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睦月にいっぱい食べさせたい紬

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 ようやく二人の興奮が落ち着いたころ、紬は先ほどの睦月の質問への答えを返した。
「ボクは、小説家じゃないんだ。そんな素敵な小説家になれたらいいなとは、思うけど……」
「じゃあ、さっきのは?」
「さっきのは……今度申し込む原稿を清書しようとプリントアウトしたもので……。素人の駄作だよ」
 口に出して、思った。やっぱり自分の作品には、人を興奮させられるような魅力はないのだと。
 そう自虐的に言うと、睦月は紬の唇に人差し指をあてた。
「ダメだよ。自分が生み出してあげた子は、他の誰が否定しても、あなたが否定してはダメ」
「……うん。そうだね」
 それはわかっている。創作をしていればよく聞く文言だ。
 なのに何故か睦月の言葉は耳をすり抜けず、紬の心の中を優しく撫でてくれるように、癒された。
「……ありがとう」
 慰められたことにそう礼を言うが、睦月はそわそわとしながら、紬の持つ原稿を見つめていた。
「……読んで、もらえますか?」
 どうしてそんなふうに言ってしまったのか、月日を重ねた後思い出しても、紬は今も謎であった。
 しかし、のちに思い出してみれば、これが紬の転機であったのだ。
「読みたい!」
 睦月は目を輝かせて身を乗り出し、紬の前に両手を差し出した。
 昂奮しているからか、敬語も抜けて、まるで子どものようなはしゃぎ方をして見せる睦月に、紬は目を細めて笑った。
「どうぞ」
 差し出されたその両手に原稿を手渡すのに、自信はなかったけれど、不安もなかった。
 面白いと言うか。つまらないと言うか。気にならないわけではない。
(欲を言えば、楽しんでもらえればいいけれど……)
 睦月が集中して睦月の原稿を読むので、手持ち無沙汰になって余計緊張する気持ちを落ち着かせるように、店員に追加でケーキを二個注文し、一つをゆっくり咀嚼しながら食べ、読み終わったら食べてもらおうと、睦月の前にも置いておく。
 睦月は、ケーキを置いても気づかないほど夢中で読んでいた。
 時々、くすっと笑ってくれたり、 驚いて原稿に食い入るように顔を近づけたりする姿を見て、やや安堵する。
 ようやく読み終えた睦月の顔は、とても満ち足りたように笑みを浮かべていた。
「面白かった、です!」
 高揚した表情からは、気遣いや嘘などは感じられないので、睦月は満足した。
「ありがとう」
「お礼を言いたいのは私のほうです! こんなに幸せな気持ちになったのは久しぶりで……! このお話は、人を幸せな気持ちにさせてくれる作品なのですね」
 ほぅっとため息を吐くその表情は恍惚としていた。
 綺麗、というよりは可愛い、という表現のほうが似合うな。紬はそう感じた。
「お腹空いていないですか? よかったら、そのケーキ食べてください」
 勧められて睦月はようやく、自分の前に美味しそうなショートケーキが置いてあることに気づいたようだ。
「あ、甘いもの大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」
 出会ったときのような緊張や遠慮が、自分が書いた小説をキッカケに解けたのなら、それは紬にとってとても嬉しいことであった。
 このまま流してしまうことも出来たが、今なにも聴かずに別れれば、せっかく笑ってくれた睦月の表情から、また笑顔が消えてしまうような気がして、思い切って聞くことにした。
「その、答えたくなかったら、良いんですが。どうしてそんな薄着で、こんな寒い夜に泣いていたのか、理由を聞いてもいいですか?」
 睦月は一瞬ためらった様子だが、ゆっくりと昨夜あったことを話してくれた。
 睦月は結婚していたが、昨日帰宅した旦那にいきなり離婚届を突きつけられ、それに承諾して家を出てきたが、行き先がなくて丸一日歩き続けていたらしい。
「家は、ここから近いの?」
 住んでいた地域を聴いて驚いた。今二人がいる駅からは、乗り換えも含めて三時間はかかる、県外である。
 道もわからず、今どこを歩いているのかわからない状態で歩いていたようなので、丸一日かけて歩けば可能なのかも、紬には解りかねた。
 時々公園を見つけては座り、休み休み歩いてきたというが、それでも一日中歩き続けていれば疲れているだろうし、お腹もすくだろうし、なにより、寒いと思ったのだ。
「温かい食べ物、頼みましょう」
「え、で、でも、私そこまでお金持ってないです……」
 本来なら、今持っているお金も自分が持つべきではないのかもしれないと気にしていた睦月は、昼夜兼行で歩いていたにも関わらず一円も使えていなかったのだ。
「いや、買いましょうよ! 死んじゃいますよ! いや、もう済んだことはいいです。紅茶もケーキも、これから頼む温かいものもオレが払いますから!」
「そんなわけには……」
「気にしないでください! すいません、店員さん!」
 断ろうとする睦月の言葉を遮って、呼びつけた店員さんに、温かいスープとドリアと、紅茶のお代わりを口早に頼んだ。睦月が口を挟む余地を許さない速さだ。
 自分にだってそこまで余裕があるわけではない。
 それに、他人のお金を使うことに過敏なほど申し訳なく思っている睦月にとっては、紬が出すことにも申し訳なさを感じるだろう。
 だが、そんなこと紬にはどうだって良かった。
 今は目の前にいる睦月に温かい食べ物を食べてもらって、空腹と寒さから解放させることだけ考えていた。
 店員さんが去ってしまったので、注文したものが届けば、あとは食べるしかない。
 今更注文したものを断る度胸は睦月にはないだろうと、会ってからたいして時を過ごしていないはずの彼女の性格を、紬は熟知していた。
 案の定、忙しなく動く店員さんを呼び止めることも出来ない睦月は、諦めて紬に向きなおり、丁寧に頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
 頭を下げる前、睦月の目元に涙が浮かんでいたように見えたが、紬はあえてそれには触れず、笑みを浮かべて答えた。
「どういたしまして」
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