Ωだから仕方ない。

佳乃

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羽琉  諦めきれない想い。

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 温かい手の感触に気付き目を開ける。

 体調を崩した僕が保健室で過ごしている時にいつも僕を気遣ってくれた、大好きだったその温もり。

「燈哉?」

 その手の持ち主の名前を呼んだはずなのに僕の視界に入ってきたのは燈哉ではなくて隆臣だった。

「すいません、検温するわけにはいかないので。起こしてしまいましたね」

 僕の体温が気になったのだろう。夢現で頭を撫でられたように思っていたけれど、そっと額を触っただけだったのかもしれない。

「大丈夫、今って何時?」

「まだ午前中ですよ。
 面会時間には早いですが、着替えが必要だからと連絡をいただきました」

 そう言いながら冷蔵庫を確認し、「果物、入れ替えておきますね」と持ってきたものと入れ替える。いつもなら過保護過ぎると言いたくなるところだけど、今日はその気遣いがありがたい。

「ねえ、僕、何か言ってた?」

 背中を向けた隆臣にしてみた質問。
 冷蔵庫の中を確認していた手が一瞬止まった気がしたけれど、「少し寝苦しそうにはしてましたが何も言ってませんでしたよ」と穏やかな声で答える。

「羽琉さんが小さかった頃は夜中に何度も様子を見に行ったの、覚えてます?」

「小さいって、隆臣来た時にはもうそれなりに大きかったよ?」

「まだまだ小さかったですよ。
 苦しそうな様子を見ると部屋に戻るのが心苦しくて、それでも戻らないわけにはいかなくて。
 何度も様子を見に行くくらいなら隣にいれば良いのにと自分で自分に呆れました」

 うまく誤魔化されたような気がするけれど、これはきっと隆臣の気遣い。僕の呼んだ名前を聞いていたし、今の僕の状況に気付いているから聞かなかったフリをしているだけだろう。

「隆臣、過保護だね」

 これは照れ隠し。
 隆臣の気遣いが嬉しいくせに素直に伝えることができなくて叩いてしまう憎まれ口。

「そんな事ないですよ」

 今日だって、少しでも食べられるようにと僕の好きなベーカリーのパンと洋菓子を追加したことに気付いてはいたけれど、それには気付かないふりをしておく。隆臣が帰ったら少しだけ口にしてみよう。

「スポーツドリンクも追加しておいたので、水分補給もちゃんとしてくださいね」

 枕元に置かれたスポーツドリンクはキャップが付け替えられていて、寝たまま飲めるようにしてくれてある。これで過保護じゃないだなんて、どの口で言っているのだろう。

「ありがとう」

 珍しく素直に言えたお礼の言葉。
 満足そうな隆臣は「今日は午後からお父様に呼ばれてますので、緊急の時には電話を。急ぎでないようならメッセージにしておいてください」と言って病室を後にした。

 聞きたいことも言いたいこともきっとあるはずなのに、それなのに何も言わないのは信頼からなのか、他人事だからなのか。それでもあの温かい手は僕のことを想ってくれていると信じたいと思ってしまう。

 少し眠ったせいか身体が楽になった気がして用意されたスポーツドリンクを飲みながらスマホを手にする。そして、いくつかの通知の中に欲しかったものを見つけて目を疑う。

《おはよう》

《政文にも伝えておいたから》

 伊織からのメッセージを確認したものの、それでも残る通知を知らせる数字。
 いつもなら来ないはずの相手からのメッセージに戸惑い、怯えながらそれを開く。

《おはよう》

《夏休みの課題はどうしたらいい?》

 何事もなかったかのようなメッセージの意図が分からず頭を抱えたくなる。昨夜のメッセージの《また》はこのことだったのだろうか。
 100歩譲って挨拶はわかるけれど、夏休みの課題をどうするかなんて燈哉には関係のないことなのに、何を答えるべきかと考え仕方なくメッセージを返す。

