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「なんでもしてくれるって言いましたよね?」

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「でも、これからどうするんですか?」
 そわそわと小さく喜びを表情に出してケーキを頬張る睦月に、紬が疑問を投げかけた。
 同じことを考えていたようで、睦月は「そう、ですね……」と我に返ったように表情を陰らせた。
「家族は?」
「……いないです」
「親戚や、頼れる知人は……」
 睦月はゆっくりと頭を振る。
「小さい頃から、ずっと一人でした。ずっと、色々な人の家にお世話になっては、追い出され……」
 小さい頃から家族も親戚もいない、ということが引っかかっていた。捨てられたのか、死別したのか、色々事情はあるだろうけれど、それならば児童養護施設などにお世話になるのではないだろうか、と考えたからだ。
 紬もあまり児童施設に詳しくはないので、もしかしたらそこにさえ入れない理由があるのかもしれないが、だとしたら、家族でも親戚でも知人でもない人の家にお世話になるというのが、納得いかなかったのだ。
 やや事件の匂いすら感じ始めていた。これがミステリー小説や推理小説を書く作家なら、ピンとくる答えを導きだせるものなのだろうか、と考えたところで、また考えすぎていた自分に気がつき、ため息を吐いた。
(また悪い癖が出た……)
 どうしても紬は、色々とお話を作って考えてしまう癖があるのだ。
(自分は両親がいるから、恥ずかしながらそういう方面に感心がなかっただけで、睦月さんのような、そういうこともあるのだろう)
 そう自分を納得させた。
(でももう少し、自分の関心のない方面の勉強もしよう)
 反省もした。小説家を目指すのなら、幅広い知識と視野も必要だ、と感じたからだ。
「ドリアとスープ、お待たせしました」
 店員の声に顔を上げ、まず睦月の前にドリアとスープを置いてもらい、次に自分の前に同じものを置いてもらった。
 店員は伝票を置くと、「ごゆっくりどうぞ」と頭をさげて席を離れていった。
「さ、どうぞ」
 食べるように促すと、睦月は困ったような表情を浮かべながらも、「いただきます」と手を合わせてから、スプーンを手に取ってそれを口に含んで咀嚼した。
「おいしい……!」
 睦月は顔をほころばせて、悦んだ。
「ほぅっ」と力の抜けたような声を漏らし、スープも飲んだ。
「あったかいです」
 美味しそうに食べ、次第に元気を見せてくる睦月を見ていると、紬も自然と顔がほころんでしまう。まるで、童のような子だな、と紬は感じた。
 特に演技性はないし、もし本当に演技ならば、役者としての才能があるのではと思うほどだ。
「それで……食べているところ申し訳ないんですけど、誰か頼れる人、いないんですか?」
「…………」
 睦月は咀嚼をしながら「うーん」と考えている様子を見せる。お腹が満たされているからか、考える彼女の様子に、先ほどまでの悲壮感は漂っていなかった。
 やはりいないか、と思ったところで、睦月と目が合った。
 ドリアを見つめていた彼女と、たまたま彼女を見ていた紬の視線が交わっただけのはずだが、紬は嫌な予感がした。
「……います」
 だから、彼女が突然思い出したように発した言葉に、冷や汗が流れた。
「……だ、誰ですか?」
「紬さん!」
「……どこの、紬さん?」
「あなたです! 紬さん!」
「…………」
「頼れる方、今はあなたしか、いません」
 紬は今、自分がどんな表情をしているのかわからないが、睦月は紬の顔を見て、言ってはいけないことを言ってしまったと悟ったらしい。
 イキイキとしていた言葉遣いが、また弱弱しくなっていった。
 そんな彼女を見ても、紬はどう声をかけていいのかわからず、ただ固まるしか出来ずにいた。
「……お、お掃除なら得意です! 紬さんのお家に置いていただけたら、なんでもしますから……って」
「…………」
「……ダメ、ですよね……」
 せっかく生気を取り戻してきた睦月の表情が、また暗くなってくる。
「ごめん、なさい。その……」
 力なくつぶやく睦月に、紬は違和感を覚えた。
「睦月さん? なんか……」
 睦月の身体が背景に溶け込むように、色が薄くなったように見えたのだ。
 一瞬のことだったので、目の疲労か錯覚か、と思った。
「私、もうダメみたいです……。私、役立たずだから……。誰からも、必要とされていない私は、もう……存在する価値なんか、ないから……」
 存在する価値なんかない。
 その言葉が、紬の胸をえぐった。
 それは、さんざん自分が、自分の書いた作品投げかけた言葉だったし、その言葉は常に紬の心をも傷つけていた、残酷な言葉だった。
 睦月が力なく立ち上がった。
「こんなに温かいものをご馳走になったのに、なにも返せなくて、ごめんなさい……。私、もうかえりますね……」
“かえる”。睦月はそう言った。
 それは、家に帰る、という言葉に聞こえなかったのだ。
 その“かえる”に、紬は嫌な響きを感じて、とっさに彼女の手首をつかんだ。
 温かいものを食べて、暖房の利いた室内で温まったはずなのに、その手首はとても冷たかった。まるで、人間のものではないかのような錯覚さえ感じた。
 だが、それすらも今は気にならない。
「かえるな!」
 うつむいて表情の見えない睦月に、紬はとっさに叫んだ。
「睦月さんは、役立たずでもないし、必要とされていないことなんて、ないから!」
「…………」
 睦月は疑うような眼を紬に向ける。その眼には光が灯っていない。まるで、生きていないように。
「……さっき、何でもしてくれるって言っていましたよね!」
「……はい」
 返ってきた声は、かすれていた。
 何かに耐えているようで、絞り出したような、苦しそうな声だった。
「だったら、結婚してください!」
「……え?」
「オレと、結婚してください!」
 紬は、自分が初対面の相手にいきなりプロポーズをする人間だったことに、二十三歳になった今日、初めて知ることとなった。
 はじめ青白い顔で呆然としていた睦月の顔に、少しずつ赤みが戻ってきて、握っている手首からも、熱を感じられるようになってきた。
 その体温を感じながら、紬は徐々に、自分がなにを口走ったか自覚した。
 黒い瞳を揺らめかせ、睦月は「はいっ!」と笑顔を見せてくれた。
 そうして紬の手を握り返してくれた。
「私、一生懸命、紬さんのことを幸せにしますね!」
 紬のセリフを奪った睦月の笑顔は、まるで少女のようだった。紬は、彼女のその笑顔を、二度と曇らせてはいけない、と心に決めた。

 そしてその後、この喫茶店は、恋が成就する店として注目を集め繁盛することになるが、それは紬の知らないところであった。
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