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第一章

第二十話:信頼

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 夢を見る。
 舞台は以前と同じく、どこかの学校の屋上。
 ノートはそこに一人で佇む。

 鉛色の空の下で一人ぼっちなのは、強い孤独感を覚える。
 だが今日はそれだけなので、まだマシだ。

 俯かせていた顔を上げる。
 ノートの目の前には、影から出現している巨大な像があった。
 黒い靄がかかっており、全貌は分からない。
 だがその腕だけは認識できた。
 ゴツゴツとした岩でできた腕だ。

「(俺の、魔人体)」
『力と向き合え』
「……どうすればいいのか、わかんない」
『己と向き合え』
「俺自身?」
『我は汝より生まれし存在。我は汝に送られたギフト』
「ギフト……贈り物?」
『我が力は人を越えし力。汝が恐れる力』

 人を越える「力」、それはノートが恐れるもの。
 過ぎたる「力」は人を変えてしまう。

「俺は、そんな力が欲しいなんて思ってない」
『汝は与えられたのだ。「■■」に近づく力を』

 一部の声に雑音が入って聞こえない。
 だがそれ以上に、ノートは相手が無責任なものだと思った。
 欲してもいない「力」を押し付けて、勝手に向き合えと言う。

「そんな力、要らない!」
『力……己から目を背けるのか』
「違う! 俺は――」

 瞬間、ノートの足元にひびが走り、コンクリートが砕け始めた。
 同時にノートも立っていられなくなる。

『恐怖を乗り越えろ。力と向き合え』
「お、俺は……」
『我を掴んで、支配してみせろ!』

 ひび割れた屋上に倒れ込むノート。
 その上から、立ち上がれない程凄まじい「力」がかけられる。

『我は力……純然たる力』

 潰される。潰される。
 魔人体の持つ力の一端を感じ取り、ノートは更なる恐れを抱いた。

『我をどう使うかは、汝次第だ』
「俺……次第?」
『我を欲するなら、名を叫べ』

 力はどんどん強くなる。
 それに連動するように、像も大きくなっていった。

『我が名は――』

 像が名乗ろうとした瞬間、屋上は砕け散った。
 ノートはそのまま深い闇の中へと転落。
 強制的に夢から覚める事となった。





「酷い夢だった」

 ベッドから起き上がったノートの気分は最悪だった。
 寝汗も酷く、筋肉痛まである。

「ドミニクさん、本当に手加減しないんだからさー」

 結局昨日は夕暮れまで修業する事となり、終わる頃にはノートはボロボロ。
 全身傷だらけで本拠地に帰って来た時は、カリーナに驚かれた。
 そして無茶な修業をさせたドミニクはカリーナに叱られた。

「結局、魔人体は出ず、か……」

 自身の右手を見ながらノートはぼやく。
 拒絶しているのは自分自身だとは理解している。
 だが今のノートには、ドミニクの期待に応えたいという思いもあった。

「(恐怖を乗り越えろ、か……)」

 夢の中でも言われた言葉を反芻する。
 必要なのは何か切っ掛けだろう。
 「力」に対する恐怖、これを乗り越える何かだ。

「力の使い方……まだよくわかんないな」

 幸い時間はある、自分のペースで考えよう。
 ノートはベッドから降り、一階の食堂へと向かった。


 朝の食堂だが、まだ誰もいない。
 どうやら今日も早く起きてしまったようだ。
 今日は食事当番では無いので、ノートはキッチンをスルー。
 玄関を開け、投げ込まれていた新聞を回収する。
 いつもドミニクやカリーナが読んでいるものだ。

「……俺も読んだ方がいいのかな?」

 仮にも冒険者の端くれなのだ。
 情報収集くらい出来なくてはならない。
 ノートは意気込んで新聞を広げる、が。

「そうだった。俺文字読めないんだった」

 生まれてすぐに会話は分かったのだが、生まれの事情もあって読み書きの教育は受けられなかったのだ。
 せめて読み書き能力くらい転生特典で欲しかった。
 ノートは少し涙目になりながら、そう考えていた。

「おはようございますです。あれ、ノート君新聞を読んでるですか?」
「違うよライカ。文字も読めないのに新聞を広げてしまったバカだよ」
「ノート君文字読めないですか?」

 純然たる疑問をぶつけられて、ノートの心に深く突き刺さる。
 そして涙目になっていると、ライカは此方に近づいてきて、新聞を覗き込んだ。

「ノート君、どの文字なら読めますか?」
「……全部わかりません」
「じゃあまずは文字のお勉強からですね」

 「少し待っててください」と言って、ライカは二回へ駆けあがっていく。
 そして数分後、数冊の本を抱えたライカが戻ってきた。

「まずは恥ずかしがらずに、こういうのからお勉強するのです」
「絵本?」
「はいです。私が昔カリーナさんに文字を教わった時に使った本なのです」

 そういうとライカは、テーブルに絵本を広げはじめた。

「最初はどれがいいでしょう……」
「もしかしてライカ、教えてくれるの?」
「もちろんです。あっ、もしかして嫌でしたか?」
「まさかそんな。文字を教えて貰えるなんて願ってもなかったよ」

 実の所、文字の読み書きはほとんど諦めていたノート。
 まさか教えて貰える事になるとは思ってもいなかった。
 ノートは静かに歓喜に打ち震える。

「じゃあ最初はこれですね『よいこのモンスターずかん』」
「ファンシーな絵柄に物騒な内容」

 可愛らしいイラストで騙されそうになるが、どう見ても危険なモンスター達が表紙になっている。
 だが文字を学べるなら何でもいい。
 ノートはライカが開いた本を覗き込んだ。

