! )
 
「あんた言ったよね!? 死なないって!! 私を守ってくれるんでしょ!?」
 
 茉莉は両手で静藍の頬に手を当てて叫んだ。
 静藍がうっすらと目を開けると、涙を浮かべ目元を赤く染めた茉莉が、やや怒っているような表情をしていた。
 
「……茉莉……さん……」
 
「ねぇ、血は一体どれだけ必要なの? 要は献血みたいなものでしょ? 好きなだけあげるわよ。私ちょっとやそっとじゃ死にはしないんだから……!」
 
「……」
 
 静藍は指一本動かせない様だ。
 焦れったくなった茉莉は傍に置いてあった芍薬刀の柄を掴んだ。
 左の手首に刃先をあて、横に向かって一気に薙ぐ。
 びりっと走る痛みに顔を顰める。
 手首からぷくりと盛りあがり、滴ってきた紅い雫をその青白い唇に近付けた。
 
 一滴落ちる。
 温かい、生命の雫。
 するとそれは吸い込まれるように唇の奥へと消えた。 
 
 その瞬間、静藍の目の色が青色から赤色に変わった。
 茉莉の視界が逆転し、夜空が映る。覗き込んできた彼の髪は……輝く月のような銀髪。
 どこをどう押さえられているのか、身体が動かない。
 上から覗き込んでくるルフスはまるで獲物を捕まえたような顔だ。
 しかし、その瞳はどこか迷っているような色がちらついている。
 燃えるような薔薇の瞳。
 この世のものとは思えない儚い色。
 何て美しいのだろうとつい思ってしまった。
 
「お前の先程の言葉、嘘はないな?」
 
 紅玉の瞳を見上げるその瞳は、いつの間にか榛色から桃色へと変化していた。
 潤いを感じるほどの、濡れたような艶めき。
 そこから放たれる刺激的な色彩。
 茉莉の身体の周りでどこか仄かに甘い香りが再び漂い始めている。
 
「……嘘言ってどうするのよ。ほら、まだ足りないんでしょ? さっさとしなさいよ!」
 
 茉莉は首を右に傾ける。ルフスに抱きすくめられた体制だ。今の顔は絶対に見られたくない。
 勇気を振り絞り、緊張で震える唇を何とかこじ開けて言った。
 
「静藍……死なないで……!!」
 
 茉莉の頬を一筋の涙が伝う。
 それを上から降ってきた唇がゆっくりと吸い上げた。
 それから左手首へと移動し、静かに押し付けられる。
 そしてそれは零れ落ちる赤い雫を零さぬよう、優しく吸い上げた。
 まるで傷付いた心を癒やすように。
 
「……」
 
 やがて手首の血が止まったのを確認したルフスが耳元でそっと何かを囁いた。
 
「……!?」
 
 茉莉の身体が驚きのあまり一瞬動こうとしたが、ルフスの腕に押さえつけられて、上手く動けなかった。
 彼の手が茉莉の顔の向きを変えた。 
 今度はどこか熱い吐息を首筋に感じ、ぞわりと産毛がたつ。
 ちょっとくすぐったい。
 唇が首筋に触れてきた途端、自分の身体から沸き立つ芍薬の香りが一気に濃厚になった。
 まるで蜜を求めて羽ばたいてきた蝶を誘い込む花のようだ。
 
 (夢で見たような……)
 
「あ……っ」
 
 ルフスの犬歯が体内に入ってきている筈なのに、思った程痛みは感じなかった。
 痛みと言うより、快楽と言うべきか。
 甘く清らかな血の香りが辺りに漂ってきた。
 首筋から血の脈打つ音が聞こえてくる。
 規則正しく、力みなぎる生命の音。
 
 何故か茉莉の手が勝手にルフスの後頭部と身体を自分の方へ抱き寄せようと動いた。
 彼の身体を絶対に離すまいとするかのように。
 自分の身体を抱くルフスの腕が、いつもと違ってどこか優しい気がした。
 
「……っ……!」
 
 ルフスに首筋を吸い上げられると共に、突然高揚感が茉莉を襲う。
 こみ上げてくる快楽に意識が吹き飛ばされそうになる。
 耐えていた茉莉の脳裏に芍薬姫の姿が写った。
 
 彼女は一瞬だが優しく微笑んだように見えた。
 その傍らには一人の麗しい公達がいる。
 彼の瞳は散りゆく紅の薔薇色をしていた。
 
 高揚感が高まり、快楽が身体全体を一気に貫いた。
 一瞬輝きが増した後、茉莉は意識がゆっくりと薄れてゆくのを感じた。
 
 (静藍……!! )
 
 自分が血を失って死ぬよりも、自分の目の前から静藍がいなくなる方が怖かった。
 大切に思う相手を今度こそ失いたくない。
 助けたい。
 茉莉の想いは
 ただ、それだけだった。
 
 やがて……
 少年と抱き合うような姿勢のまま少女は動かなくなった。
 少年は少女の身体を決して離そうとしなかった。
 
 そんな二人を見守るかのように
 外では東の薄雲が 次第に温もりを含む紫となった 
 静かに吹き込んでくる風は
 夜明けの知らせを告げていた。
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