月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第二章 フユシオン

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 それから私たちはコーヒーを飲みながら明日やることを話し合った。……といっても決めることなんてほとんどない。ただ二子玉川に向かって何をするか? その確認だけだ。だから実質的な話し合いは一〇分程度で終わる。
 そんな形だけのミーティングを終えると私たちは世間話をしながらまったりとした時間を過ごした。昨日が忙しかったからこれくらいの息抜きをしてもバチは当たらないだろう。そして話題は自然と京極さんの話になる。
「あの子ちょっと丸くなったんじゃない?」
 私は一昨日感じたことをそのままジュンくんに聞いてみた。
「そうかもですね。いやぁ、僕としては助かりますよ。ほら、あの子。昔はすごーくヤンチャだったんで」
「ハハハ、だよねー。私も初めて君らと会ったときは驚いたよ」
 京極裏月の第一印象。その最悪さは個性的なアーティストの多いニンヒアでも群を抜いていた。別に性格が悪いというわけではない。破天荒すぎる素行……。それに尽きると思う。
「お恥ずかしい限りです……。でも僕はそんな彼女が好きなんですけどね」
 ジュンくんはそう言うと珍しく照れたような笑みを浮かべた。
「あー、分かるわぁ。確かに京極さんのあのキャラって慣れると心地いいよねぇ」
「そうなんですよ。まぁ僕も会ったばかりの頃はやたら突っかかられましたけどね……」
 ジュンくんは懐かしそうに話すと「クスッ」と笑った。そこには異性としての京極裏月への気持ちが含まれているように聞こえる――。
 
 以前に京極さんから聞いた話だと彼らが出会ったのは六年前の二〇一六年だったらしい。当時の京極さんはまだ一七歳、ジュンくんは二二歳だったとか。
 その頃の彼らは茨城でアマチュアバンドをしていて、ギターが京極さん、ベースはジュンくん、ドラムは……。確か松田さんという男性だった。ちなみに現在松田さんは『バービナ』を脱退している。(松田さん脱退にはかなりややこしい事情があったけれど今回その話は割愛する)
 ともかく現在の『バービナ』と発足当時の『バービナ』は全くの別物のようだ。伝え聞いた話だと当時の彼らは今よりもずっとらしい……。

 一通り世間話し終わる頃にはもう昼時だった。午前中をダラダラ過ごしてしまったと少し申し訳ない気持ちになる。
「……じゃあまた明日ね。八時に新宿駅集合で!」
「分かりました。よろしくお願いしますね」
 本日の午前の部終了。午後からまた慌ただしくなるだろう――。

 ミーティングを終えると私はニンヒアに戻った。そして軽めの昼食を済ませるとすぐに明日の準備に取りかった。それ以外に他にやることはない。イベントポスターの印刷準備もなければ、アーティストへの取材内容の清書もない。正直すごく楽だ。申し訳ないほどに。
 そんな風に私はひたすら明日の準備に集中した。部屋には私しか居ないので作業がかなり捗った。ちなみに西浦さんは役員会議に出席中だ。本来は私も部長代理なので参加するはずだけれど西浦さんに『あなたは実務に集中しなさい』と言って貰えたのでお言葉に甘えた。これも『選択と集中』だ。まぁ……。本心を言えば会議なんて大嫌いだから甘えただけなのだけれど。
 
 段々と日が沈んでいく。ブラインドから差し込む日差しがオレンジ色に変わる。可能なら今日は日が沈む前に退社したいな……。そんなことを思った。
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