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05.(※)
しおりを挟む『××、こっちにいらっしゃい』
懐かしい母の声が俺を呼ぶ。しかし俺の名前だけが、ノイズが走ったように掻き消されてしまう。
『母さん』
『なぁに、××』
どれだけ呼びかけても、名前だけが聞こえない。ーーいつもそう。驚くほど鮮明な夢を見ても名前だけは思い出せない。沢山語りかけてもらえても名前だけは聞こえない。
だって名前は、俺たちには必要のないものだから。絶対にバレてはならないものだから。【エクスシア】に身を置いた俺は、マスターその人によって真名の一部を奪われた。そして俺に残ったのは【唄】という名前だけ。【唄】に合うもう1文字は中々見つからなかった。
どうやって奪われたのか、その記憶もない。ぼんやりと覚えているのは途方もない激痛だけ。
『××、幸せになってね』
きっといい名前だったはずだ。呼ばれるだけで心が温まるような、胸が高鳴るような、そんな美しい名前だったはずなのだ。ーーだからこそ。
俺はきっと母が言う幸せにはなれないし長生きだって出来ないけれど、死ぬまでにいつか思い出せれば良いなぁ、なんて。
ふわり、と虚空をさ迷っていた意識が急速に覚める。ぱちりと目を開き、即座に戦闘態勢に入ろうとしてーー両手足を拘束するごつい枷の存在に気付いた。ガチャガチャと手を振れば、枷に伸びた鎖が大きな音を立てて揺れる。
身体を起こすことは出来るが、寝具の上に立ち上がったり、寝具から降りる事は出来ないようになっているようだ。
「お目覚めでしょうか」
部屋に入って来たのは、見た事も無い吸血鬼だ。まだフワフワと柔らかそうな茶髪が色白の肌と深紅の目によく映えていて美しい。しかし、まるで幼い少年のような愛らしい風貌をしているが気配は強者のそれだ。【宵闇の王】程ではないにせよ、俺が今まで殺してきた中では上位に入るだろう。
中途半端に身体を起こした状態のまま固まっている俺に、少年は首を傾げた。とりあえず拘束されている以上出来ることは無いので大人しく寝具に座る。すると、少年は何か色々乗ったワゴンを押して近づいて来た。
「お加減はいかがですか?」
「……気怠いくらいですねぇ」
「貧血でしょうね。お食事は召し上がられますか?」
「いらないでーす」
「かしこまりました」
お呼ばれした客人の如き丁重な扱い。ワゴンに乗っている軽食も非常に良い香りで美味しそうだし、少なくとも捕虜に与えるものでないことは平民の俺にでも分かる。しかし薬でも盛られたら堪らないので、勿論断る。するとさらに不思議なことに、少年はさも心配しているかのように眉を下げた。
「俺、捕虜ですよね?なんでこんな……普通拷問部屋とか牢屋とかじゃないです?」
「まさか、殿下の【運命】ともあろうお方をそんな所にお連れするなど有り得ません」
「【運命】じゃないんですけど」
「……え、違うんですか?」
「違いますねー」
でも殿下は確かに……、とボソボソ呟く少年を放置して、貧血のせいか安定しない思考を無理やり働かせる。
【宵闇の王】を殿下と、更に俺を【運命】と呼ぶということは、彼はそこそこ【宵闇の王】に近しい存在なのだろう。そしてここは王城の一室。
馬車の中での話が本当ならば、俺は【エクスシア】の情報を吐かせるために捕まった訳では無い。ーーだが、吸血奴隷にされてしまう方が悪い。そうなると逃げられる可能性は著しく減るだろうし、早めに自殺した方がいいだろうか。
部屋の中にさりげなく目を走らせる。めぼしい刃物やペンなど自殺に使えそうなものは取り払われているし、机や椅子も角のない柔らかい素材でできている。使えそうなものは窓ガラスくらいだが、俺の移動範囲では到底届きそうもない。舌を噛み切るのが1番手っ取り早そうだ。
早くどっか行け、と思念を送る俺を不思議そうに見つめる少年。近づいてきた彼は、てきぱきと俺の服を脱がせて上半身の汗を温かい布で拭き取り、新しいシャツを着せてくれる。というかなんで俺下半身下着1枚なんだ。パンツを寄越せ。
布をお湯に浸した彼は、ふと思い出したかのように深紅の目を瞬かせた。
「そう言えば、自己紹介がまだでした。本日から【夜桜様】のお世話係兼護衛を任されております。望月 奏と申します」
「護衛……ねぇ。監視の間違いではー?」
「まさか」
「……さっきも言ったけど、俺は【運命】なんかじゃなーー」
目を見開く。吹き抜けるような風と共に、望月は俺に接近し、頸動脈に鋭い爪を添えた。たらり、と少しばかりの血が流れる。ーー予想以上の速さだ。拘束されていなかったら本気で応戦してしまったかもしれない。微動だにしない俺の耳に囁くように望月は口を寄せた。
「わぁー、びっくりしましたぁ」
「申し訳ございません、夜桜様。しかしながらどうしても殿下を疑う発言だけはおやめくださいませ。【運命】とは唯一無二の存在です。我々吸血鬼が間違える訳がないのでございます」
