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あっちからみたらこっちが異世界
もう一人の新太 ①
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冷たい冷たい湖の底に堕ちたはずの意識がぼんやりと覚醒していく。
僕はどうなったの…
肌触りの良いさらさらとした布の感触…
自室のベッドの寝具とは明らかに違う覚えのないこの心地は…?
ああ…死ねなかったのか…ならばここはどこ?
嫁ぎ先のバーガンディ?
カマーフィールドへ戻ってきた?
それともどこかの領地の療養所だろうか…?
皆に謝らなければいけない…
お父様にまたご迷惑をお掛けしてしまった…事態を止められなかったと悔いていらしたお父様。国王様からお叱りを受けては居ないだろうか…
お母様はお嘆きだろうか?それともまた叱責されてしまうだろうか…ごめんなさいお母様。だけど僕は立派な辺境伯夫人になるための勉強なんてどうしてもしたくなかった…
トールキンお兄様はきっと何も言わず、だけどご自分をお責めになるに違いない。あの地を旅立つ前夜のように。
そしてワイアットお兄様は、何も聞かずいつものように微笑むのだ。心配したよってそう僕を抱きしめて。
顔もまだ見ぬバーガンディの夫、辺境伯様はきっとお怒りの事だろう。真っ赤な威圧を振りまいて…
いっそ離縁を申し渡しては頂けないだろうか…?
国王様からの勅命では、それも叶わぬ望みだろうか…?
もういい…一度は死んだ身…心を殺して生きていこう…
何も望まず、何も夢見ず、バーガンディの暗い暗い瘴気に満ちた辺境の地で…
重い瞼を持ち上げる…その眼の前に現れたのは…見たことも無い真っ白な世界。
「〝ヒール”」
…僕の魔力が発動しない…それどころか、体のどこにも魔力の流れを感じない…
よく見れば、視界に入る手の平は、見知った自分の手と違って見える。
カマーフィールドの裏山をどれほど走っても焼けなかった真っ白だった僕の手が淡い褐色になっている。
「こ、これは…?」
明らかに何か異常な事態が起きている。声もいつもの自分と違う柔らかいけど高すぎない声。
訳が分からず焦る心を押し退ける。気怠い身体を無理やり起し、そのベッドから降りようとした時、真っ白な扉が音もなく横へと開いた。
「新太君…新太君気が付いたのね?ああ、まだ起きないで。すぐに先生をお呼びしますからね。動いちゃだめよ。良いわね」
なにかを押すとその白い服を着た人はカチャカチャと見たことも無い器具を取り出していく。
髪が短い…男性?いや女性にしか見えない。だけど男物のトラウザーズをはいている。
その後も白い服を着たいろんな人に、何かを巻かれたり目に光をあてられたり、おそらく僕の状態を確認してるんだろう…その間、僕は一切質問には答えなかった。
…だってここは違いすぎる…僕の住んでたあの国、あの世界と。チカチカと光るいろんな器具は僕の知るどんな魔道具よりも凄いものだと伝わってくる。
転移…時空間転移…
カマーフィールドを発つ直前まで頭から離れなかった虫のいい魔法。その可能性が浮かんでは消える。
だってあれは僕には出来ない複雑な魔法。術式も陣も形成してはいなかった…なのに何故?
