月不知のセレネー

海獺屋ぼの

文字の大きさ
上 下
12 / 136
第一章 二つの鍵盤

11

しおりを挟む
 パーキングエリアの駐車場で車外に出ると夏の匂いがした。どうやら東京より西に来ると少し早く夏が訪れているらしい。
 休憩を終えて少し高速を走るとすぐに甲府昭和インターで下道に降りた。ロードスターはやれやれといった感じに減速していく。
「そういえば京極さんの運転する車乗るの初めてね」
「だよねー。実は免許取ってから人載せたのは二人目だよ」
「へー。一人目は彼氏?」
 私は流れるように彼女の恋愛事情について質問した。スキャンダラスに。日本風に言えばかなり下世話に。
「違う違う。妹だよ。先月二人で旅行したんだ」
「そっかぁ……。でも姉妹旅行もいいよね。私も旅行したいよ」
「ハハハ、陽子さんは仕事の虫だもんね。今回の仕事片付いたら休暇取れば? 西浦さんだってそれぐらいは許してくれるよ?」
 休暇――。なんて魅力的な響きの言葉だろう。青い空、白い雲。視界一面に広がる海。隣には京介――。最高だ。まぁ……。京介は出不精なので彼が喜ぶかどうかは微妙だけれど。
「そうね。ひと段落したらね」
「それがいいよー。せっかくだから彼氏と結婚してハワイアンウエディングでもあげちゃえば? やるならウチらも余興ぐらいするよ」
 今度は私が京極さんにからかわれた。仕方ない。京極さんは京介のことをよく知っているのだから――。
 
 それから私たちは一五分ほど甲州街道を走った。国道二〇号線。都内では私も京極さんも毎日のように使っている道だ。
「初台のスタジオからここまでえらい距離だよね」
「そうね。下道で来たらかなり掛かるんじゃない?」
「だよねー。いやぁ、今更だけど甲府遠いわ。仕事でもなきゃ来ねーよ」
 京極さんは少しうんざりしたように言うと「うぇぇ」と舌を出して戯けてみせた。かなり不細工だ。ま、私はこの子のこの表情もノリも嫌いではないけれど。
 気がつくと車は甲州街道を離れ山の方へ向かっていた。どうやら鍵山月音の家は郊外にあるらしい。
「ずいぶんと山のほうに家あるのね」
「だねー。田舎ってこうなんだよねー。私の地元も閑散としてたもん」
 徐々に街の明かりが消えていく。街灯も疎らで所々にあるトンネルの明かりだけ不気味に光っていた。正直に言えばあまり気持ちの良い場所ではないと思う。
「気味悪いね……」
 私は言うとはなく、そんなことを呟いた。
「ん? そう?」
「ちょっとね……。あんまりこの手の雰囲気は好きじゃなくてさ」
「そっかぁ。やっぱ東京生まれだとそうなんだねー。ウチらは……。田舎民は慣れっこなんだよ。春先は毛虫が湧くし、夏は雑草ボーボーだしさ。まぁアレだよ。自然は綺麗ばっかじゃないってことさ」
「……そうね」
 京極さんの言ったことは正しいと思う。おそらく私は今まで自然の綺麗な部分ばかり見てきたのだ。簡単に言えば私は田舎に対してあまりにも世間知らずだったのだろう。
「でもまぁ……。綺麗なとこもあるにはあるよ」
 京極さんはそう言うと車を路肩に停めた。
「何?」
「ちょっと降りてみ」
 そう言われて促されるまま車を降りる。そして私が降りると同時に京極さんは車のヘッドライトが消した。
「上! 見てみ」
「上?」
 私は言われるまま空を見上げた。そして言葉を失った――。

 空を仰ぐとそこにはこれまでにが広がっていた。星々は競い合うように瞬き、これでもかというほど空を埋め尽くしている。
 そしてそんな星たちを寸断するような光の帯が空に横たわっていた。織り姫と彦星を別つ天の大河。天の川だ。
「すごいね」
 私はあまりにも呆気にとられて語彙力の欠片もない感想を口にした。
「じゃん! 山梨の山ん中はすげーんだよ。茨城の片田舎よりずっと街灯少ないからね」
「そうね……。ずっと見てられそう」
「ハハハ! だよねー。……でもアレだよ。あんまりここに居ると身体中痒くなるよ。水辺ちけーからさ」
 水辺の近く。そして生い茂る夏の草木。そう、ここは蚊にとっても天国なのだ。数分居ただけで私たちの血は彼らの晩ご飯になってしまうだろう。
「んじゃ田舎のいいとこも見れたところで鍵山さんち向かうねー」
 京極さんはそう言うと再び車に乗り込んでヘッドライトを灯した――。
しおりを挟む

処理中です...