〈おはよう〉

〈ありがとう、ごめんね〉

 これは伊織に送ったメッセージ。

〈おはよう〉

〈課題は隆臣が取りに行きます〉

 これは燈哉に送ったメッセージ。
 燈哉との方が距離が近かったはずなのに、燈哉に向けたメッセージの方がよそよそしく感じてしまう。

 体調を崩して保健室に行くたびに隣にいてくれた燈哉は、不安そうな顔をする僕を宥めるために優しく頭を撫でてくれた。その手の温もりが恥ずかしくて、それでも嬉しくて。
 同級生の燈哉にそんな風にされることに反発するそぶりを見せながらも嬉しさを隠せていなかったのか、僕が体調を崩すたびに与えられた温かい手は僕が何を言っても動きを止めることはなかった。

「素直じゃないから、」

 今更ながらに自分のしてきたことがどれだけ間違っていたのかに気付いてしまう。ほんの少しの言葉で、ほんの少しの行動で続いていたはずの未来を断ち切ってしまったのは、僕であり、燈哉でもあるのだろう。

 あの日、僕を置いて彼のところに行った燈哉だったけど、あの時に少しでも僕を慮ってくれていたら。
 もしも彼が【運命】という抗えない存在なら仕方ないと思うしかなかったけれど、惹かれあっていても【運命】ではなさそうなふたりだからこそ、慎重に事を進めていれば受け入れることができたかもしれないのにと思ってしまう。

 僕じゃ駄目だと言葉を尽くし、彼じゃないと駄目だと伝えられれば諦めるしかないと思えたかもしれない。
 だけど、彼を囲いながらも僕へのマーキングを続けるせいでまだ希望はあるのかと思い、諦めることができなかったんだ。

 話をしなければいけないと思うけれど、話すことが怖い。
 向き合う必要があることをわかっていても、向き合う勇気がない。

 彼と楽しそうに笑っていた姿を思い出し、このままフェイドアウトした方がいいのかとすら思っていたのに燈哉からの連絡が僕を期待させる。

 考えがまとまらないのはきっと熱のせいだし、温かさを思い出してしまったのも熱のせいだろう。



⌘   隆臣 ⌘

『隆臣さん、羽琉が』

 かかってくるはずのない相手からの電話に何が起こったのかと出てみれば、切羽詰まった声に驚かされる。

「羽琉さんに何か?」

 今朝の羽琉は体調に変化は無かったし、体調を崩したとしても連絡をしてくるのはいつも燈哉からだから電話の相手が伊織だったことに動揺がなかったわけじゃない。

『燈哉が羽琉から離れたせいで、って。
 羽琉じゃないΩのところに行ったせいで羽琉が体調崩して』

 相当焦っているのか言っていることが要領を得ない。

「落ち着いてください。
 私は何をすればいいですか」

『えっと、お迎えを』

「分かりました」

 羽琉が体調を崩したのなら迎えに行くのは決定事項だ。どのみち今日は普段よりも迎えが早いため出社はしていない。誰かに断りを入れる必要はないためもう一度学校に向かう。

「羽琉さんの状況は?」

『燈哉が外部入学のΩのことを抱きしめたのを見て体調を崩しました。政文が保健室に連れていくところで僕は保健医を呼びに向かってるところです』

「燈哉さんがそんなこと。
 【運命】、ですか?」

 今朝も仲睦まじい様子を見せていたふたりを知っているだけに燈哉の行動を信じることができず、聞いたことはあるけれど見たことのないαとΩの【運命】なのかと思わず口から出た言葉。

『それが、【運命】ならもっとこう、ブワッとフェロモンが変化すると思うのにそんなことはなくて。
 でも羽琉を置いてそのΩのところに行ったから何かあるとは思います』

「分かりました。
 すぐに向かいます」

『様子を見て何があったのか、送りますから』

 自分でも要領を得ないことを口走った自覚はあるのだろう。その言葉に甘えてお礼の言葉を伝えると通話を切る。
 何があったのかは正直理解できていないけれど、とりあえずクリニックに予約を入れておく。メンタルの弱い羽琉の事だから、燈哉のそんな姿を見てしまったことでショックを受けたのだろう。必要なのはカウンセリングなのかもしれない。