全ての確認が終わると見たことも無い女性が入って来る。ああ、心が震える…きっとこの身体の肉親だ。
「新太!新太…ああ、良かった気が付いて…良かった…ううぅ…新太ぁ~…」
泣き崩れながら僕を抱きしめるその腕の温もりに…気が付いたら勝手に涙が頬を伝っていた。
…身体の記憶…
「お母さん、新太君の事で少しお話良いですか?」
「え、ええもちろん、まだ何か心配な事が?」
「新太君、事故の後遺症か、長期間意識がなかった弊害か…記憶障害を起しているようです。時間と共に多少は戻るかも知れませんがこればかりは何とも」
「記憶障害…ですか」
明らかに違う文明レベル。そしておそらくは魔法の無い世界。
僕の知識の何一つここでは通じないだろう。
時間と共に少しずつ馴染んでくる脳裏にうっすらと残るかすかな記憶。
このわずかな記憶を頼りにここで生きていくしか道はない。
「お、おかあさん…?」
少し気恥しいけど記憶のままに声をかける。
「新太!お母さんのことは分かるのね。そう、良かった。どうしたの?なにか欲しいの?」
肩を借りてトイレまで歩く。入り口でおかあさんと別れ手すりを掴んでゆっくりと中に入る。
大きな大きなピカピカの鏡。
僕のいた世界のどんな鏡よりもピカピカの曇り一つない鏡。
「すごい…どこもかしこも真っ白だ…」
それよりも…ようやく見れた僕の顔…
黒い髪の黒い瞳。さっきから会う人みんなそう。ここではこれが普通なんだろう。
僕の面影の何一つ残らない…全然別の…別の人。
どうして時空間魔法が発動したのかわからない。どうしてこの身体に入ったのかわからない。
だけどこれは間違いなく…僕に与えられたもう一つの世界。
個室や便座や勝手に流れる水にまで、一つ一つに驚き疲れフラフラになってトイレを出るとおかあさんがそこで待っててくれた。
「新太大丈夫?時間がかかったみたいだけど。あんたずっと眠ってたんだからいきなり無理しちゃだめよ」
「ずっと眠ってって?どれくらい?」
「半年近くも意識が戻らなかったのよ。」
病室とよばれる個室に戻ってもう一度ベッドに横になる。
「あの公園の池のほとりであなた意識を失って倒れてたのよ。外傷もないし、盗まれたものも無い。事件性はなさそうだって警察の方も言うし…本当にどれほど心配した事か。お父さんもお姉ちゃんも夜には来るから、ちゃんとそれまで休んでなさい」
真っ赤なりんごを器用に剥きながらおかあさんが大体の事情を教えてくれる。この世界のおかあさんは自分の手でりんごを剥くんだ?
「はいどうぞ。食べられる?」
「うん、食べたい」
なんてことない会話なのに妙に嬉しいのは何故なんだろう。うんと幼い頃だったらお母様ともこんなやりとりしてたっけ。
池…僕が身を投げたのはバーガンディとカマーフィールドの間にあるセレスティアン湖。
水が何かのきっかけで僕をここまで運んだの?水、水、お父様やお兄様の根源となる属性の水。
じゃぁ新太君は向こうに行ってしまったんだろうか…僕の代わりに?
ああ、どうしよう…そんなつもりじゃなかったのに…
「ほら、せっかく目が覚めたんだから元気出しなさい。記憶ならきっと戻って来るわよ。戻らなくったって、お母さんのことは分かるんでしょう?じゃぁ十分よ。あんたは元気と能天気なのが取り柄なんだから、そんな顔してたらお姉ちゃんたち心配するわよ」
「元気で能天気……」
なんの慰めにもならないけど…ほんの少しだけホッとした。
僕はどうなったの…
肌触りの良いさらさらとした布の感触…
自室のベッドの寝具とは明らかに違う覚えのないこの心地は…?
ああ…死ねなかったのか…ならばここはどこ?
嫁ぎ先のバーガンディ?
カマーフィールドへ戻ってきた?
それともどこかの領地の療養所だろうか…?
皆に謝らなければいけない…
お父様にまたご迷惑をお掛けしてしまった…事態を止められなかったと悔いていらしたお父様。国王様からお叱りを受けては居ないだろうか…
お母様はお嘆きだろうか?それともまた叱責されてしまうだろうか…ごめんなさいお母様。だけど僕は立派な辺境伯夫人になるための勉強なんてどうしてもしたくなかった…
トールキンお兄様はきっと何も言わず、だけどご自分をお責めになるに違いない。あの地を旅立つ前夜のように。
そしてワイアットお兄様は、何も聞かずいつものように微笑むのだ。心配したよってそう僕を抱きしめて。
顔もまだ見ぬバーガンディの夫、辺境伯様はきっとお怒りの事だろう。真っ赤な威圧を振りまいて…
いっそ離縁を申し渡しては頂けないだろうか…?
国王様からの勅命では、それも叶わぬ望みだろうか…?
もういい…一度は死んだ身…心を殺して生きていこう…
何も望まず、何も夢見ず、バーガンディの暗い暗い瘴気に満ちた辺境の地で…
重い瞼を持ち上げる…その眼の前に現れたのは…見たことも無い真っ白な世界。
「〝ヒール”」
…僕の魔力が発動しない…それどころか、体のどこにも魔力の流れを感じない…
よく見れば、視界に入る手の平は、見知った自分の手と違って見える。
カマーフィールドの裏山をどれほど走っても焼けなかった真っ白だった僕の手が淡い褐色になっている。
「こ、これは…?」
明らかに何か異常な事態が起きている。声もいつもの自分と違う柔らかいけど高すぎない声。
訳が分からず焦る心を押し退ける。気怠い身体を無理やり起し、そのベッドから降りようとした時、真っ白な扉が音もなく横へと開いた。
「新太君…新太君気が付いたのね?ああ、まだ起きないで。すぐに先生をお呼びしますからね。動いちゃだめよ。良いわね」
なにかを押すとその白い服を着た人はカチャカチャと見たことも無い器具を取り出していく。
髪が短い…男性?いや女性にしか見えない。だけど男物のトラウザーズをはいている。
その後も白い服を着たいろんな人に、何かを巻かれたり目に光をあてられたり、おそらく僕の状態を確認してるんだろう…その間、僕は一切質問には答えなかった。
…だってここは違いすぎる…僕の住んでたあの国、あの世界と。チカチカと光るいろんな器具は僕の知るどんな魔道具よりも凄いものだと伝わってくる。
転移…時空間転移…
カマーフィールドを発つ直前まで頭から離れなかった虫のいい魔法。その可能性が浮かんでは消える。
だってあれは僕には出来ない複雑な魔法。術式も陣も形成してはいなかった…なのに何故?
