Ωだから仕方ない。

佳乃

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羽琉  Ωの思考、Ωの事情。

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 入院中は朝が早い。

 起きたところでやる事はないけれど、順に検温に回ってくるせいで目を覚さないわけにはいかない。僕の場合は入院といっても療養というか、避難しているだけだから検温は必要ないような気もするけれど、決まりだから仕方ないと大人しく検温に協力する。

「あれ、羽琉君、少し熱あるみたい」

 検温に回ってきた看護師は普段からお世話になっているせいで緊張するような事はないけれど、少しの変化にも気付かれてしまう。「発熱ってほどでもないけどいつもより高めかな」と言いながらフェロモンを計測する道具を取り出す。正確な数値が出るわけではないけれど、大きく変化していれば分かるからと体調の変化があれば測ることを指示されていると教えられる。

「先生からヒートが来るかもってお話は聞いてるよね。ヒートだと体温が上がるから念のためね。
 ん~、フェロモンは大きく変化してないかな?」
 
 そう言いながら「先生には伝えておきます」と部屋を出ていく。体調が悪いという自覚はないけれど、フェロモンに異常があるわけでもなく体温が上がるというのはただの風邪なのではないのかと昨夜のことを思い出す。熱を逃すためにシャワーを浴び続けたのが良くなかったのかもしれない。
 冷たさが足りないと思ったけれど、長時間のシャワーは身体に負担が大きかったのかもしれない。

 それまでは何も感じなかったのに、体温が高いと言われるとなんとなく怠い気がしてしまう。リハビリがあるわけでもないし、散歩に出るには外は暑過ぎる。
 どうせ隆臣が着替えを持ってくるからと着替える事はせず、顔だけ洗ってベッドに戻る。療養中らしく大人しくしているのも悪くないはずだ。

 期末考査が終わったこの時期、きっと校内は少しだけ浮き足立っているだろう。テストが終わったことの解放感と、夏休みへの期待。
 いつもなら夏期講習と人脈作りで終わるはずの燈哉の夏休みだけど、今年は彼との予定が加わるのだろう。

「狡い、」

 思わず口から出てしまった言葉が僕を惨めにさせる。断られることを恐れて打診すらしなかったのに、彼とは約束したのかと嫌な気持ちになる。
 彼を誘うのなら僕のことだって誘ってくれたらよかったのに、と思うけれど、夏休みは検査入院と療養で終わってしまうと告げたのは僕だ。初等部の頃から繰り返してきた僕の嘘を覆し、だから一緒に過ごしたいと言うことは僕にはできなかった。

 会えない現実を認めたくなくて、会えないのではなくて会わないのだと自分に言い聞かせて入れる療養という名の予定。向き合うことで傷付きたくなくて逃げていたのに、それなのに自分から動いたせいで傷付くことになったのは罰なのだろうか。

 燈哉が彼と教室を出て行ったと聞いた時にいつものように逃げ出せばよかったのに、それなのに勝手に帰ったら怒られる、なんて言い訳をしてふたりを探したのは周囲から【逃げた】と思われたくなかったから。
 燈哉が彼と席を外したことを容認したと思われなかったから。

 そして、彼といても僕の存在に気付けば僕を選んでくれるかもしれないという淡い期待。

 結局はふたりで楽しそうにしている様を見せ付けられ、ふたりの夏の予定を知らされてしまっただけの情けないほどの完敗。

「電話、なんだったのかな、」

 出ることのできなかった着信と、事務的な僕のメッセージに返ってきた言葉。
 僕を放置して彼と楽しく過ごしていたことに対する罪滅ぼしなのかと穿った考えをしてしまうけれど、それだってふたりの姿を見て傷ついた僕に見かねた隆臣の行動が発端だっただけで、燈哉に落ち度があったわけじゃない。

 だって僕自身が彼との登下校を許したのだから僕の姿に気付いてくれなかったと落ち込むのも、ふたりで楽しそうにしていたからと嫉妬するのもただの独りよがりでしかない。

 勝手にいつもと違う駐車場に向かい、伊織と政文を呼んだ隆臣だって僕を心配してくれただけで、悪意があったわけじゃない。そうしなければと思わせてしまうほどに僕が消耗していたのだから仕方がないことだったのだろう。

