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さぁ、お迎えに上がりましょう
4. side.Eleanor
しおりを挟むため息をつき、辺りを見回す。部屋の中はクリームイエローを基調とした暖かな雰囲気で、重厚な外観とは一転凄く落ち着きがある。以前の自室は豪奢な装飾で飾り立てられていたけれど、シンプルかつお洒落なこの部屋の方が好みかもしれない。程よく置かれた調度品の数々はとても上品で、素敵なものばかりだった。
ソファに腰掛け、目を閉じて身体の力を抜く。その瞬間のしかかる気だるさ。
「私、本当にひとりぼっちなのね……」
聖女様があの子じゃなければ。
私があの子のように可愛かったら。
私が聖女様だったら。
ありもしない「たられば」が頭の中を駆け巡る。こんな事ではいけないとわかっているけれど、それでも愚痴のような考えが次々と浮かんでしまうのだ。
お父様もお母様も、一言だって私を庇ってくれなかった。私という人間を知ってくれていたら、いじめなんてする訳がないと分かるだろうに。
「いじめなんてしないわ。もっと完璧に完膚なきまでに潰すもの」
とは言え、いじめを止めもしなかったのは紛れもなく私の嫉妬が故であるし、罪を被せられても全て跳ね除けられるような材料を用意していなかったのは私の落ち度だ。完璧な公爵令嬢を名乗るならその位出来なくては話にならない。
まだまだダメね。親を味方として信頼していたなんて本当に「お子ちゃま」だわ。
コン、コン
どこか遠くに響くノックの音に、意識が急速に持ち上がる。重い目蓋を押し上げ、慌ててよれてしまったドレスを整える。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。ソファで居眠りをしてしまうなんて淑女失格だわ。
「失礼いたします」
涼やかな声が響く。
扉を開け、部屋に入ってきたのは黒い侍女服の女性だった。薄化粧を施した顔はそれでもかなり整っていて、全体的にスラッとした体型をしている。どこか希薄な存在感の、不思議な雰囲気をした女性だった。
彼女は侍女の礼を取り、顔を上げる。
「お初にお目にかかります。この度エレノア様のお側に仕えさせて頂くことになりました。ベルと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「私はエレノア。こちらこそお願いするわね」
中に入って頂戴、と促すとベルは丁寧にもう一度礼をして私の側にやってくる。ご不便はございますか?と尋ねる彼女に首を振る。すると、彼女は恐らく部屋着だろう物を準備し始めた。
ぼんやりとその様子を眺めながら、考える。ベルは私をどう思っているのだろうか。いきなり敵国の公爵家出身である私の身を任されるなんて、嫌ではないだろうか。知らず緊張で身体が強ばる。
そんな私の不安を感じ取ったのか、作業を中断したベルが私の前に恭しく跪いた。
「エレノア様、僭越ではございますが、私、ずっと貴女様にお会いしとうございました」
「……え、そ、そうなの。……どうして」
私の顔を見上げたベルの目には、じわりと涙が滲んでいる。思わず目を見開いて固まってしまう私に、彼女は頬を染めて微笑んだ。
「1年半ほど前、我が星の王国の【スカト領】への進軍を止めてくださったのはエレノア様だと伺いました」
「……えぇ、あくまで進言しただけだけれど……、明らかに国際法に違反していたもの」
ーー勿論覚えている。
【スカト領】とは星の王国と天の王国の国境付近にある都市である。ある日、たまたま遠目にそこを眺めたらしい聖女様が「綺麗だわ」と言った。たったそれだけで、ルーカス様はスカト領を手に入れようと宣戦布告もなしに進軍したのだ。
