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緑の光は怒っている

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「ただいまぁ~……ん?」
 バイトが終わって帰宅をすると、今ではすっかり睦月の部屋と成した客用の和室から、緑色にまばゆく光る粒のようなものが飛んできた。
(蛍?)
 はじめはそう思ったが、季節が合わないことを考える前に、その光が紬めがけて飛んできた。
「あ、紬さん!」
 睦月が光を追うように部屋から飛び出してきた。
「避けて……」
 彼女の叫ぶ声も間に合わず、睦月自身も避けることが間に合わず、光は紬の額に当たり……そしてすり抜けた。
 先ほど確かに額に当たったと思ったが、当たった感触も避けた気配もなく、『頭を貫通した』としか思えなかったのだ。
「……う、ああああああ?!」
 事態が呑み込めず困惑した声をあげると、声に反応するように、睦月の部屋から飛び出してきた無数の緑色の光が紬めがけて襲ってきた。
「ひ、ひいいいい!」
 なんとも間抜けな、成人男性とは思えないか細い悲鳴を上げてしまった。
 どたり。
 光が紬に当たり、そのまま意識を失い床に崩れ落ちた。
「紬さん!」
 睦月の慌てた声を直前に聞いた気がするが、それを考えることも出来ぬまま、紬の意識は途切れた。

 ぴちゃりと水濡れの音がする。
 薄らと眼を開くと、見慣れた天井があった。紬の部屋であることがわかった。
「……オレ?」
 いつの間に寝てしまったのだろうと、上体を起こそうとしたとき、頭上から睦月の声が降ってきた。
「あ、紬さん。大丈夫ですか? まだ眠っていてください」
 見上げると、タオルを紬の頭に乗せようとしてくれていたらしい睦月の姿があった。
「睦月、さん……?」
「大丈夫ですか? 精霊さんがはしゃぎまわってしまって、帰ってきた紬さんに衝突してしまったみたいで」
「精、霊……?」
「この子たちです」
 睦月が、タオルを紬の頭に乗せると、空いた手の上に緑色の光がどこからともなく寄ってきた。
「わ、わ?!」
 驚いたが、倒れる寸前のような頼りない声は出さずに済んだ。
「な、んですか? それ……」
「たまたま近くまで来たようなのです。私から出る微かながらの力に反応して、挨拶に寄ってきてくれたって言っています」
 睦月が両手を上にあげると、その指先を追うように、緑の光たちが上に飛んでいった。
 そして、高くない天井の寸前で宙返りするようにくるりと反転し、睦月の手の上に戻ってきた。
「睦月さんの、ペットか何かですか?」
「ペットなんてとんでもない! 私の大切なお友達です」
 にこっと笑む睦月だが、目が笑ってない。
『失礼な間違いをしないでください』とその目が訴えかけていたので、思わず「ごめんなさい……」と謝ってしまった。
「普段は自由に様々な土地を巡る精霊さんたちですが、私のことを気にかけてくれてここにも足を運んでくれたんですよ」
「気にかけて……?」
 なにか引っかかるものを感じて問うが、睦月は笑んだまま表情を変えず、小さく頭を振った。
 答えてくれそうにない。
 だから追及するのは諦め、そもそもの質問へと話を戻した。
「さっきオレの頭を貫通した気がするんですけど……」
「あれはすり抜けたんです。この精霊さんたちは、昔の私と同じで肉体も無いので、本来人の目に映ることも滅多にないんです。時々、見つけていただけることもあるのですが。小さい子どもが主に」
 それを聞いて、(そういえば睦月さんも座敷わらしだったっけ)と、すっかり忘れていたことを思い出した。
 時々忘れてしまうのも仕方がないことだ。今の睦月はどこからどうみても普通に人間だからだ。
『おいおい、あんちゃんよォ。なにじっと睦月ちゃん見てんだ。手え出したらただじゃおかねえからな!』
 どすの利いた声が真横から聞こえた。
 一瞬強張ってしまった首を、ぎこちなく右に向けた。
 右真横に、他と変わらない緑の光が、他と違う揺れ方をしながら浮かんでいた。
「……い、今お話されましたか?」
『なにがお話されましたか! だ! ふざけてんじゃねえぞゴラァ!』
「ひいい! す、すみません!」
 咄嗟に土下座をして謝っていた紬。見た目はフワフワとした緑の光で、目も口も鼻も耳も見当たらないが、強面な男性に怒鳴られているような錯覚を得て、身が強張ったのだ。
「ちょっと、やめてよお兄ちゃん! 紬さんは、行く当てもない私に居所を与えてくれた恩人だよ」
「……おにい、ちゃん?」
 今理解しがたい言葉が聴こえた気がした。
 睦月と、対峙している緑の光を交互に見やって、最後にもう一度睦月に視線を合わせて首を傾げた。
「……お兄さん? 睦月さんの?」
 つい緑の光を指さしてしまったのが気にいらなかったようで、緑の光が『指さすんじゃねえ!』とまた怒鳴った。
「怒鳴らないで!」
『おぉ。悪かったな、睦月ちゃん』
 睦月が怒ると、表情もなにも分からないが、唯一分かりやすい声色が、まるで別人のように優しいものへと変わった。
 二人(?)仲睦まじく話す光景を見つめながら、紬は他の緑の光たちに視線を向けた。
「……えっと」
 座敷わらしとはなんであったっけ、とか、お兄ちゃんとはなんだっけ、とか、そんな疑問が色々浮かびすぎて、紬は何も言葉が出なくなってしまった。

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