「あー、いー、うー、えー」
「(この世界の文字って五十音だったんだ)」

 本の最初についていた文字表を、指さしながら音読するライカ。
 それは日本語のひらがなに近かった。

「これが基本文字なのです」
「基本文字?」
「新聞を読もうとすると、これより難しい古代文字や魔法文字も覚えないとなんです」
「先が長いなぁ」

 だが基礎を覚えるだけでも大きな前進だ。
 ノートはライカ先生の授業に、熱心に耳を傾ける。
 長らく忘れていた、学ぶ楽しさを思い出したような感じもした。

「それではノート君、問題なのです。これは何と読むでしょう」
「えーっと……ど、ら。ドラゴン?」
「正解なのです」
「よしっ!」

 少しだけだが基本文字を覚えたノート。
 モンスターの絵も合わさって、何体かは読めるようになった。
 そんな感じでライカの読み書き講座は続いていく。

 ふと横を見ると、楽しそうなライカの顔があった。
 彼女は自分と違い、魔人体を使役している。
 ノートは色々と聞きたい事が湧いてきた。

「そしてこれが――ノート君、どうしたですか?」
「えっと、その」
「なにか質問があるですか?」
「……うん」
「なんでも聞いてくださいなのです!」

 胸をポンと叩いてドヤ顔を晒すライカ。
 ノートは少し悪いと思いながらも、それを聞いた。

「ライカはさ、魔人体を出せるだろ」
「はい。出せます」
「その、怖くなかったのかなって」

 ノートの質問の意図がわからず、ライカはキョトンとした顔になる。

「ある日突然強い力を持つ事とか、自分が変わってしまうこととか……怖くなかったのかなって思ってさ」
「……怖くないと言ったら、嘘になるです」

 ライカは自分の右手に視線を落とす。

「私の『純白たる正義ホワイト・ジャスティス』は、とても強い力なのです。使い方を間違えたら、誰でも殺せてしまうくらいに」
「うん。ドミニクさんに聞いた」
「私は、人を傷つけるのがすごく怖いのです。人だけじゃなくて、モンスターの命を奪うことにも抵抗があるです。おかしいですよね、私冒険者なのに……」
「ライカ」
「自分でモンスターを殺せないんです。すごく可哀想だなって思ってしまって」
「……優しいんだな、ライカは」
「あはは、ドミニクさんやカリーナさんにも同じことを言われたです」

 「でも……」とライカは続ける。

「このままじゃダメだって、わかってはいるんです。でもあと一歩を中々踏み出せないです」
「そっか……だからドミニクさん、俺とライカは同じタイプって言ったのか」
「そうなんですか?」
「俺も、人を攻撃するのが怖いんだ」

 ノートはドミニクに話した内容と同じ事を、ライカに話した。

「そんなことがあったですか」
「情けないだろ」
「私は、間違ってないと思います。もしも私がノート君と同じ立場でも、そうしたと思います」
「……ありがとう」

 ノートは少しだけ肩の荷が軽くなるのを感じた。

「でも私、ノート君が踏み出さなきゃいけない一歩は分かった気がしますです」
「本当に?」
「はい。ノート君はもう少しだけ、私達を信頼するべきだと思うのです!」

 信頼する。それはノートにとってこの上なく妙なものに思えた。

「ドミニクさんも言っていたと思います。万が一のことがあっても、俺が止めてやるって」
「……言ってた」
「そういうことです。もしもノート君がアルカナの「力」に呑まれそうになっても、私達が止めてみせるのです! だから――」

 ライカはノートの両手を握る。

「ノート君は、思う存分に本領発揮してください。背中は私達に任せて欲しいのです」
「ライカ……」
「その代わりと言ってはなんですが。もしも私が暴走しそうになったら、ノート君が止めてくださいなのです」

 舌を少し出して、恥ずかしそうに告げるライカ。
 ノートはそれを見て、彼女の力にはなりたいと感じていた。

「わかった。俺にできることなら、絶対に止めてみせる」
「はい。約束なのです」

 小指を差し出すライカ。
 ノートはそれに応えて、指切りをする。

 そんあ事をしていると、二階から起きてきたパーティーの面々が下りて来た。

「あっ、みなさん起きてきたですね」
「今日の勉強はここまでか」
「続きはお昼になのです」
「やったぁ」

 朝食後にも勉強に付き合ってくれると聞いて、ノートは素直に喜んだ。

「ヒャーハー! 今日の朝飯当番は誰だァ?」
「アタシよ。少し待ってなさい」
「あらライカ。絵本を読んでたの?」
「タイスさん。これはノート君のお勉強なのです」
「そういう訳です」
「そうなの。難しい文字があったら私にも聞きなさい。仮にも私は学者よ」

 タイスにも読み書きを教えて貰えそうなので、ノートは更に喜ぶ。
 これで新聞を読めるようになれば、パーティーにも貢献できそうだ。

「ふわぁ……おはよう皆の衆」
「ドミニクさん、おはようございます」
「おはようノート。どうだ調子は?」
「筋肉痛が酷いです」
「そうか最高か」

 人の話を聞かないリーダーである。
 だがそんな何気ないやり取りが、ノートの心を温める。

「(信頼か……この人達なら、俺……)」

 本当に信頼できるかもしれない。
 気がつけばノートの心から、微かに恐怖心が消えている気がした。
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