当然そんなことをすれば国際的に問題視される事態になる。私も陛下に家の圧力も駆使して進言し、何とかルーカス様を止め、星の王国に多額の賠償金を支払う事で決着がついた。ーールーカス様には散々罵られたけれど。
ベルは祈るように両手を組む。
「私事ですが……、私はスカト領出身なのです。足の不自由な父が今もそこで暮らしていまして……戦争が始まってしまえば到底逃げることは出来なかったでしょう」
「でも、私はルーカス様の事しか考えていなかったわ」
「それでも、スカト領の国民は命を救われましたわ。本当に感謝してもしきれません」
最敬礼を取ろうとするベルを慌てて止める。最敬礼は王族に行うものであって、ただの客人である私にしてはいけないものだ。しかし、ベルは慌てる私を見てぱちぱちと瞬きをすると、穏やかに微笑む。
「星の王国では、王族ではなく自分の忠誠を誓う方に最敬礼を取るのですわ。勿論、それが王族の方々でもあるのですけれど」
私の忠誠はエレノア様に捧げます。
真っ直ぐな目でそう言うベルに、目を見開いた。そして、唇を噛み締める。
『貴様はいつも俺の邪魔ばかりする』
『酷いわ、エレノア様。ルーカス様は私の為に頑張ってくれたのに』
かつてルーカス様には独善的だと罵られた私の行為。ただルーカス様の名誉の為だけにしたそれが、誰かの命を救うなんて考えたこともなかった。
まるで恋をする乙女のように可愛らしく微笑むベルが、彼女の言葉が紛れもなく真実であると告げていた。
「ーーえ、エレノア様!?」
突然あわあわと立ち上がるベルに、ポカンとしてしまう。先程までの表情が嘘のように真っ青になってしまった彼女は地面に平伏した。
「も、申し訳ございません!ここに来る事が本意ではないでしょうにそれを喜ぶような……と、とりあえず此方で涙を拭いてくださいませ!擦らないように……」
「……涙?ーーあれ、」
両手を目元に当てる。すると頬を濡らす水の感触が伝わってきた。ーー私、また泣いてるの?
ぎゅっと目を瞑る。ダメよエレノア。泣くのは馬車の中でだけって決めたでしょう。完璧な公爵令嬢は涙なんて人前で見せないのよ。
しかし、涙を抑えようとする私の両手をベルが遮るように握り込む。ぼろぼろと私の意思に反して零れ落ちる涙が彼女の手の上に落ちてしまう。今度は私が慌てる番だった。ベルの手を剥がそうとする私に、彼女はさらに強く握りこんだ。
「エレノア様、どうか聞いてください」
「ちょっと、濡れてしまうわ!……ごめんなさいね。さっきから私どうかしてるの、すぐ止めるから」
「いいえ、いいえ。悲しい事があれば涙を流す。普通の事ですわ。」
「それが許されるのは庇護される人間だけよ」
「この世の人は皆、神の庇護の元にありますわ」
真っ直ぐ私の目を見るベル。
神の庇護。そんなもの、信じられないわ。だって神が愛したのはあの聖女様だから。聖女様が私を嫌ったなら、それは神の意志に他ならない。相変わらず止まらない涙を落としながら首を振る。
「……エレノア様が神を信じられないのなら、私が貴女様を守れるような存在になりますわ」
「ーー」
「エレノア様の涙も悲しみも、全て私とエレノア様だけの秘密にしてしまいましょう。悲しみは涙にして流してしまいましょう」
貴女様が我慢をする必要はありません。
そう告げるベルの方が、私にはよっぽど「聖女様」に見えた。恵みの雨のように降り注ぐ優しくて甘い言葉にいよいよ涙腺が限界を迎える。仕舞いには嗚咽まで出始めてしまった。
しかし、ベルが覆い隠すように抱き締めてくれる。
抱き締められるのなんていつ以来だろう。
「私、何も悪いことなんてしていないわ」
「ええ、勿論です」
「ただルーカス様を愛してたのよ」
「ええ、そうですとも」
「どうして気付いてくれないのッッ……」
「本当に」
今度こそ、溢れ出す感情を抑えることは出来なかった。
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