 それにしても、燈哉が羽琉から離れることがあるのだろうかと疑問に思ってしまう。幼い頃に決められた【番候補】という関係ではあるものの、彼にとっての羽琉は誰にも渡すことのできない大切な人だと思っていたから。
 何があっても羽琉を優先し、何があっても羽琉が願うように行動する燈哉を見ていただけに【運命】という言葉を思い浮かべるけれど、伊織の言葉を信じるのなら【運命】ではないということだろう。
 βの自分にはαとΩの関係を正確に理解することは難しいけれど、それでも燈哉の想いに嘘があったとは思えないし、【番候補】と言ってはいるけれどそれは羽琉がまだ未成熟だから番となっていないだけで、その時がくれば【番】になるのが既定路線だと思っていた。

 それだけに彼の行動に疑問を持ってしまう。

 伊織から何度も入るメッセージは燈哉を糾弾するものばかりで相変わらず要領を得ない。ただ、政文が羽琉に触れたことに怒りを見せて強い威嚇を放ったせいで、その威嚇で羽琉が泣き出したことだけは知ることができた。

 他のΩに意識を向けてはいるものの、羽琉の【番候補】であることは忘れていないし、その立場を放棄したわけではないらしい。
 羽琉から離されたことに不満そうにしているくせに、羽琉ではないΩに優しい言葉をかけたという報告で止まったメッセージ。きっと入学式が始まったのだろう。

 保健室で横になっていた羽琉は顔色が悪く、クリニックでカウンセリングを受けた後も「ストレスを溜めるなって言われてもね」と弱々しく笑う。
 この時はまだ、【運命】ではないのなら大丈夫だろうと甘く見ていた。
 それを証明するように始まった毎朝のマーキングに安心していた。

 時折送られてくる伊織からのメッセージは羽琉を心配するもので、燈哉を批判するばかりの内容を確認するために政文に連絡を取ればその内容を肯定しながらも燈哉の気持ちは変わっていないと言われてしまい動けなくなる。
 とにかく羽琉に寄り添い、羽琉を守ろうとしたことは間違いだったのだろうか。

 この時に燈哉と連絡を取ることだってできたはずなのに、それをしなかったのは自分の怠慢。ふたりの今までの時間と政文の言葉で、【運命】でないのなら大丈夫だという根拠のない安心感もあった。
 何より、あんなにも執拗なマーキングを施す燈哉と、それを受け入れる羽琉が離れるだなんて思いもしなかったのだから。

 燈哉とΩの彼が登下校を共にしていることは伊織から聞かされて知ってはいた。今までの羽琉なら何か理由をつけて阻止するのにそれを許したのだからふたりの関係は邪推するようなものではないと信じていた。
 少しずつ調子を崩す羽琉を見ていたはずなのに、不調が続けばそれが普通に見えてしまう。

 伊織は燈哉のことを頭ごなしに批判するけれど、本当に批判されるべきなのは自分だろう。
 側にいながら静観していただけで、羽琉の父親から何を期待されていたかも気付いていなかったのだから。

 なぜ自分が選ばれたのか、何を求められていたのか。

 ただただ寄り添うだけなら自分でなくてもよかったのだから、自分が選ばれた意味はあったのだろう。
 あの日、教職を取ったのになぜ一般職に就こうと思ったのかと聞かれたのが、多数に向き合うことは無理だと自覚したという自分の言葉に、ひとりと向き合うことはできるのではないのかと言われたのが全てだったのだろう。

 そう思えば主治医に言われた言葉を理解し、自分の過ちを自覚するしかなかった。



「燈哉?」

 額に手を当てて体温を確かめた時に羽琉の口から溢れた言葉。
 これが、この言葉が羽琉の本心なのだろう。

 側にいたいのは、側にいて欲しいのは羽琉の【唯一】である燈哉なのだと。

 自分は何ができるのか、自分は何をするべきなのか。
 羽琉に寄り添いたい気持ちは変わらないけれど、寄り添うだけでなく何ができるのか。

 まだ何かできるはずだから。

 まだ諦めるべきではないはずだから。
 

 
 


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