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第一章 崩れ去る日常

第十話 古の物語

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 いつの時代のことだったか、当時某右大臣家の屋敷に一人の大層美しい姫が居た。姫は生まれながらにして身体から芍薬の甘い香りを発散させていた為、「芍薬の君」とあだ名されていた。彼女は見た目も優雅で美しく、誰からも愛される優しい姫だった。そんな彼女をほおっておく公達はおらず、姫が適齢期を迎えると求婚の文が常に絶えない状態だった。
 
 そんな彼女が恋をした。相手は偶然屋敷内に迷い込んだ一人の美しい公達だった。御簾が一陣の風で巻き上げられた瞬間、二人は目があってしまったのだ。互いに一目惚れだった。だが彼は人ならず者、吸血鬼だった。彼の正体を知った時姫は悩み苦しんだ。何故なら、芍薬の化身である自分自身の血が、吸血鬼である彼を殺してしまうことを知っているから。そのことを知らない公達は何としても姫に逢おうとした。絶え間なく送られる文に対し、彼女は無理難題な条件をつけては彼から逃れようとした。
 
 公達の心を変えることが難しいと悟った後、姫は敷地内の目立たないところにある古井戸に身を投げ、一人静かに命を断った。その公達は部屋に彼女の気配がないことを不審に思い探したところ、古井戸の中でぐったりとしている姫を見付けた。彼は姫の亡骸を抱きしめつつ、悲しんだ。彼は呼吸のない唇にそっと口付けした後、白くきめ細やかで細いその喉元に唇を寄せた。
 
 夜が明けて、井戸の前で一組の男女の死体が発見された。報告を受けた右大臣は驚き悲しんだ。彼は姫の素性を知っている為、姫が自分の身を犠牲にして吸血鬼から屋敷の者を守ったのだろうと考えた。彼は娘の恋心に気付くことはなかった。右大臣は屋敷の周りに芍薬を植えるよう命じた。その後、右大臣の屋敷で似たような事件は二度と起こらなかったという。
 
 ※ ※ ※
 
 茉莉が見付けたホームページには物語がこのように簡潔且つ淡々と書かれていた。平安時代の物語のようだが、古典の授業では聞いたことのない話しだった。
 
「……この話し初めてかも。何かロマンチックで素敵! あたしはいままで知らなかった!!」
 
「まず、吸血鬼の弱点が芍薬だなんて初耳っすよ。ゲームアイテムでもオレ見たことがないっす」
 
 優美と左京が茉莉のパソコン画面に食いついている。余程衝撃的だったのだろう。はしゃぐ後輩達の様子を微笑ましく思いつつ、織田は喋りだした。 
 
「芍薬は中国では古くから栽培されていて、昔から薬用植物としても知られている。実際に“当帰芍薬散”や“芍薬甘草湯”といった漢方薬があるね。ギリシャ神話では、芍薬は死者の国の王の病も治すほどの万能薬と言われていたらしい。ヴィクトリア朝では悪霊を追い払い、正気に戻し、災難から守ったりするためにも使われていたそうだ。芍薬って、綺麗な花というだけではないんだね」
 
 織田の解説に部室内で感嘆の声が上がった。
 芍薬と言えば
「立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は百合の花」
 という、美しい女性の立居振る舞いを例えたことわざで有名だ。しかし他の部員達は芍薬にまつわる神話や言われと言った詳細を知らなかったようだ。
 
「つまり、芍薬の花には浄化の力があると思って良いのかしら?」
  
「全員……というより、種族によるものなのかもしれませんね。芍薬が平気な種族もいれば苦手な種族もいるということなのでしょうけど。今身近に潜む連中が実際に芍薬を苦手とするかは不明ですが、試してみる価値はあるかもしれません」
 
 茉莉の問いに対し、デジカメの手入れをしていた右京が答えた。彼は柔らかい布で愛用のカメラを大切そうに拭き上げている。
 優美は何を思いついたのか、目を輝かせながらスマホを弄っている。画面には芍薬の育て方についてのページが写っている。彼女は芍薬に興味をそそられたらしい。
 
「芍薬の花は丁度今が旬よね。あたし買ってみようかしら」
 
「時期が短いから、工夫して生けないとすぐ枯れてしまいそうだね」
 
 茉莉は自分の袖を突く者がいることに気がついた。振り向いてみると、ゆるふわヘアの茶髪の美少女がにっこり微笑んでいる。
 
「芍薬姫伝説はこの地域では意外と知られていないようですけど、この屋敷跡と言われている場所は実際にありますよぉ。学校の近くです。愛梨、一度行ったことがありますけど、芍薬の花畑が凄く綺麗なんですぅ。今度一緒に行ってみますかぁ? 茉莉先輩」
 
 愛梨がスマホの画面を茉莉に向けた。インスタグラムの写真だ。画面内には紅色や桃色、紫紅色や白といった八重咲きの可憐な花々が咲き乱れていた。見ているだけで薔薇のような甘く爽やかな香りが漂ってくるようだ。
 
「一度行って見たい。一緒に行こうか愛梨ちゃん」
 
「それじゃあ決まりぃ!! 今度の日曜日に行きましょぉ!! 勿論静藍先輩も一緒に!!」
 
 愛梨が勢いよくばんばんと静藍の肩を叩くと、驚いた彼は手元のマウスを床に落としてしまった。
 そこへ眼鏡の端をつまみながら紗英が近付いてくる。
 
「……それじゃあ、その“芍薬屋敷”の取材や調査の件はあなた達三人に任せます。彼等が潜んでいるとも限りませんから、各自安全にはくれぐれも気をつけて下さい」
 
「了解しました。やったぁ。紗英先輩どうもありがとうございます。愛梨達頑張りまっす!!」
 
 愛梨はウインクをしてガッツポーズを決めた。
 
 ※ ※ ※
 
 部室を出てすぐ、静藍が茉莉に声をかけた。
 
「門宮さん。一つお願いがあります」
 
「何?」
 
「僕が“ルフス”になっている時の行動や会話を是非教えて頂けませんか?」
 
「うん。良いけど、何か気になる事あるの?」
 
「もう一人の僕が一体何をしているのか、そして彼が何をしたいのかを知りたいのです」
 
 静藍の中にいる“ルフス”が覚醒している間、静藍自身は意識が殆どないのだ。彼にとっては一種の夢遊病状態なのだろう。意識がない間に自分が一体何をしているのかを知りたいと思うのは至極当然である。不明のままではさぞかしや気持ち悪かろう。
 茉莉は先日の吸血事件のことをふと思い出す。美しい赤玉の瞳が自分を射抜くように真っ直ぐ向かって来るのを想像し、背中がぞくりとした。
 
 ――神宮寺静藍と言う者がお前の近くにいる筈だ。これから先は単独行動を控え、なるべく彼奴の傍にいろ。絶対だ――
 
 ――死にたくなければなるべく彼奴の傍にいるようにしろ。分かったな――
 
「ルフスは私に言ったわ。死にたくなければなるべくあなたの傍にいろと。殆ど自分の傍にいろと言っているようなものよね」
 
 それを聞いた静藍は不思議そうな顔をした。黒縁眼鏡の中で青紫色の瞳が静かに光を放っている。
 
「そうですか……彼は、何かを知っているのかもしれませんね」
 
「何かを?」
 
「ええ。必ず自分が茉莉さんを守れるようにしたいのだと思います。吸血鬼達の脅威から」
 
 (私を守る為? それはありがたいけど、一体何故だろうか?)
 
「……」
 
 静藍の瞳は、静かだがどこか熱をはらんだような、そんな色をしていた。 
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