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第一章 崩れ去る日常

第十一話 芍薬屋敷

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 六月に入った最初の日曜日、茉莉・静藍・愛莉の三人は学校で集合し、愛梨の案内により「芍薬屋敷跡」と呼ばれている建物へと向かった。
 
 綾南高校から茉莉の家と真反対の方角に向かって十五分位の所にその屋敷はあった。外観は瓦屋根で純和風の建物といった佇まいだ。木造の古めかしい家屋の風情が都会という程ではないが田舎でもない、この街が持つそんな雰囲気の中に違和感なく溶け込んでいる。 
 
 紅色や桃色や白、八重咲きの豪奢な花が咲いているのが、玄関の外からでも分かる。きっと庭以外にも植えてあるのだろう。茉莉の目が花に釘付けとなっている。
  
「ふふふ。茉莉先輩、ここの芍薬の花ヤバいでしょ? 外から見ても、これだけ引き込まれそうになりますもん」
 
「……本当に凄く綺麗ね。学校の近くにこんな場所があるとは今まで知らなかった」
 
「知り合いが教えてくれたんです。以外と穴場でしょ? 花畑はもっと凄いのだそうです。残念ながら愛梨、まだ中から見たことないんですよぉ。もっと見てみたいと思いません?」
 
 静藍は少しおどおどしながら愛梨に尋ねる。
 
「しかし、中に入れてもらえるでしょうか?」
 
「愛梨、交渉してみましょうかぁ? せっかくここまで来ましたし」
 
 愛梨がドアチャイムに手を伸ばしたところ
 
「どなたですか?」
 
 引き戸が開いたと思ったら、家の中からすらりとした女性が現れた。
 艷やかな黒髪をかっちりと結い上げ、薄桃色の小袖を上品に着こなした和装美人だ。見た目四十前後だろうか。憂いを秘めた焦げ茶色の瞳が大変印象的である。
 
 愛梨が交渉に出た。少しシナを作っている。しおらしく頼み込む戦法だろうか。
 
「すみませぇん。私達近くの高校に通う生徒です。地元歴史の調べ物の課題で、是非お話しを伺いたいことがあってこの近くまで訪れました。急で申し訳ないのですけど、出来れば芍薬屋敷について色々お教え願えませんでしょうか?」
 
 それを聞いた和装の女性は嫌な顔一つせず、ふんわりとした笑顔になる。
 
「……まあまあ、皆さん高校生なの? せっかく遊べる日曜日なのにお勉強だなんて、偉いわね。こんなところじゃあんまりだから、どうぞお上がりなさいな」
 
「宜しいですか? それではお言葉に甘えてお邪魔します」
 
 交渉成立した為、茉莉達は中へと通された。
 
 落ち着いた雰囲気の漂う玄関。年季が入って飴色になった木目の美しい柱が茉莉達を出迎える。奥まで続いている廊下を案内された。手入れの行き届いた庭に面した和室が、応接室だった。床の間には水墨画で描かれた掛け軸と、一輪挿しの花器が置かれてある。身体の中にある日本人としての遺伝子が求めているもの、そんな空間がここには存在する。
 
 庭に目をやると、見事な芍薬の海が広がっていた。
 花々が穏やかな風に乗って揺れ動くさまは、まるですらりと立っている天女が微笑みかけているような、心をときめかせる風情がある。静藍が芍薬の花を吸い寄せられるかのように見ていた。
 
 出されたお茶と茶菓子でもてなしを受けつつ、茉莉達は取材を開始した。華は聞かれたことに対し丁寧に答え、茉莉はメモをとり続ける。
 
 女性はこの家の家主で水島華というそうだ。
 彼女は二・三年前からこの建物に引っ越して以来、芍薬をずっと育てているらしい。花が好きで、その中でも特に芍薬の花が好きだそうだ。ここは芍薬姫伝説縁の地である為か、咲く花の輝きが他所で育てた場合のそれとは全く異なるとのことだ。
 芍薬姫とその父である右大臣が住んでいたことを忍ばせるものは今はなく、当時生きていた誰かが作ったのだろうと言われる古めかしい石碑がある位だそうだ。華が指差す方向に目を向けると、高さ百センチメートル程度のか細い石碑が建っているのが目に入る。それには王羲之の書体で「芍薬屋敷跡」と彫ってあった。元号の部分は誰かが故意にしたのか削り取られていて残念ながら判別出来ない。家主の許可を得て、静藍はカメラのシャッターを押した。愛梨は芍薬の花畑をカメラにおさめている。
 
