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第一章 崩れ去る日常

第十二話 ウィリディス

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 ルフスは赤い光芒を発し、ウィリディスは緑の光芒を発している。初夏から芒種に移行したばかりの眩しい太陽の下で、二色の光が激突し始めた。
 
 ルフスの身体の周囲に赤い光芒が輝いた途端、どこからか箒や倉庫や屋根瓦と言った大群がウィリディス目掛けて弾丸のように飛んで来た。ウィリディスはそれを上体を弓のように反らせながら全て器用に避け、ルフスに掴みかかろうと飛びかかる。その動きはまるで黒猫だ。しなやかな動きに一切の無駄がない。彼女の耳元で揺れていた翠玉のピアスが両耳ともに粉砕し、大気へと消えてゆく。それ以外は大した影響もなさそうだ。ウィリディスへの攻撃がほぼ不発に終わった倉庫やらはそのままどこかに飛んでいった。生じた疾風に薙ぎ倒された芍薬の花弁が、迸る血潮のように辺りに舞い上がる。
 
 ルフスは風音を立てて迫ってきたウィリディスの拳を瞬時に避け、一旦空中に高く飛び上がる。彼女も続いて上空に移動した。
 
「……これは一体……どうしてこんなことに!?」
 
 二人の少女達はあ然としている。
 自分達は芍薬屋敷の調べ物で訪れた筈。
 しかし、目の前で置きているのは二人の吸血鬼同士の闘い。
 何故こうなったのか理由は不明。
 当初の目的からあまりにもかけ離れすぎていて、頭がついていくのがやっとだ。
 
「……でも……滅多に見られないバトルだわ! 何かかっこいい~!!」
 
 (愛梨ちゃん呑気ねぇ……私は素直にはしゃげないわ)
 
 妙にはしゃぐ愛梨を横目に、茉莉は上空の戦闘を静かに見守っていた。ふと足元に目をやると、何かが落ちている。よく見ると黒縁の眼鏡だった。多分静藍が落としたものだろう。拾って確かめてみた。幸いレンズに傷はなさそうだ。茉莉は安堵の吐息を一つつき、それを持っていた鞄の中に入れて預かることにした。
 
 晴天の真昼。
 空中で吸血鬼同士が戦っている。
 どうやら二人共徒手空拳同士のようだ。 
 これと言った武器は使用していない。
 
 ルフスはウィリディスの左脚による回し蹴りを右腕で止め、左手で正拳突きを入れる。繰出された左の拳を彼女は身を屈めて避け、そのままの姿勢で脇腹を狙って中段突きを入れてくる。彼はそれを難なくかわしつつ横蹴りを入れた。ウィリディスは後方に回転し、突き出された足による攻撃をかわす。戦いと言うより演技をしているようだ。息もピッタリあっている。
 
 ウィリディスは腰まで長く伸ばした髪をはためかせながら攻防を繰り返している。そのさまはまるでサルサを踊っているかのように情熱的で華麗だ。二人の力量の差は良く分からないが、素人目から見てほぼ互角そうである。
 
 長い爪が飛んできて、ルフスの首元を掠めた。一筋の血が弧を描く。
 
「!!」
 
「……ふん。わたくしのピアスの代償にしては軽い方ね」
 
 吸血鬼達が勢いよく地上に降りてきた。
 二人共不思議と息一つ切らしていない。 
 ウィリディスはエメラルドグリーンの瞳を伏せがちにぽつりとこぼした。あまりすっきりとした表情をしていない。
 