 あの日、ふたりの姿を気にせずいつもの駐車場で待っていれば、燈哉は僕にマーキングしてくれただろう。先生は毎日のマーキングがヒートを誘発していると言っていたけれど、精神状態が不安定なままマーキングを施されたらもしかしたら、と自分の都合のいいように夢想する。

 誘発されてしまったヒートを治めることをせず、用意された部屋に向かい燈哉とふたりで過ごすことができれば僕たちはまだ【番候補】でいられるはずだ。なんなら衝動に任せて【番】になってしまえば彼だって諦めるしかないだろう。

 本当にそうなれば良かったのに。

 考えれば考えるほど休んでしまったことを後悔してしまう。あのまま無理をしてでも登校し続け、燈哉の目の前で初めてのヒートを迎えていればこの先もずっと一緒にいられたかもしれないのに。
 燈哉の気持ちが彼に向いていたとしても【番】になってしまえば彼だって諦めるしかないだろう。

 だって、彼にはもう燈哉の香りが分からないのだから。

 それは良い考えに思えた。
 それなら学校に行かないと、そう思い身支度をしようと身体を起こすけれど、身体が思うように動かない。

「羽琉君、おはよう」

 僕の様子を診に来た先生はベッドで横になった僕を見て「本当に病人みたいだね」と苦笑いを見せたけれど、置かれたままの朝食に気付くと「食欲無い?」と声のトーンを落とす。

「いらないです、」

 短くそう答えた僕を不審に思ったのか、そっと僕の額に触れ「熱、上がってるね」と溜め息を吐く。

「考えすぎて知恵熱?」

 そう言って笑いはするものの、看護師と同じ道具を取り出し「フェロモンの量は減ってるくらいだね」と呟くと「やっぱり知恵熱だ」と笑う。

「頑張りすぎて疲れたのと、考えすぎて疲れたのと、両方かもね。
 隆臣君にはこっちからも連絡するけど欲しいものとか、自分で連絡できる?」

 答えるのも面倒だと思いながらも無視するわけにはいかず、質問に答える。思ったよりも熱が高いのかもしれない。

「昨日、いろいろ持ってきてくれたから大丈夫です」

「そっか。
 着替えは?」

「お願いしなくても持ってきてくれると思います」

「だよね。
 熱、少し高いから解熱剤飲むなら何かお腹に入れて欲しいけど、何食べる?」

「いらないです」

「じゃあ、氷枕用意するから寝てなさいね。食事は下げる?」

「お願いします」

 我儘を言っている自覚はあるけれど、食べたくないものは食べたくないのだから仕方ない。それに、発熱の理由だって僕だけは理解している。
 弱っていたのに長時間シャワーを浴び続けたせいで身体が悲鳴をあげたのだろう。

「ゆっくり休みなね」

 そう言って頭に添えられた手は柔らかで心地良かった。



⌘   涼夏 ⌘

 すれ違ってしまった原因が自分にもあるのだとは自覚している。だけど、オレは巻き込まれただけの被害者だという思いを捨て切ることはできない。

 羽琉君の香りとオレの香りが似ているからという理由でオレをカムフラージュに使って羽琉君を守ろうとしただなんて、考えれば考えるほど失礼な話だ。

 羽琉君に対しても、オレに対しても。

 オレの香りに気付いて、オレの姿を確認して、オレを利用しようと瞬時に考えたその思考は凄いと思う。
 ホールに入り、オレを見付け、オレを確認してオレを囲おうとしたその実行力も凄いとは思う。
 思うけれどそれ以上にどうしようもなく馬鹿だとも思う。

 オレを利用しようとしていたことにもちろん腹立たしさはあるけれど、それ以上に利用するならするでもっと計画を立てるべきだったと思わずにはいられない。

 もしも自分が燈哉と同じ立場だったら…そんな計画は思い付かない。思い付かないけれど、それを実行する必要があるのならまず羽琉君に話すだろう。

 羽琉君に似た香りを見付けた。

 それを伝えられた時点でオレが羽琉君ならドン引きだけど、そこは置いておく。日に日に香りが強くなることが心配で、似た香りのΩと過ごすことで少しでもカムフラージュしたい。自分以外がその香りに気付くことが許せないから一緒に過ごすことを許して欲しい。そんな風に言われてしまったら悪い気はしないかもしれない。