「……だから大人しく身を捧げろと?」
望月は当たり前のように頷いた。
「ええ、一介の人間如きが【宵闇の王】の運命として生きることが出来る幸運を噛み締めて頂かないと」
は?うっざ。何こいつ。
ここにハルバードか、せめて銃があれば。此奴の喉元を掻っ切るか脳天ぶち抜いてやったのに。
余裕ぶっこいて布を搾る望月の背中を、瞳孔の開ききった目で見つめる。何が人間如きだ、吸血鬼如きが調子に乗りやがって。殺すぞ。
その時だった。
ガチャ、と豪奢な扉が開く。部屋に入って来た【宵闇の王】に、望月が恭しく最敬礼を取った。殺意を抑えないまま見つめると、彼は苦笑した。
「近付けるな」
「……かしこまりました。失礼いたします」
従順に礼をした望月は、俺に嘲笑うかのようににっこりと微笑みかける。そして、来た時と同じようにワゴンを押して出ていった。彼と交代するように【宵闇の王】が寝具に近寄ってくる。そのまま腰かけた彼は、存外穏やかな声を出した。
「どうした。機嫌が悪そうだが」
「まぁ良い訳ないですよねー」
「望月はどうだ」
「あー嫌いですぅ」
舌打ち混じりに告げる俺の首筋を大きな手で撫でる。その手をにべもなく首を振って払うと、彼は苦笑を深め「嫌われたもんだな」と呟いた。当たり前だ。ーー今に見てろ、ちょっとでも隙を見せた瞬間殺してやるからな。
そんな、もはや怨念じみた視線を送る。例えばもし俺が自殺するとして、その前に絶対に何かしら消えない傷を負わせてやりたい。主にその無駄に整った顔面に。
じ、と見つめる俺を不思議そうに眺める目の前の男。ーーそれにしても、顔が整っている。漆黒の髪は艶やかで、上品に切りそろえ整えられ、更に吸血鬼の証である深紅の瞳は、今まで見たどんな吸血鬼よりも鮮やかで美しかった。
現王を差し置いて【宵闇の王】などと呼ばれる理由も分かる気がする。その容姿に裏打ちされた圧倒的な強者の気配。今の俺では、正面切って戦っても到底敵う相手ではない。それこそ奇襲でもない限り。
俺の様子を黙って見つめていた宵闇の王が、ふと口角を上げる。そして寝具に乗り上げ、俺の下半身にかかっていた柔らかい布団を雑に退けた。嫌な予感がした俺は、ズリズリと大きな寝具の端っこまで遠ざかる。しかし徐々に距離を詰められてしまう。
「……ちょっと、さり気なく近付かないで貰っていいですかー?」
「眼鏡がないと【夜桜】の目が良く見えていい。桜色の瞳は人間では珍しいんじゃねぇか?」
「話聞けよ……薬の影響ですよぉ。普通人間の目は黒か茶色、珍しくて灰色、琥珀色……外つ国では青とか緑とかもいるみたいですがーーーーッッ」
丸出しの太腿に触れようとする手を叩き、睨み付ける。ーーが、寝具の中では逃げるにも限界がある。とうとう足首を捕まれ、【宵闇の王】の所まで引っ張られてしまった。男はそのまま俺の股の間に入り込むようにして身を乗り出し、覆いかぶさってくる。俺は勿論必死に暴れているのだが、力の差は歴然で、いとも簡単に抑え込まれてしまう。
俺の首筋を流れる血に舌を這わせてくる男に、ぶわりと鳥肌が立つ。
「ひッッ、…やめ、てくださっ…」
「ーージュル、うめえなぁやっぱり。堪んねぇ……」
れろ、と首を舐め上げられる感覚がゾッとするほど気持ち悪い。覆いかぶさられ、抵抗できない足をそれでも必死に動かして俺を押さえつける腰を蹴ってはいるのだが、そんなチンケな攻撃が吸血鬼に効くわけが無い。むしろ機嫌よさげに嗤っている。
さらに悪いことに、唾液によって次第に身体の温度が上がっていく。治癒作用で完全に血が止まったのを確認した彼に、両手で抑え込まれていた手首を片手で一纏めにされる。そして、あろうことか奴は空いた方の手で俺のシャツを思いっきり引き裂いた。
ズッ、ズッ、ズッ――
「――っ、んん、ん、…ッ、」
「ビビったかぁ?――ㇵ、」
ビビってるわけではない、断じて。ただ嫌なだけ。
何が嫌かって、ずっと俺の股間に此奴がイチモツ押し付けて腰を振ってくることだ。突っ込まれていないのに突っ込まれてるような気分になる。時折びくんっと震えれば、さらに満足そうに耳もとでクツクツと忍び嗤う。そのせいで俺の恥ずかしさも加速するのだ。
唾液の興奮作用も相まって徐々に思考が曖昧になっていく。油断をすれば――それこそ吸血でもされてしまえば一瞬ではしたない喘ぎ声を漏らしてしまいそうで、必死に耐える。
しかし、ただでさえ貧血で言うことを聞かない身体だ。違う方向から抵抗を続けようと口を開いた。
「これは生理現象これは生理現象これは生理げんしょ―――ぅ"、う、いっだぃ"…」
「萎えるからやめろ」
「それ、が、目的なん、ですよ、!!!!」
俺のちんこを思いっきり掴まれた。激痛が走る。不満そうに此方を覗き込む男を、それでもせめて鼻で嗤ってやった。
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