「……軽い。あなたの拳はもっと重かった筈」
 
 ルフスに向き直す。彼女はややがっかりした表情を浮かべた。
 
「ルフス、あなた復活してから吸血してないでしょう? それだと身がもたないわ。あなたの周囲には獲物がたくさんいるじゃない。どうして吸血しないの?」
 
 それに対しルフスは顔色一つ変えず答える。
 
「別に。吸血せずとも今のところ問題ないからだ」
 
「以前のあなたとは随分と違うこと言うのね。常にライバルだったセフィロスと“狩り”競争やってたこと、もう忘れたの?」
 
「別に。忘れてはいないさ。今はただ興味がないだけ」
 
「今のあなたではまだ駄目ね。弱過ぎてセフィロスには絶対勝てない。本来のあなたはもっともっと強かった筈。吸血してさっさと完全復活なさいよ」
 
 ウィリディスは落胆気味な声を出す。声音にやや苛立ちを含んでいる。
 
「ふん。余計なお世話だ。お前に口出しされる筋合いはねぇよ」
 
 彼女は腕組みをしつつ、嘆息をついた。
 
「……そういう可愛げがないところは昔のままなのねぇ。会わない間に一体何があったと言うの?」
 
「お前には関係ない。ほっといてくれ」
 
「やれやれ。わたくしはあなたの為を思って忠告してあげていると言うのに。今のうちに吠え面をかいていれば良いわ。泣く目にあうのはあなたなのだから」
 
 そこで不意にウィリディスは茉莉達に向き直る。頭部の少しあとから追いかけてきたキャラメル色の髪が肩にふわりとこぼれ落ちてきた。射抜くような緑柱石の輝きで茉莉の背中に緊張が走る。凍りつくような美貌で足がすくみそうになる。
 
「おーっほほほほ!! 覚えておおき、仔猫達。今回は今のルフスの力量と調べを兼ねて偵察に来ただけだからこのまま見逃してあげるけど、次は容赦しないわ。彼はわたくし達のもの。我がランカスター家再興を目指すには絶対に必要だから」
 
「ちょっと、待ちなさいよ」
 
 ウィリディスの高笑いに対抗するかのように茉莉の苛立った声が響き渡った。ルフスはやや驚いた様子で彼女の顔を二度見する。
 
「彼をモノみたいな言い方しないで。あなた一体何様のつもり? 使えなかったら彼をゴミみたいに捨てるつもりなの!?」
 
 茉莉は仁王立ちして薄ら寒い笑顔を貼り付けたウィリディスを睨みつけた。艷やかなルージュの輝く唇がねっとりと言葉を紡ぎ出す。
 
「へぇ……あなた、可愛らしい見かけによらず結構良い度胸しているじゃない」

「先日の“狩り”の時わたくしの部下に対抗した人間って、あなただったのね。あれは噛ませ犬以下レベルとは言っても、非力な人間では太刀打ち出来ない奴だったのよ。ルフスが助けに来なけりゃ今ここにはいないというのに。命知らずも良いところだわ。人間風情はわたくし達一族に逆らわないほうが身のためというものよ」
 
 ウィリディスの瞳が茉莉の瞳をとらえようと怪しく光った。
 内側から放たれたキャッツアイのような輝きが視界を支配する。
 それをつい見てしまった茉莉の身体が一瞬硬直する。
 
「!!」
 
「茉莉先輩!?」
 
 愛梨が自分の先輩の異変に気付く。
 何と茉莉の瞳孔が開いているのだ。榛色の瞳が魂を抜かれたように光を失っている。
 
 茉莉の頭の中に緑と黒が混じった光のようなものが一気に流れ込んできた。拒みたくても指一本動かせない彼女はなすがままだ。高飛車だった声がやけに優しい声となり、脳内に直接響き渡ってくる。
 
 ――さあ……今すぐ吐き出しなさい……。あなたは一体何が望みなの……? ――
 
 (私の望み……? 何なのだろう……この気持ち……)
 
 胸の奥から、乱暴に何かが引きずり出されようとしているのを感じる。だが、何かが邪魔してそれを阻止している。
 
 (頭が……痛い……何なの一体……)
 
 目の前の空間が捩れ、身体が倒れそうになる。
 
 茉莉はそこで誰かに両肩をぐいと強く掴まれた。
 腕を乱暴に強く引かれ、もっと手前に引き戻される。
 ルフスだった。
 彼は強引に茉莉を向かい合わせにさせ、彼女の目を覗き込んだ。