 悪い気はしないかもしれないけれど…気持ち悪いとは思う、オレは。
 羽琉君の気持ちはオレには分からないけれど、それでも自分を大切に思ってくれていることは伝わるだろう、多分。

 それで羽琉君がOKを出してから動いても遅くはなかったはずだ。心配なら心配で羽琉君から離れなければいいだけのことなのだから。

 はじめから破綻していた計画は、オレが燈哉を挑発してしまったことで一段と拗れてしまう。それに関しては俺が全面的に悪いのだけど、正直な気持ちを言ってしまえばアウェイに独りで乗り込んだオレに対してもう少し同情して欲しいと思わないでもない。
 右も左も分からないところで強そうなαが自分に興味を示したのに、よく分からないままに巻き込まれてしまったオレが悪者扱いされることに納得がいかなかった。

 燈哉と羽琉君の関係を知った上で燈哉の誘いに乗ったのならそれも仕方のないことだけど、オレはふたりの関係を知らなかったし、燈哉が急に怒り出したことで何かおかしなことに巻き込まれたと気付いたのだから。

 それでも強いαが自分を欲するのならそれならそれでいいと投げやりになったのは、自分のΩ性を受け入れきれない気持ちがあったから。強いαに支配されれば自分のΩ性を受け入れるしかないし、そうすることでしか受け入れられないと思う気持ちもあったから。

 燈哉の羽琉君に対する気持ちを知り、自分のしてしまったことを後悔したけれど、してしまったその事実を無くすことはできない。だから何度も何度も羽琉君と話をさせて欲しいと言ったのにそれを受け入れなかったのは燈哉と羽琉君だ。

 自分が伝えるからいいとはじめからオレを排除した燈哉。

 不満に思いながらも燈哉の言葉を受け入れ、オレを拒否し続けた羽琉君。

 オレが悪いわけじゃないけれどオレだって悪い。だから願ってしまう、羽琉君との対話を。



「おはよう、電話した?」

 駅で待つ燈哉にそう声をかけたけど、なんとも言い難い情けない表情でその結果を悟る。

「できなかったんだ」

「………したけど出なかった」

「無視?」

「メッセージは来た」

「内容聞いてもいい?」

「風呂に入ってた、おやすみって」

「………」

 返す言葉に困ったオレは悪くない。

「で、でも無視されたわけじゃないし。
 じゃあ、そのまま?」

「おやすみって返した」

「‼︎
 燈哉君にしては頑張ったんじゃない?」

 子どものお使いかと呆れそうになるけれど、それでも進歩だと思ってしまった。

「今朝は?
 おはようとか送った?
 羽琉君からは何か来てた?」

「送ってもないし、来てもない」

「じゃあ教室に着いたらおはようとか送ったら?
 無理矢理連絡事項見つけて送るとか」

「でも、迷惑かも」

「だからさあ、嫌われる覚悟で押すしかないって言ったよね?」

「………分かった」

 どうしてこんなことまで言わなくてはいけないのかと思うけれど、それでもなんとかその関係を修復して欲しくてムキになってしまう。

「今日の昼はどうする?」

「昼?」

「羽琉、休みだし」

「だから何?
 オレはいつも通り忍や浬と過ごすから燈哉君はその時間、羽琉君のために使いなよ」

「一緒に、」

「過ごしません」

 羽琉君に対してどうアプローチすればいいのか一緒に考えて欲しいと言われたけれど、オレが関わったと知れば羽琉君は嫌な思いをするだろう。それに、不器用ながらも自分で考えた方が結果がどうであれ納得できるはずだ。

「また帰りに話、聞かせてね」

 これは、オレからの合図。
 登下校以外は一緒に過ごさないという意思表示。

 オレの言葉に情けない顔を見せた燈哉だったけれど、「じゃあまた帰りに」と言って背中を向けた。

「頑張りなよ」

 協力はできないけれど、応援くらいはしておこう。これくらいは許してもらえるだろう、きっと。
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