「芍薬屋敷のお話しをホームページ上でしか見かけなかったので、もし文献があれば是非見せて頂きたいです」
 
「文献ですか。ここの管理者の方から伺っております。確か倉庫にあった筈です。ちょっと見て来ますね」
 
 茉莉の願いに快諾した華は立ち上がり、応接室から出た。お太鼓結びにした帯が静かに遠ざかってゆく。
 
「どんな文献か気になりますね!」
 
 愛梨はうきうき顔だ。
 
「……大丈夫なんでしょうか? 水島さんご迷惑じゃないか心配です」
 
 静藍は眉毛を八の字に曲げている。
 
「多分大丈夫だと思う。今他に誰かいるわけではなさそうだし。常に誰か来客があるのかしらね。いつも整理してそうな雰囲気だわ。落ち着いた雰囲気はとっても素敵ね」
 
 華が戻ってくるまで、三人はそれぞれ情報を共有すべく、持参していたカメラやスマホ、ノートやらを見せあいこした。勿論必要な情報はLINEを使って情報共有するつもりである。
 
 ※ ※ ※
  
 暫くして布ずれの音とともに足音が茉莉達のいる部屋に近付いて来た。静藍達はお喋りを止め、背筋をぴんと伸ばした。 
 
 カラリと障子が開いた。華のこういう所作は実に手慣れたもので、大層美しかった。
 
「先ほどの芍薬屋敷の文献の件ですが、管理者に確認の連絡をとりました。どうも今から何年か前に市の図書館に寄贈されているそうで、そのものはないとのことです。お力になれなくてごめんなさいね」
  
 戻ってきた華はやや申し訳なさそうな顔をしていた。
 
「でしたら大丈夫です。突然お邪魔した上、私達遠慮なく色々根掘り葉掘りお尋ねしてばかりで、申し訳ないです」
 
 茉莉は感謝の意を表した。
 アポイントメントも何もなく突然押しかけているのだ。
 無理は言えない。
 そんな茉莉に華は尋ねた。
 
「それにしても、地元の歴史と言えば他にも色々あるでしょうに、何故あなた方は芍薬屋敷の話に興味を持たれたのですか?」
 
「昨今横行している吸血事件に関係しているのではないかと思われるからです」
 
「……そうですか」
 
「今話題になっている吸血鬼達は聖水、純銀の十字架、にんにく、陽の光と言った古典的弱点は通用しないと聞きました。それでは他に弱点となるものはないかと興味が湧いて、調べてみようと思ったからです」
 
「……」
 
 華が突然無言となった。
 茉莉達が不思議そうに互いの顔を見合わせていると、華の身体が突然硬直し、目から光が抜け落ちた。
 彼女の背後から静かに何か黒いものが何本も伸びてくる。
 先端は尖った爪のようなものだ。 
 
「……水島さん……?」
 
「危ない!!」
 
 咄嗟に静藍が背中で茉莉と愛梨を庇う。その彼に向かって黒い爪が一気に襲いかかってきた。
 
「静藍君!!」
 
 その時静藍の左首元にある薔薇型の痣が熱を持ち赤く光り出した。赤い光芒が彼を守るかのように身体を包み込む。
 あまりの眩しさに茉莉と愛莉は己の腕で自分の目を守る体制になった。
 
 瞳がタンザナイト・ブルーから燃えるような薔薇色へと一気に塗り替わる。まるで夜明けのようだ。
 髪が漆黒から月色に輝く銀色へと変化した。
 口元から伸びた犬歯が真珠色に輝いている。
 その薄い唇を開き、彼は一喝した。
 
「……お前、いつから憑依していた? “水島華”から離れろ!」
 
 そんな彼を一目見た“華”は一瞬驚いた表情をしたが、唇から微笑みが溢れてくる。発せられるその声は先程とは全くの別人だった。
 
「あらぁ、セフィロスの言った通り、本当に復活してたのねぇルフス。相変わらず美貌が凄まじいこと。久し振り。何百年振りだっけ? わたくしのこと、覚えてるかしら?」
 
 水島華の身体が前に向かって倒れ、その背中から黒い物体が滑るように抜け出した。それは次第に人の形へと変わってゆく。
 
 茉莉達の目の前に黒装束をまとった女が現れた。
 エメラルドのような光輝く瞳。
 豊かに波打つ長いキャラメル色の髪。
 陶器のようになめらかな肌。
 透き通るような青白い肌にぽってりと肉感的な赤い唇。
 その隙間から、まるでよく磨かれた珠のようにくっきりと白い歯を覗かせている。
 豊満な胸にほっそりとした腰。
 膝上十五センチメートル位のスカートの裾から覗く、程よくついた筋肉で覆われた両足。
 
 突然現れた妖艶な美女は茉莉と愛梨を尻目にルフスに話しかける。
 
「仔猫ちゃん達を引き連れて一体どうしたというの? 会わない内にあなた、随分と趣味が変わったわね」
 
「黙れウィリディス 。彼女達は関係ねぇ」
 
 ルフスはウィリディスの揶揄をはねつける。
 
「ほほほ。ご挨拶だこと。そういう無愛想なところは相変わらずね。久し振りに会えたんだもの。このわたくしが相手してあげるわ」
 
 ルフスとウィリディスは庭に飛び出した。
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