 放心状態の茉莉は目を見開いたままだ。
 美しく輝くピジョンブラッドの瞳を暫く見ていると、榛色の瞳はゆっくりだが次第に元の状態へと戻っていった。
 
「……え……私……一体……?」
  
 茉莉は光を取り戻した瞳を瞬かせた。術を邪魔されたのに気付いたウィリディスは再度薄ら寒い笑みを浮かべた。
 
「あなた、雰囲気的にもただの人間ではなさそうね。一体何を隠しているのかしら?」
 
「私、何も隠してなんか……! うぐっ!」
 
 ルフスが手で茉莉の口を塞いだ為、それから先は言葉にならなかった。
 
「ほほほ。焦らずともまた会うでしょうよ、わたくし達。それじゃあまた」
 
 突然大きな音がしたと思いきや、火の手が上がる音がした。
 花畑を含めた一帯を火の粉が包み込むようにして一気に燃え上がる。
 
「ああっっ!!」
 
 騒然とした一同を尻目に、ウィリディスはあっという間に姿を消す。一羽のコウモリがさっと羽ばたいて行くのが見えた。
 
「お前達はそこでじっとしていろ。動くんじゃねぇよ」
 
 ルフスの身体全体から真っ赤な光芒が発せれたと思いきや、近くの井戸から水が大量に溢れ出し、炎の海をあっという間に飲み込んでいく。
 かろうじて家屋が火事になることは避けられたが、芍薬畑は見るも無惨な状態となってしまった。 
 
「彼女は相手の意識を乗っ取り、傀儡とする力を持っている。気安く瞳を見ないことだな」
 
 言い放つルフスの言葉を聞き、背筋が凍る思いがした茉莉は身震いする。
 
「……ごめんなさい」
 
 そこで立ちん坊になっている愛梨がぼそりと現実を告げた。彼女が指差す先は、焼け野原となった芍薬畑だ。庭仕事用の道具達があちらこちらに散らばり、まるで泥棒が入ったような荒れ放題となっている。
 
「ところで、どうしますぅ? この惨状……」
 
「ちょっと待ってろ」
 
 ルフスが右手を動かし、何かを呟くと、散らかった家具や道具達が動き出して元の場所に戻ってゆく。黒焦げとなった畑の中は見る間に生気を取り戻し、あっという間に芍薬の花々が咲き乱れ始めた。まるで魔法のような展開に愛梨は目を輝かせた。
 
「……す……凄すぎる……!!」 
 
 まるで今までの闘いがなかったような元通りの状態となった。
 
 応接室の畳の上に倒れている華を、探してきた布団に寝かせた。息はしているが、眠ったままの状態のようだ。首元に噛み傷もない。一時的にウィリディスに操られていただけで、吸血されたわけではなさそうで一安心だ。華の額に指を乗せたルフスが何か呪文を唱えている。記憶操作をしているようだ。
 
「……家主には夢を見ていた位に思って頂こうか」
 
「事実とは異なるけど、却って厄介になるよりいいかな」
 
「言っても警察はまず信じてくれないでしょうしね。早くこの場所を離れましょ」
 
 三人がそう決めた途端、ルフスが顔をしかめ、頭を抱えた。
 
「う……」
 
 軽く呻いたルフスの身体がよろめく。
 茉莉と愛梨は慌てて彼の身体を抱きとめた。
 月色だった髪の色があっという間に漆黒のそれとなってゆく。
 
「静藍、静藍! しっかりして!!」
 
 二人の少女達の腕の中にいる少年がゆっくりと目を開けると、燃えるような薔薇色からいつものタンザニアの夕焼けを思わせる深い青色に戻っていた。その様子はまるでトワイライトのようだった。
 
「……僕は……」
 
 静藍は起き上がろうとするが、少しよろめいている。まだ意識が完全にへと戻りきれてないようだ。
 
「取り敢えず、どこか休憩出来る場所に移動しようか」
 
「了解です。先輩。近くでちょー良い店を知っています。行きましょう」
 
 茉莉と愛梨は肩を貸しあい、静藍を支えて運び出し、場所移動することにした。
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