全ての確認が終わると見たことも無い女性が入って来る。ああ、心が震える…きっとこの身体の肉親だ。
「新太!新太…ああ、良かった気が付いて…良かった…ううぅ…新太ぁ~…」
泣き崩れながら僕を抱きしめるその腕の温もりに…気が付いたら勝手に涙が頬を伝っていた。
…身体の記憶…
「お母さん、新太君の事で少しお話良いですか?」
「え、ええもちろん、まだ何か心配な事が?」
「新太君、事故の後遺症か、長期間意識がなかった弊害か…記憶障害を起しているようです。時間と共に多少は戻るかも知れませんがこればかりは何とも」
「記憶障害…ですか」
明らかに違う文明レベル。そしておそらくは魔法の無い世界。
僕の知識の何一つここでは通じないだろう。
時間と共に少しずつ馴染んでくる脳裏にうっすらと残るかすかな記憶。
このわずかな記憶を頼りにここで生きていくしか道はない。
「お、おかあさん…?」
少し気恥しいけど記憶のままに声をかける。
「新太!お母さんのことは分かるのね。そう、良かった。どうしたの?なにか欲しいの?」
肩を借りてトイレまで歩く。入り口でおかあさんと別れ手すりを掴んでゆっくりと中に入る。
大きな大きなピカピカの鏡。
僕のいた世界のどんな鏡よりもピカピカの曇り一つない鏡。
「すごい…どこもかしこも真っ白だ…」
それよりも…ようやく見れた僕の顔…
黒い髪の黒い瞳。さっきから会う人みんなそう。ここではこれが普通なんだろう。
僕の面影の何一つ残らない…全然別の…別の人。
どうして時空間魔法が発動したのかわからない。どうしてこの身体に入ったのかわからない。
だけどこれは間違いなく…僕に与えられたもう一つの世界。
個室や便座や勝手に流れる水にまで、一つ一つに驚き疲れフラフラになってトイレを出るとおかあさんがそこで待っててくれた。
「新太大丈夫?時間がかかったみたいだけど。あんたずっと眠ってたんだからいきなり無理しちゃだめよ」
「ずっと眠ってって?どれくらい?」
「半年近くも意識が戻らなかったのよ。」
病室とよばれる個室に戻ってもう一度ベッドに横になる。
「あの公園の池のほとりであなた意識を失って倒れてたのよ。外傷もないし、盗まれたものも無い。事件性はなさそうだって警察の方も言うし…本当にどれほど心配した事か。お父さんもお姉ちゃんも夜には来るから、ちゃんとそれまで休んでなさい」
真っ赤なりんごを器用に剥きながらおかあさんが大体の事情を教えてくれる。この世界のおかあさんは自分の手でりんごを剥くんだ?
「はいどうぞ。食べられる?」
「うん、食べたい」
なんてことない会話なのに妙に嬉しいのは何故なんだろう。うんと幼い頃だったらお母様ともこんなやりとりしてたっけ。
池…僕が身を投げたのはバーガンディとカマーフィールドの間にあるセレスティアン湖。
水が何かのきっかけで僕をここまで運んだの?水、水、お父様やお兄様の根源となる属性の水。
じゃぁ新太君は向こうに行ってしまったんだろうか…僕の代わりに?
ああ、どうしよう…そんなつもりじゃなかったのに…
「ほら、せっかく目が覚めたんだから元気出しなさい。記憶ならきっと戻って来るわよ。戻らなくったって、お母さんのことは分かるんでしょう?じゃぁ十分よ。あんたは元気と能天気なのが取り柄なんだから、そんな顔してたらお姉ちゃんたち心配するわよ」
「元気で能天気……」
なんの慰めにもならないけど…ほんの少しだけホッとした。
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